感情レヴュー

中沢忠之、『文学+』を刊行する「凡庸の会」同人

語り手とキャラクター タグとしての呼称

アーキテクチャとコンテンツにばかり注目が集まる中で、ジャンルの形式を精確に論じることができる論者はいまや数少ない。「早稲田文学増刊U30」で西尾維新のキャラクター造型について論じる伊藤亜紗は、その数少ないうちの一人で、いつも楽しく読んでいるのだけれど、今回もそこから何か言葉を継いで語りたくなるくらい楽しませてもらった。
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西尾維新のキャラクター造型の特異性に関しては、これまで多くの論者が議論してきたトピックである。伊藤亜紗「「露出」する登場人物たち 西尾維新の会話術」の議論もこの系譜に列なるものである。
伊藤によると、西尾維新のキャラクターは*1、物語世界から自立した存在として、それ自体で露出しているのだと言う。
しかも、キャラクターたちはいずれもバラバラに存在しているのだと。つまり、同じ時空を共有しながら相互に関係しているように見える複数のキャラクターたちは、実は同期しておらず、それぞれがバラバラに露出しているというわけだ。
以上をまとめると、西尾的キャラクターとは、第一に、物語世界から自立しており、第二に、相互に同期していないもののことを言う。それは、物語世界をメタレベルから管理する語り手の影響(語り手による語りの編集)を、西尾維新が限りなく低減させていることと連動している、というのが伊藤の見解である。
ところで僕は、小説の構造を、(1)ナレーション[=語り]、(2)プロットから成るフィクション[=物語世界]、(3)キャラクターの三相に分けて、(1)は純文学に、(2)はジャンル小説に、(3)はライトノベルに親和性があるという話をしたことがある。*2
伊藤の議論をこの図式に当てはめてみると、西尾は(1)と(2)から(3)を自立させて、(3)を基点にして小説を制作しているということができるだろう。事実、西尾はライトノベルに親和性が高い小説家であることは周知のことだ。斉藤環ほか、物語世界から自立した西尾的キャラクターの様相を、以前から指摘してきた論者も何人かいる。
ただ僕は、ここで伊藤亜紗の議論に一つ疑義を提示したい。伊藤によると、キャラクターたちが物語世界からバラバラに自立している様相は、「語り手による語りの編集」の磁場から解放されたからだ――語り手のキャラクターに関する非関与――と言う。そしてその根拠として、西尾維新の会話術=直接話法(カギ括弧内の会話編成)に注目し、西尾のキャラクターが会話するときは、相互に二人称で呼び合わず、固有名を執拗に使用することを特徴として指摘してみせるのである。どういうことか。
通常の小説のように、キャラクターたちが二人称でお互いを呼び合う会話の場合は、キャラクターが相互に関係する物語世界が臨場感をもって演出されることになるはずだ。その演出を可能にするのは語り(語り手)であり、このように物語世界と語り(語り手)の安定した二相構造はキャラクターの自立化を阻むだろう。
しかし、西尾維新のキャラクターは、会話の相手を固有名で呼ぶ。まるで目の前に相手(あなた)がいないかのように。それは、語り手がキャラクターの会話の場(物語世界)をうまく管理しえていないからにほかならない。逆に言えば、西尾作品においては、安定した二相構造に代わってキャラクター(固有名)が自立しているということだ。
しかし僕は、西尾維新のキャラクターの自立(露出)は、語りの低減の結果ではないと考える。むしろ語り手による語りの編集が遍在しているのであり、キャラクターの自立はそれと連動しているのではないか。
遍在する語り。カギ括弧の内部をも侵食し(キャラクターの会話を)媒介する形での語りの遍在だ。
よく考えてみれば、そもそも、キャラクターたちの関係性をいっさい考慮に入れずに、キャラクターを固有名で呼ぶことができるのは語り手のみである。実際また、西尾維新の小説では、カギ括弧に限らず、地の文にこそ固有名が頻繁に登場するのではなかったか。

そのとき、小屋の戸が開いた。/「七花」/と――小屋の中から、男に声がかけられる。/七花。/鑢七花。/それが、この男の名前だった。/「あなた、何をしているの――七花」/「あ……」/寝ぼけまなこを一転、七花は気まずそうに、ばつの悪そうな表情を浮かべる。目を逸らそうとして逸らしきれず、結果目が泳ぐことになる。悪戯を見つかった子供のような態度だった。無論七花はとてもではないがもう子供と呼べるような年齢ではないし、子供と呼べるような図体でもない。ましてこの場に限って言うならば、取り立てて悪戯をしていたというわけでもないのだが、しかし、小屋から出てきた相手――姉の七実を前にしてしまえば、いつだって子供のようなものである。/鑢七実。(『刀語 第一話』)

また伊藤亜紗は、西尾作品のキャラクターの会話が噛み合わないことにも注目し、それをキャラクターの非同期的な自立(露出)の例としてあげる。しかし、それもまた、語り手(による編集)の恣意性ゆえであると言えるだろう(埴谷雄高の『死霊』!)。
伊藤は、議論の最後で、西尾維新の語り手は、物語の進行役としてのMC的なポジションに縮減していると言うが、その比喩でいけば、むしろ遍在しながらキャラクター紹介と物語の進行役に徹していると言うべきではないか。


僕がライトノベルを読んで感じるのは、「早稲田文学3号」掲載論文「メタフィクション批判宣言」の注にも書いたけれど、物語世界の奥行きのなさである。物語世界を背景にしてキャラクターたちのやり取りを前景にした物語の遠近法(それをメタレベルから管理するのが虚焦点としての語り手)から解放されたライトノベルの純粋形態は、地の文の語尾が完了形ではなく現在形、会話が直接話法のみという形を取る。
回想のニュアンスが出る完了形(「た」止め)と、語り手の操作的介入を不可欠とする間接話法のペアは、語り手がメタレベルから物語世界を吊り支えるという、いわば遠近法的な構造(語り手と物語世界の安定した二相構造)が成立するだろう。
しかし、ライトノベルは現在形と直接話法にすることで、物語世界から奥行きを奪い、さらには深い内面を抱えたキャラクターの葛藤や対立といった人間劇の余地を切り縮め、(1)キャラクターのやり取りと(2)プロットの組み換えという要素を露呈させることになる。
しかしここで重要なのは、語り手(編集)は物語――(1)と(2)――から消失したわけではなく、遍在するようになったということだ。(1)と(2)の編集のために。
空間的な比喩で説明すれば(「遠近法」という言い方も空間的な比喩を使っているわけだが)、ライトノベルは、語り手が物語をメタレベルから吊り支えるという構造ではなく、それぞれ(語り・プロット・キャラクター)がレイヤーとして重なり繋がっている、という構造として作品世界を把握しているのだと言えよう*3
先に引用した、西尾維新の七花と七実のやり取りのパートもそうだったが、注目すべきは、会話と地の文、物語世界と語り手がシームレスに繋がっているという点である。会話と地の文が頻繁に「会話」することで有名な「涼宮」シリーズもまた、この二相がシームレスに繋がっているライトノベルの特徴を端的に物語っていると言える。

「言うの忘れてたわ」/机に頬杖をついたハルヒが言う。/「昼のうちにみんなには知らせといたんだけどね。あんたにはいつでも言えると思って」/どうして他の教室に出向くヒマがあるのに、同じ教室の前の席にいる俺に伝える手間を省くんだ。/「別にいいじゃないの。どうせ同じ事だし。問題はいつ何を聞いたかじゃなくて、いま何をするかなのよ」/言葉だけは立派のような気がしたが、ハルヒが何をしようとも俺の気分がすぐれなくなるのは周知の事実と言えよう。/「と言うより、これから何をするのか考えないといけないのよ!」/現在形なのか未来形なのかはっきりしてくれ。それから主語が一人称なのか、複数形なのかもついでにな。/「もちろん、あたしたち全員よ。これはSOS団の行事だから」/行事とは?/「さっきも言ったじゃないの。この時期で行事と言えば文化祭以外に何もないわ!」(『涼宮ハルヒの溜息谷川流*4


最後に、キャラクターが固有名で呼び合う西尾的会話術に戻る。伊藤亜紗が触れていなくて意外に重要なのは、呼びかけの固有名には、しばしば「さん」や「君」「先輩」「ちゃん」(呼び捨ても含まれる)といった関係性を示す(二人称性の強い)人称代名詞的な親称・敬称が付属する点である。
柄谷行人は、中上健次の『岬』から『枯木灘』への不可逆的な変容に関してこう述べたことがある*5。『岬』のキャラクターの呼び名は彼や彼女といった関係性(誰とでも互換性がある)を示す人称代名詞のみだったが、『枯木灘』では固有名が与えられる。ここにおいて中上のキャラクターは、関係性(去勢)をおり畳んだ固有性を獲得したのだと。
しかし僕がここで注目したいのは、このような成長物語的キャラクターの変容過程ではない。中上のキャラクターは他にも様々な種類が設定されている。なかでもとりわけ面白いのは、物語世界に内在しながら、(物語全体や作中の挿話などの)語り手をも担うキャラクターの存在である(語り手を担わない場合もある)。彼らはオバやオジ、アニという人称代名詞的な呼称で呼ばれるが、そこには必ずオリュウやトモといった固有名が付属する(たとえば『奇蹟』のオリュウノオバとトモノオジ)。
無論、僕はこれがキャラクター小説(ラノベ)のルーツだと言いたいのではない。そのような倒錯した見方は、現在自明なジャンルを過去にさかのぼって投影する欲望から成っており、あまり意味がない(近世の戯作だってラノベのルーツになる)。
中上が採用するこの固有名+人称代名詞的呼称は、物語運営の経済上の問題である。周知の通り、中上健次の一九八〇年代は、一作ごとに、物語の構造(キャラクターの関係性)が複雑になっていった。このように物語が複雑になることに対応してこの呼称が頻出しだすのである。
たとえば、オバ・オジ・アニをはじめ他の呼称による関係性のネットワークが多数多様化し、しだいに複雑になると(オバが無数にいるとか語りの回想構造が複雑になるとか)、関係性を示す呼称だけでは物語を運営しきれない。したがって、キャラクターの複雑なネットワークに対して、固有名がその留め金になるわけだ。いわば、関係性のタグ付けである*6
以上により、中上のこの種の呼称で呼ばれるキャラクターは、物語世界の関係性(人称代名詞)と語り手の編集(タグ付け)がおり畳まれている存在だと言えるだろう。彼らの呼称は、物語世界の個々の文脈(関係性)にしたがって、ときに二人称的であったり、三人称的であったり、固有名(タグ)であったりというように変容し続ける幽霊のような特異点なのである。
中上物語のメインストリームである、成長物語的キャラクターの変容過程(秋幸と龍造のファミリーロマンス)とは異なるキャラクターのフレームが、一つの可能性としてここにあるのである。

