感情レヴュー

中沢忠之、『文学+』を刊行する「凡庸の会」同人

2020年上半期芥川賞雑感(2)

小説の話者には4つのタイプがあります。理性的な話者、狂った話者、狂ったふりをしている話者、理性的なふりをしている話者の4つです。もちろんこれは認知的な判断なので、理性的か、気が狂っているかを評価するのは読者―この私―であるわけですが。

さて、今回の芥川賞ノミネート作品は、団塊ジュニアゆとり世代の世代対決であるという話を前回しました。その上でゆとり世代の2氏を推したいとしましたが、その理由は、団塊ジュニアの話者がそろって理性的であるのに対して、ゆとり世代の話者が理性の放棄、もしくは欠陥のある理性の持ち主だからにほかなりません。

理性的だからNGなのではなく、今は理性批判を読みたい気分ということです。最近のSNSを見ると、誰が見ても狂っている腐敗政権の有様が報じられ、罵倒語やヘイト発言にまみれています。彼らの問題点は多々ありますが、歴史の参照と歴史の記録に対する軽視が根本にある。一方、彼らに対する理性的な批判も見られますが、その正義にも狂気を感じる(むろん私もそこから無縁ではありません)。たとえばPCの偏向性・暴力性はここ数年つとに指摘されているところです。まあ芥川賞の規定である「中短篇」となると「いかに変な話者に仕上げるか」勝負になりがちで、それもどうかと思うのですが。

私は、理性的な話者による発話を「文化研究的な文体」と呼んでいますが、とりわけ石原燃氏「赤い砂を蹴る」(『文學界』2020・6)は、複数の記憶の重ね合わせといい、時の戦争から3・11までの歴史を背景に、旧弊な家族観の中で虐げられた女性たちが各々自立した個として目覚めるという物語の本線といい、文化研究と相性がよいだろうと感じました。安定感は5作品の中で最も高く、文化研究的な教養の薫陶を受けた私(1972年生)くらいから上の世代ではとくに共感する読者は多いだろうと思います。

高山羽根子氏の「首里の馬」(『新潮』2020・3)も歴史を素材とし、政治的な主題―沖縄の歴史、70年代コミューン体験―を扱った作品です。ただし、誤解を恐れずに言えば、高山氏は政治的な主題に興味があるわけではありません。大文字の政治とは無関係に―ときに翻弄されながらも―生きる人々に焦点を当て続ける。最近の作品が政治的主題を積極的に採用しているように見えるのはむしろそれを批判するためでしょう。

高山氏を世間に知らしめるには「如何様」(『小説トリッパー』2019・夏)が最高のタイミングでした。それにもかかわらず、ノミネートすらされていないのは、同じ掲載誌『小説トリッパー』に「むらさきのスカートの女」(前々回受賞作)があるのでそこからは控え、高山氏は『すばる』の「カム・ギャザー・ラウンド・ピープル」がチョイスされたという文壇政治の力学によるものでしょうけれど、まあ文芸誌体制とはそういうものなので、そこに依存している限り仕方がないとは言えます。

岡本学氏「アウア・エイジ」(『群像』2020・2)は、団塊ジュニア組の中でも惹かれた作品です。今回の芥川賞ノミネート作品を読むと、作家のジェンダーが反映されている作品が多いという特徴があげられると思いますが、本作はアラフィフ中年男の再生物語です。

物語内容は2部構成で、前半は、20年前映写技師のバイトをしていた大学院時代、後半がそのバイト時代に知り合った女性の謎を追う大学教員時代。バイトをしていた映画館が2本立てを流していたという設定で、物語の最後に「ひどく長い二本立ての映画を見終わったような気分になった」と主人公に独白させるあたり、構成上の美学を感じました。

ただしその美学は一般的な共感性の低い、アラフィフ中年男の美学で、著者がそれを隠さないところがよいんです。私小説的な文体のいい加減さとエンタメ的な物語の構成のB級感(まさに凡庸なほどに「映画的」な)がマッチした良作と思いました。

まあPCとか意識しだすと、理性をフル稼働して視野を広く持とうとしてしまいがちですね。それは広範な歴史に目配せした石原作や高山作に感じなくもないところでした。視野を狭めてみる勇気というのは大事じゃないかと思います。岡本学作品は、1周まわって諦念なり開き直った―「ああそうか そういうことか」―ところの視野の絞り込みが、ゆとり世代の話者に接近している感がなくもなかったです。

ただし、岡本作はその狭窄さゆえに、ジェンダーの主題フレームを入れると、旧弊な家族観の中で虐げられた女性たちをネタにしてアラフィフ男が再生を図るという物語にも読めてしまい、石原作のネガに当たるという解釈も可能です。恐らくどのジェンダーにも敵を作らない石原作よりも、不快に感じる女性もいるだろう岡本作をよしと感じた私の政治性を知るためにも、他の方の感想を読みたいと思っています。

「如何様」が◎とすると、「アキちゃん」△+ 「赤い砂を蹴る」△ 「首里の馬」△+ 「アウア・エイジ」〇 「破局」〇+ としました。どれも大変面白かったです。

2020年上半期芥川賞雑感(1)

2020年上半期芥川賞が、団塊ジュニアゆとり世代の対決であることをご存知でしたか? 石原燃(1972)、岡本学(1972)、高山羽根子(1975)、遠野遥(1991)、三木三奈(1991)。

1972年生の私は、1991年生の2氏の作品に多くを惹かれました。若い者の気持ちもわかる的なものではないことをとにかく祈るばかりです。
発表が2週間後に迫るなか、今回は「アキちゃん」(『文學界』2020・5)について書いてみました。

これはなかなか議論喚起的な作品です。手法と主題の関係を考えさせられました。作品の構造は、小学5年生の2人のキャラクター-ミッカーとアキちゃん-の物語を中心にして、その前後、物語の冒頭と最後に話者―成長したミッカー―が回想するシーンが置かれる。

本作は『文學界』新人賞ですが、その選評も副読本として読んでみるとよいかと思います。叙述の問題(作品の山場に置かれる叙述トリック)に引っかかっている評者と、主題の問題に引っかかっている評者とで真っ二つに割れている点がまず見所です。前回の芥川賞でも話題になった、手法と主題の関係というやつですね。

ジェンダーーもしくは第2次性徴期の子供たちの関係性ーの主題を優先して読む(川上未映子東浩紀両氏)か、主題と叙述トリックなどの手法の一致を読むか(中村文則氏)、叙述トリックなど構成や手法を優先して読むか(円城塔長嶋有両氏)。5氏の読み方の癖がとてもよく出ている。作家としてはここまで攪乱させたならそれで十分勝ちなのではないでしょうか。芥川賞選考でももめにもめてほしいところです。

個人的な読後感は、叙述トリックと、それに冒頭と最後の回想シーンに十分乗れませんでした。

叙述トリックについていえば、いくらジェンダー-あるいは第2次性徴期-の複雑な問題を真面目に取り上げるという主題があっても、叙述トリックを入れる以上、読者をはめるための工夫がノイズとして入り込みます。作者の意図がどうであっても、謎解き要素を想定しない純文学では、物語を真面目に読むなというメタメッセージを持ってしまいます。主人公の感情の揺れ動きをいくら真面目に読もうとしても、そこで逡巡が生じてしまう。選考委員の中村・円城・長嶋3氏の反応はとてもよくわかります。

