感情レヴュー

中沢忠之、『文学+』を刊行する「凡庸の会」同人

安吾戦争小説論(3)

3.二つの枠

 「白痴」と同じ時期に発表された「外套と青空」(46年7月)は、友人の妻・キミ子に恋した男・太平と、夫の友人・太平に恋した女・キミ子との二転三転する恋愛関係を主線に物語が展開していく。
 「白痴」とはまったく異なった内容をもつ体裁にもかかわらず、安吾が伝えたかったことは、きっと変わるまい。すなわち「生きよ堕ちよ」。「始めて」とか「ただ一度」とは言わず、くり返しこれを聴き取るためにも、ここでは、タイトルにある「外套と青空」、男女を取り巻くこの二つのカギとなる対概念を追わねばならない。
 先ず最初に、どちらが先に意中を告白するというわけでもなく、二人がお互いの愛を確認しあう場面。この一場からすでに雲行きが怪しい。タイトルにもあるのだからそれなりに気を配りはしていたはずなのに、それでも不意に「外套」が記入される。
 そこではしかし、それだけではまだ何を意味しているのか明確には伝わらない。だから読者にも、当の作中にあっても、それはひと際気を引かずにおかないものである。彼女が現れるのを待つ太平(=彼に焦点化した語りを追う読者)の前に、「外套」をまとった――しかしそれはいきなり脱がれるものとしてまとわれているのだが――キミ子が現れる。

長い時間は待たなかつた。キミ子は案内も乞はずに上つてきた。洋装に着換へてきたが、自分の家と同じやうな自由さで、外套をぬいで、火鉢に手をかざした。これは凄いやうな外套だね、と青々軒が嘆声をあげたが、キミ子は火鉢の上で焼かれてゐるお好み焼きを指で抑へて、これを私にちやうだいよ、といつた。/ヒサゴ屋の帰る姿が淡白だつた。それが太平に落附きを与へたが、青々軒のおかみさんが二人の寝床を敷いて引上げてしまふと、キミ子が外套を着はじめたので、太平は再び混乱した。それと同時であつた。キミ子は彼の胸の中にとびこんでゐた。「知つてゐたわ。知つてゐたわ」と叫んだ。それは太平がキミ子に思ひを寄せてゐるのを知つてゐた意味であらうと思はれたが、太平はそれを訝るよりも、実際にさうでしかないやうな激情に憑かれた。彼は傍に寝床の敷かれてゐることを意識したが、キミ子はそれを顧慮しなかつた。太平は凄いやうな外套だねといつた青々軒の言葉が意識に絡みついてゐたが、キミ子は外套をぬがず、又、それを意識するいささかの生硬な動きもなかつた。愛情のほかの何事をも顧慮しなかつた。/翌朝太平の頭にはキミ子の脱がなかつた外套のことが絡みついてゐるのであつた。けれどもその外套にはいささかの傷みも残されず、小さな皺も、ひとつの埃すらもとどめてはゐなかつた。太平はもはやキミ子の肉体に憑かれてしまつた自分を知つた。そしてキミ子の肉体が外套にこもつて頭にからみついてゐるのを知つた。昨夜は何事もなかつたやうなキミ子の顔を見るよりも、何事もなかつたやうな外套を見出すことが不思議で、暗い情慾の悔恨と、愛情のせつなさをかきたてられるのであつた。