トモノオジはことさらオリュウノオバの言葉を無視する。オリュウノオバは路地の老婆としてからかいの言葉を投げかけなければ気がすまないように、「トモよ」と呼びかけ、威風堂々と深海を泳ぐクエのトモノオジが、まだ自分の腕に抱き上げた赤子と変わりないというように、「オバから見たら誰が先で誰が後じゃと言うの、ないど」と言う。/「ボケたんかよ?」トモノオジは訊く。オリュウノオバはトモノオジがからかいにひっかかったというようにほくそ笑む。/「おまえら取り上げたオバにしたら、十年二十年の後先、知らんわだ。トモが先かタイチが先か、忘れたど。祥月命日覚えとっても、後から後から湧いて出てくるんじゃのに、誰が後先か知らんわだ」/トモノオジは混乱する。「ボケたんかよ?」トモノオジは訊く。/「ボケとらせん」オリュウノオバは声をたてて笑う。/「何を笑うんな」トモノオジは水面の豆粒のようなオリュウノオバをにらむ。オリュウノオバが笑みを消し、真顔でクエのトモノオジを見つめるのを知ってトモノオジは絶望し、自分の周りが音立てて波立つのを感じ「オバよい」と呼びかける。/「オバ、菊之助の子がタイチじゃ。タイチ、菊之助の股の汁から出来たんじゃ。菊之助は俺の連の一人じゃったし、イバラの留もヒデもそうじゃ。俺ら三人、タイチを目にかけたんも、タイチが俺の股の汁であっても、イバラの留のもんであってもかまんと思っての事じゃさか。菊之助とタイチの後先、違えたら、どうするんな?」/「知らんわだ」オリュウノオバはなおからかうようにつぶやく。/「知らんて」トモノオジは絶句する。(『奇蹟』)

しかしいまや、とりわけライトノベルの世界では、キャラクターの関係性(物語世界)をゆるやかに束ねる(タグ付ける)語りの経済学さえ不要とされ、物語世界とシームレスに繋がる語り手は、恣意的にキャラクター(の関係性)と関わりを持ち、戯れるばかりなのである(戯言)。だから、西尾維新が採用する人称代名詞的な親称・敬称は、文脈に応じて変化するような代物ではなく、予め設定された、性的関係(兄妹など)や能力の力関係(先輩や君など)などのキャラクターの関係性のみを表す呼称(タグ)、という性格を持つことになるだろう。
中上健次においては、関係性を束ねる収束点(タグ)だった固有名は、西尾維新においては、恣意的な語りの戯れによって、逆に過剰に溢れかえることになった*7。このとき、関係性(人称代名詞的親称・敬称)こそが固有名の過剰さを束ねるタグとなるのである。
中上と西尾の、キャラクターに関わる営みはまったく逆だが、語り手の力(タグ付け・束ね・編集すること)を信じている点では同じなのである。
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皆様お久しぶりです。最近は、Twitterばかりにかまけていて、ブログの書き方を忘れかけていました。僕の基本は長文なので、今後も「感情レヴュー」をよろしくお願いします。本文にも書きましたが、「早稲田文学3号」に論文を寄せていますので、こちらもよろしく。

*1:伊藤亜紗は「登場人物」という概念を使用するが、ここでは基本的にキャラクターを使うことにする。

*2:http://d.hatena.ne.jp/sz9/20090613http://d.hatena.ne.jp/sz9/20090927など。

*3:メタフィクション批判宣言」で議論した鹿島田真希の語りの方法も、このような作品世界の把握に近い。

*4:西尾維新も、会話と地の文の関係をシームレスなものととらえ、テンポよく演出することはしばしばある。《「そうか。よかろう」/女が頷き、「では、はじ――」/め、と。/言うよりも先に、六人の――六本の木刀は振るわれた。将来の達人が振るう剣線六本、互いが互いに同士討ちになるような不細工は起こりえない。一片の容赦も含まれない剣が交差するように、それでいて同時に、男の全身に浴びせられる――/が。/「はあ――あ。ったく面倒だ」/男はそれでもなお、慌てた様子を見せない。『刀語』第一話》

*5:坂口安吾中上健次』「差異の産物」

*6:谷崎潤一郎細雪』の姉ちゃん・中姉ちゃん・雪姉ちゃんのヴァリエーションも同じである。谷崎もまた、重層的な物語運営の経済効率性に意識的だった作家で、たとえば『文章読本』で間接話法の経済性に注目を寄せたことがある。その代表作が『細雪』である。

*7:西尾作品のキャラクターの過剰さ、呼称・名付けの特異性についてはいまさら言うまでもない。無論、ここで西尾について説明したことは、他のライトノベル作家にも応用することができるだろう。

キャラクターについて考えてみる

ソフラマのid:K-AOI、aBreのid:segawa-y筑波批評id:sakstyleによる座談会UST「キャラクターについて考える」を聴きました(http://d.hatena.ne.jp/tsukubahihyou/20091204/1259945292)。とても楽しかったです。キャラクターについて考えるきっかけをいただきました。
キャラクターを理解する上で先ず挙げられるのは、大塚英志のキャラクター分析でしょう。彼のキャラクター理解は、単なる記号にこそ魂が宿る、という逆説に基づくものでした。「記号的身体を「死にゆく身体」として発見してしまった手塚は同時に、「成熟する身体」をも否応なく発見してしまったのは確かです」(『教養としての〈まんが・アニメ〉』2001年)。
僕くらいの世代だと、これは柄谷行人の『日本近代文学の起源』のマンガヴァージョンだなと誰しもが直感したものです。
柄谷によれば、近代文学が「内面の発見」を措定したのは、旧来の様式を削り取って単なる記号が露出したところでした。「「平凡人」(国木田独歩)とは無意味な人物である。が、このとき、どこにもある、ありふれた素顔が意味を帯びはじめたのだ」(『日本近代文学の起源』1980年)。価値形態論をベースにした否定神学的理解です。無価値な形式に神が宿る。つまり、大塚氏のキャラクター理解は、一方できわめて形式純化した物語形態論(たとえばグレマスの「行為者モデル」)を拠りどころにしながら、他方で超越化の志向(キャラクターの実存化)や歴史的解釈(キャラクター産業の「戦時下」の功罪等)を施すものでした。これはとても90年代的というか現代思想的なキャラクター理解といっていい。
これに対して、sakstyle氏が『網状言論F改』(2003年)を元にまとめた通り、東浩紀斉藤環のキャラクター理解が出てきます。周知の通り東氏は、データ(萌え要素)の集積・組み合わせとしてキャラクターをとらえました。東氏のキャラクター理解にとって重要なのは、キャラクターのフレームを物語のフレームとは別にある自立したものとして分析したところです(『動物化するポストモダン』2001年)。いわゆるデータベース消費ですね。
また、斎藤氏は、象徴的な価値形態(意味や価値)に還元できない特徴に、キャラクターの特性を見出しています。前回のエントリの言葉で言えばマナやハウのようなもの。具体的には、よつばの「猫目」やでじこの「にょ」ですね。ある一つの固有な特徴がありさえすれば(それは線や輪郭、声といった緩い標識でもいい)、キャラクターとして成立するというものです。
このキャラクター理解は、マンガやアニメの二次創作をはじめ、たとえば初音ミクソワカちゃんの多様なヴァリエーション展開(「〜してみた」)によって証明されているといっていいでしょう。ちなみに、これは、斉藤氏の『文脈病』(1998年)における「顔」の固有性論以来一貫した氏のスタンスを示すものです。
いずれにせよ、両者ともに一致しているのは、キャラクターのフレームは物語のフレームとは別にある自立したものという点ですね。そこが、キャラクターに物語を読み込む(物語の象徴体系にキャラクターを配置する)大塚氏と異なる点でもあります。
ニコニコ動画初音ミクやらキャラクターを動かす新しいフィールドが登場していますが、基本的にキャラクターの成立はこの3点の比重・濃度で決まってくると思います。以前描いた図式で言えば(http://d.hatena.ne.jp/sz9/20090927)、象徴界大塚英志の物語形態論的キャラクター、想像界東浩紀のデータベース的キャラクター、現実界斉藤環の固有名的キャラクター、という3点です。