冒頭と最後の回想シーンはどうか。作品のメインである物語―落書きシーンや叙述トリックが明かされた後の雑貨店のシーン―の、ミッカーとアキちゃんのやり取りの魅力的な描写に比して、その物語を前後で挟む回想シーンが雑な印象を受けたんです。

冒頭の過度な「憎しみ」発言は読者をトリックにはめるための伏線でもあるんでしょうけどねー。途中無理があると感じているのか「憎しみ」の意味を色々とパラフレーズするんだけど、このワードが効きすぎて、情動の繊細で魅力的な各シーンを打ち消しているように思います(東氏と川上氏の解釈の対立の原因はここに起因するのでは)。

最後は逆に、過度な言い落しですね。回想シーンの(成長した)主人公の立場は冒頭より最後の方が本当なのだろうけれど、文学的な余韻を残してみましたみたいな感じになっていて、あれほどアキちゃんに「憎しみ」を持った自分とのバランスを欠いている。回想時をわざわざ両端に設けているわりにこの部分がとても雑で曖昧な印象。

そう考えると、叙述トリックの主題との不一致(暴力性)も気にならざるをえない。叙述トリックとは、話者が読者の認識枠組みを一変させるほどの強い拘束力を持つ手法です。たとえば被害者を容疑者に、加害者を被害者に転回させるくらいに。ミッカーにとって加害の立場にはあったアキちゃんの「真実」を隠し暴露する暴力の権利が話者(の「憎しみ」)にあったのか。それに応答する何かが回想シーンからは得られないんです。

アキちゃんが話者だったらとか考えてみましたが、それとこれとは別の問題でしょう。いずれにせよ、「アキちゃん」は手法と主題の関係を考えさせる良作と思いました。

フィクション、なぜ悪い?

 書評家の豊崎由美氏が、『週刊新潮』の書評の処遇についてツイートしていました(6月22日)。『週刊新潮』の書評欄は、今後、俳優や学者・政治家など有名人にまかせることになったと近況を説明し、プロの書評家の軽視と有名人偏重になることを批判されたんです。
 確認をしていませんが、事実だとすれば、個人的には、週刊誌はコラムで腐るほど有名人に書かせているのだから、書評欄くらい巧者の書評が読めてもよいのではないかと思いはします。
 ただし、技巧や文体を楽しむという余裕はどのジャンルでもなくなりつつあるのが現状です。
 振り返れば、文芸批評は、10年以上前にそのかったるい形式的媒介性によって文壇から放逐されました。もちろん文芸批評の退潮は、創作や文壇に対する辛口すぎる言説など複数の要因が考えられますが、その媒介性もひとつの要因でしょう。批評家が自分の関心事や社会批判を語るために、わざわざ他の作家や作品を手掛かりにするわけだから、その媒介性たるや推して知られます。文学史もそうです。過去にも似たような話があったなんて指摘は正直面倒くさい。過去の参照はキャンセルして「今を話せ!」となる。
 書評はといえば、批評に比してハイコンテクストではないぶん相対的に媒介性は薄いジャンルですが、それゆえに技術の修養のない有名人が入り込む余地があるということでしょう(書評に技術は不要と言いたいのではありません)。
 文芸批評がそのかったるい媒介性ゆえに放逐され、その代わりを埋めた書評は固有名に依存するという事態は、「ネオリベ」とか「加速主義」を持ち出すまでもなく経済原則にのっとればわかりやすい傾向ではあります。帯文も有名人の一筆の方がつい手に取ってしまいますからね。

 文芸誌が批評に力を入れ始めたという話が出ていますが、私はそうは思っていません。小説だけでは訴求力が弱いという判断でしょう。リニューアル『群像』を見ればわかりますが、作家論・作品論・文学史をじっくり読ませるというよりも、固有名に頼るか、媒介性の薄いものが前面に出ています。『群像』は2016年から新人賞も「文学」に限定しない方針を打ち出しましたが、リニューアル『群像』がキーワードを「論」としているところも意図的なんだと思います。要は「文」の媒介性を相対化するという考え方です。
 まあ文芸誌は、それだけでは商品になりにくい小説を読んでもらうためにインデックスやタグを古くから必要としてきたわけで、そのために座談会や批評・書評・時評等々があり、その主役が文芸批評だった時代があったとすれば、最近は書評が肩代わりしつつ、各誌模索しているといったところでしょう。

 私は以前、批評は「①属人性②テーマセット③作品・状況分析」の3拍子、つまり「①誰が②何について③どのように」論じるのかが重要とし、最近は②が軽んじられているというツイートをしました。
 文芸批評はしょせん山師ですから、「露骨なる描写」「純粋小説論」「文芸復興」「形式主義」「行動主義」「昭和十年前後」「転向論」「物語批判」「文学終焉」等々これまでテーマをぶち上げてきたわけです。
 テーマセッティングは要は運動論なので、鈴木貞美の「生命主義」とか、加藤典洋の「ねじれ」「テクスト論批判」とか、絓秀実の「ジャンク」「68年」とか平成に入っても仕掛け方を熟知している批評家はいました。おそらくテクスト論の精読主義が、テーマセッティングみたいなものは不純だという考えを植え付けたのだと思います。
 ただし、テクスト論だけの責任ではないでしょう。端的に、リベラル・左翼(サヨク?)はこのところ物語を語る主題をすっかり喪失しているようなのです。
 たとえば戦後文学の3大噺「天皇」「アメリカ」「転向」は、ゼロ年代の王殺し3作品―『シンセミア』『海辺のカフカ』「無限カノン」3部作―で打ち止めになったと思っています(『文学+』2号「純文学再設定+」を参照)。トランプ政権下に刊行された阿部和重『オーガ(ニ)ズム』が、話せばわかる的なオバマとの父親殺しを必死に演じているシーンを読みながら半ば確信しました笑 技巧面は面白かったですが。村上春樹騎士団長殺し』、島田雅彦スノードロップ』も同じような磨り減りを感じます。
 他にも『石原慎太郎を読んでみた』や『百田尚樹をぜんぶ読む』といった企画がリベラル側から受けるのも、保守にはなにやら物語が語られるべき主題らしきものがあるようだという羨望にもとづいているのではないでしょうか。
 とはいえ、この父親殺し・王殺しという主題の失調の問題は、「平成文学は非男性作家が主役を奪った」と見れば、別の様相を呈してくるわけですが(小谷野敦・綿野恵太両氏『週刊読書人』の天皇論壇マップは見事に男性陣だらけでした)、このへんは別記が必要です。平成後期からは「貧困」「被災」「ジェンダー」が3大噺になりつつありますね。その中で「天皇」「アメリカ」「転向(サヨク)」は別様の語り口を必要としているように思います。
 
 いずれにせよ、平成も半ばになるとテーマセッティングは(批評家ではなく)雑誌がになうことになり、「J文学」はその最初のヒット作だと思いますが、これは運動というよりもマーケティングといった方がよさそうです。昨年からのリニューアル『文藝』は書評を中心にこの路線を突っ走り、一定の成功をおさめています。
 けっきょく最近の文学は、全体的には③の媒介性を縮減しつつ、①と②(マーケティング的な意味での②)に依存しており、その傾向は止まらないんだろうと思います。

 当然、小説・創作もこの傾向をまぬかれてはいません。なぜ、生活に困ってもいない作家が貧困をテーマにした創作を書くのか? 当事者でもない作家が被災をテーマにするのか? だったら、当事者の実録やルポルタージュでよくないですか?
 実はそういう声はむしろ文壇の周辺や内部でこそあがっています。3・11をテーマにもつ『美しい顔』は、参考文献非記載問題が転じて、被災地を実検しなかったその形式的媒介性を非難され、芥川賞を虎視眈々と狙う(?)古市憲寿氏は、参考文献を丁寧に記載した結果、平成の文豪たちから、お前の魂で書けと説教されました。
 いっそのこと、安全圏で語るフィクションなんて小手先の技術はかったるいんだから、全部ノンフィクションでよいのではないですか?