 出し抜けに「知つてゐたわ」などと、何もまだ彼は知りはしないと読者なら指摘をせずにはいられない一場なのだが、そのような忠告もよそ目に、わけもなく知ってしまう男の言に諦め半分、恋とはそういう理不尽なものだったかと思わなくもないのだけれど、しかし残り半分は諦めに費やすことなく、根気よく「外套」の分析を続けねばならない。確認しよう。
 初発は脱いで現れた「外套」は再び着られる、男を抱き入れるために。だからこれは、ときに化粧がそうであるように、視覚的な媚びを売るためのものではありえない。というのも「外套」は、身にまとわれるや否や「彼の胸の中にとびこんで」女もろとも男の視界から姿を消し去る運命にあるからであるが、そればかりではない。
 そもそも、ここで私たちの気にかからずにいないのは、「凄いやうな」とだけ形容される「外套」はくり返し周囲の男の気を引きながら、その実、色も形もイメージを構成する一切を寄せ付けないものなのだ。それは物語の終わりまで変わらない。
 ただしそのような「外套」の有様は、すでに「白痴の顔」を通して私たちには既知のものではあるのだが。「その日から太平の懊悩が始まつた。キミ子の肉体を失ふことが、これほどの虚しい苦痛であることを、どうして予期し得なかつたであらうか。夜更けの外套を思ひだすとき、太平の悔恨は悶絶的な苦悶に変るのであつた。あの夜更けキミ子はなぜ外套を着けはじめたのだらう? なぜ外套を脱がなかつたのだらう? 飛びついてきたキミ子は狂つた白痴のやうだつた。うつろであつた」。
 「うつろ」な「白痴」のようだと見られ、そう見る「男を冷然と見下してゐる鬼の目がかくされてゐた」女、虱にたかられるという男の愚痴に対し「いつか洗濯してあげるわね」と平然と答えてみせる「可愛いい女」とは、読者にとって「白痴」にも「櫻の森の満開の下」にも、あるいはまた「青鬼の褌を洗う女」にも重なるものだろう。いずれにせよ、ここで男と女は、「外套」を挟んで引き寄せあったのである。

 物語の上では、男と女は一度は別れるのだけれど、その別れゆえに衰弱していた男のもとに「突然キミ子が訪ねてき」て、再び交際がはじまる。しかし、恋物語にありがちなこの程度に要約できるプロットの変化は、単に好きだ惚れただの恋愛感情によってではなく、奇しくも「外套」によって結ばれた彼らにとっては表面的なものにすぎない。
 そもそものところ、二人きりで「遊び廻つて」いたところへ、我が妻に夫の庄吉が帰れコールを送ったのが、一時的な別離の直接の原因なのだ。二人の縁はまだなんら切れていはしない。そんななか「突然キミ子が訪ねてきた」のは、したがって当然のことである。それはただし、太平と縒りを戻すという以上に、何より男との間に「青空」を描出するためにほかならない。どういうことか?

キミ子は太平をうながして、二人は毎日釣りに行つた。/キミ子の腕はむきだしにされてゐた。キミ子のスカートは短かつた。靴下をつけてゐなかつた。キミ子の釣竿は青空に弧を描いたが、それはまつしろな腕が鋭く空をき裁ることであり、水面に垂れたまつしろな脚がゆるやかに動くことであつた。

 「外套」におのが肉体をまとわせるときとは逆に、きょくりょく「まつしろな」肢体の節々を露出させる女によって裁ち切り、切り出される「青空」、それが男の目に鋭く描出される。
 ここで、タイトルを枠付ける二つのキーワードが出揃うことになるのだが、面白いことに、この二つはそれぞれ相反する力関係にあるようなのだ。例えば、女によって二人を包み込んだ一方の「外套」は、見えないのに男にますます女への愛を募らせた。他方、女によって二人の間を、真っ白な枠取りをして可視化した「青空」は、しだいに女への憎しみを男に差し向けるのである。

二人は毎日ボートに乗つた。キミ子は仰向けにねころび、上流へ上流へと太平に漕がせた。上流へさかのぼるには異常な精力がいるのである。喉の渇きと疲労のために太平の全身は痛んでゐた。苦痛と疲労のさなかから目覚ましく生き返るのは情慾のみであつた。キミ子は髪の毛の上に両手を組み、目をとぢてゐた。まつしろな脚が時々にぶく向きを変へた。それを見すくめる太平の目は、情慾の息苦しさに、憎しみの色に変るのだ。

