感情レヴュー

中沢忠之、『文学+』を刊行する「凡庸の会」同人

僕らの小説家の全集はいかに?

近くに最近できた古本屋で「デトロイト・メタル・シティ」の4巻と後藤明生の「小説―いかに読み、いかに書くか」を手に入れる。250円と330円。すばらしい。
後藤さんのは絶版本で、いまなら多分少なくとも1000円はするはずのもの。彼のファンなら周知の通り、後藤明生文学史上の功績に比べて、現在ストレスなく読める著書が余りに少ない作家。おそらく講談社文芸文庫の「挟み撃ち」くらいじゃないかな。
かの名作「壁の中」は、滅多に古本市場に出回ることがなく、出ても10000円は下らない価格が付く(どなたかお安く売ってください!)。他のものも数千円級が当たり前。こういう状況はまったく後藤的じゃないんだけどね。
結果、だいたい大きな図書館で読むしかないんだけど、僕が今もっている本は、「挟み撃ち」をはじめ「首塚の上のアドバルーン」、「笑坂」、「しんとく問答」、「嘘のような日常」、「小説は何処から来たか」くらい。あとは大量のコピー。
いま80年代文学論を構想していて、彼はその中でもキーパーソンの一人なのだが、こういう状況では研究・紹介はかなりしんどい。
少し自慢話をすると、後藤さんは、僕の修士時代の師匠で、一年間ほど面倒見てくれたんですね。でも論文を見てくださる前に、惜しくもお亡くなりになられたのでした。
文学史上では「内向の世代」の作家として位置付けられています。しかしいずれにせよ彼は「いかに読み、いかに書くか」とある通り「いかに」にこだわるごとく、稀代のフォルマリストでした。「稀代の」という形容が付くのは、凡百のものとは違うということで、小説の「フォーム」の重要性を説きながら、その限界なり過剰な側面をも熟知していた作家だったということだと思います。僕らは仮装する作家、後藤明生を今後もなお仮葬し続けなければなりません。
恐るべき作品群が埋もれている状況は、正直悲しい。権利問題などいくつかクリアーしなきゃいけないハードルがあることは間違いないけど、今後そこそこの作家でも全集・選集出版が困難になる状況にあって(つまり大手の出版社を期待することができずに)、いかに(そう、いかに!)僕らの作家と作品を、ストレスなく読めるようにするかを(ネット環境などを含め)考えること。

今週末。「オトメン(乙男)」(菅野文)読了。島本和彦の「炎の転校生」を継読中。懐かしすぎる。村上春樹の「アンダーグラウンド」が再び気になってぺらぺら。等々。*1

*1:全部古本屋で買ったもの。いつもお世話になってます。古本屋さん、それにもちろん出版社と著作家の皆様。