感情レヴュー

中沢忠之、『文学+』を刊行する「凡庸の会」同人

レヴィ=ストロースの残したもの

今日は先日亡くなったレヴィ=ストロースから話をはじめる。彼のキャリアは人類学のフィールドを専門にしながら構造主義を先導したとして知られている。周知の通り構造主義は、社会を自律した構造(シニフィアンの束)としてとらえ、それを吊り支える審級をゼロ記号(浮遊する過剰なシニフィアン)と定式化した。その見取り図は、人類学のマナやハウ、タブーといった非人間的で聖的な概念から練り上げられたものであることは、『ホモ・サケル』のジョルジョ・アガンベンも指摘している通りである。ゼロ記号としてのマナは浮遊しながら社会を束ねる。もちろん、アガンベンが本著で分析した「サケル」という概念もこの審級の系譜に列なるものである。
この知見を、構造主義成立以前から最も見事に活用してみせたのは、フロイトの「トーテムとタブー」であり、それ以後の精神分析学だった。とくにラカン言語学の知見から引き出したシニフィアンの論理をベースにいくつかの注目すべき概念を提出したが、なかでも「対象a」なる概念はこの系譜にふさわしい特徴を担わされているといっていい。その特徴とは、一言で言えば、両義的――聖にして俗、欲望の対象にして欲望の動因、不可視にして可視化の基点、超越的でありながら抑圧されたもの等々――という点にある。
この審級を問題にすることは、主体の超越論的審級(もしくは主体の二重性)を問題にする実存哲学と相性がいいだろう。たとえばジャック・デリダはこの系譜に列なる思想家だが、彼の「エクリチュール」はこの審級をより精緻に理論化して掬い取ったものだということができる。デリダは、文字を音声の代理表象(コピー)でしかないとする西洋の伝統的な考え方(音声中心主義)を批判し、すでに音声のレベルにしてから何ものかの代理表象でしかないという議論を展開したのだった。彼にとっては、音声であれ文字であれ表現したものは何ものかの代位でしかない。しかもその代理表現は何ものかに忠実に成り変わることはできない。したがって、表現すれば必ずその何ものかの残余(原エクリチュール)が残り、それ(対象a?)に囚われるほかないということになる。
アガンベンの「ホモ・サケル」は、デリダが展開した議論の究極形態の一つだといえる。アガンベンはこの両義的な審級の根源性を呆れるほど執拗に問うていた。いずれにせよ、ポスト・デリダたちは、西洋近代社会の自明性に揺さぶりをかける意図があるという点で一貫している(社会が成立する不可視の条件を問い直し、その両義性を追求して脱構築せよ!)。
その一方で、ラカニアンのスラヴォイ・ジジェクが、否定神学のグローバリゼーションに乗っかるように、対象a的なものを、あらゆる政治・経済・文化事象に見出して使い尽くすという徹底した世俗化を試みている(コークも対象a)。むろんその世俗性は、シミも眼差しも乳房も糞便も「対象a」といった本家ラカンのうちにすでに孕まれていたものだったわけだが。
