感情レヴュー

中沢忠之、『文学+』を刊行する「凡庸の会」同人

2007-01-01から1年間の記事一覧

年の瀬ホラー談義2

承前*1 そういえば、ラカン派精神分析家の斉藤環氏が、一般病棟には幽霊が出るという怪談話は付きものだが(学校の音楽教室にはよく出るという噂話と同じようなレベルで)、精神科の病棟には、そういう話が一切聞かれない、という指摘をしていたことを思い出…

年の瀬ホラー談義

ハリウッドのホラー映画は、90年代以降、とくに見るべきタイトルがない。80年代を通して洗練されたスプラッターもの(13金、エルム街、ハロウィンなど)が行き詰った結果であると、とりあえず言えることができるだろう。 むろん、ホラーはスプラッターばか…

2007M-1観了

南船橋のららぽーととIKEAに行った後*1、焼酎(伊佐美!)と安いワインを飲みつつ、ビデオにとっておいたM-1グランプリ観了*2。例年の如く、お笑い素人の僕にとって収穫の多いプログラムだった。すばらしすぎる。 グランプリのサンドウィッチマンは初体験。…

『監督・ばんざい!』と『大日本人』

TAKESHIS’ [ 北野武 ]ジャンル: CD・DVD・楽器 > DVD > 邦画 > ヒューマンショップ: 楽天ブックス価格: 3,220円二人の「たけし」が、どちらが夢か現実か支配権を譲らぬまま反転し続ける。北野武監督の『TAKESHIS’』をみて、デヴィッド・リンチお得意の、現実…

僕らの小説家の全集はいかに?

近くに最近できた古本屋で「デトロイト・メタル・シティ」の4巻と後藤明生の「小説―いかに読み、いかに書くか」を手に入れる。250円と330円。すばらしい。 後藤さんのは絶版本で、いまなら多分少なくとも1000円はするはずのもの。彼のファンなら周知の通り、…

orz!Z!Z!Z!――サイクロンZ論

前向き戦士サイクロンZ。リズムの変調*1にこそ笑いがひそんでいることを確信している、我らがヒーロー芸人。 与えられた時間を一定のテーマのもとにネタを披露する通常のしゃべくり芸に対して、複数分割したネタを小出しに披露する「小ネタ芸」というカテゴ…

80年代文学史論 第3回――村上春樹をフライング気味に論じる

物語ることにそれほど関心をもたず、実験的なアプローチを突きつめていったあげく行き詰るタイプ。こういう、まあ理論先行型のタイプのアーティストは、我々には比較的イメージしやすい。純文学の作家に限って言えば、まず挙げられるのは、横光利一とか高橋…

物語から神話へ

子供の時代は、様々な可能性なり暴力性なり逸脱行為なり多形倒錯的なものなりに対する親和性があって、それを均すことが成長することと同義であるように語られる場合がある。それをとりあえずは古典的なフロイト史観といってもいいと思うけれど、このような…

フィクションの強さ、フィクションのラビリンス

ギレルモ・デル・トロ『パンズ・ラビリンス』に関する文章の最後が分かりにくいという指摘をいただきました。拙筆ゆえ仕方がないのにくわえ、極度にネタバレを恐れてしまったところにもその原因があるのかもしれません。書き直しました(「話を戻そう」以下…

80年代文学史論 第2回――庄司薫論(2)

承前http://d.hatena.ne.jp/sz9/20070922 自分を取り巻く世界に向けて不平不満をぶつけていた薫。そんな彼に対して、世界の中から痛み――これはオマエの痛みだ!――を告げに到来した女の子。 かくして分裂の痛みを引き受けることになった薫は、女の子の買い物…

『アサッテの人』評評

アサッテの人作者: 諏訪哲史出版社/メーカー: 講談社発売日: 2007/07/21メディア: 単行本購入: 5人 クリック: 56回この商品を含むブログ (123件) を見る今回芥川賞をとった諏訪哲史『アサッテの人』に対する、ウェブ上のレヴューなりコメントや、僕の身近な…

80年代文学史論 第1回――庄司薫論(1)

1980年代の文学を考えようと思ったのは、90年代から現在に至る文学の有様の一端を垣間見たいという思いからである。これはいずれ90年――95年? 00年?――代文学史論に引き継がれるものである。今回(および次回)はその前史として、庄司薫(1937年生)を取り上…

「見かけ倒し」と「人は見かけによらない」

1 先日、細木数子氏がブラウン管で「小泉待望」を語っていた。 へえ。僕は長らく彼女のことを古きよき保守を理念にした占い師として、最近の保守派・自民党は見習うべきだくらいに思っていたのですが。女はダメな旦那を後ろからコントロールして幸せを確保…

新聞切抜帖

1 以下、読売新聞(2007年9月1日)から話題の記事、全文引用。 《奈良県橿原市の妊娠中の女性(38)が相次いで病院に受け入れを断られ、死産した問題で、3度の受け入れ要請があった県立医大病院(橿原市)は31日、同病院のホームページ(HP)で消防と…

小田実追悼――原爆文学史試論

1945年の8月6日と9日に何がおこったのか知らない渋谷の学生たちへのインタビューからはじまるスティーヴン・オカザキのドキュメンタリー映画『ヒロシマナガサキ』は、原爆という出来事を、その基本の基本にたち返って検証しようというスタンスから作られた作…

