感情レヴュー

中沢忠之、『文学+』を刊行する「凡庸の会」同人

ネタ追求至上主義

前記(1月20日)日記のときはまだ知らなかったのだけれど、「あるある大事典」が前記納豆の放送分で虚偽の情報操作をしていたとのこと、皆様すでに報道などでご存知かと。前記日記のタイトルに「情報操作」とまで書いたのはさすがに行き過ぎかなとも思ったのだが、残念ながら杞憂に終わった。
関西テレビ放送「お詫び」掲示しているその内容をみると、虚偽による情報操作が目的というよりも、なんとかネタを作らなければならない、という強迫的な動機が見えてくる*1
***
メディアにおける虚偽報道ということであれば、いつの時代にもあることなのだが、それは基本的に、動機の違いによって二つに分けられると思う。情報操作によって情報発信側の主張なり価値観を押し付け、ときに洗脳し、(間違った・無知の)受信側・社会のあり方を変えようとするタイプと、そんなふうに社会を正したいとかどうかしたい(ジャーナリズム精神!)とかいうよりも、とにかくネタ(価値ある情報)が必要なために捏造されるタイプと、である。
前者を規律訓練型の情報操作、後者を管理社会型のサプリメント的情報操作としよう(笑)。いかなる事件(報道被害)であれ、どちらかにきっぱり分けられるわけではないが、たとえば、今回の事件でもよく引き合いに出された「朝日新聞によるサンゴ礁傷付け事件」(89年)や毎日系列をはじめとする「オウム報道」(90年代半ば)などは、前者のタイプの動機付けが割合として大きかったといえる*2。それに対して、今回の事件は、圧倒的に後者の動機付けに駆動された結果、生じたものだと思われる。
***
この事件を機に、世間では、情報番組におけるバラエティー番組との境界・線引きの曖昧さが危惧されたり、情報番組における内容の事実性確保の要求が再確認されたりした。それらは無論(いつの時代でも)もっともなことなのだが、それ以上に何より、ネタ追求至上主義的な私たちのあり方をいまいちど問い直さなければ、このような事件は形を変えて、色々な局面で現れるだろう。
とりわけマスメディアの情報・報道番組は「品格」をもたなければならないとか事実性確保の要求をくり返し、チェック体制を厳しくすると言われても、どこかで虚しく感じるのはこのためだ。じじつ、今回の「あるある」騒動はもちろんのこと、直近の「不二家」騒動も、事実性・安全性(現代の最も重要な事実性は安全性に関わるものであることは言うまでもない*3)追求よりも、格好のネタ探しの話題としていつの間にか機能しているではないか。危機管理に無能な経営陣のなさけない姿を笑い、以前から周知の事実だった「捏造」ネタ、賞味期限切れや食品混虫被害などなど――他の企業も大した差はないんじゃないの? とかいう疑いをなだめながら*4――ことさら「大問題」だとして取り上げる私たち。
もちろん、嘘と事実の違いはある。しかし、事実はたまたま事実だったに過ぎないともいえる。事実(安全)なら何をやってもいいのか? こういう善行ぶった「情報操作」がいちばんタチが悪いんだって、そこの情報・報道番組に出ている○×さんは分からないのかってばよ*5
現状追認、ネタになる事実ならとりあえず安心とばかりに、みみっちぃ情報操作に加担するのなら、こんな私たちのネタ追求のあり方を変えるべく大胆に情報操作をしてみればいいではないか、とさえ言いたくなる。
嘘か事実か、バラエティーか情報・報道かといった弁別(による批判)では見えなくなるものがある。だからこそ当然のことだが、バラエティーだからといって何をやってもいいわけではない。文学ももちろんそうだ。フィクションだからといってゆるされないものがある。ネタ追求、話題先行、主題の新機軸、サブカルだからいい泣ければいいといったサプリメント消費を戦略なしに推し進めていたら、きっとしっぺ返しを食らうことになる*6。それとも、何か返されるほどの実体はすでにもうないのだったか?

*1:サプリのための「物語」を形作るべく、脱線や逸脱するあらゆる側面をショートカットしてひねり出されたネタ。けっきょく、私たちが日々求めているサプリメント(的に短絡させた感情操作・感情動員)もこのようなものだ。新聞雑誌を見れば、「だまされた」という文字が躍っている。作り手の彼らは明らかに私たちをだましたんだけれど(いうまでもなく、情報番組の名のもとに、バラエティー番組のネタを提供するという彼らの行為は明らかに悪質である。情報番組は原則としてその内容の真偽が問われるが、バラエティ番組は問われない。)、そもそもサプリメントを消費するということは、一時の安心なり快楽なり気休めを得るために投資するものでもある。いわば「だまされる」ことを私たちはどこかで許容しながらサプリメントを消費しているのだともいえるわけだが…。

*2:見方を変えれば微妙な場合もあるが。

*3:「安全」ならとりあえず安心というのと同じように、「痩せる」ならとりあえず安心だし、「泣ける」ならとりあえず安心だということになる。これが私たちのリアリズム。

*4:だって、ネタになりそうにないんだもん。

*5:しばしば問題になるメディアの集団過熱報道もまた、「ジャーナリズム精神」の行き過ぎと過剰なネタ追求との、二つの動機付けがあって、それらはしばしばからみ合う。

*6:これに関わって、各種文学賞・新人賞における「選評」の弛緩ぶりには少し言いたいことがあるのだけれど、それはまた別の機会に。