 ボートを岸へ着けた二人が上流の叢に腰を下ろしてからは、さらに男の憎しみは高まる。「漕ぎ疲れた太平は全身がだるく、きしんでゐた。彼の掌は肉刺が破れ、血と泥が黒くかたまりついてゐた。その肉刺の皮をむしりとり、泥をぬぐひ、痛さを測ってゐるうちに、憎しみと怒りに偽装せられた情慾がもはや堪へがたいものになつてゐた」。
 この高ぶる「憎しみと怒り」の底から、しかしむしろそんな感情などいっときの「偽装」にすぎないといわんばかりに「情慾」が、一身に女を抱きしめたい「情慾」が湧いて出てくるのを、男はどうすることもできない。「憎しみと怒り」が募るうちに、男は再び女への愛の「情慾」に盲目となり、溺れはじめるのである。「彼はもう白日の下であることも、見通しの河原であることも怖れない気持になつた。見渡すと、ひろい河原に人影がなく、小さな叢が人目をさへぎる垣になつてゐることを悟つた」と。
 そしてそれはあたかも「外套」で包み込むように、今度は男の方からかつて女がしたことを反芻するかのように、抱きよせる一場なのである。「太平はキミ子を抱きよせた。ふはりと寄る一きれの布片のやうな軽さばかりを意識した。キミ子は待ちうけてゐたやうだつた。優しさと限りない情熱のみの別の女のやうだつた。キミ子は強烈な力で太平を抱きしめ、黒い土肌に惜しげもなく寝て、青空の光をいつぱい浴びて、目をとぢた」(強調引用者)と。
 こうして情慾が「白日の下」を支配するなかで、それを追認するかのごとく正確に「外套」が記入されるだろう、「太平は再びキミ子の魔力に憑かれた不安で戦いた。冬の夜更に脱がなかつた外套と同じやうに、青空の下で、キミ子は全ての力をこめて太平をだきしめ、そのまま共に地の底へ沈むやうな激しさで土肌に惜しみなく身体を横たへた。その強い腕の力がまだ生きてゐる手型のやうに太平の背に残つた」(強調引用者)。
 ここにあって太平は、「外套と同じやう」な「黒い土肌」に密着したキミ子の「地の底」の方と、「光をいつぱい浴びせ」て尽きせぬ「青空」を裁断するキミ子の「まつしろな」肌の方とに引き裂かれながら――高ぶる情慾ゆえに切断を強い、切断ゆえに情慾を駆り立てられながら――、しかしどうしようもなく前者の「魔力」に引き寄せられている。何故か? 
 「地の底」を背にしたキミ子に抱きしめられる太平には、彼女には覗いているのかもしれぬ「青空」は見えないのだから。とはいえ、翌日になって「青空」が目前に拡がりさえすれば、たちまち憎しみが溢れ返らずにいないのである。もうそこでは「青空」と彼女の結びつきは切っても切れないものではなくなりつつあるのだとしても。

その翌日は、すでに太平は青空の情慾を意識して多摩川へ急ぐ自分の姿に気づいてゐた。キミ子の腕や脚を見ると、色情のムク犬のやうにただその周りをあさましく嗅ぎめぐる自分の姿が感じられて、憎しみが溢れてくるのであつた。(強調引用者)

 しかしそれにしても、「青空の情慾」とは何か。そもそも「青空」とは、「外套」のようなからみつく「情慾」を鋭く裁ち切る側にあるものではなかったか。だからそれはキミ子がそうしたように、裁ち切ったところに見えてくるものであったし、太平にそうしたように、裁ち切りを促すものであったはずだ。そこでは、まといついて離れない「外套」の「情慾」はずたずたに裁断されたはずなのだ。もとよりこの二つ(「青空」と「情慾」)は相容れない。それなのに、いま男が意識する「青空の情慾」とは何ものなのか?