文学史・書評・文学業界

1、矢野利裕氏が『文学+』の感想をツイートしてくれました。とてもありがたいです。私の文学史論「純文学再設定+」にもコメントをもらいました。

文学史は、文学の一般規則のようなものを前提し、そこに各作品・作家をマッピングする作業ではなく(そういう国語便覧的な文学史があるのも事実ですが)、各作品・作家が規則の網の目の中でどのように規則を生成・改変・更新しているのかをウォッチする作業です。むろん、当の文学史記述もその規則の網の目の一部であり、おのずと論争的―場合によっては共同的―な性格を持ちます。その意味で、私の文学史が起点とする横光利一の「純粋小説論」(1935)は優れた文学史でもありました。

そんな文学史もいまや現在進行形で記述するプレイヤーは絶滅危惧種なのですが、その数少ない貴重な作業を矢野氏は試みています。その一部を「純文学再設定+」(『文学+』2020・3)では紹介しました。矢野氏の文学史記述は、『すばる』(2017・2)の「新感覚系とプロレタリア文学の現代―平成文学史序説」です。

そこで矢野氏は、ゼロ年代後半の文学史を記述するさいに、手法と主題との「だらしない結びつき」の傾向があるとして批判的に取り上げていました。今回いただいたツイートにもその言及があります。

一点、中沢さんは『想像ラジオ』が、手法と主題との「だらしない結びつき」批判の射程にあると指摘していますが、僕自身はいとうせいこう論で、『想像ラジオ』は主題回帰した(だから失語から立ち直れた)と論じており、ここは立場異なるか。というか、僕の立場問われているか。

「純文学再設定」シリーズは、他のプレイヤーの文学観を観測するだけで、自分の文学観を積極的に示していないのですが、私はそのだらしなさが嫌いじゃないんです。まあ私のことはどうでもよいですが。

ラッパーでもある矢野氏の「無数のざわめきとともに騒げ!―いとうせいこう論」(『群像』2019・4)は、JPOP批評を数多くこなす彼しか書けないラップ論/文学論ですが、ラップの共同性から発話(呼びかける)ー聴取(応答、耳を澄ませる)という物語が成立する環境を引き出して『想像ラジオ』(2013)の可能性を分析するところは、作家論―作家はこれ読んでうれしかっただろうなあ―のみならず物語論としても意義のある批評だと思いました。

ちなみに物語論といえば、とくに文芸批評の世界ではグレマスやトドロフらの構造分析で理解が止まってしまっていますが(物語の構造分析を用いて純文学批判をした大塚英志レヴィ=ストロースを再利用した福嶋亮大の神話分析以降の進展が皆無)、文学研究では西田谷洋らの仕事があります。

構造分析を批判的に検証し、物語論の更新を目指した認知物語論を展開する彼らの仕事を紹介したいがために、『文学+』では1・2号にわたり西田谷氏に寄稿をお願いしました。まあ理論分析は難解なので敬遠されがちなんですけどねー。認知物語論がなければ、私は柴崎友香-乗代雄介で描写論を自分なりにアップデート(ファミリーリセンブランス的な描写)できなかったと思っています。

物語や神話の構造分析はゼロ年代に勢いのあったライトノベル・エンタメ系文学との親和性が高く、純文学批判に都合がよかった視点ですが、認知物語論は自意識批判と政治的主題、叙述のトライアングルで回していく純文学の分析にこそ親和性の高い物語分析の方法です。

物語論・物語分析が厄介なのは叙述と物語の2相をカバーするからですが、ゼロ年代まで流行った構造分析が物語にフォーカスしていたとすれば(構造主義的な物語論は発話者等のクラスも抽象的な存在)、文脈や有契性等に重きを置く認知物語論は叙述にフォーカスしているのかなとは思います。叙述と物語を強引に分ければの話ですが。

戻ります。矢野氏は従来の物語批判を牽制しつつ主題の積極性に最近の文学の可能性を見出しているのですが、彼のいとうせいこう論は、物語論を再利用して主題の積極性を押し出すひとつの解法を指し示すものです。彼の文学史を裏付けています。矢野氏はツイートで「『想像ラジオ』は主題回帰した(だから失語から立ち直れた)」と書いていて、これだけだと思いっきり反動的に見えますが、そうならない伏線をしっかり張り巡らせているので、関心ある方は読んでみることをおすすめします。

2、最近はすっかりTwitterウォッチャーになりさがっていますが、Twitterはトレンドに上がってもすぐに忘れ去られますね。まあそれも良い面と悪い面があると思いますが。私は個人的には♯抗議デモみたいなのには肯定的です。少なくとも冷笑する気にはなれない。というか刹那的・一面的に見える現象も何にどんな影響を及ぼしているのかなんてわかりませんからね。刹那的な盛り上がりに対しては、ブログや出版やサロンが補完していけばよいのではないでしょうか。

詩集の編集者が、当該詩集を書評した評論家を批判し、アンチ内田樹を中心にTwitter界隈で盛り上がっていたのもいまや過去のこと。批判の内容は、詩集についてほとんど触れず、権威に甘えた自分語りばかりしており、書評の内容も著書・編集の意図から逸脱しているとのこと。
http://asanotakao.hatenablog.com/entry/2020/05/10/121620?fbclid=IwAR2Qm0qyvYfeFYWuDKj4ROR4uf7s_HH8zmEdlTiNXowaeTlPKSIEHV6pam8

私はどちらの立場にも与しませんが、結論としては、こういう議論はあってしかるべきと思います。

内田氏にとっては沢山ある仕事のうちのひとつで、書評にみあった俺の芸でも見せてやろうくらいのノリだったんだろうけど(それはそれで間違っているとは思いません)、詩集を出すまでに何年もかけてきた編集者にとってはあまりにも軽い言葉に感じられた。これはこれでひとつの驕りと感じられる部分はあるけれど(人がどう書くかは根本的に自由)、だからといって黙っている必要はないとも思います。とくに新聞の書評の影響力となると、関係性が非対称になりがちですからね。

評者の解釈を批判するのではなく、書き方・書くスタンス(詩集の内容に触れないなど)を批判することは、下手をすればトーン・ポリシングにも通じる暴力性を内包してはいますが、そうまでもしないといけなかった非対称性を私は読み取りました。

いずれにせよ、こういう副次的な言説の積み重ねがその作品の読み方を深く多様にしていくし、分断があったり権威で固定しかねない文壇を動揺させるきっかけにもなりうるのではないでしょうか。

3、川上未映子氏がTwitterで、「文壇界隈では稿料が明示化されないという慣習があり、それに抵抗してきた」という話も瞬間風速的に盛り上がりました。

これはとても重要なツイートで、文学という場所はいまだに属人的なり信頼関係なりで成り立っている業界だいうことを暴露したものです。むろん信頼関係はどの業界でも必要な要素でしょうが、それでもって懐事情も曖昧にする慣習はいかがなものかと。