レヴィ=ストロースの残したもの

今日は先日亡くなったレヴィ=ストロースから話をはじめる。彼のキャリアは人類学のフィールドを専門にしながら構造主義を先導したとして知られている。周知の通り構造主義は、社会を自律した構造(シニフィアンの束)としてとらえ、それを吊り支える審級をゼロ記号(浮遊する過剰なシニフィアン)と定式化した。その見取り図は、人類学のマナやハウ、タブーといった非人間的で聖的な概念から練り上げられたものであることは、『ホモ・サケル』のジョルジョ・アガンベンも指摘している通りである。ゼロ記号としてのマナは浮遊しながら社会を束ねる。もちろん、アガンベンが本著で分析した「サケル」という概念もこの審級の系譜に列なるものである。
この知見を、構造主義成立以前から最も見事に活用してみせたのは、フロイトの「トーテムとタブー」であり、それ以後の精神分析学だった。とくにラカン言語学の知見から引き出したシニフィアンの論理をベースにいくつかの注目すべき概念を提出したが、なかでも「対象a」なる概念はこの系譜にふさわしい特徴を担わされているといっていい。その特徴とは、一言で言えば、両義的――聖にして俗、欲望の対象にして欲望の動因、不可視にして可視化の基点、超越的でありながら抑圧されたもの等々――という点にある。
この審級を問題にすることは、主体の超越論的審級(もしくは主体の二重性)を問題にする実存哲学と相性がいいだろう。たとえばジャック・デリダはこの系譜に列なる思想家だが、彼の「エクリチュール」はこの審級をより精緻に理論化して掬い取ったものだということができる。デリダは、文字を音声の代理表象(コピー)でしかないとする西洋の伝統的な考え方(音声中心主義)を批判し、すでに音声のレベルにしてから何ものかの代理表象でしかないという議論を展開したのだった。彼にとっては、音声であれ文字であれ表現したものは何ものかの代位でしかない。しかもその代理表現は何ものかに忠実に成り変わることはできない。したがって、表現すれば必ずその何ものかの残余(原エクリチュール)が残り、それ(対象a?)に囚われるほかないということになる。
アガンベンの「ホモ・サケル」は、デリダが展開した議論の究極形態の一つだといえる。アガンベンはこの両義的な審級の根源性を呆れるほど執拗に問うていた。いずれにせよ、ポスト・デリダたちは、西洋近代社会の自明性に揺さぶりをかける意図があるという点で一貫している(社会が成立する不可視の条件を問い直し、その両義性を追求して脱構築せよ!)。
その一方で、ラカニアンのスラヴォイ・ジジェクが、否定神学のグローバリゼーションに乗っかるように、対象a的なものを、あらゆる政治・経済・文化事象に見出して使い尽くすという徹底した世俗化を試みている(コークも対象a)。むろんその世俗性は、シミも眼差しも乳房も糞便も「対象a」といった本家ラカンのうちにすでに孕まれていたものだったわけだが。
ジジェクはまた、政治的発言を強めた後期デリダを、ポストモダンの一つの典型的な徴候としてしばしば批判している。その要点は、表象不可能なもの(エクリチュール)と恣意的な解釈(脱構築)の許容の間で身動きが取れなくなっている、というものである。じっさいポストモダン思想は、表象不可能な審級の理論化を精緻に行ったが(日本では柄谷行人の他者理論)、それは恣意的な解釈の多様性を招くことになった。歴史に沈黙する真摯な態度(サバルタン)は、自由な解釈を弄ぶ享楽家ホロコーストはなかった)という裏の顔をもっていたのだった。いずれにせよ、この表象不可能な審級を「剥き出しの生」(ベンヤミン)という観点からとらえ直し、それをギリシア時代以来の「ホモ・サケル」の系譜に繋げたのがアガンベンの成果だったのである。
ホモ・サケル」とは、それを殺害しても罪に問われない非人間的・超法規的・聖的な存在でありながら(=殺害可能性)、殺したって疚しさも何も感じない(=犠牲化不可能)という、文字通り「剥き出しの生」(「生きるに値しない生」)である。アガンベンの「ホモ・サケル」理論は、いわゆる9・11以後の文脈において、前者の「殺害可能性」に注目を集めがちだが、後者の「犠牲化不可能性」という点こそが、ポスト・デリダの可能性の中心であるという仮説をここでは立てる。
アガンベンは、バタイユが聖なる「剥き出しの生」に着目した点はよいが、それを最終的に侵犯の論理――フロイトの「トーテムとタブー」・親殺し・ファミリーロマンス、殺害→疚しさ→犠牲として祭り上げ社会に奉仕――にからめとったところを批判している。アガンベンにとって「生」は、犠牲によって超越化(表象不可能なもの)されるべきものではなく、単なる「生」でなければならない。
そもそも人類学においては、マナやタブー等の概念には、殺害・侵犯の欲望とセットになった疚しさや同情といった人間的な感情とは縁が遠かったはずだ。原始的な民族共同体が、自分たちの生の営みを語り、円滑に運営・継承するために編み出されたのがマナやタブーである。彼らにとっては、今年の豊作は自分たちの努力や新技術の導入などではなく「マナのおかげ」であり、自分たちの共同体がうまくいっているのは実力者の手腕や良好な人間関係などではなく「タブーがある」からであった。これらの仕組みを人類学はトレースしようとしたのである。
構造主義人類学のレヴィ=ストロースが力説したのは、(フロイトが当時のタブラ・ラサとしての子供観を多形倒錯という観点から一変させたように)原始的な民族は知性がないと思われがちだが、実は彼らなりに知性を働かせており、マナやタブー・神話や伝承・特殊な分類法(トーテムなど)を導入しながら、一定のシステム体系を育んでいる、ということだった。そこでは、一定のシステム体系の運営・継承のためにのみそれらの技術が適用されるのである。だから当然、西洋のシステムで機能している知的技術を原始的な共同体にそのまま適用することは、レヴィ=ストロースにとっては批判の対象となる。

コンクリンがフィリピンのハヌノー族の色彩分類法を研究したとき、彼ははじめ、見かけの混乱と矛盾にすっかり当惑してしまった。ところがインフォーマントたちにばらばらの色彩見本で何色かを言わせることをやめ、対照的な色の組合せを作らせてその中の対立を規定させたところ、混乱と矛盾はたちまち消しとんでしまったのである。したがって一貫した体系はあるのだが、色相と明度の二軸を用いるわれわれ自身の体系の用語を使ったのでは、その体系が浮き出てこないのであった。ハヌノー族の体系にも二軸があるのだが、その規定のしかたが違っているのだということがわかると、疑問は完全に氷解した。(『野生の思考』66頁)

たとえばAという体系内では、味覚がよい点で食用とされている植物が、Bの体系では形状的に眼球に似ているという理由から目薬に使われたり、あるいは色彩やテクスチャーのレベルでは彫刻の美的な素材となったり、象徴価がくわえられ聖的な儀礼の対象(タブー)となったり、あるいは単に無視されたりするだろう。
それらは、科学的な認識(西洋近代の体系)においては「混乱と矛盾」を呼ぶものである。しかしそれを誤りであるといっても意味がない。また、別の解釈が成り立つといってみても無意味である。その一つ一つは、それぞれのシステム体系が成り立つためには意味があるからである*1
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レヴィ=ストロースデリダから批判を受けたことがあるが、接点はある。前述した通り、デリダは、音声と文字の二分法を批判し、音声(話し言葉)には文字的な要素(二分法には回収されない残余)が入り込んでいることを指摘した。デリダのこの脱構築的な営みからさらなる可能性を引き出したのは東浩紀である。彼によれば、デリダは、シンボリックな体系に収まる音声(意味)とイマジナリーな体系に収まる文字(図像)の重ね合わせとして人間の表現活動を定位しようとしたのである(http://www.hirokiazuma.com/texts/ecriture.html)。
レヴィ=ストロースが注目したのもそこ――イメージにすぎないものが言語の体系に支えられたものであり、言葉の並びがイメージとして受容される――だったのだ。たとえば、機能的には異なるものが、(視覚や聴覚のレベルで)似ているゆえに同一カテゴリーに括られること。相互に形状が似ているゆえに象徴的位置を与えられ、犠牲/儀礼の対象となること。科学的認識のもとでは相容れないカテゴリーが、有意味なユニットとして関係し合う様が見られるだろう。個々の共同体の意図にとっては、それらは矛盾するものではないからである。
ここからもわかる通り、レヴィ=ストロースは、システマチックに構造分析を行ったのではない。むしろ彼は、知的な文明と野蛮な原始共同体に分けて後者を切り捨てる既成の見方をシステマチックなものと見做し批判したのだった。彼は、知性と感性(経験)、体系と生活(プラグマティックな具体的運用)の間を柔軟に往還させる「野生の思考」に注目し、自身の方法として取り込んでいたのである*2
レヴィ=ストロースは、いくつもの共同体を分析・分類し、ときに構造的な同一性のもとに総合した。しかし、個々の共同体が用いる体系・規則のそもそもの意図を歪め、棄却することには慎重だった。この彼の態度は、今の私たちに、あの「剥き出しの生」に対する接し方を教えてくれているようだ。
デリダはかつて、原理的に抑圧されたものとして「剥き出しの生」と同じ審級にある「エクリチュール」を舞台に、脱構築――音声と文字の、知性と感性の、コンスタティヴとパフォーマティヴの等々――を実践してみせた。彼はこのとき、人間のもつ知性、物事を認識する力を存分に活かして、音声を文字としてとらえ、コンスタティヴなものをパフォーマティヴとしてとらえるという知性のサーカスを試みたのである。両項の両義性を徹底的に追求し、人々の認識を揺さぶり続けたのだ。そこでデリダを支えていたのは、物言わぬエクリチュールである。しかし彼はその犠牲に気付き、いつからか知性よりも政治と倫理に重心を移したが、その厳しさは自分を犠牲に差し出すほどの苛烈なものだった。
その点レヴィ=ストロースは気楽なものである。彼にとっては知性と感性は両義的なものではない。単に知性(規則・体系)は感性(経験)によってもたらされるにすぎない。むろん、コンスタティヴなものにパフォーマティヴな面(言語行為の暴力)を見出すという原理主義的な厳しさも、彼は持ち合わせていない。彼を支えているのは、「剥き出しの生」たちのプラグマティックな必要と趣味判断である(趣味と実用)。
ただしその必要と趣味の動機や原因は一切問わない。たいした詮索も解釈(AをBとしてとらえる)もしない。彼が愛したブリコルール(=「器用人」)もまた趣味人だからである*3
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デリダも死に、先日レヴィ=ストロースもついに死んだ。しかし今世紀の日本は、彼の残した断片を器用に継承する知性が現われている。むろんそれは「神話社会学」の福嶋亮大であり、彼がレヴィ=ストロースから取り出す「神話素」という概念を含め、アーキテクチャの議論を先導する濱野智史の「操作ログ」や「タグ」への着目は刺激に満ち溢れている。それらはかつて共同体を飛び交い、その成員の知性や感性(趣味と実用)を調律していたマナやハウやタブーを可視化し、使えるツールとして練成したもののようではないか。