 少し時間を巻き戻すと、確かにあのとき、すなわち「魔力」に引き寄せられながらうつ伏せになって青空の下の情慾――キミ子!――を抱きしめているとき、不意に、キミ子の家で知り合った男たちが口にした「情慾と青空」を太平は思い出したのだった。「いつ頃のことであつたか、あるとき花村が情慾と青空といふことをいつた。印度の港の郊外の原で十六の売笑婦と遊んだときの思ひ出で、青空の下の情慾ほど澄んだものはないといふ述懐だつた」。この「情慾と青空」は確かに、澄み切った、濁りの欠片もない情慾が支配しているだろう。
 けれども、この澄んだ「青空の下の情慾」(の意味で言われた「情慾と青空」)は、太平の思い出の中でしだいに意味がずらされ転換していくことになる。「すると舟木が横槍を入れて、情慾と青空か。どうやら電燈と天ぷらといふやうに月並ぢやないかな、といつた。その花村や舟木や間瀬や小夜太郎ら庄吉も一しょにキミ子を囲んで伊豆や富士五湖上高地や赤倉などへ屡々旅行に出たといふ。キミ子が彼らの先頭に立ち、短いスカートが風にはためき、まつしろな腕と脚をあらはに、青空の下をかたまりながら歩く様が見えるのだつた。すると花村も舟木も間瀬も小夜太郎も、一人々々が白日の下でキミ子を犯してゐるのであつた。陽射のクッキリした伊豆の山々の景色が見え、その山陰の情慾の絵図が鮮明な激しい色で目にしみる。その絵図を拭きとることができないのだつた。悔いと怖れと憎しみがひろがり、その情慾の代償がただ永遠の苦悶のみにすぎないことを知るのであつた」(強調引用者)と。
 ここで、この思い出に代わって先の引用「その翌日」に意識される「青空の情慾」に場面が転じるのであるが、確認しておいた通りこの「青空の情慾」(の意味で言われた「青空の下の情慾」)は、まったくもって澄んではいない。切断を強いる「憎しみが溢れてくる」ものである。
 ここにおいて「情慾」は、「青空」に完全に包囲されている。言い換えれば、女への「情慾」はその代償としてたえず女に対する「憎しみ」にみまわれながらしか、男に現れえないものになったのである。同じ女を情慾しながら憎しむほかない男。

 ここまで「外套」と「青空」をめぐって確認してきた私たちは、「地の底」と「青空」に挟まれて女と男が抱き抱かれながら二転三転しつつ、「情慾」と「憎しみ」、すなわち「何事をも顧慮しな」い(ゆえに引き寄せる)「情慾」と「溢れてくる」(ゆえに反発を呼ぶ)「憎しみ」に翻弄され続ける男をとらえてきた。そこにいたるまでは、男女の恋愛を左右するかのような「外套」も「青空」も、女がその一身で男にもたらしたものだったはずだ。
 しかし、それらは女との関係を離れて、彼の反芻する思い出のなかで消化されることになった。その結果、「憎しみ」は「情慾」の代償としておのずと意識されるものにすぎなくなり、それでもなお女と関われば掻き立てられる罪作りな男の性として「情慾」は意識されるものにすぎなくなるのだが、いうまでもなく、ここでの、そしてこの一場以降のキミ子はすでに、男に対して「外套」でもなければ、「青空」でもあるまい。
 確かに、彼はキミ子がときに「外套」のように、ときに「青空」のように己れへ現前するかのごとく彼女に対してはいる。しかしそれだからこそ逆に、思いを致さざるをえないのだ。かつてのように彼女が「外套」をまとっては、「青空」を裁断する、彼女からのコンタクトがいまは欠けていることに、またそれゆえに、いまは男の「意識」のうちでひとり歩きするだけにとどまる「外套と青空」――青空の外套、外套の青空…――に、思いを致さざるをえないのだ。
 あの「外套」とは似ても似つかない独りよがりな「情慾」と、あの「青空」とは似ても似つかない独りよがりな「憎しみ」しか、そこにはすでにないのである。

彼は思ひきつて上流までさかのぼつた。そのための肉体の苦痛が、こみあげる怒りと共に、近づく情慾のよろこびを孕み、奇怪な亢奮を生みだしてゐた。そこは見知らぬ土地だつた。飛ぶ鳥の姿もなかつた。太平は破れかけた納屋を見つけた。彼は無言でキミ子の腕をとり、ぐいぐいと納屋へ歩いた。太平はキミ子を抱きすくめた。するとキミ子は彼よりも更に激しい力をこめてそれに答へ、思ひがけない数々の優しさのために、太平は気違ひになるのであつた。気がつくと、彼等は埃だらけになつてゐた。太平の手足も、キミ子の腕も脚も、あたりの材木や朽枝のために無数の小さな傷となり、血が滲んでゐた。/ボートは何事もなかつたやうに川を下る。太平は舵をとるだけで、いくらも漕がずにすむのであつた。キミ子は何事もなかつたやうに仰向けにねて額に両手を組合わせ目をとぢてゐる。その肌は陽にさらされて、赤く色づきはじめてゐた。太平はその肉体に縛りつけられた自分を知り、それを失ふ苦痛に堪へられぬ自分を知つて、そのあさましさに絶望した。太平は肉慾以外のあらゆるキミ子を否定し軽蔑しきつてゐた。ひときれの純情も、ひときれの人格も認めてをらず、憂愁や哀鬱のベールによつて二人のつながりを包み飾つてみるといふこともない。ただ肉慾の餓鬼であつた。

