感情レヴュー

中沢忠之、『文学+』を刊行する「凡庸の会」同人

ギャグ多重態――現代ギャグマンガ/しりあがり寿論

弥次喜多in DEEP (1) (ビームコミックス)

弥次喜多in DEEP (1) (ビームコミックス)

 ジャンルはギャグマンガなのに、人知れず哀しく、しんみりした読後感を私たちに提供してくれる作家に、しりあがり寿さんがいる。笑えるのに、哀しい。そんな感情の不定形さを引き出す彼の手法は、作品『方舟』をはじめ、『真夜中の弥次さん喜多さん』から『弥次喜多 in DEEP』に至る弥次喜多シリーズ(弥次喜多がスケさんカクさんに扮する『真夜中の水戸黄門』も含む)に極まったと言える。こと『弥次喜多 in DEEP』にあっては、本人も驚くほかなかった手塚賞受賞を手中にし、さらにヒットメーカー・宮藤官九郎さんの手によって映画化(『真夜中の弥次さん喜多さん』)されさえしたのだから、どこかしら対象を見つめる目の優しさを含んだしんみりした笑いとは、この現代に求められた笑いなのだとも言えよう。
 このしりあがり的とも名指すべき笑いはしかし、ここ最近になって作家が獲得したものではない。確かに、このところしりあがりさんの口から、80年代に席巻した笑いの行き過ぎの反省が見え隠れすることは、インタヴューなどいくつかの記事を見れば分かる。たとえば、

僕らがやっていたころというのは、なにか対象を見つけてはそれを笑うというのを延々とやっていたわけです。昨日笑えたものはもう今日笑えない、毎日が消耗の連続で、人がまだ笑っていないものはどんどん小粒になっていって、まったく未来がなかった(笑)。(「ユリイカ」05年2月号、春日武彦さんとの対話)

 しかし、くり返せば、しりあがり的な笑いとは、彼が作家を始めた頃から彼のマンガを駆動するものなのだ。したがってここでは、彼のいくつかの初期作品を読むことによってしりあがり的な笑いを明らかにする。
 ちなみに、彼の初期作品を読み解く作業は、のちに試みるべき弥次喜多シリーズを分析するための予行演習という性格をもっている。ここでの分析はその通過地点にすぎない。それではひと先ず、しりあがり寿さんが作家デヴューを果たした時代を含めたマンガ史、とりわけギャグマンガ史における笑いの変遷を見ていくことにしよう。