川上氏のツイートには、「そんなこと信じられない」といった異分野からのコメントが散見されましたが、まあ文学の世界ではそれが不思議ではないわけです。

ただ、他方で、文学の世界は、同人の分野や研究の分野など含め全体をみると、費用明細に明示化されないクローズドな領域が膨大にあって、それらによって支えられているという側面も指摘しておきたい。

私は同人誌などの雑誌を作る側にも、依頼を受ける側にも身を置いたことがありますが、信頼関係などで懐事情などをフォローせざるをえない局面がある。

まだ若く研究をしていた頃には、ある教員が関わったテープ起こしの依頼があり有耶無耶になったこともあるし(あれは結局ちゃんと払われたのだったか忘れてしまった)、「業績になるからいいよね?」的なスタンスから文学事典や論文寄稿の依頼があったりもしました。論文は出したもののボツになって、修行の一環なので金銭面の話は当然ない。そんな経験をしている人は多いのではないか。

ややネガティブに話をしましたが、ただこういった側面は単に否定すればよいものだとは思っていません。川上発言を受けてだと思いますが、「専門知を安売りするな」というツイートも見ました。なかなか突き刺さりますねー。それを言われると言葉も出ないんだけれども、それほど簡単に割り切れる話だとも思えないんです。

まず、文学という業界が根本的にデフレ性向で成り立っているということを確認しておく必要があります。最近は文芸誌が活況という話をSNSで聞きますが、ほぼ改善の余地ないデフレ産業であることに変わりありません。川上氏のような強い発言が可能なプレイヤーはごく限られています(だから無意味な発言だと言いたいのではありません)。そして残酷なことに(身から出た錆ではありますが笑)、私はそのような場所の底辺にいながら―安売りすらできない―、少なからず恩恵を受けてきた受益者でもあります。文学しかできることもないですしね。

信頼関係に寄りかかれば―あるいは「文学」とか何かのためにやっているという口実を作れば―稿料を曖昧にするといった慣習にも繋がるわけだけれど、とはいえ曖昧にならざるをえないところもあり、そこはもう居直らずに言葉を尽くしていくしかないと考えています。

見たいものしか見たくない時代の文学史(2) テクストとパラテクスト

1、前回の記事「見たいものしか見たくない時代の文学史」では、純文学のメジャー文芸誌体制を批判するために、少しライトノベルやウェブ小説周辺を理想化しすぎたかなと思っていました。

2、ところが、どなたかのSNSの発言を読んだんですが、ウェブ小説の創作論は、売れるため・目立つためのSEO対策―タイトルやタグの付け方・改行の仕方等々―に終始していて、小説は読まれなくても書くことに精進すべきだみたいな話をされているのを読みました。
純文学好きがそういうならまだしも、ウェブ小説周辺を読み込んでいる方だったので、純文学信仰―小説家は小説のことだけを考えていればよい―は根強いなと思った次第で、ライトノベルやウェブ小説周辺はもっと理想化してもよいのかもと思ってしまいました。まあバランスだとは思いますが。

3、上記みたいな純文学信仰はけっきょくのところテクスト主義・作品主義を前提としたものです。要は「作品」とされる部分以外は考慮に入れないという考え方ですね。「小説は小説家のことしかわからない」という発想もこのテクスト主義・作品主義を前提としたものでしょう。

4、しかし、歴史的にみれば、こういった文学の考え方が主流になるのは明治30から40年くらいです。それ以前の文学環境はもっと雑多なものとしてありました。「作品」という外枠はそれほど明確でもなかったでしょう。例えば、新聞に発表される小説は、それ自体で完結しておらず、その紙面全体(挿絵や記事・広告)との影響関係のもとに成立していました。

5、明治文学の研究者はこのあたりは自明な事柄です。文化研究(カルスタ)が最も研究の刈り取り場としたのが明治時代ですが、それはなぜかというと、文学の言説と他の領野の言説が明確な分節化をされていない時代だからでもあります。なので、文学批判をしやすい時代でもあるのですが、逆にいえば文学の可能性を検証できる時代でもある。

6、今回の『文学+』02号の明治文学研究座談会では、このあたりを複数の観点からフォローし、見過ごされがちな文学の様相を明らかにしてくれています。書誌もあわせて読んでいただけると現在の問題としても理解していただけるかと思います。02号の書誌がフォローした時代は2005から09年で、ちょうどカルスタ(文学批判)の反省と、また違った切り口の研究が注目される時期に当たります。

7、私は『ユリイカ』(2019年02月)に吉本ばなな論を寄せましたが、これは吉本という作家に物語作家と私小説作家の2側面があると論じるもので、なおかつその私小説作家の側面はテクスト主義・作品主義にとどまらない言説・メディア操作―それこそSEO対策みたいなものも含めた―によって成立していたという話です。この2側面を「テクスト」と「パラテクスト」の概念を用いて解説しています。

8、ついでにいうと、『文学+』02号の私のエッセイ「純文学再設定+」では、文学環境を、自意識批判・叙述・社会政治的主題・物語の4相に分けて分析しましたが、これは「テクスト」に限定した話であって、「パラテクスト」的な様相を付け加える必要があると考えています。

9、以前からくり返していますが、純文学のプレイヤーたちは文芸誌にとどまらず自前のメディアを持つことなど常識な時代がずっとあったし、特に1980年代から90年代に登場した作家たちも文芸誌体制に収まらない活動をしていました。ただ、これは日本のメディア周辺にお金が潤沢にあり、例えば純文学作家をスターとして世に出したり(斎藤美奈子『文壇アイドル論』など参照)、様々な文化事業や雑誌を設けてそこに作家を積極的に関わらせることができた時代が背景にあり、作家は黙っていてもその恩恵に浴すことができたという側面はあったでしょう。

10、そういった余裕が社会全体になくなった時代が今世紀以降・ゼロ年代だとはいえ、ウェブを中心に自前のメディアを活用しやすくなったわけです。吉本ばななは「文壇アイドル」の最たるもてはやされ方をした作家のひとりですが、ゼロ年代以降も自前のメディアを駆使して読者とのコミュニティーを醸成し、文芸誌体制から一定の距離をとって活動をしている。

11、私もウェブ小説周辺はよくチェックしています。実際に、作家の一定程度は臆面もなくSEO対策的な話をしており、文芸誌などに掲載されたいという思いから傾向と対策にいそしんでいる作家もいます。しかしこういった雑多な部分―運動論など政治の問題も入ってきます―を含めてこそ文学、と考えない必要はないと考えています。要は、テクストが主で、パラテクストが従とする必要はない。実は、作品の評価基準が定まらない(市場価値に依存しない)純文学こそそう考えるべきなのに、どういうわけかパラテクスト的な側面が軽視される。そこを問わなくてもよいように何かに守られているからではないでしょうか?