 そこにあるのは、肢体を惜しげもなくとろかす「黒い土肌」でも、肢体をクッキリと浮き立たせる「青空の光」でもない。埃だらけの肢体に、血が滲む程度に浅い無数の赤い傷(「青空」の切れ味の悪さ!)や、ほの赤く色づきはじめた日焼けの跡(「外套」の吸収率の悪さ!)が、「外套と青空」の戦火を潜り抜けた余燼のようにくすぶっているだけだ、わけもなく死地に落とされわけもなく生き残った白痴らのように、「太平は死に得ぬことのあさましさと肉慾の暗さに絶望し、その憎しみと愛慾の未知の時間の怖れのために苦悶した」。
 このとき、男の前からキミ子は立ち去ることを決意する。「けれどもキミ子は立ち去つた」と。当初は太平を「純粋な方」と呼んでいた彼女にとって、しだいに餓鬼となり、野獣と化していく彼は我慢ならなかった、だから「立ち去つた」のであろうか? そうとばかりは言えない。むしろ、自意識に閉じこもって肉慾をむさぼる生を生き続けるほかない「あさましさ」を前に、キミ子は彼との生を無理にでも裁ち切ったのではないか?

彼はもはやキミ子が情死を申出ないことを知つてゐた。太平は肉慾の妄執に憑かれてゐたが、情死に応ずる筈はなかつた。彼は死の要求を拒絶するばかりでなく、拒絶につけたして、人格の絶対の否定と軽蔑を目に浮かべるに相違ない。キミ子はそれを知つてゐた。太平はただ肉体に挑む野獣で、人格を無視してゐたが、肉慾のみの妄執が人格や偶像を削り去ることにより、動物力の絶対的な妄執に高まるものであることをキミ子は嗅ぎつけてゐる。その妄執は生ある限り死ぬことがなく、肉体に慕ひ寄り威力に屈した一匹の虫にすぎないことを見抜いてゐた。(強調引用者)

 女を忌避しつつ魅了される、この相反する自意識を自制しようとする男は、それを意識して空回りすればするほど、もとはといえば女に近しかった――肉慾的な女はいっかんしてそのように描かれてきた――虫や動物じみてくることを、自ら餓鬼となり野獣と化してくることを、どうすることもできないでいる。
 まして彼は、自らの野獣化した様をまともに意識しえないようにさえなっている。というのも、この一文が伝えるのは、理性的な(はずの)彼のかかる失態を目覚ましく意識しているのは、むしろ女の方だという一事なのだ。
 したがってここは、男がより「外套」――死!――の方に近接していると言えるだろうか。しかし、男か女かとか、死か生かとか、外套か青空かだとか、このような限定的な二分法はここではすでに意味をなさないのではなかったか。
 そう、だからもちろん、どちらかが死の犠牲になることもあるまい。そもそも、男は「死に得ぬこと」を絶望をもって語っているのである。思えば、「外套」をまとって最初に愛しあった期間は、おりにふれキミ子の方が太平に死をもちかけていた。「死にませうよ」、「死んでちやうだい、一しよに……」と。それに対して「当惑」しながらも、「愛情は常に死ぬためではなく生きるために努力されねばならないこと」を「静かな言葉で説明したいと思つた」と言う、このときの太平はあくまでも理性的である。
 しかし、彼女が「外套」についでひとたび「青空」をもたらし、それらに挟んで彼を二転三転させてから後は、無数の小さな傷の跡や日焼けの跡からのみ死はわずかに嗅ぎつけられるだけで、だからそれに「憑かれ」ながらもやはり二人ともに「死に得ぬこと」を「知つてゐた」、この「死に得ぬことのあさましさ」を知るほかないのである。
 二人ともに知ってしまった「死に得ぬことのあさましさ」。この「あさましさ」を前提したうえで、さらに注意しなければならない。すなわち、「意識」のうちに女を支配していた――「知つてゐた」――男が死臭わく肉慾に「憑かれ」るのに対応して、逆に、女が男を「意識」のうちに支配していく――「知つてゐた」「嗅ぎつけてゐる」「見抜いてゐた」――この段階にあって注意すべきことは、肉慾の塊と化していく男に翻弄されて「女が表した始めての意志」のもとに「立ち去つた」女に――「女はごくんと頷いた」…――、男がここでもたらしていたのはおそらく「外套と青空」だろうことである。