 しりあがり寿さんが作家のキャリアを開始した80年代のギャグとはどのようなものだったか。第一に指摘できるのは、引用したしりあがりさんの述懐からも看取される通り、それまでなんとも思っていなかった、つまり注目に値しなかった日常の細部を殊更焦点化し、それによって揚げ足取り的に笑いを取るタイプのもの。
 たとえば、前代のいしいひさいちさん、いがらしみきおさんの轍を踏襲しつつ80年代後半から勃興する4コマ不条理ギャグをメジャーに押し上げた功績者、相原コージさんの『コージ苑』(第一版)から、「激励」。設定はプロレスの試合前の一シーン。一コマ目から三コマ目までは、ジャイアント馬場とスタン・ハンセンという二人のビッグネームが、声高々に紹介される。「赤コーナー! 298パウンドォ! ジャイアントォ ばあばあーー!!」、「青コーナー! 298パウンドォ! スタン・ハンセェン!!」。と同時に、観客の声援の太字で殴り書きされたものが、熱く飛び交う。そして四コマ目はレフェリーが紹介されるのだが、一転して細々と「レフェリー ジョーひぐち。」が申し訳なさそうに示されるだけ。大写しされた観客席は静まり返り、「ぺこ」と頭を下げた米粒大のレフェリーが本当に申し訳なさそうで、笑いを呼ぶ。プロレス試合のよくありそうな一シーンを敢えてくりぬき、揚げ足を取るかのように笑いの対象にする。もちろんこれは最近でもよく目にする、「あるあるネタ」という類のもの。
 次に指摘できる80年代のギャグは、本来別々の文脈にあるもの同士が強引に接続されることによって、笑いをもたらすタイプ。たとえば、相原コージさんから不条理を引き継ぎ徹底させた吉田戦車さんの初期作品『戦え!軍人くん』では、戦場に花売り娘が平気で花を売っていたり、ドンパチ交戦状態のなかでピザの宅配便を頼んだり。
 以上のように、80年代のギャグは基本的にいずれも、笑いの対象をバカにしたり、つっこんだりできる高みの立場に読み手を召還するものなのである。
 また、不条理ギャグとして一括され世に親しまれるようになった80年代のギャグマンガは、90年代に入るとさらに加速。80年代の不条理がダダなら、90年代はシュールな不条理。たとえば、別々のもの同士の接合ギャグは、80年代なら「ありえねえ」と一笑にふすことができたのだが、90年代は、確かに「ありえない」、けど「ありえない」わけではない(かも)という微妙な間隙をつくところからもたらされるものなのだ。
 榎本俊二さんなど幾人か挙げられるが、たとえば、吉田戦車さん『伝染るんです。』(5巻)から。ラーメン屋での一シーン。一コマ目、まず客のおやじが箸に掛けた麺を吹く息で冷ましている。けれど、「ふーっ、ふーっ」じゃなく「へーっ、へーっ」という息吹きの擬音。これを受けた二コマ目で、店のマスターに「お客さん、へーじゃなくてふーのほうが効率いいですよ」とあんがい真面目に返される。と、三コマ目で、「ふーっ、ふーっ」と吹く客のおやじは驚きの発見らしく「本当だ!」と呟く。最後のコマで、「死んだ両親にも教えてやりたかった。」とうなだれる客が、「熱いからへーしましょうね」と客の若かりし頃に「へー」を教育していた母親が回想されるというオチ。確かに一見「ありえない」けど、対象を見下げる高みの位置から「それ、ありえねえ」と自信をもって否定できるかというと、どうも居心地が悪い笑い。

もちろん、このようなつっこみずらいシュールな状況をただ放置(することによって笑いを得ようと)せず、とにかくキレまくる、さしてつっこんだりキレる必要もないのにとにかくキレまくることによって全編笑いを取るタイプのギャグマンガもこの時期台頭。ねこじる、稲中ハトよめなど。