ジジェクはまた、政治的発言を強めた後期デリダを、ポストモダンの一つの典型的な徴候としてしばしば批判している。その要点は、表象不可能なもの(エクリチュール)と恣意的な解釈(脱構築)の許容の間で身動きが取れなくなっている、というものである。じっさいポストモダン思想は、表象不可能な審級の理論化を精緻に行ったが(日本では柄谷行人の他者理論)、それは恣意的な解釈の多様性を招くことになった。歴史に沈黙する真摯な態度(サバルタン)は、自由な解釈を弄ぶ享楽家ホロコーストはなかった)という裏の顔をもっていたのだった。いずれにせよ、この表象不可能な審級を「剥き出しの生」(ベンヤミン)という観点からとらえ直し、それをギリシア時代以来の「ホモ・サケル」の系譜に繋げたのがアガンベンの成果だったのである。
ホモ・サケル」とは、それを殺害しても罪に問われない非人間的・超法規的・聖的な存在でありながら(=殺害可能性)、殺したって疚しさも何も感じない(=犠牲化不可能)という、文字通り「剥き出しの生」(「生きるに値しない生」)である。アガンベンの「ホモ・サケル」理論は、いわゆる9・11以後の文脈において、前者の「殺害可能性」に注目を集めがちだが、後者の「犠牲化不可能性」という点こそが、ポスト・デリダの可能性の中心であるという仮説をここでは立てる。
アガンベンは、バタイユが聖なる「剥き出しの生」に着目した点はよいが、それを最終的に侵犯の論理――フロイトの「トーテムとタブー」・親殺し・ファミリーロマンス、殺害→疚しさ→犠牲として祭り上げ社会に奉仕――にからめとったところを批判している。アガンベンにとって「生」は、犠牲によって超越化(表象不可能なもの)されるべきものではなく、単なる「生」でなければならない。
そもそも人類学においては、マナやタブー等の概念には、殺害・侵犯の欲望とセットになった疚しさや同情といった人間的な感情とは縁が遠かったはずだ。原始的な民族共同体が、自分たちの生の営みを語り、円滑に運営・継承するために編み出されたのがマナやタブーである。彼らにとっては、今年の豊作は自分たちの努力や新技術の導入などではなく「マナのおかげ」であり、自分たちの共同体がうまくいっているのは実力者の手腕や良好な人間関係などではなく「タブーがある」からであった。これらの仕組みを人類学はトレースしようとしたのである。
構造主義人類学のレヴィ=ストロースが力説したのは、(フロイトが当時のタブラ・ラサとしての子供観を多形倒錯という観点から一変させたように)原始的な民族は知性がないと思われがちだが、実は彼らなりに知性を働かせており、マナやタブー・神話や伝承・特殊な分類法(トーテムなど)を導入しながら、一定のシステム体系を育んでいる、ということだった。そこでは、一定のシステム体系の運営・継承のためにのみそれらの技術が適用されるのである。だから当然、西洋のシステムで機能している知的技術を原始的な共同体にそのまま適用することは、レヴィ=ストロースにとっては批判の対象となる。

