感情レヴュー

中沢忠之、『文学+』を刊行する「凡庸の会」同人

ただただマッチョにスペックを肥大させるPSシリーズよりも、そんな勝ち負けから潔く降りてみせたWiiが評価されるのはひょっとするとアンチグローバリゼーション運動の一部であるかもしれず、ひっきょう、自由で見通しのよい世界を際限なく求めるよりも、不自由で見通しのさしてよくない世界をいかに形にするかを思考することが今こそ求められているリアルだということなのだが、その不自由さは理性的に満足するためではなくて、何より私たちの感情レベル、快不快のためにこそ資されねばならないのだ、という話

私がPOISON GIRL BANDのネタをはじめて目にしたのがM‐1グランプリの決勝(2004年)だったのは、いま思えばとても不幸な彼らとの出会いだったのだと思わせてくれたブログのテキストがある(「七里の鼻の小皺」)。
おそらく私のような、お笑いはそこそこチェックしてます的な一般人にとっては、一年の「笑い収め」であり、紅白的なお祭りとして位置づけられているM‐1グランプリなのだが、それゆえそこには、笑ったもの勝ち、笑わせたもの勝ち的な乗りというか、半ば強迫的に笑いが求められているようなところがある。
M‐1といえば、従来の賞システムのコネクションを反省し、そこから離脱せんとする意図が開催当初以来あって、少なくともそのように受け取られてきたはずだし、お笑いをそこそこ見る一般人(とくに私のように関西域外に住むような)にとっては、そこではじめて目にする、気に入った芸人やネタをチェックするためにも重要な機会を与えてくれる場所である。
それなのに、私たちはそのようなM‐1(出場者)に強迫的な笑いを求めている。しかもそれはかなり限定された笑いなのだ。その限定的な笑い――といってもむろんそれは、現在に至るまで笑いのメインストリームとしてみなされているのだが――を、「七里の鼻の小皺」のnanari氏は「しゃべくり漫才」と命名し、つまるところその、「事実性・現在性」に担保された「物語」を芸としていかに巧く再演・上演するかを競い、洗練させてきた「しゃべくり漫才」の正史を問いただしている*1
けっきょく私たちは、M‐1を視聴するに当たって、ついついこのような笑いのモード(「しゃべくり漫才」)を基本線にして楽しんでしまうのであり、nanari氏によれば、実は審査員の多くの笑いの評価もこのモードに左右されているという。
そこでは、おのずと、新たな笑いのモードは発見されがたくなるだろう。異種を交えた総合格闘技的な、強ければ強いほどいいという理念にちなんだとおぼしい、M‐1の笑えれば笑えるほどいいという笑いのグローバリゼーションは、その一見リベラルな理念に反してひどく限定的な笑いの世界を築いてしまいかねない、というわけだ。
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私がM‐1でPOISON GIRL BANDをはじめて見たときに持った違和感というか居心地の悪さは、彼らの、お笑いにしてはいくぶんスカした、どこを目指しているのか分かりずらい佇まいとともに、いまでもよく覚えている。この違和感は単に面白くないというわけではなく、とにかくいまいち乗れないまま終わってしまったのだが、このとき私は適当にこの人たちは面白くないと見なして、以降はとくに興味を持たなかった。
それであまりにももったいない二年間という空白のあと、上記POISON GIRL BAND評価を読んだ上で、あのときとまったく同じ彼らのネタを見てみたら、これがやばいくらいに面白かった。やはり面白かったのだ。
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人の情緒だの感情というものは、理性的判断とは違って本能的なものであり、誰かの理論だの言葉の意味によって左右されるものではない、といった通念がはびこっているが、それはまるっきりの嘘だ。理論だの言語操作によって感情はいくらでも鍛えられるし、捏造できるし、したがってモードチェンジもできる。感情なんてその程度に単純なものなのだ*2
しかしそれはむろん、自由に思い通りになるものでもない。あくまでも私たちが育んできた歴史的背景なり文脈を前提した上で、感情のモードは操作可能であり、かつ変化しうる。POISON GIRL BANDはそれを踏まえた上で――その流れのなかで――新たなモード(の可能性)を体現しえたのであり、nanari氏はそれを言語化することに成功したのであり、だから私たちがその言葉を導き手としてPOISON GIRL BANDの惹き出した笑いに感応するのは当然なのである。しかしこの当然なこと――たかだか自分の快不快だの感情のこと――を形にし、探り当て、言葉にするのは非常に難しい。おそらくたいていは一般的な笑いの評価に乗じるのが関の山だろう。