12、最近の純文学作家―特に男性作家に見られます―がTwitterなどで発言しているのを読むと、みな声高なリベラルとPCを実装した発言になっています。この最たる原因は、批判の対象を自分の外(安倍政権とヘイトまみれのクソリプですね)にしか設定していないからですね。これは身もふたもない言い方をすれば、外から見ても端的に芸がないです。こういうことを言うと、文学はポジショントークではないんだと怒りだす人がいるので、これ以上言いませんが、まあ、でも、多様性ないですよね? 多様性ありゃいいわけじゃないけどさ。
むしろ、多様性だけは容認する発言をしているのに、自分の文学環境は恐ろしく多様性がないということに気付いていないのか、気付いているけど触れないようにしているのか。

13、最近は、文芸誌も批評の掲載枠を増やしているようです。批評という営為は、小林秀雄以来、作品を評価する自己の基準を見定めるというところにあります。文体(レトリック)に逃げるとそれは批評ではない。しかし、根拠のないところに評価基準を打ち立てるためには一定の文体(レトリック)を必要とせざるをえない。

14、文体(レトリック)を引き延ばせばメディア運営も含んでくるでしょう。小林秀雄がデビューした時代は、テクスト主義・作品主義がすでに確立されていましたが、作家・批評家が自前のメディアを組織したり、文芸同人誌に関与することはまだ当然だった時代です。『文藝春秋』の菊池寛と『文藝時代』の横光利一川端康成の関係を参照してもよいでしょう。テクストとパラテクストは作家や批評家にとってひとつながりにあるものでした。

15、最近文学では、政治的社会的な主題の必要性が強く求められています。しかしそれはテクストだけを見ていても解決しない問題だと思います。

見たいものしか見たくない時代の文学史

1、同人誌発売の告知をかねて2週間ほどTwitter解禁してみたんですが、自分はTwitterをやっちゃいけない人間なんだなあと改めて思いました。イキリ体質なんで、140字でいかにキメてやるかをいつの間にか考えている。SNSの中でも特にTwitterは中毒性がありますね。そういうものにうまく距離が取れる人はよいけれど、私は関わっちゃいけないタイプの人間です。

2、Twitterを再開した時のこと、女子プロレスラーのいたましい一件で、SNSでは「誹謗中傷」批判が蔓延しましたが、誹謗中傷は法令の名誉毀損と関わる概念(根拠なき批判)でもあるので適切ではなく、単に罵倒語でよいのだと思う。SNSでは罵倒語を用いる敷居が低いですね。面と向かって相手にそんな言葉使わないよね?という言葉を普通に使う。ネット右翼のみならずリベラルの大学人や識者も普通に用いる。バカとか死ねとかトンチンカンとか。

3、「安倍やめろ」はどうか。私は、SNSで批評性のある文章と考えた時は敬称を略すことがあるけれど、本人が読んだ時はどうなのかというのはやはり抵抗としてある。いずれにせよ、罵倒語はレトリックの一つなので、誹謗中傷とは違い、一概に批判されるべきものではないと思っています。私もTwitterで複数の人・組織を傷付けてきたはずで、やめた動機もそれがあるのですが、開き直るわけではありません。

4、最近の文学は、いよいよ見たいものしか見なくなってきていますね。15年くらい前にある作家が「小説のことは小説家しかわからない」といって批評的な読みなどを批判して、ある批評家と論争になったことがあるのですが、それ以来「見たいものしか見ない」状況が加速しています。

5、『小説の生存戦略ライトノベル・メディア・ジェンダー』(2020)というライトノベル周辺をテーマにした研究書を読みました。Twitterにも書きましたが、この編著を出したライトノベル研究会は14年間のキャリアがあり、これまで関連書を数年おきに刊行してきました。研究会に所属する大橋崇行氏や山中智省氏はライトノベル関連の単著を出しています。

6、彼らが試みたことの重要なポイントは、単にライトノベルの評価だけではありません。ゼロ年代以降の文学市場がジェンダー・ジェネレーション・メディアなどによって細分化されたことを分析し、その中で特定ジャンルの規則が(隣接ジャンルとの関係から)どのように生成・変換・延命してきたのかを事細かに追跡したところにあります。「フロントライン」3部作では読者の目線に寄り添ったり、作家の意見も積極的に取り入れたりしている。研究会は『小説の生存戦略』で休止するそうですが、『ライトノベル研究序説』(2009)以降の彼らの残した営みは、のちに検証されるべき貴重な資料だと思っています。

7、作家は流動・細分化する読者とメディアに向けてそのつど最適解を作品として発表する。一方、純文学は最近何のためにあるのか、どこに誰に向けて書かれているのか、文芸誌を手にとってもよくわからないんです。おそらく作家たちもよくわかっていないのではないか。<文芸誌>に発表できればとりあえず文学として成立することになるシステムだから。

8、学者が小説を書くことが流行っているという記事を読みましたが、小説を書きたくて、何故ほとんど流通していない(一部の小説好きしか読まない)文芸誌を発表媒体に選んでいるのか、正直よくわかりません。自分たちで作った手製のメディア発信の方が、多様な人に届くはずなのに。

9、私は、同人誌で、最近政治的主題を書くことが文学では流行っているということを書きました。でもその政治的主題は誰かに届いているでしょうか? 例えば島田雅彦が『スノードロップ』という天皇・皇室を戯画的なテーマにした小説を発表しましたが、20年前の無限カノン3部作の頃はまだギリギリあった緊張感(『美しい魂』は批判があり刊行できない時期があったし、3部作は批評家の福田和也との論争にも発展した)がない。

多分、当の作家自身も、社会的な批判など考えもしないところで強い政治的な主題を書いているのではないか。昨今緊張を強いられている芸能人の政治的なツイートとは大違いですね。音楽では、「非政治的な歌詞も実は政治的なのだ」という話がでていますが、文学では、「いくら政治的な話をしても政治化(相手に)されない」ことが問題でしょう。

他方、文学は政治的なものではないとするフォルマリストもそれがいかに政治的なリアクションなのかは、少し文学史を学んだ方がよいです。

10、端的に純文学は文芸誌に依存しすぎているように思います。それが問題視されたのは20年前なのに。当時文芸誌批判をした批評家に対して、ある作家は孤軍奮闘しましたが、彼女は多様性を保持するために文芸誌は必要だという主張をしていました。それはその通りだと思いますが、純文学のプレイヤーは今一度、文芸誌(文学賞)とその周辺を俯瞰してみた方がよいのではないかと思っています。

11、文学の市場は細かく分断されているわけで、「小説のことは小説家しかわからない」というのは本心なのでしょう。だからそこに今一度批評が必要だなどとは全く思いません。各作家が批評的にふるまえばよい。ライトノベルのように、そうやって生存戦略を立てないとやっていけないジャンルの作家たちがいます。純文学の場合は、文芸誌体制がそれを狂わせているのではないでしょうか。まあ、それが現状最も合理的なのかもしれませんが。

2020年代の文学を考えるために

7日間ブックカバーチャレンジ

【1日】メジャー文芸誌体制

文芸批評家の青木純一さんからブックカバーチャレンジのバトンを受け取りました。
私は、文学史家として笑、これから10年間の文学を考える手引きとしたい本のブックカバーを7日間にわたってアップします。
まず1日めは文芸誌の『文藝』。

こと純文学にとっては、メジャー文芸誌は大きな制度です。昭和の時代をかけて現在のような文芸誌体制が確立されたわけですが、平成(1990年代)に入ると特に批評家たちから、芥川賞など既成文学賞とともに文芸誌体制がおりにふれ批判されるようになります。その現状肯定的な制度設計から、各出版社のサブカルチャーに依存した赤字体質まで、批判の内容はいくつかありました。

2000年代は純文学論争なども交えて文芸誌に対する批判が過激化します。「近代文学の終り」(柄谷行人)なる評語とともにそれを支えたメジャー文芸誌も非難の対象になる。他方、批判を加えた批評家が2000年代最初の10年を通して存在感を低減する一方で、批評家に依存しない紙面作りを徹底させたのが2010年代でした。

昨年は文芸誌の復活が喧伝されましたが、今年に入り『群像』が批評を積極的に取り入れる布陣を組んで注目されてもいます。かつては批評の『群像』といわれた時代もあったわけですが、『文学界』や『すばる』も少し前から批評を取り入れ始めていました。