コンクリンがフィリピンのハヌノー族の色彩分類法を研究したとき、彼ははじめ、見かけの混乱と矛盾にすっかり当惑してしまった。ところがインフォーマントたちにばらばらの色彩見本で何色かを言わせることをやめ、対照的な色の組合せを作らせてその中の対立を規定させたところ、混乱と矛盾はたちまち消しとんでしまったのである。したがって一貫した体系はあるのだが、色相と明度の二軸を用いるわれわれ自身の体系の用語を使ったのでは、その体系が浮き出てこないのであった。ハヌノー族の体系にも二軸があるのだが、その規定のしかたが違っているのだということがわかると、疑問は完全に氷解した。(『野生の思考』66頁)

たとえばAという体系内では、味覚がよい点で食用とされている植物が、Bの体系では形状的に眼球に似ているという理由から目薬に使われたり、あるいは色彩やテクスチャーのレベルでは彫刻の美的な素材となったり、象徴価がくわえられ聖的な儀礼の対象(タブー)となったり、あるいは単に無視されたりするだろう。
それらは、科学的な認識(西洋近代の体系)においては「混乱と矛盾」を呼ぶものである。しかしそれを誤りであるといっても意味がない。また、別の解釈が成り立つといってみても無意味である。その一つ一つは、それぞれのシステム体系が成り立つためには意味があるからである*1
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レヴィ=ストロースデリダから批判を受けたことがあるが、接点はある。前述した通り、デリダは、音声と文字の二分法を批判し、音声(話し言葉)には文字的な要素(二分法には回収されない残余)が入り込んでいることを指摘した。デリダのこの脱構築的な営みからさらなる可能性を引き出したのは東浩紀である。彼によれば、デリダは、シンボリックな体系に収まる音声(意味)とイマジナリーな体系に収まる文字(図像)の重ね合わせとして人間の表現活動を定位しようとしたのである(http://www.hirokiazuma.com/texts/ecriture.html)。
レヴィ=ストロースが注目したのもそこ――イメージにすぎないものが言語の体系に支えられたものであり、言葉の並びがイメージとして受容される――だったのだ。たとえば、機能的には異なるものが、(視覚や聴覚のレベルで)似ているゆえに同一カテゴリーに括られること。相互に形状が似ているゆえに象徴的位置を与えられ、犠牲/儀礼の対象となること。科学的認識のもとでは相容れないカテゴリーが、有意味なユニットとして関係し合う様が見られるだろう。個々の共同体の意図にとっては、それらは矛盾するものではないからである。
ここからもわかる通り、レヴィ=ストロースは、システマチックに構造分析を行ったのではない。むしろ彼は、知的な文明と野蛮な原始共同体に分けて後者を切り捨てる既成の見方をシステマチックなものと見做し批判したのだった。彼は、知性と感性(経験)、体系と生活(プラグマティックな具体的運用)の間を柔軟に往還させる「野生の思考」に注目し、自身の方法として取り込んでいたのである*2
レヴィ=ストロースは、いくつもの共同体を分析・分類し、ときに構造的な同一性のもとに総合した。しかし、個々の共同体が用いる体系・規則のそもそもの意図を歪め、棄却することには慎重だった。この彼の態度は、今の私たちに、あの「剥き出しの生」に対する接し方を教えてくれているようだ。
デリダはかつて、原理的に抑圧されたものとして「剥き出しの生」と同じ審級にある「エクリチュール」を舞台に、脱構築――音声と文字の、知性と感性の、コンスタティヴとパフォーマティヴの等々――を実践してみせた。彼はこのとき、人間のもつ知性、物事を認識する力を存分に活かして、音声を文字としてとらえ、コンスタティヴなものをパフォーマティヴとしてとらえるという知性のサーカスを試みたのである。両項の両義性を徹底的に追求し、人々の認識を揺さぶり続けたのだ。そこでデリダを支えていたのは、物言わぬエクリチュールである。しかし彼はその犠牲に気付き、いつからか知性よりも政治と倫理に重心を移したが、その厳しさは自分を犠牲に差し出すほどの苛烈なものだった。
その点レヴィ=ストロースは気楽なものである。彼にとっては知性と感性は両義的なものではない。単に知性(規則・体系)は感性(経験)によってもたらされるにすぎない。むろん、コンスタティヴなものにパフォーマティヴな面(言語行為の暴力)を見出すという原理主義的な厳しさも、彼は持ち合わせていない。彼を支えているのは、「剥き出しの生」たちのプラグマティックな必要と趣味判断である(趣味と実用)。
ただしその必要と趣味の動機や原因は一切問わない。たいした詮索も解釈(AをBとしてとらえる)もしない。彼が愛したブリコルール(=「器用人」)もまた趣味人だからである*3
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デリダも死に、先日レヴィ=ストロースもついに死んだ。しかし今世紀の日本は、彼の残した断片を器用に継承する知性が現われている。むろんそれは「神話社会学」の福嶋亮大であり、彼がレヴィ=ストロースから取り出す「神話素」という概念を含め、アーキテクチャの議論を先導する濱野智史の「操作ログ」や「タグ」への着目は刺激に満ち溢れている。それらはかつて共同体を飛び交い、その成員の知性や感性(趣味と実用)を調律していたマナやハウやタブーを可視化し、使えるツールとして練成したもののようではないか。