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nanari氏は、POISON GIRL BANDのとりわけツッコミに注目し、ボケとツッコミのかけ合い――非常識なボケに対してツッコミが常識的な判断から否定するという伝統的なかけ合いの図式――から潔く「降り」る彼らのツッコミを、「許し」「許容」という観点から評価し、笑いのモードを開拓した一例として提示する。ボケを高所から否定するポジションではなく、ボケの非常識な発言に、「許し」のポジションからできる限りつき合ってあげる、ツッコミならぬツッコミ。一見して「のりツッコミ」のようだが、どこかでたまりにたまったツッコミが爆発するぞ、という終末観的な期待(むろんこれは基本的な「しゃべくり漫才」、「80年代的な笑い」のベースにあるものだ)はそこにはない。
言い過ぎかもしれないが、POISON GIRL BANDの笑いはそのようなツッコミの性格ゆえ、微笑ましくもあり、ジンと胸に来るところもある。いわゆる「笑い」からいま一歩身を引いて、いろいろな感情との相対から導き出される笑いの、原初的な形と言えばよいか、笑えばいいのか泣けばいいのかよく分からない子どもに親が少しずつ感情教育を施しているようなところがある。とにかく笑え、ではなく、そうなんだあ、これが笑いなんだ、じゃあこれはどうかな、笑いかな涙のほうかなあ、というような。子どものことだから、親もがめつくいえず、できる限り子どもの感情につき合ってあげればいい。そういうスタンスがおそらくPOISON GIRL BANDにはありそうだ。とか、書いていてちょうど今思い出したのだが、なんだか、日本近代文学のリアリズムの創出期――思えばその頃も、のちにメインストリームとなるリアリズムに回収されない様々なモードの可能性が渦巻いている時期だった――に漱石が編み出した「写生文」のスタンスにそれはとてもよく似ている気がするけれど、気のせいか。
思うに、ボケとツッコミのかけ合いから「降り」た上で、「許し」のポジションに立つツッコミの萌芽は、ここ数年あったのかもしれない。たとえば、ツッコミがツッコミに徹しきれず、ネタの途中でツッコミが笑いの対象になるケースはしばしば見られたし、笑い飯のボケツッコミの転換は、話題の文脈をたえず入れ替えながら強引になされる点で、時のやすしきよしのように滑らかな転換はついに描かれないのだし、とりわけ、さまぁ〜ずのツッコミは、ツッコミのツッコミたるべきポジションから「ずれ落ち」、ボケの理不尽さを咎めるのに戸惑いながら、そのボケの言動をただなぞるしかない「逆ギレ」ツッコミでいまの地位を確立したのだった。
他方、ボケがそのかけ合いから「降り」た先駆けはおそらくタモリなのだが、そのへんはポスト「80年代の笑い」としてこのブログでも書いたことがある(05年9月5日の日記)。
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POISON GIRL BANDの笑いは、一面でインフレーションを起こしつつあるお笑いの世界に「許し」――「癒し」ではない――をもたらすべく現れた一撃ともいえる。
彼らは自分たちの笑いのためにひとまずボケツッコミのかけ合いから「降り」てみたが、それは、ちょっと変わった笑いをしようとしているわけではあるまい。彼らの笑いからみてみれば、他のボケツッコミの関係は、どれも本来のボケツッコミからは隔たっている(それぞれ偏差がある)ように見えるという意味で、ボケツッコミの関係をそれこそコンビごと、ネタごとに一からすり合わせなければならないという――困難でありながら様々な可能性に開かれた――現状の、最も典型的なボケツッコミの関係なのではないかとすら思えてくる。
参照すべきボケツッコミの定型などない状況では、それこそ強引にボケ(ネタ)とそれをバカにするツッコミとの関係を作り出し(それを象徴するように、最近の芸人は露悪的に自分をネタとして差し出すのだし、差し出された側もまたそれを差し出される前から予期しつつツッコミを入れる、そういう強迫的なキャラ分担、ボケツッコミの構図がバラエティ番組においてしばしばみられるわけだが)、その場その場を凌いでいかなければならないのだろうが、POISON GIRL BANDの笑いはそのようなお笑いの現状を最も正確に映し出しているように見えるということである。
彼らは笑いから「降り」たのではなく、むしろ「降り」ることによって見通しのよいところ*3に立とうとしているのであり、それは笑いをバカにしているから立てる地点ではなく、ボケとツッコミからなる笑いのかけ合いを心底愛していなければ立ちえない地点なのであり、そういう彼らこそ笑いから愛される資格があるのだと、そういって笑いを代弁しているように見えるnanari氏の言葉もまた、多くの使い慣れた意味や理念から「降り」てみせ、笑いへの愛情に満ち溢れた「許し」の地平から対象を分析する(分析し直す)のだが、その「許し」はしかし、ある一線だけは譲れない、「降り」てはならないという冷徹な倫理に裏打ちされたものでもある。
そのつど<そこ>から批評の言葉が立ち上がるべき倫理的な問いとは、賢しい理性によるものというよりも、快不快の原則にゆだねるほかないという、そういうギリギリのところでのみ組織される「許し」の言葉に接する体験から新年をはじめられることは、なんとも幸せなことである*4

