感情レヴュー

中沢忠之、『文学+』を刊行する「凡庸の会」同人

在庫管理は適正に?

 ところで私はここ3年間主にスーパーの青果(まあ八百屋ですね)でアルバイトをして日銭を稼いでいる。
 朝一番、納入された野菜や果物たちを荷降ろしし、前日から店頭に出されたままの商品の中から古くなった商品を区分けし厨房に下げる。開店してからは、新しい野菜や果物たちを、適宜カットしたり袋やラップ、プラケースなどで包装する作業をこなしつつ、品出しし、接客。ある程度店頭が充実してきたなら、下げておいた商品を、見切りと廃棄に仕分けしながら厨房内を整理していく…。
 アルバイトとはいえ、以上の作業を自然にこなせる程度に熟練したひとは、什器や商品の発注も任されることになる。たとえば西友ダイエーはイオンやヨーカドーに多少遅れをとっているとはいえ、いまやどのスーパーも非正規社員が8割をこえるのは当たり前。要するに、スーパーには生鮮(青果・生肉・鮮魚)や食品関係、衣料ほか日用品など各セクションごとにマネージャーはじめ正規社員が配分されているわけだけど、その正規社員がたった一人の場合はザラ、非正規オンリーでこなされているセクションもあるという次第。
 食品とか衣料とか、まあ、各商品ごとの売れ行きが時節ごとにおよその予測的統計がとれて発注−在庫管理のイレギュラーがそれほど生じそうにないセクションでさえ、天候やイベント(自店他店のセールとか、近在の祭りや催し物、選挙とか、前日のみのもんたや「あるある」での商品特集とか)といった偶然の条件が計算を狂わせるゆえ、相当の熟練とセンスが必要なんだけど(ちなみに、健康や美容に利くといったテレビ番組での商品特集はメーカーや製造業者はうれしいかもしれないけれど、小売段階ではそれほどうれしくないというか迷惑な場合が多々ある。在庫切れは顧客の信用を失うから。なんか今日は妙にこの商品売れ行き激しいなあと思ってたら、顧客からテレビでやってたんだけどってよく言われて納得。まあ一週間もすれば熱は冷めるんだけど)、まして市場の変動から消費の性向までかなりの偶然に左右される青果でも、発注を任されたアルバイターがいる。
 スーパーはきわめて低い利益でやりくりしている業界なので、予想以上の在庫を抱えるのはかなり痛い。かといって早く売り切って売り損なうのも避けたいし、何より信用問題だ。このへんの按配のかけ方、さじ加減で、店舗ごとに発注かけてるひとの性格が出てるかもしれない(もちろん各店舗ごとに発注の裁量権が委ねられているわけじゃなく、本社や広域セクターのバイヤーの介入が助け=邪魔となって割り込んでくるのだが)。
 まあそんなこんなで、うちの店舗を見るたびに、ひとしれず感慨に耽る話題を一石。アルバイターを識別すると、ざっと2つのパターンがあるようだという話をば。ひとつは、40才前後以上の、子育てが一段落着いたんだろうとおぼしきおねえさん・おばさんのカテゴリー(むろんおばさんといっても様々で、かなりの財産もちから早くにパートナーを失った彼女まで、ともに仕事してる。みんないいひと。彼女らは午前中が多く、リストラ食らったり定年前に退職したおじさんもちらほら)。
 もうひとつのタイプが、就学が一段落着いたのだろう(?)20代の若者たち。いうまでもなく私は、後者の栄えある先駆者であり、前者をなんとか養えるだけの地位からさえとっくに乗り遅れたポジションを獲得している。なにしろ、おばちゃんたちからその日のご飯や衣服(もちろん息子さんの御下がり)をしばしばいただいたりして、大変助かってます。この場を借りて感謝。
 いずれにせよ、アルバイトだからといって最近はけっこう待遇も悪くない。半年働けば有給もつくし、保険にも加入して毎年社員といっしょに健康診断も受けさせてもらえるし。時給850とか900の世界だけど、まあ一日働いて一人生きる分にはなんとかやっていけそうな世界ではある。やばくなれば親もいるわけだし。そんなふうに漠然と考えているように見えなくもない彼ら(というか私たち)がこれから30、40と齢を積み重ねていったときの風景を私たちは思い描くことができるだろうか?
 とかなんとか、しょせんそんな風景、おおよその見当がつくのだとしても、誰も責任を取らないだろうし、責任を取る必要もないんだろう。ていうか責任て? 自己責任といわれるのがオチなんだろうから、そんなことより思い描くことはむしろ、時給850円でそれなりに生きる道をトレーニングすべきか? とはいえ誰だって、あわよくば正規、少なくとも、もう少し時給良いとこないかなあとか常日頃考えてるんだけどね。