感情レヴュー

中沢忠之、『文学+』を刊行する「凡庸の会」同人

エッセイ

ファミリーリセンブランスとしての私 柴崎友香論

1970年代は日本文学の転換期に当たっている。それ以前は、「政治と文学」という戦後に打ち立てられた主題が、疑われつつも機能していた。作家たるもの政治的問題に積極的にアプローチしなければならないという強力な圧力があり、その一方で、政治にからめと…

1930=1970=2010年代文学再編説

今年の地震の影響で文学が変わるのではないかという議論があるけれど、私はそうは思わない。先の戦争の際も、それを受けて戦争体験を素材にした作品は増えましたし、個別の作家に様々な形で影響を与えたでしょうが、既成の概念で論じられない文学表現が出て…

ナレーションおよび物語分析の再考

ここのところずっと、ライトノベル/ジャンル小説の作家――とくに冲方丁と西尾維新――を読んでいた。それとは別に、文学におけるナレーションの効用についても考えていたのだけれど、彼らの作品からいくつか得るところがあった。 昔からの変わりばえのしないナ…

逆セカイ系から見た私 ゼロ年代のジャンル史論

私は「エヴァ」にも「lain」にもノれませんでした。疎外と孤独を扱っていればアニメやゲームとして認められてしまうところが、この業界の19世紀的な幼稚さです。あの手のモノが、ぼくは大ッッ嫌いです。(『伊藤計劃記録』伊藤計劃、二〇一〇年) 1 このと…

キャラクターについて考えてみる

ソフラマのid:K-AOI、aBreのid:segawa-y、筑波批評のid:sakstyleによる座談会UST「キャラクターについて考える」を聴きました(http://d.hatena.ne.jp/tsukubahihyou/20091204/1259945292)。とても楽しかったです。キャラクターについて考えるきっかけをい…

レヴィ=ストロースの残したもの

今日は先日亡くなったレヴィ=ストロースから話をはじめる。彼のキャリアは人類学のフィールドを専門にしながら構造主義を先導したとして知られている。周知の通り構造主義は、社会を自律した構造(シニフィアンの束)としてとらえ、それを吊り支える審級をゼ…

モダニズムの夢再び

僕が、短歌や物語の自動生成機械という発想に興味が湧かないのは、「第二芸術論」の二番煎じとか人間不要の夢など馬鹿げているとかそういうことではない。それがモダニズムのはかない夢だとしか思えないから。 モダニズムというのは、ジャンルの形式的なルー…

続モダニズム以降の表現の可能性――竹内好と坂口安吾

1 最近、竹内好論を書く必要があって再読している。読めば読むほど、安吾とロジックが似ていると改めて思うところがある。それについては以前、学位論文(『安吾戦争後史論 モダニズム以降の表現の可能性』2007年)でも書いたことがあるのだけれど、文学史上…

文学とは何か

Twitterでのつぶやきをまとめたもの。 PART1 純文学=高尚・芸術的、エンターテインメント系文学=エンターテインメント・市場原理という対立はしばしば議論されてきた(文学の大衆化が登場した大正以降)→水掛け論に終始。 + そのような文学観は誤り。⇒ジ…

50年代祭り(1)――橋川・シュミット・ベンヤミン

今回は、橋川文三の日本ロマン派論を軸に、1950年代を素描し、ロマン主義と決断主義の関係を論じて、現代の論壇事情についても言及しました。 1 橋川文三は、1957年に日本ロマン派について考察をはじめ、その成果を雑誌に連載していった。それを60年に単行…

様々なる意匠を超えて

(1)『1Q84』 村上春樹の『1Q84』読了。感想を一言で言うなら、変わっていないという印象が強い。村上春樹の特徴をここで整理しておくと(前回のエントリー参照)、第一に、ひたすら状況に巻き込まれるキャラクターの相がある。つまりキャラクター…

集合知と作家性

システム論とかアーキテクチャとか環境設計とかが批評の話題になって久しい。このブログでも何度か好意的に紹介してきたところである。そういった発想は、いうまでもなく主体性に根拠を置くのをこころよしとせず、実存とか主体性を前提にした超越論的な契機…

小説のプログラム 内言篇

1 小説は近代の文学として誕生した。近代文学とはすなわち小説のことである。小説が前時代の文芸ジャンルと異なる点はいくつかあるが、内面描写(以下「内言」とする)を重要な構成要素として取り入れたところが決定的だったといっていい。 前時代の文芸ジャ…

方法としての竹内好

日本とアジア (ちくま学芸文庫)作者: 竹内好出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 1993/11/01メディア: 文庫購入: 2人 クリック: 11回この商品を含むブログ (27件) を見る竹内好とは、戦時中から中国文学を専門とし、論壇と文壇に幅広く関与した評論家として知…

分析と総合――モダニズム以降の表現の可能性(3)

ファンにとっては言わずと知れたことだが、刑事・探偵ものドラマには画期となった作品が二つある。一つは、村川透ほか演出・松田優作主演の『探偵物語』(1979−80)。もう一つは堤幸彦演出・中谷美紀主演の『ケイゾク』(1999)。 ふり返ると、1970年代から8…

