感情レヴュー

中沢忠之、『文学+』を刊行する「凡庸の会」同人

年の瀬ホラー談義2

承前*1
そういえば、ラカン精神分析家の斉藤環氏が、一般病棟には幽霊が出るという怪談話は付きものだが(学校の音楽教室にはよく出るという噂話と同じようなレベルで)、精神科の病棟には、そういう話が一切聞かれない、という指摘をしていたことを思い出す。
この指摘を考慮すると、一般病棟は簡素で合理的な空間ゆえ(患者の存在と死体はその合理性に、無抵抗に抑圧され囲い込まれるゆえ)、そこについ過剰なものを見出そうとする欲望が発生するのだとすれば(この意味で、怪談話が頻出する病院棟・学校などは合理性を追求する社会を極端に理想化した無菌空間といえる)、精神科病棟は、社会的に抑圧されたものが「精神疾患」というレッテルを貼られてまさしくそこに存在するから、非合理的なもの・超越的なものを幻視しようとする欲望など発生させる必要がない、という図式はいちおう成り立つだろう。
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要するに、まずいえることは、社会全体に合理性(追求)が担保されている間は、幽霊が求められるだろうということ。その場合、「出そうなところに出る」(不合理きわまりないところ)よりも、むしろ合理性が徹底されたところ、合理性追及の吹き溜まりのようなところに、とくに幽霊を見るはずだ*2
そして、合理性追求・超合理性の吹き溜まりに幽霊的なものを「思わず」見てしまう時代の象徴としてゾンビがあったとすれば、「積極的に」見たい時代が80年代以降のスプラッターもの全盛期となる。ここにはもちろん、近代化された都市の吹き溜まりにある非合理な細部へ視線を向けた「超芸術トマソン」の考現学的な路上観察赤瀬川原平)がふくまれる*3
このような合理性追求と幽霊への関心が社会を覆ううちに(7・80年代のオカルト・心霊写真ネタ、稲川淳二ものなど)、いつのまにか、社会が精神病棟化するにいたる(いわゆる「社会の心理学化*4)。一般病棟が理想形態だった社会は精神病棟化する。そこでは、幽霊は人間サイズに縮減され、サイコパスになるだろう。
この見地から振り返ってみれば、スプラッターの超人的な猟奇系モンスターも、レザーマスク(「悪魔のいけにえ」)からジェイソン(13金)に向けて、すでにサイコパス的な人格を付与されていたといえる。ホラー文脈よりも、サイコパス・サスペンス文脈で理解可能な要素は以前から多分にあったわけだ*5
この文脈でJホラーは作られ、流行ったわけだが*6、その理由は、異常なもの・得体の知れないもの・幽霊的なものの発生根拠を、それを見るものの側に求めたことだった。つまり環境に何かがある、というのではなく、環境とそれを体験・体感するもの(恐怖を体験する映画内人物)との関係、もっといえば、(映画館・DVDの)視聴者の視覚と環境(スクリーン・ブラウン管に映し出されるもの)の関係にこそ何かが宿る、という発想において、Jホラー的な幽霊は生み出された、ということだ。
そう。あの、環境に溶け込んだような曖昧な存在。一瞬見えたかと思うと、たちまちかき消え、目を見開いていないと逃してしまう何ものか(Jホラーのこの性質をよく知っている作品には、隠れキャラ的に、ほんの1シーンに埋め込まれている場合もある)。おそらく我々の視覚体験に原理的につきまとうような、視覚の盲点ともいうべきものがイメージ化されたもの。だからJホラーは、ホラーの究極形態の一つであり、それだけではなく、そもそも映画体験に潜む原理を追求した結果の一つでもあるといえそうだ*7
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人間とは別の、外部に怖い怪物・幽霊がいた時代がクラシックモンスターの繁茂する時代であったとすれば、ひょっとして我々の側にこそそういう異常な何ものかが潜んでいるのかもしれないという恐怖(感染する恐怖)によってリビング・デッド(ゾンビ)が生まれたのだった。そしてこのリビング・デッドが、オカルトの文脈と内包しあいながら多くのスプラッターを生んだのが80年代。
90年代になると、我々の異常人格ではなく、理性・正常こそ得体の知れない何ものかではないのかという不安が駆動し、ホラー文脈に変更を迫る。そのときハリウッドが、特定のサイコパスに焦点を当てたのだとすれば*8、Jホラーは映画体験とその視聴者に焦点を当てた点で、この文脈変更をより徹底していたといえる。