 以上のような不条理な笑いが席巻する80年代と言えば、そもそも、本当に腹の底から笑うなんてもう不可能だという、笑いの断念、しらけた笑いが前提にされているのである。だから敢えて日常のなんでもない細部に目が向かうし、強引に別々の文脈にそなわっていたものをはぎ取り、接着するという荒業を駆使したのだった。そんなときに、真面目に笑いを取ろうとすれば、「ベタだ」「ダサい」と一蹴されるほかない。「ベタ」な笑いは、敢えてやってるんですよというメッセージがおり込まれている必要がある。いわゆる「お約束ギャグ」という奴ですが。
 もちろん、確かに、かつては自分の存在否定と引き換えによってのみ笑いがもたらされるという時代があった。笑いを取るにも命がけ。80年代のような余裕はかませない。このようなギャグマンガの一群は、60年代の後半から台頭する赤塚不二夫さん、楳図かずおさんを皮切りに、山上たつひこさんの『がきデカ』(1975)で一つの達成に至る。必ずしもギャグマンガ家ではない赤塚・楳図・山上らによってこの時期にギャグマンガの黎明期をむかえると恐らくいってよいだろう。現在からでも十分に参照できるルーツという意味で。それ以前にギャグマンガと呼べるものがあったとしても、その笑いは日常の延長に見出されるようなものであり、様式的な笑いにとどまる。この様式性を疑い、マンガにおけるギャグとは、笑いとはなにかを考え、他のジャンルとの関係から自立したギャグマンガが生み出されたのがこの時期。
 その一つの完成が『がきデカ』なのだ。ここで、こまわり君は(まことちゃんバカボンのパパたちも同じく)、笑いを取るためになにか失態をおかすのではなく、何かしてしまったことが意図せず笑いをもたらすのであり、ひっきょう存在そのものが笑いを引き起こすのである。服を脱ぎ全裸で公共空間を闊歩したり、人様の眼の前で排便をするのは当たり前。器物破損、青少年なのに喫煙・飲酒、異性への痴漢、暴力行為、窃盗なども朝飯前。アンチ・エディプスいらっしゃい、教師や父親を平然とあざけり、自分の母や姉には、近親相姦まがいのタブーも難無くこなす彼ら。いうなれば、彼らのギャグは、このように家族や学校などに象徴される規範なり制度を自ら踏み破ることにおいてもたらされるものなのだ。反制度、存在との引き換えによって得られる笑い、80年代なら「ベタだ」「ダサい」と一蹴される笑いである(80年代から90年代がダダからシュールへの移行を意味するなら、この頃は「表現主義」的な笑いというべきか)。
 このようなギャグはしかし、だいたい『マカロニほうれん荘』(鴨川つばめさん)あたりから転機をむかえる(もちろん『がきデカ』の初期にもこの萌芽はあったが)。この辺から、つまり80年代前後から、江口寿史さん(『すすめ!!パイレーツ』など)や、とり・みきさん(『クルクルくりん』など)のギャグが台頭。
 彼らのギャグマンガのポイントは、登場人物たちが笑いのために敢えて演じてるんですよという信号をたえず発しているところ。たとえば「真面目キャラA」と「おふざけキャラB」がいるとしたら、Aが真面目になにかをしようとしているところに、Bがちょっかいを入れはじめるとする。このとき『がきデカ』以前なら、Aは単に立腹して済むんだけれど、たとえば『マカロニ』では、B(きんどーさんとひざかたさん)にちょっかいされたA(そうじ君。『パイレーツ』ならいっぺい君)は先ずは、敢えてそれに乗る。そして2、3コマ後になってつっこんだり、切れたりしてオチをつける。もちろんこの「乗りつっこみ」が数ページにもわたって展開することがあって、そのまま物語が終わってしまう場合さえあるのだが(とくに『パイレーツ』)。
 とにもかくにも彼らは、自分たちが敢行しているギャグにナレーションを入れたり、ひっきょう自分たちのギャグに自覚的なのだ。「ベタだ」けど敢えてやってますと。「しらけ」てるけど敢えてやりましょうと。このとき『がきデカ』的な反条理ギャグから不条理ギャグが生まれる。しりあがり寿さんはここからキャリアを開始したわけです。
 ギャグマンガ史閲覧はここまで。以下は、しりあがりさんの初期の大作『夜明ケ』について論を展開し、しりあがり的な笑いの構造を掴み出すことになる。

夜明ケ (Jets comics)

夜明ケ (Jets comics)

