感情レヴュー

中沢忠之、『文学+』を刊行する「凡庸の会」同人

2007-06-01から1ヶ月間の記事一覧

近代文学が終わるとしたら

前回の日記で*1、ライトノベルは何よりも物語設定とキャラ設定(のデータベース)が消費対象だと言った。それでは、純文学に、我々は何を求めているか。 その問いに関しては、各時代ごとにもっともらしい解が用意されてはいるだろう。現実の最新風俗を読みた…

純文学におけるエンターテイメントの影響を概説して、東浩紀著『ゲーム的リアリズムの誕生』を論じる

承前*1 リアルな世界よりもフィクションの世界の方にある種のリアリティーを見出すというか、創作上の可能性を見出した純文学最初の世代が、新感覚派以降、横光利一とかあのあたりだったというのは文学史的に妥当な線だろう。当時は、とりわけ相対性理論など…

宇野常寛「ゼロ年代の想像力」

このテキストで宇野常寛氏は、前世紀の90年代後半と今世紀に入ってからの00年代を区分し、物語の想像力が変化した、と指摘している(「ゼロ年代の想像力 「失われた10年」の向こう側」連載第一回、「SFマガジン」2007年7月号)。前者が、『エヴァンゲリオ…

小説の言葉、アサッテな言葉

私たちにとっての小説家・佐藤友哉の魅力は、まず何より、エンターテイメント(ライトノベル)と純文学の間でどっちつかずの優柔不断な問いを延々と重ねるところである。しばしば魅力的だと評される、彼の自意識過剰な「地声」も、エンターテイメントという…

オリエンタリズム批判を超えて――ネタ追求至上主義2

「論座」(2007年7月号)に、「他者のステレオタイプ化をどう越えるか」というテーマの鼎談があった(村上由見子×金平茂紀×ナジーブ・エルカシュ)。 ここ数年、オリエンタリズム批判を筆頭として様々な差別(的な表象・表現に対する)批判――つまり「他者の…