感情レヴュー

中沢忠之、『文学+』を刊行する「凡庸の会」同人

純文学私的回顧2020

今年は24のタイトルをブログに投下できた。ブログを始めた2005年が23なので、それを上回る。文字数は圧倒的に減ったとはいえ。37と最もタイトルが多い08年はゼロ年代批評の活況が頂点に達した時期だったと記憶する。とはいえ、文学の批評は、ライトノベルケータイ小説の流行にとりあえずアクセスしつつ、手の打ちようがないといった感じではなかったか。

個人的には、07年に、『文学+』の同人と読書会と称する飲みが始まり、博論が受理されたが、08年には子供ができ、コンビニではなくスーパーのバイトを辞めて仕事に就いた年で、以降ブログから離れ、Twitterに乗り換えた時期に当たる。

最初は、Twitterから距離をとるためにブログを再開した程度だったが、とっかかりとして文芸誌や文学賞を話題にしたのは、あいた時間で読み書くトレーニングにもなった。同人誌などの話も書きたいが、どういうフレームを作ればよいのか悩む。先週末は、太田靖久が企画編集をする文芸ZINE『ODD ZINE』展(かもめブックス)に足を運び、持っていなかった号も入手してコンプリート出来たのが、とりあえずよかった。

最近、文学史について大杉重男が通りすがり的なビンタをし、Twitterでも若干話が出ていた。それらにはなんの異論もない。また文学史が流行るなんてことは間違ってもないはずだが、文学史について自分の思うところを補足しておきたい。

大杉は、直近のブログ(http://franzjoseph.blog134.fc2.com/blog-date-202012.html)で「最近の平板で凡庸な「文学史」の復活ぶり」を指摘し、「平成文学史」の記述を批判している。その理由を、「告白」の倒錯的な制度性―「告白すべきものがあるから告白するのではなく、告白という行為が事後的に告白すべきものを転倒的に生み出してしまう」―から説明する。告白すべき心理=真理は事後的に生起し、制度化する。文学史もこれと同じなのだから、「「文学史」を作って線引きすることそのものの転倒性を批判した『日本近代文学の起源』の精神そのものは忘れられてはならない」と。これはとても頷けるし、誰も異を唱えないのではないか。前回紹介した、平成文学史を記述した批評家・研究者もこの「線引き」に警戒していたように思う。

文学史の記述による「線引き」は、真理とそうではないもの―「純文学と通俗小説」「政治と文学」など―を分割する。それは作られたものにもかかわらず、作られた後には自明なものとして制度化する。

これを文学史本質主義的な側面だとするなら、文学史にはまた、プラグマティックな側面―教育・ガイド・運動として機能する―がある。私はその側面に注目している。

そもそも私たちが用いる言葉(という「線引き」)もこの両面がある。言葉は、それぞれ特定の意味(真理)をともなって構造化されているが(本質主義的な側面)、実際に使用される場面ごとに様々な意味・機能をになう(プラグマティックな側面)。

確かに、かつて文学史は、唯物史観に象徴されるような、真理なり理念を明らかにするという側面が重要視された。文学の歴史は、その記述をなぞっていくと、純文学として大衆文学等との関係から文学の真理―昭和初期の「純粋小説論」から平成の「エクリチュール」「文学=ジャンク」に至るまで―を創出する過程として見出すことができる。告白の内容が卑小なもの―「なぜいつも敗北者だけが告白し、支配者はしないのか」(『日本近代文学の起源』)―であればあるほどよかったように―花袋の『蒲団』?―、文学もまた自己を自虐的に語ることで延命をはかってきたのだ。壮大な正典・カノン批判があった2000年頃まで継続したその過程は、文学の真理を掘り下げ開示するという意味でいわば「告白の文学史」みたいなものであった。

他方、告白的な真理をともなわない文学史は、磯田光一の『戦後史の空間』(1983)あたりから頭角を現すとひとまず設定したいが、その磯田の『左翼がサヨクになるとき―ある時代の精神史』(86)は、左翼的な「政治と文学」の理念が機能しなくなる個人主義化した時代の文学史の記述―左翼系の言論から批判を受けて遠慮した筆致になっているが―を模索していた。そこで磯田が選んだのは主題の系譜学的な記述であり、平成文学史の多くもまたそれを倣うように主題先行型であることは前回述べた通りである。

いずれにせよ、文学史の記述にはこの2側面があるとし、それぞれを操作的に把握した方がよいのではないか。文学史本質主義への警戒はもちろんのこと、告白的な真理をともなわなければOKということにも当然ならない。それは、場合によっては、真理を追跡する文学史とは別種の問題点をともなうだろう。その教育的な配慮は鬱陶しさや胡散臭さを感じさせるだろうし、かといって運動がともなわなければ、個別主題に接点がない者には「平板で凡庸」にしか見えない。