 周知の通り安吾は、そのキャリア上おりにふれ「肉体」に注意を向けていた。それを確認するために、ここでは小品「肉体自体が思考する」(46年11月)から引用する。「我々の倫理の歴史は、精神が肉体に就て考へてきたのだが、肉体自体もまた考へ、語りうること、さういふ立場がなければならぬことを、人々は忘れてゐた。知らなかつた。考へてみることもなかつたのだ」と、安吾は「精神」に対して「肉体」に注意を促している。
 とはいえ、「外套と青空」は男女の肉体やら肉慾の自由な発露を謳歌しているのではない。かりにそう読めても、そこに安吾の核心はない。ここまで確認してきたように、女の「肉体」を意識する男の「精神」が「肉体」に転換し、それに呼応するかのごとく「肉体」の女が「精神」として男の「肉体」を意識する、この転換にこそ注意しているのであり、それに立ち会って安吾は「精神の思考を離れて肉体自体が何を語るか、その言葉で小説を書かねばならぬ」と呼びかけているのだ。
 だから、たとえば「肉体文学から肉体政治」の丸山真男が批判する「肉体文学」は、少なくとも安吾のそれには当たらない。丸山によれば、「肉体文学」の「アブノーマル」な面を理性的に非難するノーマルな傾向が脆弱な日本にあっては、当文学史のノーマルを標榜する私小説に見られる「小市民的生活の日常的経験に固着している」傾向も、そこから逸脱して「アブノーマルな環境を追っかけまわす傾向」も「感光板としての作家の精神構造自体は大体似たりよったりだ」。
 すなわち、「肉体文学や戦争文学が日常的な市民的環境とかけはなれているといったところで、べつにそれは私小説的日常性と次元がちがうわけでなく、ただわれわれの感覚経験のなかの最も低劣なモメントを量的に無やみに拡大しただけのことだ」(強調丸山)と。
 かくして、「日本のように精神が感性的自然――自然というのはむろん人間の身体も含めていうのだが――から分化独立していないところではそれだけ精神の媒介力が弱いからフィクションそれ自体の内面的統一性を持たず、個々バラバラな感覚的経験に引き摺りまわされる結果になる」と嘆く丸山にとっては、「アブノーマルとかノーマルとか」言い争ったところで、いずれにしろ「肉体」に与えられた「感覚経験」を合理的に「媒介」する「精神」を放棄した「非合理的」な精神ゆえに、この「精神構造自体」批判されるべきなのだ。その批判は当然、「肉体」から明確に分化した合理的な「精神」によってなされることになる。
 この点、丸山の精神と肉体はあくまでも別々でなければならず、ノーマルな精神とアブノーマルな肉体という対応が理想だ。しかしくり返せば、安吾の「肉体文学」と「戦争文学」は「精神の媒介力」それ自体が「非合理的」になる転換点、「非合理的」なものが「合理的」になる転換点をとらえるものであった。
 だから、「肉体と精神というものは、常に二つが互に他を裏切ることが宿命で、われわれの生活は考えること、すなわち精神が主であるから、常に肉体を裏切り、肉体を軽蔑することに馴れているが、精神はまた、肉体に常に裏切られつつあることを忘るべきではない。どちらも、いい加減なものである」(「恋愛論」47年4月)ほかないのである。
 ひっきょうこの安吾にとってみれば、「肉体なんか退屈ですよ。うんざりする。退屈しないのは、原始人だけ。知識といふものがあれば、退屈せざるを得ないものだ。快楽は不安定だといふけれども、犬だの野蛮人の快楽は不安定ではないので、知識といふものが、不安定なのです」、だから「快楽ほど人を裏切るものはない。なぜなら、快楽ほど空想せられるものはないから。私の魂は快楽によつて満たされたことは一度もなかつた。私は快楽はキライです。然し私は快楽をもとめずにゐられない。考へずにゐられない」(「余はベンメイす」47年3月)等々。
 こう言う安吾は、「肉体」のアブノーマルな効用をこれっぽっちも信じてはいない。「肉体」の「感覚経験」はそれだけでは「退屈」にすぎず(意味=効用をなさず)、その効用のためには(「空想せられる」)「知識」の「媒介」がなければならない。ここまでは丸山の「精神」と同じ発想にある。
 しかし安吾によれば、この「媒介」ゆえにこそつねに「感覚経験」は「個々バラバラ」の「不安定」を免れず、それに乗じて「快楽」も編み出されるのである。丸山が「肉体(文学)」を、嫌悪する余り始末するための「媒介」とした「精神」と、「肉体文学」が「精神」を始末するための名目とした「肉体」(を「媒介」とした「精神」)とは、別のものではないことを自覚している安吾にとっては、この丸山もまた彼の批判する「精神構造」に自覚なしに依拠しており、よって彼の「精神」を「量的に無やみに拡大」しさえすれば、早晩「肉体文学」に「引き摺りまわされる結果になる」だろうことをよくよく知っていたのである。

