感情レヴュー

中沢忠之、『文学+』を刊行する「凡庸の会」同人

エッセイ

年の瀬ホラー談義

ハリウッドのホラー映画は、90年代以降、とくに見るべきタイトルがない。80年代を通して洗練されたスプラッターもの(13金、エルム街、ハロウィンなど)が行き詰った結果であると、とりあえず言えることができるだろう。 むろん、ホラーはスプラッターばか…

僕らの小説家の全集はいかに?

近くに最近できた古本屋で「デトロイト・メタル・シティ」の4巻と後藤明生の「小説―いかに読み、いかに書くか」を手に入れる。250円と330円。すばらしい。 後藤さんのは絶版本で、いまなら多分少なくとも1000円はするはずのもの。彼のファンなら周知の通り、…

80年代文学史論 第3回――村上春樹をフライング気味に論じる

物語ることにそれほど関心をもたず、実験的なアプローチを突きつめていったあげく行き詰るタイプ。こういう、まあ理論先行型のタイプのアーティストは、我々には比較的イメージしやすい。純文学の作家に限って言えば、まず挙げられるのは、横光利一とか高橋…

80年代文学史論 第2回――庄司薫論(2)

承前http://d.hatena.ne.jp/sz9/20070922 自分を取り巻く世界に向けて不平不満をぶつけていた薫。そんな彼に対して、世界の中から痛み――これはオマエの痛みだ!――を告げに到来した女の子。 かくして分裂の痛みを引き受けることになった薫は、女の子の買い物…

80年代文学史論 第1回――庄司薫論(1)

1980年代の文学を考えようと思ったのは、90年代から現在に至る文学の有様の一端を垣間見たいという思いからである。これはいずれ90年――95年? 00年?――代文学史論に引き継がれるものである。今回(および次回)はその前史として、庄司薫(1937年生)を取り上…

モダニズム以降の表現の可能性

博士論文が審査を通過しました。タイトルは、『安吾戦争後史論 モダニズム以降の表現の可能性』です*1。興味のある方は、プロフィール欄のアドレスに連絡くだされば、データを送ります。 +++ ところで、僕が文学におけるモダニズムというときは、1920年代…

近代文学が終わるとしたら

前回の日記で*1、ライトノベルは何よりも物語設定とキャラ設定(のデータベース)が消費対象だと言った。それでは、純文学に、我々は何を求めているか。 その問いに関しては、各時代ごとにもっともらしい解が用意されてはいるだろう。現実の最新風俗を読みた…

ドキュメンタリー文学!――『女工哀史』から『生きさせろ!』まで

映画界はとくにここ何年かドキュメンタリーに活気がある。日本にいれば原一男という前例があったためにそれほど驚かなかったにせよ、マイケル・ムーアのアポ無し取材が、軽快な編集効果と相まってドキュメンタリーに衆目を集めさせることに貢献し、アル・ゴ…

ゲンバク小説、文学ジャンク

びッくりした。昨日ブログを書いた後(「原爆」関連の小説について少しふれたのだが)、池袋のたまたま入った古書店で大田洋子の潮文庫版『屍の街』(1948)を発見、250円ほどで手に入れた。こうの史代氏が『夕凪の街 桜の国』の参考資料にあげているもので*…

非アイロニー的なアイロニーのために

ドゥルーズ曰く、 「『不思議の国のアリス』でも『鏡の国のアリス』でも、極めて特殊な事物のカテゴリーが眼目になっている。すなわち、出来事、純粋な出来事である。私が「アリスが拡大する」と言うとき、私が言いたいことは、アリスがかつてそうであったの…

ただただマッチョにスペックを肥大させるPSシリーズよりも、そんな勝ち負けから潔く降りてみせたWiiが評価されるのはひょっとするとアンチグローバリゼーション運動の一部であるかもしれず、ひっきょう、自由で見通しのよい世界を際限なく求めるよりも、不自由で見通しのさしてよくない世界をいかに形にするかを思考することが今こそ求められているリアルだということなのだが、その不自由さは理性的に満足するためではなくて、何より私たちの感情レベル、快不快のためにこそ資されねばならないのだ、という話

私がPOISON GIRL BANDのネタをはじめて目にしたのがM‐1グランプリの決勝(2004年)だったのは、いま思えばとても不幸な彼らとの出会いだったのだと思わせてくれたブログのテキストがある(「七里の鼻の小皺」)。 おそらく私のような、お笑いはそこそこチェ…

サプリメント批評宣言・注釈

先日書いた「サプリメント批評宣言」は、単なる僕の思い付きではなく、日常的にウェブのレビューサイトを閲覧していたら容易に気付くようなことを発想の源泉としている。その意味では、「サプリメント批評宣言」は現状の追認でしかない。 ウェブ上には「私」…