*1:http://d.hatena.ne.jp/sz9/20071228

*2:闇夜の廃屋や寺院に出るクラシックモンスターから、普通の人家や巨大なスーパーマーケットに現れるゾンビへ。あるいは「ママがこわい」(楳図)「ローズマリーの赤ちゃん」(ポランスキー)。

*3:超芸術トマソン」(1972)−「路上観察学会」(1986)。新聞・雑誌や街で見つけた「変テコなもの」「ベタなもの」を、その文脈から引き剥がしツッコミを入れるキャプションをつけて話題になった「VOW」もこの流れ。ちなみに、少女マンガが24年組によって、会話の「吹き出し」の外に内面表現(会話から抑圧されたもの)のためのキャプションを「発明」し、少女マンガによる社会的な表現を可能にすると同時にジャンルを自立させ、それが紡木たく等によって多様化・全面化する過程(大塚英志の指摘)もこの文脈にある。とくに紡木たくの場合、内面キャプションの方が、絵と吹き出しで展開するドラマよりも重要なポジションに立つこともあった(「瞬きもせず」など)。この点で24年組(が試みた「絵と吹き出し」と「内面表現などのキャプション」との対立・葛藤)をもう一度再考しているのが山口綾子の「BABYいびつ」など。少女マンガの「吹き出し」については、http://d.hatena.ne.jp/sz9/20060615

*4:「となりの花子さん」。「異常」なものを不可視なところに囲い込む合理性徹底の手口は、実はそれ自体が不気味であるという感覚。自分の街中に監視カメラが置かれ(あるいは自ら主体的に置き)、何に利用されるのかわからぬまま、ネット・ケータイなどを通して個人情報をばらまいているのを平気でいるほかない社会は、この感覚が常態化し、心理学や脳神経学的なタームが蔓延する。

*5:たとえば13金のパート1に見られるように、モンスター化の要因に、家族間の、とくに宗教がらみの異常倒錯的な教育を施す母親人格との関係がクローズアップされているところがホラーというよりサスペンス的な文脈に近接していると考えられるが、この「異常な母親ネタ」は周知の通り7・80年代のハリウッドの定番プロットであり、むろんこれには、アメリカの心理学ブームと、ヒッチコックの「サイコ」や「悪魔のいけにえ」「羊たちの沈黙」(バッファロー・ビル)も影響を受けたといわれるエド・ゲイン事件の記憶が大きい。

*6:Jホラーのオーソドックスな流れとしては、小中千昭や鶴田法男らにより、「邪願霊」(88)「ほんとにあった怖い話」(91-92、とくに第二夜「霊のうごめく家」など)で方法論を固めていく段階があり、それが中田秀夫監督の「女優霊」(96)「リング」(98)において一応の完成形に達し、それを清水崇が「呪怨」(2002)において継承しつつ崩しにかかる(Jホラーの再考、たとえばゾンビ的な身体性の回復など)段階から現在に至る、というライン。参照は小中千昭の『ホラー映画の魅力―ファンダメンタル・ホラー宣言 』、黒沢清・篠崎誠の『黒沢清の恐怖の映画史』など。

*7:だから、Jホラー的構成でありながら、恐怖の対象が出るときにどでかい音をばんばん鳴らして観客をビビらせる方法はジャンル的堕落といわれるのである。ちなみに、ハリウッド作品の中で、Jホラー的文脈において評価されたものは(たとえば小中千昭による)、よく知られている「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」。

*8:TV版「ツイン・ピークス」のあのラストシーンは誰もが知っている通りだし、レクター博士は狂人でありながら、FBIもが信頼・依存する頭脳を持っている。この理性=異常人格という流れはハリウッドはもちろんのこと(「陰謀のセオリー」など)、「エヴァンゲリオン」(庵野秀明)や「ケイゾク」(堤幸彦)等々、果ては「24」「アンフェア」に見られる、陰謀論的プロットの90年代的流行・ポップ化と相即している。これがドラマの構造のうちに収まらなければ、メタフィクションになる。ちなみに、陰謀論のプロットを追求しながらメタ構造を積み重ねず、相対化するのがうまいのは(相対化のためにメディアをうまく利用するのだが)、トニー・スコットトゥルー・ロマンス」「エネミー・オブ・アメリカ」「ドミノ」のいわゆる「三つ巴視点」の流れ。