リアリズムの再考

前回のエントリーを読み直し、文学が好きだとか嫌いだとか、趣味判断とか感情を強調しているところが散見されて、われながらなんとも気色悪い。そんなこというまでもないことなのだが。原理主義のタチの悪さってこんな感じだろうなと激しく猛省。 ただ、分析…

前回の注改

最初に、前回のエントリーの訂正を。 東氏の「自然主義的リアリズム」観を、「相対的に可能性を省みられない(まあお役目御免的な)様式」と定義したことに関して、暴力的だというご批判を受けました。確かにそうですね。彼は現代社会に対応した様式を「ゲー…

批評について、考える。

前々夜の酔い痴れコメントに対して藤田直哉さんの「共鳴」を頂戴したり(http://d.hatena.ne.jp/naoya_fujita/20080914)、間借花さんから身体を気遣ってくれるコメントをくださったり(ありがとうございます。気をつけます)、こんなふうに拾っていただける…

醒めて、考える。

というか二日酔いです。アルコール漬けのエントリーはやっぱり酷いし痛い。なぜか(1)としてるけど、もうないことを祈るばかりです。商業性とそれに犯されない趣味判断という対概念で文学の可能性について議論することは、大衆文学とかエンターテインメン…

酔いながら、考える(1)

例によって焼酎を一升瓶一人で開けてると色々見えてくることがある。いやまあ、だいたいが妄想か雑念かエロなんだけど。最近の(このブログの)エントリーでは、表現分析においては形式と歴史の考察が重要だというきわめて保守的な説教ばかり言っていて、わ…

前回の補遺

批評の方法については、ここでは何度か言及していることだけれど、僕が意図している方法は、表現論(テクスト分析など)の軸と歴史・社会分析(消費やコミュニケーション分析も含む)の軸を縦横におり合わせたものだ、ということです。表現論によってジャン…

青春小説論――佐藤友哉の自意識というモード

皆さんお久しぶりです。夏休みの宿題として、今月初め、中上健次論と青春小説論を自分に課しました。まにあいました。どちらも依頼原稿だったのですが、中上論は来月の「ユリイカ」中上特集に載る予定です。青春小説論の方は、残念ながら掲載媒体が発行でき…

批評のコミュニケーション(2)、あるいはモダニズム以降の表現の可能性(2)

思えば、物語や意味になかなか結実しない言葉の列、即物的な文章を肯定的に評価する傾向が見られだしたのは、90年代の後半、J文学がにぎわったころである。たとえば、ベケット(というかジジェク)経由で中原昌也を擁護する絓秀実のジャンク文学(『「帝国」…

データベース的、郵便的

イーディさんこんにチは。コメントありがとう。講義のためにいろいろ図像を集めていたのですが、たまたま「モンドリアン」のイメージ検索をしたら、下記の連鎖の通り、とんでもないことになっていたわけです。グーグル検索さまさまですね。これはほんの一部…

物語の連鎖、ひたすら連鎖

(例1)作家間、固有名間のオマージュ的連鎖。 マネ『バルコニー』1868 マティス『コリウールのフランス窓』1914 ザオ・ウーキー『アンリ・マティスに捧ぐ』1986 この連鎖においては、マスターピースを軸にした美術史の豊穣な物語が語られるだろう。具象と抽…

現代批評の一分(3)――テクストと!

殺人事件の謎に萌えるのか、名探偵のキャラに萌えるのか。いや、ていうか、多分これはそんな複雑な問題じゃなくて、ミステリーは単に『面白いから』、生まれて、はやって、今もなお生きているんだと、僕はそう思いたいものです。『不気味で素朴な囲われた世…

古川日出男的地図作成術――来るべき古川論のために

ある意味承前*1 古川日出男の作品には、頻繁に地図が参照され、地名が記述される。しかし古川的地図は、その土地固有の風土をもたない。物語の背景として記述される地図・地名には、作中人物がかつて生活してきた記憶や痕跡をとどめないし、今後も生きるべき…

80年代文学史論 第4回――愛しの中森明菜

*1 少し前から、南明奈を知って(グラビアの彼女にはなんとも感じなかったのに、という否認の身振りに自己嫌悪しつつ、とにかくテレビ映えがいい)以来アイドル好きに回帰しつつある自分を感じて漠然とした危機感を感じている今日この頃なのだけれども、アッ…

年初めホラー談義

承前*1 われらがJホラーは、清水崇「呪怨」(1999)において新たな段階に入ることになった*2。Jホラー特有の、あの、環境に溶け込んだような曖昧な存在。一瞬見えたかと思うと、たちまちかき消え、目を見開いていないと逃してしまう何ものか。この蜃気楼のよ…

年の瀬ホラー談義2

承前*1 そういえば、ラカン派精神分析家の斉藤環氏が、一般病棟には幽霊が出るという怪談話は付きものだが(学校の音楽教室にはよく出るという噂話と同じようなレベルで)、精神科の病棟には、そういう話が一切聞かれない、という指摘をしていたことを思い出…