サプリメント批評宣言

ここ最近、アニメ・マンガなどのサブカルチャーのみならず、小説や映画の作品までもが、まるでサプリメントを飲むように消費されている現状が報告され、それを憂える人たちがいる。即効激やせ! スリムになれるとか、ビタミン入り、一週間で血液サラサラとか…

「私」のデザイン(Ver.30年代)

1 私語りをなんのテレもなく平然とやってのける「近代的自我」などすでに信じられなくなったというのに、いまもってその私語りが盛んになされている――しかも、固有の「私」を解放してくれると期待されていたネットがその中心的役割を担っているだなんて!――…

現代批評の一分

araig:net氏が、現代における批評はいかにあるべきか、ということを書いている。サプリメント的に作品が生産・消費される世の中にあって、批評は可能なのか? 可能なら、どのように作品と接するべきか? というようなことだ。そのへんのことに関心のある人は…

美しい文学畑の陰日向に咲く

今回の芥川賞の選評を読んでいて、ひとつ感じたことがある。至極単純なことなんだけれど、つまり「お前らそろそろ希望的観測を語れや」と、選者が口をそろえて言っていることなのだ。最近の作家は、暴力とか病気とか精神的荒廃とか否定的なキャラ属性なり背…

反東京タワー

獣のごとく日々面白そうな作品を求めている私のような者にとっては、ウェブ上の映画・文学・マンガなどのレヴューは、いまや欠かせない情報源となっている。それこそウェブ上ではいたるところに、様々な作品をめぐっての、様々な言葉が書き込まれている。そ…

少女マンガの一断面――8月30日の復習(2)

ここ数年、少女マンガの話題作といえば、「のだめカンタービレ」(二ノ宮知子)と「NANA」(矢沢あい)と「ハチミツとクローバー」(羽海野チカ)あたりになるんじゃないかと思います。ほんらい少女マンガに関心を持たないような人も、この三作のうちの…

文芸メモ

最近ようやく単行本化された阿部和重氏の『プラスティック・ソウル』を読み、そこに併載された福永信氏の解説文「「プラスティック・ソウル」リサイクル」を読みました。 「リサイクル」の方は本文を解説しているわけだけど、それがまあ微に入り細に入りで、…

新年好!

実家に帰っていました。久しぶりに屋根に上って雪下ろしをしたんですが、なかなかこう昔やったフォームというのは忘れないもので、われながら美しいなと思いながら雪下ろしをしての翌日がもう体中が痛くてさすがに若くないというか体もけっこうきてるんです…

安吾戦争小説論(4)

4.二つの戦争 ここ迄で私は、「白痴」をはじめ、「外套と青空」、「戦争と一人の女」、「続戦争と一人の女」、「私は海を抱きしめてゐたい」、「櫻の森の満開の下」を安吾の戦争小説という括りのもとに論じてきた。そこではくり返し戦争が想起された。戦争…

在庫管理は適正に?

ところで私はここ3年間主にスーパーの青果(まあ八百屋ですね)でアルバイトをして日銭を稼いでいる。 朝一番、納入された野菜や果物たちを荷降ろしし、前日から店頭に出されたままの商品の中から古くなった商品を区分けし厨房に下げる。開店してからは、新…

安吾戦争小説論(3)

3.二つの枠 「白痴」と同じ時期に発表された「外套と青空」(46年7月)は、友人の妻・キミ子に恋した男・太平と、夫の友人・太平に恋した女・キミ子との二転三転する恋愛関係を主線に物語が展開していく。 「白痴」とはまったく異なった内容をもつ体裁にも…

安吾戦争小説論(2)

2.二つの顔 終戦久しい現在では驚くべきことだけれど、「人間と豚と犬と鶏と家鴨」が「まったく、住む建物も各々の食物も殆ど」差別なく各自の生を営んでいるという、そんな家屋の一室を間借りしている伊沢なる二十七の男に焦点化して、戦時下にある彼と白…

安吾戦争小説論(1)

2005年、今年はかの坂口安吾師匠の死後50周年記念なのですよ。安吾と言えば、「堕落論」とか「日本文化私観」とか、歯切れよくずばずば物事を裁断していく語り口が魅力なエッセイがとりわけ言及されるものだけれど、50周年を記念して彼の小説たちについてい…

今日的ギャグの傾向と対策――8月30日の復習(1)

先日は、ギャグマンガを題材にしてギャグに対する感度を問題にしました。それは歴史的に規定されるものだけれど、しりあがり寿というマンガ家を通して必ずしもそうとは言えない、作家独特の感度も歴史(ギャグマンガ史)上キラ星のように点在しているという…

ギャグ多重態――現代ギャグマンガ/しりあがり寿論

弥次喜多in DEEP (1) (ビームコミックス)作者: しりあがり寿出版社/メーカー: エンターブレイン発売日: 2000/06メディア: コミック購入: 1人 クリック: 18回この商品を含むブログ (30件) を見る ジャンルはギャグマンガなのに、人知れず哀しく、しんみりした…