 とにもかくにも、太平とキミ子の「肉体」と「精神」とが実現した転換以降、我が友人であり彼女の夫、久しく会わない庄吉に会いに行く太平の前には、――丸山の批判が的中するかのように…――彼女自身はもう現れない。けれども、その代わりに――丸山の批判をギリギリかわすように…――、次の形で現れるのだ。
 先ず、一瞬目に入った「青空」を眼前に太平を不意に襲う錯覚として(1)、そして彼女が置き去った「トランク」が彼に、少しばかりの罪意識と性的興奮をともなわせつつ働きかける想像のなかで(2)、さらには、彼女がかつて作った「幾つかの人形」として、その彼女に似ていると思いなされる人形たちを手がかりにした彼の「ゆとりの籠つた追想」において(3)彼女は淡く、しかし次々と呼び出されるだろう。強弱は違えど、どの彼女も彼に仕返しをしにやってくるようだ、しかしいずれも太平の「意識」のうちに…。
 たとえば、「そのときチラと見た沁みるやうな青空の中に、キミ子の真白な腕と脚を見たのであつた」…、「このトランクを返してやらうと太平は思つた。なぜなら、トランクを眺めて暮してゐる太平の姿を、キミ子の目が見てゐることを太平は感じるからだつた。キミ子がトランクを取りに来て、それが庄吉にとどけられてゐることを知つた時のキミ子の当て違ひを考へて、太平は満足を感じた。けれどもキミ子がそのために怒ることを考へると、不安と満足と対立するので苦しんだ」…、「庄吉は箪笥の戸棚から幾つかの人形をとりだしてきた。(中略)「みんなキミ子の作品だ」(中略)どこかしらキミ子に似てゐるやうに思はれた」…、「「好きなものを取りたまへ(中略)」/と庄吉がいつた。/けれども太平は人形を貰はずに戻つてきた。いとまを告げるまでは矢張り貰つて帰らうかと思ひ迷つてゐたのであるが、外へでるとその迷ひは消えてゐた。(中略)あの人形もずゐぶん奇妙な肉感に溢れてゐたが、そして、どこかしらキミ子に似てゐたが、と、太平はゆとりの籠つた追想に耽つた」…。
 こうして太平は彼女に赦しを乞うているのだろうか、それとも自らの意識を解きほぐし、回復をこころみているのだろうか。いずれにせよ、かつて「外套と青空」を男にもたらした女は、もう彼の前に現れることはないものの、彼女が残して行った足跡、削り落として行った断片を通してのみ男の知覚や意識に現れる、くり返し、無数に、切片化しながら。
 この限りで「死に得ぬ」ものとなったキミ子はしかし、男に「外套と青空」をもたらすことはない。それはただ「外套と青空」をめぐる追想におもむかせるばかりで、太平はいまだしも、キミ子がもたらしはした、とはいえいまは誰のものでもない「外套と青空」を、忘れられないでいる。「太平はゆとりの籠つた追想に耽つた。だが、冬の夜更けの外套と青空の下の情熱はさすがに見当らない。あの外套とあの青空がなければ――そしてその外套もその青空もすでに戻らぬことに思ひ至ると、鋭い痛苦が全身を砕き、太平はただ千丈の嘆息のみを知るのであつた」…。