*1:以前私は、ボケとツッコミの関係の歴史的変遷を問い、なかでも「80年代的な笑い」として、ダウンタウン松本人志がそれを洗練−徹底させた、という見取り図を紹介したことがあるが(05年9月5日の日記「今日的ギャグの傾向と対策」)、この「80年代的な笑い」は上記「しゃべくり漫才」の構図に組み込まれるものだろう。さらにnanari氏は、「しゃべくり漫才」的な物語の虚構性を崩壊させた歴史的画期としてダウンタウンの笑いを位置付けている。彼らは、「現在性」に担保された「物語」として笑いを組織するのではなく、語りの現在時を巻き込む形で、いわば、たえざる「現在性」に笑いの可能性を賭けようとした、というのだ。ごく簡単に言い換えれば、いかなるパフォーマンスであれ、そこで組織される物語の内容に資する笑いのタイプが「しゃべくり漫才」だとすれば、パフォーマンスのレベルそれ自体が笑いをもたらし、物語を事後的・継起的に組織してしまうような有様がダウンタウンの開示した笑いの可能性、ということになる。

*2:だから、「泣け泣け」と言わんばかりに強迫的に整備された「泣きもの」市場に誰もがころっとやられ、群がったりするのだが、しかしそれは、サプリメント的に消費されているという点で、「洗脳」されているというよりも、誰もがけっこう自覚的に「人体改造」なり「感情改造」――といっても気分転換程度の――ができるようになった時代なのだともいえる。

*3:現状を見渡し、来たるべき笑いの可能性を追求できるところ。

*4:この点、サブカルチャー化する世界に対して、サブカルチャーの波に徹底的に「降り」ながら、ギリギリのところで「戦後民主主義」をやりなおす、という判断を下す大塚英志氏は、「降り」る手際のよさとその過程の徹底性には感服するけれど、最終的な倫理的判断が賢しい理性にのっとっているように見えて首を傾げてしまうのである。「あえて天皇主義者」になる、という宮台真司氏の判断もこのたぐいの理性的満足が垣間見える。