*1:この観点から、東浩紀が最近試みているアーキテクチャ直接民主制導入の意義をとらえてみると面白い。詳しくはTwitterのつぶやきを参照(http://twitter.com/sz6)⇒すでに指摘があるけれど、最近の東浩紀周辺をにぎわすアーキテクチャ直接民主制の議論を、柄谷行人NAMとリンクさせるのは悪い試みではない。NAMの盛り上がりの頃も、ベンヤミン(暴力批判論とか)やシュミットが再考されてその流れで社会契約論の議論も出ていた(たしか王寺賢太が「読書人」かなにかで社会契約論について語っていて、新鮮に感じたものだ)。ただNAMという運動は、究極的には人間性を回復する疎外論的なグランドデザインがあった(素朴な疎外論に対する厳しい牽制はあったが)。柄谷がカントを持ち出し、手段にして目的的な主体の有様を考察し、それをマルクスに繋げ、人間主体を手段に追いやる資本の構造を転覆させるという議論。そのためには、労働・生産過程と流通・消費過程を同時に掌握し、それをセットアップした組合(アソシエーション)が資本に寄生し、その寄生的な個別運動が資本のグローバルな動き(ホスト)に取って代わる、という見取り図は、ある種の全体主義的な考察だった。政治のレベルでは、柄谷も直接民主制に注目するが、その具体的解法は、代表制を批判する形で編み出されたくじ引き民主制。これには、当時学生だった僕は目からウロコだった。いま思えば、代表制の原理的不可能性を露呈させることでアイロニカルに活かそうとする脱構築民主制みたいなもの。これに対し、東の直接民主制の議論で面白いのは、直接民主制への着目ではなくて、いっそのこと棲み分けしてしまえというところ。無論これはウェブ・アーキテクチャの普及が後支えしてるわけだけど、地域や関心系の数万単位で一定のレベルの政治的選択はまかなえるということ。その外部は問わない。無数の地域の束をまとめる司令塔(党)は不要というか不問。棲み分け行政単位が無数にあればいい。これはNAMでは地域通過のプログラムが試みようとしていたことと近い。色んな行政・地域・職域・関心系の通貨制度が網の目上に社会を覆いつくすという観点。すごいいい意味で言ってるんだけど、東浩紀は今おもいっきり愚か者に徹している。全体への配慮がなければ何もできないという重力からかえって何もできなくなった時代(全体性と不可能性のアイロニカルな一致)と比べてみると、彼の直接民主制の発言は爽快でさえある。

*2:前回のエントリで問題にした物語自動生成機械の面白くないところは、一定の体系・規則に従うのみで、この具体的運用の側面との往復運動がないところである。

*3:趣味人とは詩学者のことである。ところで、近代文学研究は、詩学と解釈学の対立というか二方向の流れがある。80から90年代までは解釈学の流れが強かった。記号論をベースに、カルスタやポストコロニアルフェミニズム精神分析等の理論の導入によって、テクストに新たな解釈の余地を見出すというのが流行(脱構築とかイメージ批判)。それが相対主義(解釈の恣意性)と表象不可能性という議論(これがロマン主義が登場する条件だが)にまで徹底し紛糾。代わって詩学的アプローチが復活。詩学というのは、ある表現なりその表現によってえられた感情・意味・解釈がどのような経緯(体系、規則、表現形式)で生み出されたかを分析するもの。獲得された感情なり意味なり解釈の真偽(あるいは政治性)や原因は問わない。以前はフォーマリズムをはじめ、ニュークリティシズムとか構造主義記号論がさしあたり詩学的アプローチを行っていた。むろんこの流れを作ったのは東浩紀の功績がでかい。今後は文学に限らずジャンルの問い直し等は必須になるだろう。アカデミズムもそろそろそのことに気付きはじめている。90年代以降の作品を、マルクス主義をルーツとする解釈学的アプローチで読み解くのは限界があるのをずっと無視してきたのだから。他方で詩学的アプローチが本質的だと考えるのも誤り。ただ、これを批判的に利用するというのはけっこう難儀。そのへんを考えなければ。以上、この注はTwitterのつぶやきをまとめたもの。

モダニズムの夢再び

僕が、短歌や物語の自動生成機械という発想に興味が湧かないのは、「第二芸術論」の二番煎じとか人間不要の夢など馬鹿げているとかそういうことではない。それがモダニズムのはかない夢だとしか思えないから。
モダニズムというのは、ジャンルの形式的なルールに対する覚醒であると同時に、そのまどろみに陥るもののことを言う。彼らはジャンル固有のルールを導き出し、おのれがその機械の一部になる夢を見た。絵画は平面性を、文学は言葉の純粋な形式性を、建築は機能性を、それぞれルールとして仮構し、それに殉じたのだった。
短歌や小説が、機械が書くようになったってかまいやしない。しかし、ジャンルのルール(条件)に無頓着な機械の書く小説は、読みたいとは思わない。
*1

*1:このエントリ関連で、Twitterのつぶやきをまとめました。以下どうぞ⇒最近話題になっている短歌自動生成エンジンhttp://1st.geocities.jp/sasakiarara/index.html。統辞(文法)と範列(単語・形態素の集合)の組み合わせで短歌を自動的に作り出すというもの。そこには、人の選択(単語やその組み合わせ)が介在する余地はない。こういう試みは面白いと思うけれど、刺激を受けるものではない。それは短歌的なものに依存し、継承するものでしかないから。他にも、物語のジェネレータとかハリウッド的(?)な構想を、批評的なスタンス(人間的・文学的なものの批判)から語る人がいる(『物語消滅論』『更新期の文学』の大塚英志氏とか円城塔http://d.hatena.ne.jp/min2-fly/20091001/1254417191)。しかし自動生成なるものが、物語の形態素の順列組み合わせとか、文体のテンプレだのエミュレータだのとか、キャラのデータベースとかいう発想のレベルならば、その方があまりにも文学的ではないか。実存を批判して文学を自動(機械)化させるという構想は、むしろ既成の人間観と文学的なものに依存しているように見える。

彼女が髪を切った理由――川上未映子『ヘヴン』

「だから、ぜんぶをぴしっと切っちゃうんじゃなくて、一部だけちょっと、ほんの少しだけ切るのが大事なんだって。君ちゃんと見た? 学校のだってぜんぶさきっちょしか切ってなかったでしょ? あれぜんぶ完璧におなじ長さなんだよ。大きくじゃきじゃき派手に切ったりして、それが使えなくなったりしたらそれはもうだめなの。その機能じたいに迷惑かけることが目的じゃないの」(『ヘヴン』32頁)