ただ、様々なジャンルから批評を取り入れる『群像』が典型的なように、どの文芸誌も1980年代のニューアカ的な批評の時代を復活させたような印象を与えるのに対して、リニューアル『文藝』は、批評よりも書評(ブックガイド)を徹底したラインナップでクリティカルな仕事をしています。批評を見限っている『文藝』こそ批評的であるという逆説。
批評を活用するなら、その信条を明確にしている『すばる』くらい徹底してやった方がよいのではと個人的には思います。「すばるクリティーク賞」とかね。

それから、書肆侃侃房が『たべるのがおそい』をやめてまで佐々木敦と『ことばと』を始めましたが、執筆陣といい新人賞の創設といい、以前の地方同人誌的な文学ムックからメジャー文芸誌みたいになったのが気になっています。まだ1号なので、今後の展開を楽しみにしております。
ということで、初回は、いま最も注目したい文芸誌として『文藝』のブックカバーを紹介します。4月25日

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【2日】同人誌カルチャー

青木純一さんの秘かな悪意が感じられる(笑)若合春侑からバトンを受け取ったブックカバーチャレンジ2日め。

メジャー文芸誌に言及したので、同人誌カルチャーにも言及するべきでしょう。文学の世界では、地方誌・同人誌カルチャーは古くからあるもので、むしろ近代以前は、歌や徘徊、都々逸・浪花節といった謡曲などは、宗匠を中心に座が形成されて地方の表現文化を育んでいました。近代に入ってもそれは残っていた。

今振り返ると、僕の幼少期の1970~80年代には、町には自宅で芸事や習字などを教える先生がいたものだけれど、それらがコンビニ的な学習塾や習い事に一変していくちょうど過渡期だったように思います。

文学もまた、文芸誌体制が確立された昭和の頃は地方や仲間内の同人誌に活気があり(道楽のメセナ的な資本が支えたといったこともあったわけですが)、そこで鍛え上げられた作家がメジャー文芸誌に名乗り出るという文脈もあった。

『文学界』の50年続いた「同人雑誌評」が終わるのが2008年で(以降『三田文学』が継承)、その時にリスト化された地方同人誌は320。なかなかの数ではあります。

他方、2000年代は、オフセット出版やオンデマンド出版が身近なものになり、ブログなどウェブ発信にくわえ、2002年から始まった文学フリマといった環境の整備が、メジャー文芸誌のタワーを介さない地方誌・同人誌カルチャーの新たな方向性を与えました。

この頃は、作家たちもブログや同人誌に可能性を見出すなどしているのだが、文芸誌が2010年代を通して口うるさい批評家を切り捨てる反面、作家の純粋培養媒体となり、文芸誌以外を積極的に活用する作家は見られなくなります(細々と同人誌など出している作家を知っていますが)。

一方の批評家はといえば、発表の媒体を自分で調達するしかないので、最近は同人誌カルチャーの一翼を担っています。この功績の少なくない部分は佐々木敦東浩紀にあるでしょう。

2008年頃の「ゼロアカ道場」は宗匠東浩紀が作った座でした。もちろん東もまた、かつて『批評空間』にお墨付きを頂戴して世に出たのである。

1970年前後の世代で批評家としてやっていけている人が少ないのは、『批評空間』の一極集中に馴れすぎていたからだと考えることがあります。僕もその世代ですが、『批評空間』のお家騒動があった後、その座に馴れ親しんだ若い世代は端的に途方にくれた。その前に破門されていた東浩紀や、『批評空間』の影響を受けていなかった佐々木敦らが、次の世代(1980年前後)の受け皿になったわけです。

文学とはこういった前近代的宗匠の襲名儀式が大切で、作品の内容や作家・批評家の技術なんてどうでもいいといいたいのではありません。地方や仲間たちで切り盛りされる、名や家や流派の継承や離反でカルチャーを育んできた歴史が文学にはあるということです。

さて、最近の若い世代による同人誌で注目しているのは批評集団・大失敗による『大失敗』です。上の世代の知と技術を継承・再利用しながら、SNSやラジオなども活用し、関西圏を中心に新しい座を形成している。彼らがいま何に関心を持ち、何をどのように考えているのか、いつも興味を持って接しています。
私どもも2年前にシニアな同人誌を始め、このところようやく2号発行にこぎつけたので、なにとぞご贔屓ください。4月26日

*前近代的な地方誌・同人誌カルチャーについては、『文学+』2号・明治文学座談会の出口智之の発言に啓発されたものです。

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【3日】性的人間

ブックカバーチャレンジ3日め。前回までは文学の制度面の話でしたが、ここからは作品の話を。

他の6日分は容易に選択できたのだけれど、これが最も悩んだかもしれません。
文学といえば、近代以降、性的人間と政治的人間を描くことに執着してきたジャンルといえます。

平成文学の特徴を第一に上げるとすれば、女性作家の進出でしょう。女性と男性という対立が一面的だとすれば、非男性作家とした方がよいですね。
批評家に女性が少ないと批判されることがあって、そんなの知ったこっちゃないと思っていますが、文学は戦後(68年以降か)日本の社会の中では相対的に性の問題には柔軟だったといえます。

ただし、橋本治など例外はありますが、平成(68年?)以降の文学で性的人間を展開しえたのは非男性作家ではなかったでしょうか。それは最近の男性批評家が性の問題を「動物」の比喩で記述しようとするところにも表れているように思われます。

恐らく私も、性の問題として語りうるものには、「動物」などより汎用性のありそうな比喩や形象で記述するような気がします。実際、私は今日紹介する村田沙耶香を論じる時に、性の問題を(「擬態」の比喩で)回避しました。

性の問題を扱う作家は少なくはないですが、村田が特筆すべきなのは、それを物語に展開する力を持っていることです。ほとんどの純文学作家は、性(マイノリティ)の問題を文体でどうにかしようとするのですが(むろんそれも大切な手続きです)、村田は物語のプロットやキャラクターにも自在に展開できる。

なおかつ、物語とはベクトルが異なる私小説的な読み(つまり他人事ではない)を可能にする文体とパラテクストの構築にも余念がない(私が論じたのはこのあたり)。
前任者は松浦理英子でしょう。『犬身』もおすすめしますが、今日は村田の真骨頂である『消滅世界』のブックカバーをお楽しみください。4月27日

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【4日】情景の発見

ブックカバーチャレンジ4日め。折り返し点にふさわしい作家、乗代雄介を紹介します。

僕は前回の芥川賞では彼の作品に最もひかれました。前回のみならず、最近だと山崎ナオコーラの『美しい距離』以来の大ヒット。いずれも受賞ならずでしたが、乗代は以来読み始め、『最高の任務』が偶然の出来ではなく、デビュー以来の練られた技術によるものだと知ることができました。

彼の魅力の1つはその描写にあります。そこで、まず、ここ最近文学では描写があまりかえりみられなかったということをおさえておきたい。軽視されがちだったわけです。個物を一々丹念に描写するよりも、固有名をばちっと与え、物語における役割を割り振った方が、速度が求められる情報処理としては十分ではないか?