 『夜明ケ』は、ヘタウマに記号化されたキャラを駆使した不条理ギャグをはじめ、比較的描線に頼ったストーリーもの、劇画系スポ根や少女マンガのパロディ(内容にとどまらず描線・作風もパロディの対象)、4コママンガ等々、テーマ・ジャンル・手法・絵柄・コマ割りにわたっていくつものヴァリエーションを詰め込んだお楽しみ袋的な短編集である。その数は実に37編、作家が多摩美術大学の漫画研究会に所属していた時期の1978年から90年までの短編を無作為に並べたような体裁。
 そう、確かに『夜明ケ』を読む限り、一見各編がバラバラに並べられている感がある。しかし、ただ無秩序に並べられているわけではない。以下の分析は、『夜明ケ』の不規則的な並びから計算された秩序を引き出し、それが『夜明ケ』の笑い、ひいてはこの時期に既に確立されたしりあがり的笑いに深く関係していることを明らかにする。
 先ず確認すべきは、ここには二つのシリーズものがあることで、ひとつは5回、もうひとつは4回の続きものなのだが、この両シリーズがスタートからエンディングにかけて無秩序な全編の並びに統制をかけているようなのだ。
 その名もズバリ「paccbet(夜明け)」と題された第一のシリーズは、ナレーションパートというべきもの。一組の男女が、四面なにもない広大な砂地の真ん中で夜明けを気長に待ちながら座している。それは、上がりそうで上がらない夜明けを告げる太陽を劇場のスクリーンに仕立てて、『夜明ケ』に収められた他の短編を鑑賞している一組の男女、という含意がある。じっさい、彼らの前には、夜明け前の空を背にして他の短編に登場するキャラたちが現れては消えるのだ。それらは彼らが見る夢であることも仄めかされるだろう。
 ひっきょうこの一組の男女は、他の短編・他のフィクションから距離をとってそれらの夢を見る、叙述を展開するナレーターとしての役割が与えられているといってよい。ナレーションパートは、他のフィクションのなかに内在しながらそれらを対象化し、支えるポジションとして全編に秩序を与えているのである。
 第二のシリーズは、他のフィクションのひとつではあるが、作家当人の身辺を描写した、いうなれば私小説ならぬ「私漫画」という体裁を取る、プライベートパートというべきもの。「はたちマエ」と題された連作は全て漫画研究会に所属していた頃のもので、キャラの風貌から見て本人とおぼしきデザイナー(漫画家?)志望の「私」が恋愛にも就活にも縁がなく、安酒に溺れながらただ「えらい人になりたい」という志だけを振り回して生き延びる学生生活を描いている。
 しりあがりさんは「アトガキ」で、あの『完全自殺マニュアル』(鶴見済さん)の「もう”デカい一発”はこない」発言を用意するかのごとくこのように述べていた。「ボクはいつだって「デカイ一発」を待っていた。20年前学生が暴れてた時「お、デカイやつがくるぞ!」と思った。アポロが月に行ったり、石油がなくなりそーだったり、ソ連がどっかに侵攻したり、昭和が終わりそーだったり、そのたびに「今度のはデカいぞ」と思った、だけどどれも震度3、ブロック塀が倒れるテード。顔をみあわせ、「すごかったね」で笑って終わりだ。(…)だけどやっぱり地殻はたわんでいく。どこかでオッキなマグマだまりができている。/来たれ! 夜明けよ。」と。
 「はたちマエ」も同じ。ラストの4作目でようやく就職が決まった「私」は同時に陰茎ガンで余命少ないことが発覚する。待ち望んだ一発はたえず不発に終わる。このことから、連作「はたちマエ」とは、上がるようで上がらない夜明けにじっと堪えながらフィクションの夢を見続ける「paccbet」と表裏一体となったヴァージョンであることは、とりあえず首肯できる。のちにさらなる裏付けを行うが、主人公キャラの風貌が、フィクションの枠外にいる作家本人(顔写真で見たことのある人は多いはず)を指し示すインデックスとして機能しているということは、やはりこのプライベートパートも何らかの形で『夜明ケ』全編を統制する側面をもっていることを示していよう。
 ちなみに、連作「はたちマエ」は作家のキャリアの始端において制作されたものであるが、もう一方の「paccbet」は『夜明ケ』発表時点で最新作、つまり終端に位置付けられるものであって、だから発表時期に関しても、『夜明ケ』のフィクション群は両シリーズに前後から支持されるかたちをとっている。
 面白いことに、この二つのシリーズは回が進むごとにシンクロしはじめるのだ。このことが、ナレーションパート(以下NP)とプライベートパート(以下PP)が表裏一体の関係をなしながら『夜明ケ』を規定していることの重要な裏付けとなるだろう。
 先ず、NPは、1から3話までずっとなにもない砂地に現れるキャラたちを座りながら眺める立場を維持している。彼らの夢を映し出すナレーターの立場である。それが4話になって崩れる。自分たちも、別のフィクションに登場するキャラの一つであることに気付くのだ。じっさい、4話の後、彼らをキャラに配した作品を私たちは目にすることになる。そして最後の5話にいたって彼らは砂地から消失してしまい、代わって漫画の一コマのように砂地に描画された二人の落書きが残されるのみ。つまり彼らは、フィクション(の夢)を見るナレーションの立場から、回の進行を通して、フィクションの側に繰り込まれたのである。