ヘヴン

ヘヴン

川上未映子の『ヘヴン』読みました。初出の「群像」(2009年8月号)が売り切れのため――もちろん『ヘヴン』効果――手に入らなくて不貞腐れていたのですが、単行本化のすえようやく手に入れたのでした。一読してとてもウェルメイドな作品だと思いました。というわけで総じて楽しく読んだわけですが、ただ納得できなかった部分もあるので書き留めておきます。川上未映子の読者は決して読まないでください(笑)。
最初に指摘しておくべきなのは、やはり、ナレーションが前作から劇的に変わったことでしょう。未映子節とも形容すべき大阪弁を駆使した独特の語り口が、今作ではきわめてオーソドックスな語り口に変化しています。この変化は、ナレーションを重んじる純文学的評価軸からすると、とても興味深いものだとは言えます。しかし、この変化の意味を掴むのは、彼女にとって初の長編小説となる今作一つだけでは無理があるように思います。
とにかく、今作単体に限定すれば、川上未映子は、作品作りの重心を、ナレーションから物語のプロットに移動させたということを確認しておきたい。デヴュー作以来、物語内容の要約が困難というか意味がないほどナレーションに特化していた彼女ですが、今作の要約はとても容易です。
その内容を要約すると、学生のいじめを題材にして、普遍的な善悪をテーマにした物語ということができるでしょう。本の帯には「善悪の根源を問う」とあります。ちなみに、ここ最近の純文学の傾向をみると、とくに長編の作品においては善悪がテーマになるケースがよくみられます*1。彼らが挙ってテーマにする善悪とはもちろん、ポスト・ニーチェ的なもの、つまり善悪の相対化および善悪の彼岸の志向という意味合いを持つものです。
ここであらためて問うてみます。彼女が髪を切った理由を。髪だけではない。髪や歯や目や乳や経血といった細部にフェティッシュなこだわりを見せていた作家が、こうもあられもなく語り口(文体)からフェティッシュな側面を削ぎ落とすことの代償はなかったのでしょうか。逆に言えば、削ぎ落とした結果、得るものはあったのでしょうか。
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普遍的な善悪という物語のテーマを明確に設定する以上は、当然、内言(脳内妄想)を軸にした話者のユニークな語り口はノイズになりやすいでしょう。善悪の判断が個人の解釈という形で許容されてしまいますから。ただ、町田康の『宿屋めぐり』のように、ユニークな話者を視点にして善悪のテーマに取り組むケースもありますが、それは解釈の恣意性――その行為が善か悪か、暴力的か否かを決めるのはしょせん主観にすぎない――という方向に善悪のテーマを流し込むほかありません。
しかし、川上未映子は、デヴュー以来、脳内妄想(内言)に自閉した主観性を実存的に問い、なおかついかに世界と関わるかを追及してきた作家です。ですから、主観(内言)の恣意性を暴露して満足できるはずがありません。そもそも、物語のテーマに普遍的な善悪という問題を選んだのも、世界との関わりを実存的に追及する上で最適なテーマだったからでしょう。
髪や歯や目や乳や経血といったフェティッシュな細部の位置付けも今作では健在ですが、前作から微妙な移動が見られます。前作までは、それらは、主観(私)と世界との関わりを問う上で欠かせない身体上の重要な契機だったわけです。今作でも確かに、斜視(目)や髪、不潔な身体といった部分がクローズアップされるし、それらはどれも世界との関わりを問う契機となっているのですが、しかしよりいっそう社会的なシンボルという性格を強めているのですね。つまり前作までは、フェティッシュな要素は自分にとっては意味のあるものでも、世界にとっては見向きもされないものでした(乳や生理など女性性のシンボルとなるものもありましたが、その社会性は積極的に問われていなかった)。しかし、今作では、むしろ自分よりも周囲がどう意味付けするかの方に関心が向けられており、いわば社会的にきわめてシンボリックな性格を担わされています。それは具体的に言うと、差別(いじめ)を受ける負の徴であると同時に、差別の連鎖とは別の聖なる繋がり(ヘヴン?)を求める契機にもなっている――『ヘヴン』ではこの両義的なシンボルを「しるし」と呼んでいます――という設定なのです。
こうした移動は、ナレーションからプロットに重点を移し、テーマを明確に設定したという環境の変化ゆえの、必然的なものだったということができるでしょう。要するに、川上未映子のフェティッシュなものは、ユニークなナレーションからプロットへと、宿るべきホストを変えたのだといっていいと思うのです。少なくとも『ヘヴン』においては。
ならば、今作には、物語の展開を支えるプロットにおいてユニークなもの・フェティッシュなこだわりがあるかどうかを問うてみる必要があるでしょう。結論から言えば、私はそれを見出すことができなかった。私が感じたのは、どうもこの小説は物語の展開がうまくいきすぎているということに尽きます。言い換えれば、フェティッシュなものを通して私と世界の関係(「わたくし率」)にあれだけこだわった人とは思えなかったということです。
その象徴が、いじめの被害者である主人公「僕」が、いじめる側の(陰のボス的存在)「百瀬」と対話するところに集約されていると私は思いました。実際この二人に対話させるかどうかは、作家自身、「僕」の鈍い足取りのように迷ったのではないでしょうか。
ここで「僕」はひるみながらも、百瀬に対して抵抗を示します。しかし、百瀬はそれに冷静に対応し、リバタリアン的な言説(世界はやったもの勝ちで、そこには善も悪もない)でもって「僕」を捩じ伏せるわけです*2
ところでこの小説は、その一方で、物語の冒頭から、「僕」と、もう一人クラスでいじめられている女の子「コジマ」とを対話させ続けています。つまり、物語の中盤において百瀬と対話するまでは、「僕」が言葉をかわすのは実質コジマとだけといっていいでしょう。そこでコジマは、「僕」に向かって、「弱さを受け入れたものこそが真の強者である」「いじめる側も気の毒だ」という受動性に徹した殉教者としての発言をくり返していました。
つまりこの小説で作家は、いじめる側=リバタリアン=百瀬と、いじめられる側=全てを受け入れる殉教者=コジマという図式を立て、その両極に主人公の「僕」を挟み込むという設定にしたわけです。
そしてさらに『ヘヴン』はこの関係の複雑さを徹底して見せてくれます。たとえば物語のラストでは、百瀬(リバタリアン)とコジマ(聖なる殉教者)の発言が、いじめられて朦朧としている「僕」の想像の中で重なり合い、相対化されるという見せ場を、内言を駆使して演出しています。ここで善悪は完全に相対化されるわけです。この後、「僕」のお母さんと医者の励ましによって導かれつつ大団円ということになるわけですが、つまりこういうことです。リバタリアンと殉教者、双方との議論によって善悪が相対化されつつ成長の一歩を踏むという展開が、あまりにも破綻がない印象を与えるのではないかということなのです。
リバタリアンと殉教者は善悪の彼岸にいるという意味で表裏の関係。しかしその両極は、それぞれ「僕」との対話の場を持ちつつ、最終的には「僕」という一人称の中に(消化不良のまま)消化されることになる。これがこの物語の基本的なプロットです。
しかし、よく考えてみると、リバタリアンというのは、自律した力を持つ絶対的な強者でも、善悪の彼岸にいるわけでもない。弱者に対して、自分の行為を正当化する弁明の一ヴァリエーションにすぎません。百瀬のようにいちいち議論をしてくれるし、その論理構造はどこまでも理論的(屁理屈)です。
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ところで、川上未映子は、インタヴューを受けた際に、『ヘヴン』は図らずも村上春樹の『1Q84』と似ているところがあると述べています(「小説で世界を介護する」聞き手・沼野充義、「群像」2009年10月号)。もちろんそれは、善悪というテーマと、それをめぐって二人の男女が翻弄されるという物語の展開でしょう。それに、いじめも宗教も同様に、善悪の彼岸をテーマにするうえでとっておきの題材ではないでしょうか。
しかしこの二作品を比べてみると、『1Q84』のあの教祖の方が善悪の彼岸にふさわしい設定だったということは言えると思います。この教祖は、復讐のために暗殺しに来た青豆に対して、君たちの善悪はオレにはよくわからないと、リテラル(大真面目)に言うわけです。彼にとって少女(近親)レイプは、やったもの勝ち(百瀬)なのではなく、神事でしかない。それは彼の世界観の中で完結している。
たとえば、読書メーター川上未映子の作品評を見てみてください(http://book.akahoshitakuya.com/s)。デヴュー作『わたくし率イン歯ー、または世界』と二作目『乳と卵』については、その語り口のユニークさに対する高い評価と嫌悪がそれぞれ見られます。他方で三作目の今作については、物語の展開に関する言及しかなく、その題材であるいじめの描かれ方についての感想が話題の中心です。『わたくし率』や『乳と卵』について「くだらない」「読みにくい」と一蹴するのは百瀬みたいなロジックですが、そもそもここには、ナレーションを軸にした物語世界とプロットを軸にした物語世界の、相容れない断絶が見て取れるのです。どちらが良い悪いではなく、単に棲み分けられているというわけですね。
むろん川上未映子村上春樹の世界観は異なるのでどちらが優れているかという話をしたいのではないのですが、少なくとも村上春樹は、他の作品を読んでみてもわかりますが、この手の問題(世界の解離・不干渉)のたちの悪さをよく知っている作家です*3
彼はこのようなたちの悪い世界を、形式面では、黙説法的ナレーションと解離するダブル・プロット、およびメトニミー的なレトリックによって物語に仕込んでいます。そのことは、このブログでも何度か述べました。この大枠は、彼が物語を通して世界にコミットメントしようが、そこからデタッチメントを決め込もうが、基本的に変わっていないといっていいでしょう。この点、村上春樹は一貫しています。
川上未映子の場合、デヴュー作から実存的な問いを、内言(フェティッシュなものへの両義的な思いで揺れる)を軸にして追求していました。それを純粋理性批判のフェーズと言うことができます。それに対して、実存を社会の極限状況(いじめ)において、善悪のテーマを追求するのが今作です。それを実践理性批判のフェーズと言いましょう。おそらくこの作家が、前者のフェーズから後者のフェーズに踏み出すのは時間の問題だったのかもしれません。主観の恣意性に満足せず、つねに世界との関わりにおいて実存的問いを行っていたのですから。
とにかく、この移動のために、川上未映子は、ユニークなナレーションを切断し、フェティッシュな詩的要素をシンボリックなプロットに還元したわけです。そしてプロットを軸にして描写や会話、内言のアンサンブルを配分するという作品作りを自分の使命にしたのではないでしょうか。とすると、この試みの成果は、善悪というテーマを支えるプロットにおいて、フェティッシュな詩的要素が活かされているかどうかにあるといっていいでしょう。
ふり返れば、「しるし」を背負った殉教者コジマを軸に、このフェティッシュな負の「しるし」を介した「僕」とコジマのモノローグ的な対話が展開される前半は、デヴュー作からの延長上にあったと言えます。それが後半、「しるし」を無意味なものとみなす百瀬との対話によって、社会的・立体的な広がりを持つようになったのでした。つまり、百瀬との対話がフェティッシュな詩的要素を物語のプロットにおいて機能させる展開へと開く、大きな要因になっているのです。
しかし私は、この展開は善悪のテーマを扱うにしては予定調和的な、いわば善悪の此岸にとどまるものだったと思います。それは、くり返せば、百瀬を「僕」との関係でどう処理するのかという問題であり、おそらくこのことには作家自身が気付いており、自分の処理の仕方に満足いっていない様子なのです。「百瀬のいっていることって[…]すごく少年っぽいといえば少年っぽい。[…]どちらかというとコジマのほうが一枚か二枚上手なんですね。」(同上)。
端的に言って、作家が言う通り、百瀬には、コジマと釣り合う魅力が欠けているのです。だからけっきょく、「僕」の「しるし」である斜視は、コジマとの関係でしか展開をみせない。つまり、「僕」にとって斜視はいじめられる原因だから治したいと思いつつ、コジマが好き(キミにとっての実存的な核だ)と言ってくれたから躊躇するのだけれど、最終的には、斜視があろうとなかろうと僕は僕だという自同律を理由にしてそのフェティッシュなこだわりを吹っ切るという、古典的な成長物語のプロットに収まっているのです。そこでは、いじめ(百瀬)は、どんなに陰惨でも、イニシエーションのための道具立てでしかありません。
それでは、なぜ百瀬に周囲を巻き込むような魅力がないかというと、彼が身に付けたリバタリアン的ロジックは「僕」の抵抗に対する受身の口実でしかなく、どこかで聞いたことのある話でしかないからです。もっというと、百瀬がリバタリアン的なロジックを駆使しようと、少年っぽい一面があろうと、それ自体が問題なのではありません。問題なのは、作品の中で独自のロジックなり世界観を持っていないということです。それに対してコジマは、『ヘヴン』(あるいは川上未映子作品)の中で完結した独自のロジック・世界観を持っています。そんな彼女と百瀬が釣り合うはずもないですし、だから「僕」の想像の中で二人が重なり合うラストも、帳尻合わせの感が拭えず、技巧的にうまい以上の感想をもてなかったのでした。
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とはいえ、百瀬の処理に関しては、私の印象(おそらくきわめて純文学的な読みに規定された)に支えられているところが大きい、ということは自覚しています*4。この百瀬との対話シーンが素晴らしいという人もたくさんいるでしょうし、そういう人たちと議論するとしたら、けっきょく水掛け論にしかならないでしょう。
なんだか否定的な評価ばかりしてしまいましたが、川上未映子ファンとしては十分満足いくものでした。デヴュー作以来彼女の作家性を保証しているのは、実存と世界の関係を問うフェティッシュなものであるわけですが、それが今作でも、別のフェーズとはいえ、活かされていたということです。むしろ別のフェーズへの移行――純粋理性批判から実践理性批判的なフェーズへ、ナレーションからプロットへ――は、それを手掛かり(コード変換の鍵)にして行われていたのです*5。この地点から『ヘヴン』を評価するなら、百瀬の処理の成否などはたいした問題ではありません。ナレーションがユニークでなくなったこともたいした問題ではない。
そう、彼女は髪を切り落としてなどいなかった。作家性(川上未映子の「しるし」)を損なわない程度に、というよりもそれを活かす角度で髪にハサミを入れること。その一連の作業は、「僕」と築き上げたコジマとのやり取り(交換日記と会話)に、確かに書き留められています。「僕」は最終的にはコジマと共有する「しるし」を治してしまい、コジマを失うことになりましたが、見えない形で「僕」の内に痕跡をとどめ、自分の「わたくし率」を調律するたびにそれはいつでも舞い戻ってくるでしょう。『ヘヴン』の次回作はそのためにあるはずです。
約束したはずなのに、けっきょく二人で見ることができなかった「ヘヴン」というタイトルの絵について、コジマは「僕」にこう語っていました。