乗代はそんな中で描写を作品の主題にしたのでした。「私はこの目に映る景色について書くことが好きだ」(『最高の任務』、講談社、131)。では、彼の作品は写実的なのかというと、全然そんなことはありません。

例えば、芥川賞にノミネートされた『最高の任務』は、親愛なる叔母との旅路を、叔母が亡くなった後に辿り直す大学生・景子が、その叔母との思い出を交えながら記述する日記(それは書くことが喪に服すことでもある)のパートと、景子の家族が、叔母の思いを引きずった景子を連れ出す旅路のパートが交互に入れ替わりながら物語を進めていく。

「車窓からの景色というのは、列車の動きと一緒に記憶されているのだろうか。後ろに流れていく風景としての町並みや田圃は、私がふとその場所に立たされたら、そこが車窓から叔母と眺めて指さしたあの場所だとすぐにわかって、手を振りたくなるような、そんな気持ちになるだろうか」(131)

景子(私)がとらえる景色は、叔母の視線に重ねられていることに注意してほしい。どちらのパートにせよ、彼女の描写は、このように叔母の視線・叔母の記憶をたどることによって成立している。

以前叔母と旅行をした閑居山を一人辿り直す道中の日記。作品前半の山場。叔母が入った金堀穴に、今度は景子がひとり入って出てくるシーン。

「外の弱々しい光が鳥肌をなだめるのを感じる。それにさえ眩みながら、二年前の叔母がしばらく目を閉じていたことを思い出す。それでも私が何か持っているのはわかったらしく、「何見つけたの?」と目をつむったまま訊いてきた」(122)

暗闇になじんだ目に刺す光に眩み、目を閉じてしまうのは誰か。それは二年前の叔母であり、二年後の私でもある。この景色は、二人ながら生きられている。描写主体と対象を分ける必要はなく、どちらも体験した景色でよいのだ。

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かつて柄谷行人は、近代文学における写実的な描写が成立した条件について論じた。『日本近代文学の起源』。写実的な風景描写を可能にするのは、むしろ外界に関心を持たない内的な個人にほかならない。恐ろしく簡略化すると、遠近法的なコードで外界を割り切ってしまう内的な個人である。

乗代はどうか。彼の作品の描写は、景子と叔母が示したように、有契的・有縁的な人間関係によって成立している。乗代がいう「実感を書く」(『図書新聞』3439号)という表現に従うなら、「風景の発見」ならぬ「情景の発見」は、コギト的な「私は見る」ではなく、「私たちの体験」によって立ち上がるのである。

当然その描写の対象は、写実の雄・国木田独歩が遭遇したような自然の他者ではありえない。それは一瞬崇高なものとして現れるが、たちまち描写主体の鏡像(似姿)として囲い込まれるだろう。一方、乗代作品の描写対象は、家族的他者といったものだろう。実際彼の作品は、有契的・有縁的な人間関係、わけても家族が採用されてきた。家族とは部分が似るもの同士の集合であり、乗代の描写もまた、このファミリーリセンブランス(ウィトゲンシュタイン)的な集合によって成立している。

「例えば、我が家の書棚には佐々木マキの『やっぱりおおかみ』が、さしたる特別扱いもなく、時に応じてあらゆるところにささっていた。目の隠れたおおかみの子供はみんなが楽しそうなあらゆる場面で「け」と吐き散らし、他の言葉を一切もらさずうろつき回る。弟がひらがなの勉強を始めたばかりの頃、二つ上のおませな姉は「洋くんにも一人で読める字の絵本がある」とまずまずかわいいことを言ってそれを薦めた。最初こそ姉が読み聞かせてやったが、それまで「絵の絵本」しか読んだことがなかった我が弟は難なく「け」を覚え、たいそう喜んでそれだけを読み上げ、高らかな音を立てて次々ページをめくっていった。私と叔母はそれを見守っていたが、急にあるところで弟が振り返って私を指さし、叫ぶように「景ちゃんのけ!」だと教えた。/あれ以来ぜんぜん本なんか読まずにぴんぴん育った弟以上の解釈は、この目が黒いうちはちょっとできそうにない。あの日、得意げな弟が叔母に頭を撫でられてこの方、私にとっての景色は、どんなに筆舌を尽くそうとも「け」という聞えよがしの呪詛の言葉でふりだしに戻ってしまう。でも、それをさらに呪うわけではない。虫麻呂がこの世で人知れず発した「け」が一人きりの筑波山に向かわせたと考えることは、私の内面に今も血を行き渡らせ、それを書こうという気にさせてくれるのだから」(131-2)。

私が描写する「景色」は、おおかみの子供が吐き散らす「け」でもあり、弟が私に教えた「景ちゃんのけ」でもあり、虫麻呂が歌った万葉集長歌にある「よけく」でもある。それら(有契的な関係の痕跡をとどめた記号たち)が折り重なったものが景色として現れるのである。

確かに、こういった情景は、いまやどの作品にも探せば見出せるだろう。しかし、乗代はその描写の問題を方法として提示し、写実とは異なる描写の可能性を指し示している。

もちろん、乗代批判の常套句である「ブッキッシュ」なる語とともに、ヌーヴォー・ロマンの退屈な再演だとする意見もあるが、例えばビュトールの『時間割』(の日記)が写実的な描写を混濁させる点で「内的な個人」(むしろその徹底)にとどまっていたことを、蛇足ながら付け加えておいてもよいでしょう。

車窓からのカバー写真は朝岡英輔。温又柔や古川日出男とも仕事をしていますね。

さて、少し長かった私のブックカバーチャレンジも、ここでねじり、折り返します。4月28日

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【5日】チューニング

昨日柄谷行人を引用したのは理由があって、それは最近リアリズムを再検討しているからです。2000年代の文芸批評では、新しい文学ジャンル・ライトノベル(キャラクター小説)に着目し、従来のリアリズムの更新として「アニメまんが的リアリズム」(大塚英志)や「ゲーム的リアリズム」(東浩紀)が提示されました。

そのさいにはたいてい、純文学は「自然主義」や「写実主義」が割り当てられ、旧いリアリズムとされたんです。理論というものは図式化することなので理解できるわけですが、純文学をやってきてそれはやはり安易だろうという野暮な思いが半面つねにありました。実際、純文学でも写実主義が通用した時期なんてほとんどない。石川啄木明治43年にすでにそれを嘆いているわけです。

そもそも明治40年に確立されたとされる文学のスタイルを平成の純文学が堅持してきたと仮定して、それを乗り越えるスタイルがライトノベルにあったのなら、純文学にもじゃんじゃんそんな事例はあるんです。

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5日めからいっきに滑降していきたいブックカバーチャレンジ。

本日紹介するブックカバーは山崎ナオコーラ『文豪お墓まいり記』。

ゴールデンウィーク初日となる今日は、3密を避けるべく、芥川龍之介が眠る慈眼寺の墓参を決行。

慈眼寺のお墓は染井霊園に細い間道を挟んで隣接しており、巣鴨駅の裏手は緑豊かな墓地となっています。有名な染井霊園には二葉亭四迷高村光太郎も眠っていました。

お墓って町の境界にあることが多い。染井霊園は東京(江戸)の一つの界を示しているんでしょう。すぐ近くには豊島市場があり、旧中山道仲宿(縁切り榎)があります。

東京はお墓が見える町なんですよね。著名な文豪たちが眠る雑司ヶ谷や谷中もそうだけれど、北は巣鴨‐上野ラインをJR線沿いに歩いてみれば、はたまた、湾岸は高架の京急線に乗ってみれば、延々とお寺とお墓が連なって見えます。僕が生まれた播磨の町にも、町のキワには墓地があって、その墓地は日常の一部になじんでいるんだけれど、子供ながらそこを越えてはいけないという空気を感じたものでした。