 PPは逆に、フィクションからその外に出ようとする動力にしたがって回を重ねることになる。最初は、キャラは記号化され単純化の処理を施されるわけではなく、また劇画的な描線を多用することによって作家の手つきや感情の動きを露出させることもない(しりあがりさんは描線優位の劇画タッチと記号優位の単純化の処理と、下手をすれば作風を混乱させかねないこの相反する二側面の技術を獲得しており、おりにふれ作風を乱すことなくこれらを組織する作画が魅力だったりするのですが)、そのちょうど中間地点でほどよいリアリズムを実現した作風となっている。実に「私漫画」に相応しく。
 それが回を追うごとに、単純化されたキャラがコマに割って入ってくるのだ。そのうちの主要キャラの一つは、NPで一瞬顔を出したことのあるもの。それまでそれなりにリアリズムを保証していたコマは、中盤から記号化されたキャラに侵食されはじめる。これによって、この連作は作家のプライベートな事実を再現するドラマという性格を薄め、あからさまに虚構の産物であるという性格を強めるだろう。
ここからさらに絵柄は別の段階へ展開を見せる。終盤にさしかかって今度は、荒々しい描線が露呈してくるのだ。ところで、マンガの絵は、記号的な側面と描線的な側面をそなえている(夏目房之介さんの『手塚治虫の冒険』などマンガ論幾つか参照)。記号的な側面とはつまり、単に現実の対象を再現するものではなく、対象再現に対する志向性をいったん切断し、それ独自で対象を作り出す、きわめてマンガ的な表現だといえる。
 手始めに、人間の顔を描いてみればいい。現実の人間の顔は多様な歪みや皺や凹凸があるけれど、単純に、大きな丸を描き、そのうちに小さな丸を二つと縦線、横線を入れれば、「顔」に見えるはずだ。これが「顔」の記号であって、さらに丸を楕円にしてみたり横線を曲げてみたりして様々な記号のヴァリエーションを生み出すこともできるだろう。
 逆に描線的な側面は、記号には回収されない部分とひとまずいえるだろうか。記号は、現実の対象を写実的に再現するものではないとはいえ、最終的になんらかの対象を意味するものとして処理される。単なる波線が「蛇」として意味をなすように。しかし描線はそのように意味の体系に回収されることなく、ただ線(の動き)として存在するものなのだ。それは意味の体系の一部に組み込まれず、むしろその線を描いた作家の手つき・手技を直接感じさせ、その線の動きから作家(作品)の感情や気分、雰囲気やコンテクストを表現するものである。
 戦後マンガの初期を担った、手塚治虫さんはじめトキワ荘の作家たちは記号的な側面に依拠していることはよく知られているし、高橋留美子さんやあだち充さんに見られるような、どんなキャラ描いてもパーツをちょっと変えただけでほとんど同じじゃん的な作風の作家もやはり記号を駆使した作画を展開していると言える。
 他方、当初は手塚的な画風に対して抵抗的に現われた劇画系(スポ根、「ゴルゴ」、池上遼一さん等々)の作家をはじめ、パーツの組み替えに頼らず多様なキャラ・作風を表現する作家は、より描線的な側面に依拠していると言える。がしかし、それはけっきょく現実の対象を再現する方向に重点を移しているか(線を現実再現化能力の方に仕向けているか)、あるいは記号的側面を適当に留めたり配分するなど二側面の折り合いをつけたものになる。
 このように、最終的にはいかなる描線もコマのなかに存在する以上、何らかの意味やメッセージを伝えるものとして機能するのだけれど、作家(作品)の手つきや感情の動きを直接感じさせる側面があることも疑いない(逆に言えば、記号化された部分にも、コマ内・ページ内の配分の仕方によってこのような側面が触知される場合もあるだろう。夏目さんが初期アトムの輪郭に色気を見出したり、初期手塚の記号と描線の間に戦時体験の記憶を読み取る大塚英志さんのように。そういえば、斉藤環さんは個々の作家が描く絵の固有性に「文脈」を見出していたっけ?)。
 いずれにせよ、「はたちマエ」の作家は終盤をむかえて記号に侵食されつつあるコマのなかに描線的な側面を露出させた。ストーリーも、夢から目覚めたと思ったらまた夢で…という入れ子型の夢を見ながら死のロードを突っ走る「私」を描いて破綻の極みに至り、描線もその破綻具合にしたがって過剰になる。
 最後の数コマはただ描線を走らせた落書きで、「私」(作家?)の不満鬱憤が手書きで書き殴られていたりするなど、これらはストーリーを円滑に展開するために連続するコマのうちに収まるものではない。むしろ作品外にいる作家を指し示すインデックスであり、作家のサインとしかいいようがないではないか?
 しかも、ここはいったい現実か虚構か? 目くるめく判断のつかない入れ子型の夢を突破して最終的に「私」の前に現れたのは、砂の他なにもないあの砂地なのだ。無論あの一組の男女がいた砂地。そこは、依然として夜明けをむかえていないというオチ付きで。以上のことは、「はたちマエ」の「私」がフィクションからその外に出ようとした試みがこの連作を駆動しているという証明となるだろう。
 以上、作品『夜明ケ』を通して、二本の支柱となるシリーズはシンクロしながらお互いの位相を変えたのである。最初NPだった「paccbet」はPPへ、同じく最初PPだった「はたちマエ」はNPへ。