「その絵はね、恋人たちが部屋でケーキを食べてる絵なのよ。赤い絨毯とテーブル、すごくすてきなんだよ。でね、そこにいる恋人たちは首をにゅーんとすきなだけ自由にのばすことができるから、どこにいてもなにをしてても、すぐにくっつくことができるふたりなの。便利でしょ」(57-8頁)

*1:仲俣暁生氏のブログ(http://d.hatena.ne.jp/solar/)にそのような指摘が以前あったはずですが、どのエントリか失念してしまいました。善悪をテーマにした作品の例は、町田康宿屋めぐり』、平野啓一郎『決壊』、舞城王太郎ディスコ探偵水曜日』、村上春樹1Q84』、桐野夏生東京島』など。

*2:ここでリバタリアンという政治用語を使うのに違和感を感じる方がいると思いますが、要は、「他人(弱者)には自己責任を押し付けつつ自由意志を標榜する言説」を、ここではとりあえずそう呼ぶことにします。

*3:そもそも、現代文学史上最重要作家となりながら、メディアに露出せず、批評は絶対読まないと公言し続ける彼自身が、良くも悪くもたちが悪いわけですが。

*4:これはもう完全に私の印象論ですけれど、そもそも、弱者には自己責任を押し付けつつ自由意志を肯定する人間から、弱者が本質的な影響(内言に侵食するほどの)を受けるとは思えません。影響といっても、何も出来ない僕がやっぱり悪いんだと弱者に思わせる形で捩じ伏せる程度の力ではないでしょうか。

*5:最近の純文学作家は、個性的な語り口とか文体といった抽象的な側面に作家性を担保しているのではないでしょう。語り口などたいした問題ではない。それを川上未映子は今作で明らかにしてくれたといっていいと思います。むしろこう考えるべきです。各作家は、物語を作成するために独自のジェネレータを採用していて、そのジェネレータがナレーション(語り口・視点)と連動したものである場合、作家性が際立つ純文学になる。キャラクターやプロットといった二次制作(共有財)に親和性がある要素と連動する場合、それぞれライトノベルジャンル小説になる、と。たとえば、諏訪哲史鹿島田真希は、固有の語り口や文体を持っているわけではありません。しかし彼らには、複数の作品を通じて独特の世界観を感じる。その要因は、各自採用するジェネレータ(このブログでは「調整弁」とか言っていたものですが)に潜んでいると言えます。舞城王太郎佐藤友哉金原ひとみ古川日出男ら語り口に特徴がある作家にも、同じことが言えると思います。これまでの川上未映子の場合、そのジェネレータを、実存と世界を問うフェティッシュなものととらえることができそうです。

続モダニズム以降の表現の可能性――竹内好と坂口安吾

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最近、竹内好論を書く必要があって再読している。読めば読むほど、安吾とロジックが似ていると改めて思うところがある。それについては以前、学位論文(『安吾戦争後史論 モダニズム以降の表現の可能性』2007年)でも書いたことがあるのだけれど、文学史上、具体的に二人の交渉や接点がなかったというのもにわかに信じがたいほど似ているのだ。
竹内と安吾は1930年代にキャリアを開始している。世代的には、いわば遅れてきたモダニストといっていい。30年代といえば、モダニズムマルクス主義の熱狂が少しずつ冷めてきた時代。それらに熱狂した人たちがもう一度自分の置かれた立場を再考しはじめる時代である。その渦中で、反動的な先祖帰りがあったり(旧世代の復活と私小説の再評価など)、半ば強制的に宗旨替えを余儀なくされた作家も出てくることになる(転向など)。竹内と安吾のスタートはこのような時代を背景にしていたのだった。
坂口安吾は、モダニスト作家・牧野信一を若い頃の師としていたが、牧野のモダニズム的側面に対しては否定的な評価を下していたし(「オモチャ箱」1947年)、またマルクス主義には(とくに戦後)辛口だった。中国文学研究者の竹内はといえば、マルクス主義には親和的な態度を示しつつ、一定程度距離をとり続けていた。
彼らはまた、30年代当時に萌芽をきざし、40年代に席捲することになるロマン主義的な性向に対しても、親和的でありながら距離をとっていた。たとえば、あらゆる混沌・矛盾を肯定するという安吾の「ファルス」はロマン主義の機会原因的な性向に近いといっていい(「FARCEに就て」1932年)。それに、「必要ならば、法隆寺をとりこわして停車場をつくるがいい」(「日本文化私観」1942年)という安吾の見得の切り方は、決断主義的な爽快感が感じられるだろう。周知の通り決断主義ロマン主義と表裏の関係にあるものである。しかし、安吾はこれらの性向を、かなりの嫌悪感をもってしばしば牽制することがあった(「風流」1951年など)。とくに小林秀雄をそのような観点から痛烈に批判しもしたのだが(「教祖の文学」1947年)、そもそも当の安吾がその親和圏にいたのである。
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1930‐40年代に議論されたテーマは多岐にわたるが、その可能性の中心はといえば、周知の通り「近代の超克」であった(平野謙−絓秀実の「昭和10年前後」「人民戦線」史観はその運動論的ヴァリエーションのひとつ)。その問題を凝縮して言えば、複数の体系(価値観)をいかに処理するかということである。
前時代のモダニズムマルクス主義は、既成の価値体系を批判することに使命があった。彼らは、抑圧された体系(労働過程、形式的側面)に注目し、それを既成の体系(商品生産と交換・流通による価値の形成、物語内容)に連絡させて新たな体系をもたらす(革命、新感覚)というような弁証法的ヴィジョンをもっていたのである。
しかしマルクス主義モダニズムが退潮した後に求められたのは弁証法の乗り越えであり、それは複数の(相容れない)価値体系をいかに処理するかという問題に還元できるものであった。つまり、同時存在できないAと非Aに対して、弁証法的・疎外論的な解法によらずに、いかに対応するかという問題である。たとえば横光利一は『旅愁』において、論理学の「排中律」を使って的確にその問題に応じようとしていた*1
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では、この問題にどのような解決策がとられたかというと、三つのタイプに集約されると考えられる。それについては以前述べたことがある(http://d.hatena.ne.jp/sz9/20070803)。
一つは、横光に代表される、弁証法的・疎外論的図式以前への逆戻り(非Aを媒介せずに単純なAの肯定)であった。ここには決断主義的性向も含まれる(行動主義文学)。弁証法的・疎外論的図式(Aか非A、Aよりも非A)はモダニズムマルクス主義が導入したものだが、彼らの多くは――半ばはやむなく――それ以前に退行したのである。
残りの二つは、まず川端康成――のちに日本浪曼派が徹底する――に代表されるイロニーの戦略である。それはAと非Aの同時否認(自己の無限否定、空虚な表現の肯定)である。それにくわえ、谷崎潤一郎に代表されるユーモアの戦略があり、それはAと非Aの同時肯定(表現の重層化)を志向するだろう。むろんこれらは相互に入り組んでおり、作家ごとに明確に割り振れるものではないのだが。
以上のタイプに対して、次の世代に当たる竹内と安吾は、それらにも与しながら微妙にスタンスを移動させている。結論から言えば、Aと非Aという関係(複数の価値体系)に対して、文脈と時間差(別の価値体系)を導入したのである。
戦間期の竹内は魯迅論執筆に傾注していたが、そこで提示された「掙扎」(「抵抗」などと意訳される)という概念は、彼の批評の方法を的確に表わしているといっていい。竹内にとって、「文学か政治か」だの「シナと呼ぶべきか中国と呼ぶべきか」だの「民主か独裁か」だのといったAと非Aの関係を問う問題は、それ自体ではさして重要ではなかった。特定の文脈(B)に置き換えればどちらかを否定し、どちらかに比重を移さざるをえないのであり、その批判的転換(「掙扎」)の局面を注視し続けることが重要なのである。

「革命時代の文学」は、革命が時代の風尚であった当時、文学が革命に対して有力であるという主張に反対することによって積極的な態度を呈示し得たのである。いま革命が混乱に陥った際、それでは何をなすべきか。文学無力説が単なる観念でない限り、言葉でない限り、つまり文学者としての立言の態度である限り、行為である限り、信念である限り、異った相手に同じ言葉で呼びかけることは許されぬ。政治に対して文学を無力と置いたのは、政治を絶対としての上である。政治を追廻す文学から自己を区別するためである。いま政治は混乱した。追廻す文学は逃亡した。逃亡した相手に昔の言葉を浴せることは、自身が観念を追廻すことになる。それは文学者の態度ではない。では何が文学者の態度か。政治に対して自己を否定する代りに、政治そのものを否定するより外にない。前に自己を否定したのは、相手を絶対としたからである。相手が相対に堕した今、自己否定は自己肯定に代らねばならぬ。無力な文学は、無力であることによって政治を批判せねばならぬ。「無用の用」が「有用」に変ぜねばならぬ。つまり、政治が文学に対して無力であることを云わねばならぬ。(『魯迅』1944年、講談社文芸文庫186-7頁)