内藤千珠子は編著『〈戦後文学〉の現在形』を刊行した際に、文学史批判を行った。「フレームには、両義的な力があると思います。「戦後」あるいは「戦後文学」というフレームを共有することで、可視化でき、明確になる物事がある一方で、フレームには排除の力や区切る力があって、異論が出にくくなる働きも起こります。「戦後文学」がジャンルとしてフレーム化されるときには、正典とそれ以外のものを分かりやすく区別するという力が働く」(『週刊読書人』12月4日号)と。この発言に異論はない。ただ、ここでは、文学史記述(フレーム=線引き)の両義性を正確にとらえているものの、その良い点をプラグマティックな側面に限定し、悪い点を本質主義的な側面に限定し、分割しているように見える。

しかし、この間には様々なグラデーションがあり、フレームが正典化することを警戒する前に、はたして自分たちのフレームに接点のない者を巻き込むことはできないのか、自分たちのフレームはどこまでを射程にしうるのか、鬱陶しさや胡散臭さを感じさせないかといった―政治的な―問いがありうるのではないか。それは「敗北者」というよりも、「治者」「支配者」の言説に近い。

狭小ながらも分断激しいSNSの文学クラスタを見るだけでも、なかなか絶望的な問題なのだが、文学関係者(もちろん他人事ではない)にとっては最も見たくない側面であることは間違いない。この問題は、文学史の記述のみならず、文学賞をはじめ、時評や書評、出版などジャンルのメタ言説の運用に当てはまるだろう。

この意味でなぜ大塚英志がこの20年ほど根気よく「教育」をやって来たのかが最近腑に落ちるようになった。鬱陶しさや胡散臭さのない言説などたかが知れている。などと私はブログでクレームを投げているだけなので、気楽といえば気楽なのだが。

『〈戦後文学〉の現在形』は、若干関わった程度の私がいうのも気が引けるが、「良質のガイドブックとしての機能」(「プロローグ」)と内藤が示す通り、場合によっては文学の正典すら知らない人にも向けた、教育やガイドとして読まれること―とはいえ価格が高いのだが―をもっと主張してよいと思う。だからこその正典化批判は有意味なものになるのではないか。

また文学教育という観点から、大塚の『文学国語入門』もあるが、西田谷洋『女性作家は捉え返す―女性たちの物語』も紹介しておきたい。両著とも、実用文や論理性が重要視される教育の現場でこそ文学の読解が重要になるという、文学ならではの逆説をきかせた、政治的な問いかけがある。西田谷の仕事は、文学作品の生成‐読解フレームは認知やイデオロギーで様々なバイアスがかかっていることを前提にし、それを解きほぐす営為であることは以前から一貫しており、この著書でも変わらない。

大塚と紅野謙介が国語教育について対談した記事が掲載された『早稲田文学』(2020年冬号)は、文学作品を取り囲む環境を主題にしており(「特集 価値の由来、表現を支えるもの―経済、教育、出版、労働…」)、個人的にはタイムリーであった。

これまた個人的な感想だが、『早稲田文学』はサイズ感がちょうどよくなった気がする。小型になった判型ではなくて、コンテンツが。渡部直己ショック以降の改変だと思われるが、以前は編集委員にビッグネームを寄せ集めたりグラビア仕立てにしたりしてインフレみを感じていたのだった。

文学における今年の注目は文芸誌の活況だったようだが、佐々木敦の文芸批評撤退宣言と入れ替わるように登場した、仲俣暁生の文芸批評家復活劇もあげておきたい。ゼロ年代の彼の文芸批評家としての仕事―『ポスト・ムラカミの日本文学』(2002)『極西文学論』(04)―は、純文学に情報環境やサブカルを導入するというゼロ年代批評的な―というより大衆文学との距離から自己を記述する純文学に伝統的な―文脈にあった。

2010年代後半の時評をまとめた新刊『失われた「文学」を求めて』も、危機や喪失、はたまた正典批判といった従来の文脈が生きている。それはタイトルにも現れている通りだが、今作はより政治的な発言が増え、仲俣固有の「編集者」視点が顕在化し、それがユニークなものにしているように感じた。仲俣が描く、「読む」「書く」と、それに追加された「作る」のトライアングルがどんなパンチライン―「ド文学」批判などはこのトライアングルあってこそのテーマセットだろう―を繰り出すのか楽しみだ。

2010年代は、内藤の「伏字的死角」(『愛国的無関心』2015)や木村朗子の「憑在論」(『その後の震災後文学論』18)、矢野利裕の「主題の積極性」(「新感覚系とプロレタリア文学の現代」『すばる』17・2)など使えそうなパンチラインは多数あったのだ(もちろん目立たなくてもよい批評・研究があった)が、大いに盛り上がったのは『美しい顔』と『百の夜は跳ねて』の参考文献問題と渡部のセクハラ問題だった。まあそれを含みこんでの文学ではある。

文学は「敗北者」の言説であると相場が決められてきた。それは文学しかフォローできない貴重な視点だと今も信じて疑わないが、やはり一面的な視点であることは、『文学+』2号の明治文学研究の座談会でも明らかになった。次回、大正文学研究座談会も、参加者の皆さんの深い知識とサービス精神で面白くなった。なんとか来年中には出すので、ぜひご一読を。