*1:この観点から、東浩紀が最近試みているアーキテクチャ直接民主制導入の意義をとらえてみると面白い。詳しくはTwitterのつぶやきを参照(http://twitter.com/sz6)⇒すでに指摘があるけれど、最近の東浩紀周辺をにぎわすアーキテクチャ直接民主制の議論を、柄谷行人NAMとリンクさせるのは悪い試みではない。NAMの盛り上がりの頃も、ベンヤミン(暴力批判論とか)やシュミットが再考されてその流れで社会契約論の議論も出ていた(たしか王寺賢太が「読書人」かなにかで社会契約論について語っていて、新鮮に感じたものだ)。ただNAMという運動は、究極的には人間性を回復する疎外論的なグランドデザインがあった(素朴な疎外論に対する厳しい牽制はあったが)。柄谷がカントを持ち出し、手段にして目的的な主体の有様を考察し、それをマルクスに繋げ、人間主体を手段に追いやる資本の構造を転覆させるという議論。そのためには、労働・生産過程と流通・消費過程を同時に掌握し、それをセットアップした組合(アソシエーション)が資本に寄生し、その寄生的な個別運動が資本のグローバルな動き(ホスト)に取って代わる、という見取り図は、ある種の全体主義的な考察だった。政治のレベルでは、柄谷も直接民主制に注目するが、その具体的解法は、代表制を批判する形で編み出されたくじ引き民主制。これには、当時学生だった僕は目からウロコだった。いま思えば、代表制の原理的不可能性を露呈させることでアイロニカルに活かそうとする脱構築民主制みたいなもの。これに対し、東の直接民主制の議論で面白いのは、直接民主制への着目ではなくて、いっそのこと棲み分けしてしまえというところ。無論これはウェブ・アーキテクチャの普及が後支えしてるわけだけど、地域や関心系の数万単位で一定のレベルの政治的選択はまかなえるということ。その外部は問わない。無数の地域の束をまとめる司令塔(党)は不要というか不問。棲み分け行政単位が無数にあればいい。これはNAMでは地域通過のプログラムが試みようとしていたことと近い。色んな行政・地域・職域・関心系の通貨制度が網の目上に社会を覆いつくすという観点。すごいいい意味で言ってるんだけど、東浩紀は今おもいっきり愚か者に徹している。全体への配慮がなければ何もできないという重力からかえって何もできなくなった時代(全体性と不可能性のアイロニカルな一致)と比べてみると、彼の直接民主制の発言は爽快でさえある。

*2:前回のエントリで問題にした物語自動生成機械の面白くないところは、一定の体系・規則に従うのみで、この具体的運用の側面との往復運動がないところである。

*3:趣味人とは詩学者のことである。ところで、近代文学研究は、詩学と解釈学の対立というか二方向の流れがある。80から90年代までは解釈学の流れが強かった。記号論をベースに、カルスタやポストコロニアルフェミニズム精神分析等の理論の導入によって、テクストに新たな解釈の余地を見出すというのが流行(脱構築とかイメージ批判)。それが相対主義(解釈の恣意性)と表象不可能性という議論(これがロマン主義が登場する条件だが)にまで徹底し紛糾。代わって詩学的アプローチが復活。詩学というのは、ある表現なりその表現によってえられた感情・意味・解釈がどのような経緯(体系、規則、表現形式)で生み出されたかを分析するもの。獲得された感情なり意味なり解釈の真偽(あるいは政治性)や原因は問わない。以前はフォーマリズムをはじめ、ニュークリティシズムとか構造主義記号論がさしあたり詩学的アプローチを行っていた。むろんこの流れを作ったのは東浩紀の功績がでかい。今後は文学に限らずジャンルの問い直し等は必須になるだろう。アカデミズムもそろそろそのことに気付きはじめている。90年代以降の作品を、マルクス主義をルーツとする解釈学的アプローチで読み解くのは限界があるのをずっと無視してきたのだから。他方で詩学的アプローチが本質的だと考えるのも誤り。ただ、これを批判的に利用するというのはけっこう難儀。そのへんを考えなければ。以上、この注はTwitterのつぶやきをまとめたもの。