竹内はこの脱構築的な「掙扎」ロジックによって、日本と西洋(近代)という対立項に「中国」を差し込んだのであり、政治と文学という「近代主義」的な――つまり「民族」の血塗られた歴史=戦争を忘却した上で成立している――論争に、「民族」を導入したのであった。
むろん、民主的なナショナリズムか独裁的なウルトラ・ナショナリズムかという問題に対しても、「ウルトラ・ナショナリズムを介さないナショナリズムはありえない」というユーモアな論点を提示しつつ、文脈ごとに比重を移動させたのも、竹内の「掙扎」ロジックゆえであった。この問題については、竹内の60年安保前後の仕事にスポットを当てて、以前論じたことがある(http://d.hatena.ne.jp/sz9/20081031)。
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ならば安吾はどうか。安吾も竹内のとったロジックと重ね合わせることができる。彼の批評と創作にとって重要な概念は周知の通り「必要」であろう。彼は美的センスさえも「必要」の観点から説明するほどこの概念にこだわっていた。「必要ならば、法隆寺をとりこわして停車場をつくるがいい」。
この主張はもちろん「日本文化私観」(1942年)の一節である。このエッセイには、モダニズム様式に通暁した建築家のブルーノ・タウトへの言及があることがよく知られている。ここで安吾は、タウトからモダニズムのパースペクティヴを借用し、日本の建造物(小菅刑務所など)を評価している。しかしこのエッセイのポイントはそこにはない。安吾モダニズムの美学(機能美)に対しては十全に肯定してはいなかった。ここでの安吾のポイントは、日本文化を評価するにあたって、タウトがそのような評価をする必要とする文脈があったように、安吾にもそれ相応に必要とする文脈があるということである。

タウトが日本を発見し、その伝統の美を発見したことと、我々が日本の伝統を見失いながら、しかも現に日本人であることとの間には、タウトが全然思いもよらぬ距りがあった。即ち、タウトは日本を発見しなければならなかったが、我々は日本を発見するまでもなく、現に日本人なのだ。我々は古代文化を見失っているかも知れぬが、日本を見失う筈はない。

ただしここで安吾が宣言したことは、モダニズム形式主義から歴史主義や文脈主義への移動というような簡単な話ではない(竹内や安吾はカルチュラル・スタディーズに好まれる傾向にあるが)。また、安吾はタウトに対して本当の日本を示したかったのでもない。その意味では安吾はあまりにもタウトに似すぎている。安吾にとって重要なのは、竹内の「掙扎」と同様に、必要とされた何かではなく、何かが必要とされる契機に注視することなのであった。
安吾の方法論をここで整理しておこう。彼は様々なジャンルを書き分けたことで知られているが、歴史記述もその一つである(『安吾新日本地理』『安吾新日本風土記』など)。安吾の歴史記述の特徴は、記紀神話など正史とされてきた歴史記述を批判し、相対化するところにある。その際に彼が試みるのは、テクストA(正史)にテクストB(偽史)を相対させ、それによってテクストAのバグを浮上させるというものだった。それは逆にまた、テクストAがテクストBを故意に改竄した(それによって自己を正史化する)コードを浮上させることになる。つまり安吾は、テクストAとB(非A)の間に別の文脈――抑圧された無意識――を導入することで、テクスト間の位置関係を修正することにつとめているのである。

史実を隠すために偽装を施されたものが記紀である、という考えが先立つことは有りうべからざることなのである。記紀を読み、また他の資料を読むうちにだんだん証拠が現れてきて、そうか、さてはこの事実を隠すために記紀はこんな風に偽装したのか、ということが現れてくる。[中略]記紀の場合には、私が数々の物的証拠をあげているでしょう。それらの物的証拠によってカラクリを証明しておりますから、それを否定するには更に有力な物的証拠によって反証をあげねばならぬ。(「歴史探偵方法論」1951年)

むろん安吾の場合、偽史こそが正史というような弁証法的発想は皆無だ。実際彼は、みずから正史と認めたテクストを、別のテクストとの関係では偽史的立場に位置付け直すという一見修正主義的な恣意性を披露することもあるのだが(たとえば安吾の複数の歴史記述を通してみると「蘇我氏」の位置付けは正史と偽史の間を揺れている)、むしろ彼の方法論は一貫しているとみるべきである。彼にとっては、正史と偽史(Aと非A)は相対的なものにすぎず、その時々の政治的力学や非合理な偶然性や物理的限界によって定位されるものであった。
安吾ミステリの名著『不連続殺人事件』(1947年8月-48年8月、以下『不連続』)も、歴史記述と同様のスタンスから書かれている。安吾には「歴史探偵方法論」というエッセイもあるくらいだ。『不連続』の見所は、そのタイトルにある通り、犯人が残した不連続な点の集積(A/非A)を名探偵が合理的に繋ぎ合わせるところにある。それが『不連続』の通常の読み方であろう。
しかしこの作品は、より注意深く読めば、名探偵の合理的な繋ぎ合わせ方(=解決の仕方)がきわめて非合理でもある面を提示することで成り立っているのである。つまり、ここで安吾が試みていることは、Aと非Aの配置の関係を円滑(連続的)にみせるトリックではなく(のみならずと言うべきか)、その配置を可能にしている別の審級(文脈)を示すことであった。
安吾は、ミステリに関するエッセイを何本か書いているが、そこで彼はミステリの謎掛けと謎解きの演出にとって重要なのは「合理的に意外」(「推理小説論」1950年)であることだとしばしば指摘している。事件の謎とその解決は読者にとって納得のいくものでなければならないが、その合理的解決は、「こんなことありえない」と突き放されるギリギリの手前で閉じられなければならないということ。
ミステリというジャンルが事件の謎とその解決(A⇒非A)のパッケージによって成立しているものだとすれば、安吾はそのジャンルの成立条件それ自体を問うていたのである。この作品のタイトルにある不連続線とは、ジャンルを横断するものとしても想定されていたのであった。
もちろん、以上のような『不連続』解釈は、ミステリというジャンル論としてみれば、大幅に逸脱したものである。『不連続』の秀逸な点としては、江戸川乱歩の「『不連続殺人事件』を評す」(1948年)以来、読者をも謎かけに巻き込む「叙述トリック」が挙げられることがしばしばある。また、戦時中に平野謙らと探偵小説の犯人当てゲームを盛んにやった安吾の推理眼が、やはり「叙述トリック」的な側面にばかり注がれていたという大井広介の証言などを考慮すると、犯人と探偵の謎かけ謎解きゲームはそれ自体で十全な合理性を形成しえず、その「外部」(作者と読者)が何らかの形で合理性形成に関与していることを、安吾は触知していたのだと理解できる*2
この「外部」をきょくりょく目に付かないように謎かけ謎解きゲームを構成することが(合理的たらんとする、いわゆる「本格」)ミステリには求められるわけだが、「叙述トリック」とは、まさにこの「外部」を利用したものである。ただし「叙述トリック」が基本的に目指すところは、「外部」の導入によってゲームの合理性を破綻させるというよりも、ゲームが合理的であることをより読者に印象付け、有無を言わせず納得させるというところにある(無論もとより合理性を目指さない「叙述トリック」の使用例はこの限りではないが)。少なくとも安吾がミステリの「叙述トリック」的な側面に関心を寄せたその理由は、このような性質にあると考えられる。ミステリというジャンル論として考えてみた場合、安吾の言う「合理的に意外」の具体的な一例は、おそらくこういった「叙述トリック」的な側面であったろう。
5
以上。要するに安吾は、Aと非A(たとえばタウトがもたらしたモダニズムの美学と日本の表象の関係、正史と偽史、犯人と探偵など)の交渉の痕跡があれば、その履歴をたぐり寄せ、その中からバグ(たとえばAの失策や非Aの抵抗)を探し出して、それをもとにコード(たとえばAが仕掛けた)を改編するという作業を行っているのである。
安吾キリシタン弾圧のために数ある拷問のうち「穴吊し」*3を採用した幕府当局を評価したのも、それが結果的に大きな成果を上げたからではない。既成のコードとは別のコードの必要にしたがったものだったからであった。
信長が鉄砲を自陣の戦力に採用したのを、安吾が評価したのも同じ理由からである。当時優勢だった武田軍が従来の鉄砲観――「鉄砲はタマ一発に限るというのが常識だった」(「真書太閤記」1954年)――に縛られていたのに対して、信長は当時の戦争の傾向(一騎撃ちから集団戦へ)を見据えつつ、鉄砲の潜在的能力を引き出して鉄砲観を一変し、それまでの武器・武術のコードを劇的に改めたのであった。
もちろん、穴吊しや信長は絶対ではない。だから安吾は、穴吊しや信長、武蔵など特別に評価する対象に対しても、それぞれ欠点や悲惨な末路についても等しく語っている。安吾が仕掛けたコード(私観)もまた、安吾の「必要」にしたがっているゆえ、別の文脈(必要)によってはバグが発見されるだろう。このような作業を、安吾は時事的エッセイや歴史記述、ミステリのみならず小説でもくり返し応用しているのである。
6
世界の調和が乱れて様々な価値体系が形成されている時代。そんな時代に対処するべく、いくつかの表現法が編み出されたのだった。イロニーの戦略やユーモアの戦略もそのうちの一つである。
しかし、竹内や安吾にとってこれらの戦略は、表現する主体の責任(実存的契機)を放棄している点で我慢ならなかったはずだ。イロニーもユーモアも、複数の価値体系を見込んで自身の表現に複雑に折り畳みはする。その営為は認めてもよい。しかし彼らはけっきょく、その表現がどのように伝わり効果を発するか(Aと非Aの決着)を、受け手に委ねているところがある。そのスタンスはあまりにもロマン主義的ではないか。そのような性向に対して、安吾と竹内(そしておそらく彼らと同世代の花田清輝)が試みたのは、別の文脈を導入することで、Aと非Aの関係の決着を、自身の表現のうちにもしっかりと折り込むことだったのだ。彼らはその決着を「掙扎」と呼び、「必要」と呼び、「総合」(花田)と呼んだのである。
戦間期と戦後まもない時期に盛んに議論された「政治と文学」論争の渦中において、周囲の言説からはまったくかけ離れて、奇しくも彼らは同じような言葉を組織していた。それは、政治と文学の、相反するものでありながら切っても切れない関係を論じるものである。かほどに彼らは文学における政治性について注意深く言葉を組織したのである。むろんそれは、文学の政治的利用(プロパガンダなど)や文学表現における政治的表象(PCなど)とは異なる次元の政治だ。
しかし、彼らの超越論的な文脈操作は、マイナー・ポリティクスやPC的な立場性を重んじる人々からは、そのアナーキーなフットワークのよさを恣意的なものとして批判される側面があるだろう(戦争責任論における吉本隆明の花田への批判など*4)。
他方で、彼らの言説は、モダンで保守的なものとして認識されるケースも多々ある。民族にこだわった竹内も、機能性を重視した安吾も、アヴァンギャルド運動を先導した花田も、局面ごとに文脈を読みつつ決断を下したからだ。そしてそのときどきの決断に満足せず、たえざる自己否定をくり返したからだ。
しかし彼らは、単にアナーキーなのでも、モダンなのでもない。彼らを、モダンだのポストモダンだのとイデオロギーで裁断するのではなく、コード変換の運動体としてとらえるべきではないか。既成のコードをスキャンしつつ、そこからバグ(コードの限界)を見つけ出し、それを基点にコードを改変すること。彼らはこの一連の動作を内蔵させた運動体であった。それに対して無責任だとか、モダンな主体性の限界だなどと批判する必要があるだろうか。
彼らにとって重要なのは、Aの無意識として非Aを見出し、その解釈ゲームに明け暮れることではない。またAと非Aを無秩序に並べることでもない。むしろ、既成のコード(Aと非Aの関係)から――Aの無意識として見出した非Aをもとに――別のコードへと改変するその橋渡しが、彼らの作業の眼目なのである。コード間を横断して不連続線を引き、コードを書き換えること。
もう一度ふり返ってみよう。安吾は信長のどこに惚れたのか。信長が必勝のために、つまり自分の必要のために鉄砲の新たな活用法を編み出したところだろうか。そうではない。信長の必勝体勢を呼び込んだ先見の明は、既成の武器コードから鉄砲の「必要」――オレを馬や弓矢と一緒にするな!――を引き出し、それにしたがったがゆえである。安吾はそこに惚れ込んだのだ。
そう、信長は一人当たり鉄砲一丁という既成の武器コードに当てはめた鉄砲観――撃ち終えた後の弾込めに時間がかかり、その間に攻撃されてしまうから鉄砲の使用は制限される――を疑ったのだった。そこに非合理なバグを見出したのである。そしてそれをもとに信長は、鉄砲を持つ人間を三列に配置して、連射式の鉄砲を編み出したのであった。