とはいえ、自分と縁のないお墓はやはり居心地がよくはないですね。お墓を守っているみたいな塀上の白い猫ににらまれて、芥川のお墓を確認する前に退散しました。

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山崎ナオコーラの作品は墓参記ですが、最近気になっている文学ジャンルは、ルポを含めた何らかの探訪記や観戦記なんです。他者のルールに合わせて文学のルールをチューニングしていくことが求められるジャンルですね。

最近は、出れば楽しみにしているのがノヴェリスト高橋弘希の観戦記。彼の、小説作品とは一風違った観戦記のアイロニカルな文体は、異種格闘技の一戦をまじえるがゆえに編み出されるものでしょう。文学ならではのパフォーマンス。https://bunshun.jp/articles/-/10851

山崎ナオコーラの小説も、デビュー作『人のセックスを笑うな』(2004)以来、崇高な理念などないというところから始められます。限られた、与えられた手駒や役割からどんな一手が可能なのか? これは昨日見た乗代の、ファミリーリセンブランス的な描写とも通じるものだと思っています。

本文中の、各作家の特徴をつかんだイラストは、山崎本人によるもの。4月29日

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【6日】政治的人間

ここで三島由紀夫を取り上げるということは、私も年を取ったのだと思う。若気がドライブとなって新奇なものに惹かれるアヴァンギャルドな心性がなくなり、これまで関わってきた事物を俯瞰してみたくなる。

今日紹介する「豊饒の海」4部作の時代背景は明治末から著作刊行時の昭和45年前後にかけてで、まさに日本の近代を駆け抜けるのだが、そこには一貫して登場するキャラクターがいる。凡庸なる男、本多繁邦。理性を頑なに死守する彼が、学生時代に友人である松枝清顕(大正的なアナーキズム?)の激しい情動に揺さぶられ(『春の雪』)、判事時代に出会ったテロリスト・勲の純粋な行動に遠い憧れを抱き(『奔馬』)、インドのベナレス体験を機にそれら情動や行動、理性的なものも含めて一切合切相対化する視点をも持ち始める(『暁の寺』1部)のが齢47歳で、今の私と重なる。むろん私は本多ほどの余裕を持ちあわせていない。

今年は、三島由紀夫の死後50年で、東大全共闘との討論のドキュメンタリーを皮切りに、いくつかのイベントがあって盛り上がりもしただろうが、コロナの影響であえなく消沈したようである。ところで、批評家が三島を評価するさいに、全肯定する論者も全否定する論者も、疑ってかかった方がよいだろう。両義的にならざるをえないところがあるのである。

三島は、すべてがフィクションであるという美学的な諦念と、それでもなおその外に出たいという、それ自体美学的でもある倫理的な行動原則を併せ持っていた。思うにこれは近代の病といってよいかもしれない。

今回三島を紹介する理由は、政治的人間の代表者として言及したいからだが、最近の文学は、三島的な「悪さ」をなくしているのではないかという思いがあるからである。戦後民主主義は多様性の称揚が政治の主題となった。それが政治的良心である。しかし、三島は、その多様性を前提しつつ、天皇を掲げて行動する倫理原則を掲げた。それが東大全共闘との対立にも顕著に表れている。

この三島の両犠牲に近い作家として坂口安吾を想定してみたい。彼もまた、アナーキズム的な多様性を肯定しつつ(すべては「カラクリ」だとする)、「必要」という概念を提示することで冷笑的なアイロニーを牽制した。

最近読んだ石川義正の『政治的動物』は、その「動物」をめぐる記述よりも断然「建築」をめぐる記述が面白かったが、1つ腑に落ちない点があった。それは、安吾の「穴吊し」を異様滑稽なファルスとし、「死の荘厳」を抑制する「力学的崇高」の限界点に置くからだ。そしてその極限として三島の自死が置かれる。むろん『天人五衰』を書いた三島自身その異様滑稽さは承知の上でだろう。

しかし、安吾歴史小説「イノチガケ」(1940)を読むと、キリシタンの拷問史を記述するところで、穴吊しについて「穴の中で泣きわめいて死んだ」とする日本の公的な記録と、「穴に吊るされるや天人が天降って額の汗をぬぐった」という市井に流布した伝説が並置されているのが分かる。穴吊しで「死の荘厳」を抑制したかったのは国史の記述である。安吾探偵は両者の記録を天秤にかけた結果、国家の記述を「多分本当だろう」とするが、国家の記述の「穴」も示していることに注意したい(正史と異史を合わせ鏡にして正史の「穴」から歴史を記述し直すのは歴史探偵・安吾の必殺技)。「死の荘厳」のイデオロギーに批判的な安吾は、しかし、その批判によって冷笑的にふるまう立場も牽制している。

結局、石川は「力学的崇高」よりも「数学的崇高」の方が重要とするが、どちらも重要では何故ダメなんだろうか?

柄谷がNAMを創設した時は、たまたま近くにいたのだが、正直格好悪いなあと思っていた。彼の試みは2年ほどで失調するが、それ以降文学の世界ではアソシエーションという発想が潰えてしまったかに見える。今世紀に入って、柄谷がNAMを始めたり、文学フリマが始まったり、たぶんアソシエーションの発想でいこうとなったはずだが。

私は、三島の自死も、柄谷行人天皇への接近も、異様滑稽とは思わない。もちろん異様滑稽なのだが笑、「数学的崇高」にも打ちのめされながら、彼らがその行動に至った思考のプロセスを見ると、それを冷笑するだけで済まそうとは思えない。

三島のブックカバーはおなじみ新潮文庫のオレンジカラー。ブックカバーチャレンジに招待してくださった青木純一さんの『三島由紀夫 小説家の問題』もどうぞ。4月30日

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【7日】ブックカバーに収まらない言葉たち

ちゃぶ台をひっくり返すようで恐縮だが、私は、根本的なところ、政治や座の営業なんてどうでもいいと思っている。

文学というものは、言葉さえあれば、どの媒体にも宿りうる奇妙なジャンルだといってよい。言葉だけなのだから、自由度が無限にあるようで、逆に厳しい制約のあるジャンルでもある。

言葉はしかし一枚岩なのではない。私たちとの間に有契的な関係を切り結んでいる。それは音韻のレベルから単語の意味、語用、文のまとまりまで、あるいはまた描写や内言、会話など、はたまたストーリーとキャラクターとナレーションといったジャンルの規則もある。詩と散文、また純文学とジャンル小説といったジャンル間ではその規則の濃度が異なってくる。

文学史の中では、この様々な規則の境界線や濃淡を読み取り、ジャンルの更新とともに現れる作品がある。今日紹介するni_kaのAR詩も、その貴重な試みによって成立した作品群である。私は、記憶が間違っていなければ、東北の震災の少し前にAR詩を知り、その詩でもアートでもない表現に興奮したことを覚えている。

文学は、ケータイ小説をはじめ現在の小説投稿サイトの作品もあわせれば、宇宙的に広大な領野を持つジャンルであり、純文学はその小さな銀河にすぎない。

ni_kaのAR詩はそもそも町中でケータイを掲げることで成立する作品だったし、そのAR詩の前身であるモニタ詩は、ブログの閉鎖とともに見られなくなってしまった。それらは、ブックカバーに収まらない、はかない言葉たちであるが、広大な宇宙の中でたまたま私はその言葉たちを発見し、作品を読む快楽を教えてもらったように思う。

最後に、最近ni_kaが小説投稿サイトで連載していた、詩か散文か散文詩かわからない作品(『文学+』2号のni_ka論文と通底する内容もあります)を紹介しておきます。5月1日

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