モダニズム以降の表現の可能性

博士論文が審査を通過しました。タイトルは、『安吾戦争後史論 モダニズム以降の表現の可能性』です*1。興味のある方は、プロフィール欄のアドレスに連絡くだされば、データを送ります。 +++ ところで、僕が文学におけるモダニズムというときは、1920年代…

近代文学が終わるとしたら

前回の日記で*1、ライトノベルは何よりも物語設定とキャラ設定(のデータベース)が消費対象だと言った。それでは、純文学に、我々は何を求めているか。 その問いに関しては、各時代ごとにもっともらしい解が用意されてはいるだろう。現実の最新風俗を読みた…

純文学におけるエンターテイメントの影響を概説して、東浩紀著『ゲーム的リアリズムの誕生』を論じる

承前*1 リアルな世界よりもフィクションの世界の方にある種のリアリティーを見出すというか、創作上の可能性を見出した純文学最初の世代が、新感覚派以降、横光利一とかあのあたりだったというのは文学史的に妥当な線だろう。当時は、とりわけ相対性理論など…

宇野常寛「ゼロ年代の想像力」

このテキストで宇野常寛氏は、前世紀の90年代後半と今世紀に入ってからの00年代を区分し、物語の想像力が変化した、と指摘している(「ゼロ年代の想像力 「失われた10年」の向こう側」連載第一回、「SFマガジン」2007年7月号)。前者が、『エヴァンゲリオ…

小説の言葉、アサッテな言葉

私たちにとっての小説家・佐藤友哉の魅力は、まず何より、エンターテイメント(ライトノベル)と純文学の間でどっちつかずの優柔不断な問いを延々と重ねるところである。しばしば魅力的だと評される、彼の自意識過剰な「地声」も、エンターテイメントという…

オリエンタリズム批判を超えて――ネタ追求至上主義2

「論座」(2007年7月号)に、「他者のステレオタイプ化をどう越えるか」というテーマの鼎談があった(村上由見子×金平茂紀×ナジーブ・エルカシュ)。 ここ数年、オリエンタリズム批判を筆頭として様々な差別(的な表象・表現に対する)批判――つまり「他者の…

ドキュメンタリー文学!――『女工哀史』から『生きさせろ!』まで

映画界はとくにここ何年かドキュメンタリーに活気がある。日本にいれば原一男という前例があったためにそれほど驚かなかったにせよ、マイケル・ムーアのアポ無し取材が、軽快な編集効果と相まってドキュメンタリーに衆目を集めさせることに貢献し、アル・ゴ…

ゆれる「蛇イチゴ」とゆれない「ゆれる」――物語の意図と設定の齟齬

一つの事件をめぐって複数の当事者が異なった視点と見解を提示し、その齟齬に翻弄される当事者たちの人間ドラマが物語設定の核となる作品は、思えば、芥川龍之介の「藪の中」や横光利一の「機械」以降さまざまあるが、西川美和氏の「ゆれる」(2006)もこの…

ゲンバク小説、文学ジャンク

びッくりした。昨日ブログを書いた後(「原爆」関連の小説について少しふれたのだが)、池袋のたまたま入った古書店で大田洋子の潮文庫版『屍の街』(1948)を発見、250円ほどで手に入れた。こうの史代氏が『夕凪の街 桜の国』の参考資料にあげているもので*…

純文学的『ゲーム的リアリズムの誕生』評

ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2 (講談社現代新書)作者: 東浩紀出版社/メーカー: 講談社発売日: 2007/03/16メディア: 新書購入: 34人 クリック: 461回この商品を含むブログ (462件) を見る東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポ…

ジャンルの記憶喪失

坪内‐二葉亭にはじまる近代文学は、多様な物語を生産しながらも、陰に陽に大きなテーマに包摂されてきた。それは、自我の葛藤とか、理想的なアイデンティティーの追求といわれるものである。社会が求める自己像と自分がそうありたい自己像との分裂、はたまた…

すべてがライトになる――芥川賞と星野智幸と佐川光晴

最近の芥川賞の選評はおよそゆるしがたいものがある(おっと大きく出たぞ!)。その主要な理由は、各人の選評の前提となる部分に、「そもそも私たちの純文学とはどのようなもの(たるべき)か?」という問いがいっさい感じられないからだ。 日本で最も注目さ…

「格差社会」は存在しない?

最近の文学賞に見られる選評のだらしなさに対して今度という今度は何か言おうと思い、芥川賞の選評を読むべく「文藝春秋」(07年3月号)を手に取ったら、綿矢りさが二人の成人男性(石原慎太郎と村上龍)に確保された異星人のごとく扱われている鼎談(じつは…

非アイロニー的なアイロニーのために

ドゥルーズ曰く、 「『不思議の国のアリス』でも『鏡の国のアリス』でも、極めて特殊な事物のカテゴリーが眼目になっている。すなわち、出来事、純粋な出来事である。私が「アリスが拡大する」と言うとき、私が言いたいことは、アリスがかつてそうであったの…

ネタ追求至上主義

前記(1月20日)日記のときはまだ知らなかったのだけれど、「あるある大事典」が前記納豆の放送分で虚偽の情報操作をしていたとのこと、皆様すでに報道などでご存知かと。前記日記のタイトルに「情報操作」とまで書いたのはさすがに行き過ぎかなとも思ったの…