 ここまでで『夜明ケ』の大きな枠組みを掴めたと思う。この大枠を踏まえ、これから局所に視線を差し向ける。ただし局所とはいえ、この部分が『夜明ケ』のへその緒に当たることは間違いない。「この部分」とは、ほんの8ページの短編「他所へ…」である。この短編のタイトルにある「他所」とは、「はたちマエ」にとっての「paccbet」、「paccbet」にとっての「はたちマエ」にほかならないことが、以下の分析で明らかになるだろう。
 へその緒というぐらいなんだから、当然そこは、PPとNPの接合部ということになる。何故、「他所へ…」が接合部なのかというと、先ず指摘できることは、「paccbet」の一組の男女が作中人物となって主人公を演じるところ、自分の夢を自ら演じるところがここだからであり、さらに、「他所へ…」のラストで男女は何処かに行こうとするのだが、それを承けて続く短編が「はたちマエ」だからである。このとき「他所へ…」の二人はけっきょく何処へも行けずじまいで宙吊りにされるエンディングは、続く「はたちマエ」のエンディングの予行演習であるかのように「はたちマエ」のエンディングも「他所へ…」をなぞることになるだろう。
 接合部であることのさらに重要な理由は、一組の男女のやり取りを見ればわかる。「他所へ…」の女は、或る事故がきっかけでサイボーグになってしまったというのが、この話の初期設定である。しかも女のサイボーグ部分は胴の全体を占めるのだが、それが方形のどでかいブリキ箱でできている。というのも、女を愛する男の限られた費用では、それが限界だったというのだ。かなり格好悪いサイボーグの女は一目見て笑えるし、男とセックスするにもぎこちないわ、体全体使ってアイロン掛けするわで、明らかに女のボディーは笑いを生み出すギャグの装置として機能している。他の短編群と同じように、「他所へ…」もただしくギャグテイスト満載だというわけだ。しかし、このギャグの積み重ねからいつしかしんみり感が漂い始め、泣きモードに転換するのである。
 80年代の笑いは、(本来別々の文脈にある)異質な対象をドッキングさせるところにもたらされると前に述べた。そうやって対象を見下し高みに立った笑いに興じるのが80年代の笑いであった。「他所へ…」の、サイボーグとして人体に歪なブリキを接続するというイメージもこれと同じ渦中にある笑いの手法であろう(そもそも、80年代はサイボーグにとって不幸な時代であり、笑いの対象でしかなかったことは、アラレちゃんをはじめゆうきまさみの『究極超人あ〜る』、吾妻ひでお『ハイパードール』などで明らか。ちなみに70年代に流行したオカルト・超能力も同様の憂き目に会うのだが)。
 それなのに、しりあがりさんは、そこに泣きモードを導入するのである。しかも、80年代の笑いとは別のロジックを持ち込んで泣きモードに流れを変える、というんじゃなくて、80年代笑いのイメージとしてのサイボーグのなかから別の感情、しんみりした泣きをもたらすのである。
 いわば、しりあがりさんにとって、人間/ブリキ機械というサイボーグは、対象化し突き放して笑いを取るメディアであると同時に、寄り添い感情移入するためのメディアでもあるということ。そしてこの感情をめぐる両義性は、上記したNPとPP(単純にナレーションパートとフィクションパートと言い換えてもいい)をめぐる『夜明ケ』の作品構造の両義性と見事に一致したものなのだ。NPは、PPをその一部とするフィクションを対象化する部分であるが、けっきょくフィクションに組み込まれたわけだし、逆にPPは、フィクションの単なる一部でありながら、それを対象化するNPに繰り込まれたのだった。
 ここにおいて、「他所へ…」が二つのパートのへその緒(換喩的な局所)であることが理解されるだろう。さらに言えば、最初に私が提示した問題設定、つまり「『夜明ケ』の不規則的な並びから計算された秩序を引き出し、それが『夜明ケ』の笑い、ひいてはこの時期に既に確立されたしりあがり的笑いに深く関係していることを明らかにする」も、ここで明らかになったはずである。先ず、二つのパートに作品を規定する秩序を見出し、そのパートに構造上相似した短編を局所的に摘出、そこからしりあがり的な笑いをほぐし取り出したわけだ。「他所へ…」の笑いからしんみり感への移行、そして泣きどころが具体的にどのようなものかは、じっさいに『夜明ケ』を読んで堪能していただければなと思います(笑いと泣きモードという異質な感情を同時に詰め込む「他所へ…」にギャグマンガの画期性を正しく見出したのは、とり・みきさん。『カモン!恐怖』の解説参照)。
 それでは、何故しりあがりさんはギャグマンガにおいてこのような感情発露の組織をしたのか。先ず言えることは、彼が80年代の笑いの文脈からキャリアをはじめながら、それに対する不信感があったことがあげられる。80年代の笑いを自明視することができなかったのだ。もっと突きつめて言えば、そもそも笑いとは何かという問いのもとにギャグを繰り出しているということである(7/25日記参照)。笑いとは何か。この問いを問う以上、笑いと隣接する(「他所」の)様々な感情をも視野に入れねばならないだろう。この結果が、『夜明ケ』の、とりわけ「他所へ…」に表わされているのである。