即ち鉄砲組みを三段に構えるのである。第一列目がまず発射する。次に第二列目が次に第三列目が発射して、第三列目の発射が終った時には第一列目のタマごめが完了しているという方法であった。(「真書太閤記」)

この発明は、新式の武器を導入したのでも、鉄砲を改造したものでもない。そもそも改造されていたのは、人間の方だったのである。そこにいるのは武器を自由に操る人間ではない。発射・弾込め・待ちの順に、縦列を組んで回転し続ける連射式鉄砲が、信長=安吾の思い描く人間なのである。そう、ちっぽけな人間たちが局面ごとにそれぞれの必要を求めて生きている光景を、安吾は切なく思い愛したのだ。

日本国民諸君、私は諸君に日本人、及び日本自体の堕落を叫ぶ。日本及び日本人は堕落しなければならぬと叫ぶ。[しかし]人は無限に堕ちきれるほど堅牢な精神にめぐまれてゐない。何物かカラクリにたよつて落下をくひとめずにゐられなくなるであらう。そのカラクリを、つくり、そのカラクリをくづし、そして人間はすすむ。堕落は制度の母胎であり、そのせつない人間の実相を我々は先づ最もきびしく見つめることが必要なだけだ。[…]文学は常に制度の、又、政治への反逆であり、人間の制度に対する復讐であり、しかして、その反逆と復讐によつて政治に協力してゐるのだ。反逆自体が協力なのだ。愛情なのだ。これは文学の宿命であり、文学と政治との絶対不変の関係なのである。「続堕落論」(1946年)

*1:形式主義文学論争からキャリアをはじめ、エンターテインメント系文学を吸収しつつ「純粋小説論」を経て、最終的に民族主義文学にいたる横光の歩みは、文学で現在何が問題になっているのかを正確に嗅ぎ取る嗅覚に優れていたことを示している。

*2:本作は、読者向けの謎解き・犯人当ての懸賞も共催していた。安吾はそれをひどく喜んでいた。

*3:安吾によれば、弾圧当初の拷問は、あの手この手にドラマチックな効果を狙ったものばかりだったと言う。だから、死ぬ方は死ぬ方で悲劇的に死ねるし、ゆえに、それを見る見物人や拷問執行人にまで感動を与え、キリスト教へ改心させてしまうことがしばしばあった。ドラマチックな数々の拷問は、壮絶な死を演出する、いわゆる「死の荘厳」をもたらすために、キリスト教信仰の戒めにとってはかえって逆効果だったのだ。しかし、「穴吊し」の発明に至ってあえなく功を奏することになる。というのも、それにかかれば、「実につまらなく死ぬので、見物人もバカバカしくなるのだという。この穴吊しの発明いらい、急速に信者が減った」(「発明の拷問」1953年)。

*4:安吾といえば柄谷ということで、文脈は別だが、フェミニズムジェンダー問題における、上野千鶴子柄谷行人への批判を思い出してもよい(「批評空間」第2期3号、1994年、「特集=日本文化とジェンダー

文学とは何か

Twitterでのつぶやきをまとめたもの。
PART1
純文学=高尚・芸術的、エンターテインメント系文学=エンターテインメント・市場原理という対立はしばしば議論されてきた(文学の大衆化が登場した大正以降)→水掛け論に終始。

そのような文学観は誤り。⇒ジャンルごとに別々のルールがある。Ex:ケータイ小説はすでに10年近い歴史を持ち、純文学とは別のメディアを介して別のルールで機能するジャンルだ。純文学のルールで批判しても意味がない。

「純文学は文化的だからエンタメ系文学とは異なる」という発想(文学価値の内在説)は倒錯している。特定のジャンル(純文学)は、(a)隣接するジャンルのルールとの関係、(b)同一ジャンル内の既成のルールとの関係、この二つの関係から差異化をはかり、ジャンルのルールを形成してきた(文化的パッケージを施す等)。

Ex:全日やみちのくプロレスのショウアップされた格闘技に対して、総合格闘技よりも幼稚だという格闘技ファンはいない。別々のルールで動いているからだ。同様に、純文学のルールでケータイ小説ラノベを批判するのは水掛け論にしかならないということを認識せよ。

誤った文学観を避けるために、要素分解して文学のルールを理解する必要がある。文学のカテゴリーには、純文学とエンターテインメント系文学がある。さらにエンタメ系文学は、ライトノベルジャンル小説のサブカテゴリーに分けられる。

上位の構成要素として、純文学にはナレーション(語り+視点)、ライトノベルにはキャラクター、ジャンル小説(SFやミステリ)にはプロットが割り振られる。各ジャンルは、上位の構成要素を基点にして物語が作成される。キャラクターに魅力がないラノベが考えられないように、プロットの構成を考慮しないジャンル小説、たとえばミステリ的プロット(密室など)のないジャンル小説は考えにくい。それらと同様に、純文学にとってナレーションは重要な構成要素である。

さらに下位の構成要素には、描写・内言・会話がある。純文学は描写と内言、ラノベは内言と会話、ジャンル小説は会話と描写に親和性がある。
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PART2
第一仮説:純文学=ナレーション=現実界的、ライトノベル=キャラクター=想像界的、ジャンル小説=プロット=象徴界的。*便宜上ラカンの用語を使うが、別の用語でも可能。以下、この仮説を証明する。

純文学はしばしばナレーションの観点から「視点」(語りの人称や焦点化)が問題になる。ナラティヴ論しかり。古くは、横光利一の「第四人称」や坂口安吾の「無形の説話者」といった概念が提示されている。それらを「超越論的統覚」として議論する評者もいる。このように、物語(戦前では自意識の問題)を統括する位相は現実界的審級と言える。また、それ自体で消費(欲望)の対象となるキャラクターは想像界的であり、A/−A(物語の分岐点)の選択の束に抽象化されるプロットは象徴界的である。

第二仮説:しかしその区分は相対的なものにすぎない。たとえばキャラクターは、不気味なもの(消費の欲望を逃れるもの)としてとらえる評者もおり、そうなると現実界的。善/悪、父/母/子供等でキャラクターの関係を抽象化すれば象徴界的になる。

ケータイ小説のように、脊髄反射的なプロットを欲望のフラグとして恣意的に散りばめれば、プロットは想像界的。複数のプロットの分岐を矛盾するように絡ませたり(Ex舞城王太郎九十九十九』)、叙述トリックのようにナレーションの審級の影響を受ける場合、現実界的になる。

ナレーションは、語り口にアディクトさせるよう演出すれば想像界的消費が可能(Ex方言の語り=川上未映子町田康の河内弁、個性的な語り=太宰治佐藤友哉の自意識過剰な語り口)。その一方で、対象を正確に映し出すリアリズムの語り手はもちろん象徴界的となる。

最近は、ナレーションもキャラクターもプロットも想像界および現実界的利用が注目を集めている。たとえば舞城王太郎川上未映子のような個性的な語り口を駆使する作家、福永信青木淳吾、磯崎憲一郎のような、物語から解離させたナレーションを駆使する作家は、純文学がいかにナレーションを重視し、活用してきたかの証左である。