 もちろん、「外套と青空」はいつだって「死に得ぬ」者らにさしせまるものとしてある。「外套と青空」執筆からわずか数ヵ月のち、安吾は日記の体裁をもたせた「戯作者文学論」(47年1月)のなかで、こんな告白をしている。「あの人の死んだ通知の印刷したハガキをもらつたとき、(中略)私はやるせなかつたが、爽かだつた。あなたの肉体が地上にないのだと考へて、青空のやうな、澄んだ思ひも、ありました。/私は今も亦、あなたの肉体を、苦しめ、汚し痛めてゐるのだ。私はあなたの肉体を汚さうと意図してゐるのではなく、いつも、あなたの肉体や肉慾を、何物よりも清らかなものに書くことができますように、ほんとうにさう神様に祈つてゐますが、書きはじめると、どうしても、汚くしてしまふ」(強調引用者)のだと。
 こうして安吾に呼びかけられているのは、いつまでも彼の恋しい女、矢田津世子にほかならないが、ここではまた、別の小説「女体」(46年9月)のヒロイン素子に津世子を「投影」しようと必死の結果、首尾よくいかず半ば断念することになる顛末が語られてもいた。
 しかしそれは半ば必然でもある。というのも、「戯作者文学論」ではさらに、「作中人物が本当に紙の上に生れて、自然に生活して行く」こと、これが「本当に生きた人間が生れ」た証拠だとも語られているところから、津世子と素子は素朴な「投影」関係ではなく、あくまでも別の人間関係になければならないわけである。
 だからこそ「亦」「亦」「亦」とくり返されるこの「今」は、「外套と青空」の「紙の上」の「今」でもあり、呼びかけられるこの「あなた」は「紙の上」の「チラと見た沁みるやうな青空の中」に「真白な腕と脚」を投げ出す「キミ子」でもあるだろう。
 彼女らは、この「今」において裁り結ばれている。作中の人間関係にどうしても自分の意中が投影してけっきょくのところ告白になってしまう、もとより嫌悪すべき告白なのにこれをどうすることもできないと言う安吾の手中にある「紙の上」の「今」において彼女らは裁り結ばれているのである。
 だから、津世子を追想しようとする「紙の上」の「今」は直ちに別の女を呼び寄せるほかなく、ひっきょう彼女ら恋しい人をとらえて可視化する「青空」はそれと同時に、彼女らを消し去ってもいるものなのだ。「青空」は恋しい人を包み隠す「外套」でもあるのである。だから最後に「そのときチラと見た沁みるやうな青空の中」にキミ子が消えてその物語の幕を結ぶ「外套と青空」――「青空」の「真白」な「紙の上」!――を手中にして読了した読者は、太平の「嘆息」に同情するまでもない。たった「今」、こんどはあなたが「外套」に、あの脱ぎ置かれた「外套」に抱きしめられたところなのである。冒頭で脱がれて現れた「外套」は、だから、恋物語の幕を裁って落とした「青空」でもあったのだ。
 だから注意しよう、たった今着衣した「外套」に包まれて新たな恋物語に憑かれはじめたあなたは、単にその「外套」に魅了されているわけではない。とはいえ、その「外套」の闇を引き裂き、着る前の脱いだときにほの見えた裸身の「青空」を無闇に知りたがっているわけでもあるまい。何をか言わず、ただ一息に「知つてゐたわ」と伝える女の言を挑発として聴き入れ――私は知っている、あなたこそ着衣する前の私の真実の姿を知っているはずだ!――、それに身を乗り出すべきではないのだ。
 彼女が伝えようとしたことは、あのとき男が白痴に示したアイコンタクトと同じ、瞬時に交わされる「外套と青空」の着脱であり、それを受けてかろうじて言葉にしたのが「知つてゐたわ」なのである。それ以上でも以下でもなく、そこにいるあなたが私に「思ひを寄せてゐる」のをあなたは知っていただろうし、私も知っていた、と。そう、しかしほんとうに、あなたは知っていただろうか?
(続く)