 ちなみに、「他所」とは、作品構成上PPのNPであり、NPのPPだったわけだが、ここでは、NPはPP(ほかフィクションパート)を「夢/虚構」としてみる「現実」のポジションを示していた。しかし、既に上記した通り、「現実」だと思われたNPもまた「夢/虚構」の一つでしかなかったことが明らかにされたのだし、逆に、作品内立場上フィクションの一つでしかなかったPPは「現実」のポジションに繰り出されたのだった。現実と虚構がこのように相互反転するモチーフを徹底させ、さらにもう一歩踏み込もうとした作品が『真夜中の弥次さん喜多さん』であり、『弥次喜多 in DEEP』である。

 いずれにせよ、幸か不幸か、自身にとって笑いの「夜明け」はいつになっても訪れないことをこの作家は知っている。目覚めたと思ったら、そこはやはり夢の中だし、他所へ付きぬけたと思ったら、そこはやはり以前と変わらない殺風景な現実の一つなのだ。しかしここで重要なのは、だからといって彼は、80年代(以降)のしらけた笑い――もうまともに笑うものなんてないと見切ったところから始まる80年代のしらけた笑い――を惰性で繰り出すような真似は取らなかったということだ。周囲を抱腹絶倒させることまちがいなしの「デカイ一発」が笑いの神からもたらされることを、信じて疑わなかった作家の心性が、編み出す笑いに幅を持たせる。このような場所からしか笑いが更新されることはないのである。

