感情レヴュー

中沢忠之、『文学+』を刊行する「凡庸の会」同人

orz!Z!Z!Z!――サイクロンZ論

前向き戦士サイクロンZ。リズムの変調*1にこそ笑いがひそんでいることを確信している、我らがヒーロー芸人。
与えられた時間を一定のテーマのもとにネタを披露する通常のしゃべくり芸に対して、複数分割したネタを小出しに披露する「小ネタ芸」というカテゴリーがあるとすれば、一定のリズムで我々を圧倒させる小ネタ芸人タイプはいままで数多くいたし、その圧倒性ゆえ各時代ごとの流行語・流行ネタとして耳目をさらうほどの存在感を示してきた*2
しかし、そのリズムの一定性ゆえ、リアクション芸人/吉本新喜劇的なお約束ネタとして受け入れられない限り、早晩強度を失い、メディアから忘れ去られかねないというリスクをも背負っていたはずだ。かくして彼らははからずも一発芸人という烙印を押されるほかない運命にあったのである*3
他方、サイクロンZの話芸と体芸(ダンスありマジックあり形態模写ありの)は、リズムの変調を基点にして笑いを引き起こす。YouTubeで小島よしおにまぎれた「サイクロンZ」を検索してみること。



一つのネタの中で(たとえばヒップホップネタ)のみならず、ネタとネタの間においても(たとえばダンスとマジックなど)、たえずリズムを変調させていることが分かる。我々の笑いは、彼の「半分ヒーロー」(瑛太)的な佇まいや話芸にも支えられているが、その変調においてこそ喚起されずにいられないだろう。
サイクロンZにとっては、ネタを一定のリズムに区画整理するネタふり*4さえ、ときにネタの一部に組み込み、ネタふり(ネタにとってのメタレベル)とネタの区分を脱臼させ、リズムの変調に貢献させることもわけない(たとえば「サイクロン・エグザイル」ネタ)。
一定のリズムに乗った「一発芸」(やお約束ネタ)は、最初に我々を圧倒してからのちは、視聴者――や同じ舞台に立っているツッコミ役――の温かい(ぬるい?)ツッコミを期待しながらその強度を持続させるほかないだろう。
しかしサイクロンZは、もっかの笑いのためにはとりあえず何も期待しない。彼の変調するリズムにおいては、ボケもツッコミも同時にまかなわれているからである。彼の笑いに対する構えは徹底して計算高く、かつ潔いほど無防備である。

*1:チューニングを変える、と言っても可。

*2:「なんとか斬り」とか「そんなの関係ねえ」とか「フォー!」とか「ゲッツ」とかいろいろ。

*3:もちろんそれを押した罪は我々にもある。だから、メディアに残ることと、その芸人の存在感やネタの面白さが必ずしも比例しないことだけでも、我々は胸に置いておく必要がありそうだ。

*4:「サイクロ〜ンZ!」のかけ声に収斂される一連の流れ。他にたとえばテツandトモの場合、ネタの間で合唱される決め台詞「なんでだろ〜う、なんでだろう」だし、レギュラーなら「あるある探検隊!」等がここでいういわゆるネタふりである。「なんとか斬り」とか「そんなの関係ねえ」とか「フォー!」とか「ゲッツ」とかいろいろ。