 「他所へ…」だけだと心細いので、ここで一つ、『夜明ケ』と同時期の作品『流星課長』からも簡単な傍証を引いておこう。この短編集は、通勤電車の席取りに命を賭ける課長を主人公とした物語という、もうこの設定だけで80年代の笑いを踏まえたものだと分かる。彼はどんなに混んでいる電車であれ、アクロバティックな身体能力で席取りを確保する。その人並外れた身体能力が、どこにでもいそうな日本のサラリーマンの風貌に無理やりドッキングさせられるところに、先ずもって笑いが保証されるのである。
 またしりあがりさんは、自身が94年までデザイナー・広報担当としてキリンビールに勤続していたこともあってこの時期にサラリーマン・OLものを多数世に送り出している。そのなかでも独立して単行本になったタイトルが、『流星課長』であり、あと二つ、『ヒゲのOL薮内笹子』と『マーケッター五郎』である(三つともに96年刊行。「サラリーマン三部作」という)。これらはいずれも80年代から書き溜めたものなのだが、OLにヒゲを蓄えさせるという設定も80年代的だし、五郎という幼い少年がマーケッターとして小難しい商品開発の説明などをさせるというのも80年代的な笑いの設定であることはいうまでもない。
 基本的にどれもギャグテイストを基盤にしているが、哀愁だとか寂しさだとか他の感情への目配せも欠かさない。なかでも、『流星課長』の一短編「重機甲通勤マシーンの恐怖」は、他の「流星課長」ものと同様徹底したギャグ路線で突っ走りながら、途中でそれが暴走をはじめてギャグだかなんだかわけがわからなくなったところで(この暴走のなかで描線が過剰に露出し、単純な線・記号的な側面と葛藤を演じる)、ラスト数ページでするっと泣きモードに転調するのだ。ここは圧巻。
 いうまでもなくここでも笑いのための細かい設定や小物が散りばめられている。もちろん確かに、きっちり作られたプロットによって構成されたストーリーがあって、それに見合った絵を嵌めていく技術が当然このような圧巻する結構をもたらすわけだが、やはりそれだけではあるまい。むしろ、笑いとはなにかという問いが基底にあって、そこから彼のテーマ設定とストーリーテル、およびマンガの技術が駆動されていると考えるべきだ。
 この短編で、しりあがり的笑いのための重要な鍵を握るのが、課長と席取りの死闘の対決をするロボットである。しかもこのロボは「良心回路」を埋め込まれているため、人間的な感情を持つものとして設定されているのだ。すなわちただの機械に人間的な感情を接続するという80年代の笑いの文脈下にこのロボットは位置付けられるわけである。ただでさえサイボーグ的な課長でお腹いっぱいなのに、そんなサイボーグ課長と、人間的なロボットとの通勤電車の席取りをめぐる死闘の戦い、って笑うしかないでしょう。
 ここでは、「良心回路」が笑いから涙に転じる重要なプロットとして機能するのだが、「良心回路」というのはそもそも石森章太郎さんの『人造人間キカイダー』からの引用・パロディでした。引用とはもとより、別の文脈にあるものを、その文脈から切り離して強引に他の文脈に接続するという手法で、だから引用によるパロディはきわめて80年代の笑いと不可分なものなのだ。しりあがりさんは、ここでパロディとして切り取った「良心回路」を、ただパロディの笑いをもたらす小物にとどめずに、それをもとに読者が感情移入するための小物としても転用しているのである。この企みは、やはり「他所へ…」と同じように、笑いが生成する感情のツボを、他の感情のツボとの重層態としてとらえているがゆえのものであろう。
 だからここで重要なのは、作家が笑いとは別の手法によって、別の文脈から泣きモードをもたらそうとしているのではなく、同じフォーマットの上で多様な感情を誘発させようと試みているところである。笑いとはなにかを考えることは、他の感情を抑圧するところに生まれない。
 Aという感情がいつの間にかBという感情に転じているという不条理。80年代(後半)は不条理ギャグが席巻した時代としてマンガ史に記憶されるだろうが、以上のような感情の不条理を表現にとどめえた者だけが、正しい不条理ギャグマンガ家の資格があるのではないでしょうか。