感情レヴュー

中沢忠之、『文学+』を刊行する「凡庸の会」同人

2020年代の文学を考えるために

7日間ブックカバーチャレンジ

【1日】メジャー文芸誌体制

文芸批評家の青木純一さんからブックカバーチャレンジのバトンを受け取りました。
私は、文学史家として笑、これから10年間の文学を考える手引きとしたい本のブックカバーを7日間にわたってアップします。
まず1日めは文芸誌の『文藝』。

こと純文学にとっては、メジャー文芸誌は大きな制度です。昭和の時代をかけて現在のような文芸誌体制が確立されたわけですが、平成(1990年代)に入ると特に批評家たちから、芥川賞など既成文学賞とともに文芸誌体制がおりにふれ批判されるようになります。その現状肯定的な制度設計から、各出版社のサブカルチャーに依存した赤字体質まで、批判の内容はいくつかありました。

2000年代は純文学論争なども交えて文芸誌に対する批判が過激化します。「近代文学の終り」(柄谷行人)なる評語とともにそれを支えたメジャー文芸誌も非難の対象になる。他方、批判を加えた批評家が2000年代最初の10年を通して存在感を低減する一方で、批評家に依存しない紙面作りを徹底させたのが2010年代でした。

昨年は文芸誌の復活が喧伝されましたが、今年に入り『群像』が批評を積極的に取り入れる布陣を組んで注目されてもいます。かつては批評の『群像』といわれた時代もあったわけですが、『文学界』や『すばる』も少し前から批評を取り入れ始めていました。

ただ、様々なジャンルから批評を取り入れる『群像』が典型的なように、どの文芸誌も1980年代のニューアカ的な批評の時代を復活させたような印象を与えるのに対して、リニューアル『文藝』は、批評よりも書評(ブックガイド)を徹底したラインナップでクリティカルな仕事をしています。批評を見限っている『文藝』こそ批評的であるという逆説。
批評を活用するなら、その信条を明確にしている『すばる』くらい徹底してやった方がよいのではと個人的には思います。「すばるクリティーク賞」とかね。

それから、書肆侃侃房が『たべるのがおそい』をやめてまで佐々木敦と『ことばと』を始めましたが、執筆陣といい新人賞の創設といい、以前の地方同人誌的な文学ムックからメジャー文芸誌みたいになったのが気になっています。まだ1号なので、今後の展開を楽しみにしております。
ということで、初回は、いま最も注目したい文芸誌として『文藝』のブックカバーを紹介します。4月25日

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【2日】同人誌カルチャー

青木純一さんの秘かな悪意が感じられる(笑)若合春侑からバトンを受け取ったブックカバーチャレンジ2日め。

メジャー文芸誌に言及したので、同人誌カルチャーにも言及するべきでしょう。文学の世界では、地方誌・同人誌カルチャーは古くからあるもので、むしろ近代以前は、歌や徘徊、都々逸・浪花節といった謡曲などは、宗匠を中心に座が形成されて地方の表現文化を育んでいました。近代に入ってもそれは残っていた。

今振り返ると、僕の幼少期の1970~80年代には、町には自宅で芸事や習字などを教える先生がいたものだけれど、それらがコンビニ的な学習塾や習い事に一変していくちょうど過渡期だったように思います。

文学もまた、文芸誌体制が確立された昭和の頃は地方や仲間内の同人誌に活気があり(道楽のメセナ的な資本が支えたといったこともあったわけですが)、そこで鍛え上げられた作家がメジャー文芸誌に名乗り出るという文脈もあった。

『文学界』の50年続いた「同人雑誌評」が終わるのが2008年で(以降『三田文学』が継承)、その時にリスト化された地方同人誌は320。なかなかの数ではあります。

他方、2000年代は、オフセット出版やオンデマンド出版が身近なものになり、ブログなどウェブ発信にくわえ、2002年から始まった文学フリマといった環境の整備が、メジャー文芸誌のタワーを介さない地方誌・同人誌カルチャーの新たな方向性を与えました。

この頃は、作家たちもブログや同人誌に可能性を見出すなどしているのだが、文芸誌が2010年代を通して口うるさい批評家を切り捨てる反面、作家の純粋培養媒体となり、文芸誌以外を積極的に活用する作家は見られなくなります(細々と同人誌など出している作家を知っていますが)。

一方の批評家はといえば、発表の媒体を自分で調達するしかないので、最近は同人誌カルチャーの一翼を担っています。この功績の少なくない部分は佐々木敦東浩紀にあるでしょう。

2008年頃の「ゼロアカ道場」は宗匠東浩紀が作った座でした。もちろん東もまた、かつて『批評空間』にお墨付きを頂戴して世に出たのである。

1970年前後の世代で批評家としてやっていけている人が少ないのは、『批評空間』の一極集中に馴れすぎていたからだと考えることがあります。僕もその世代ですが、『批評空間』のお家騒動があった後、その座に馴れ親しんだ若い世代は端的に途方にくれた。その前に破門されていた東浩紀や、『批評空間』の影響を受けていなかった佐々木敦らが、次の世代(1980年前後)の受け皿になったわけです。

文学とはこういった前近代的宗匠の襲名儀式が大切で、作品の内容や作家・批評家の技術なんてどうでもいいといいたいのではありません。地方や仲間たちで切り盛りされる、名や家や流派の継承や離反でカルチャーを育んできた歴史が文学にはあるということです。

さて、最近の若い世代による同人誌で注目しているのは批評集団・大失敗による『大失敗』です。上の世代の知と技術を継承・再利用しながら、SNSやラジオなども活用し、関西圏を中心に新しい座を形成している。彼らがいま何に関心を持ち、何をどのように考えているのか、いつも興味を持って接しています。
私どもも2年前にシニアな同人誌を始め、このところようやく2号発行にこぎつけたので、なにとぞご贔屓ください。4月26日

*前近代的な地方誌・同人誌カルチャーについては、『文学+』2号・明治文学座談会の出口智之の発言に啓発されたものです。

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【3日】性的人間

ブックカバーチャレンジ3日め。前回までは文学の制度面の話でしたが、ここからは作品の話を。

他の6日分は容易に選択できたのだけれど、これが最も悩んだかもしれません。
文学といえば、近代以降、性的人間と政治的人間を描くことに執着してきたジャンルといえます。

平成文学の特徴を第一に上げるとすれば、女性作家の進出でしょう。女性と男性という対立が一面的だとすれば、非男性作家とした方がよいですね。
批評家に女性が少ないと批判されることがあって、そんなの知ったこっちゃないと思っていますが、文学は戦後(68年以降か)日本の社会の中では相対的に性の問題には柔軟だったといえます。

ただし、橋本治など例外はありますが、平成(68年?)以降の文学で性的人間を展開しえたのは非男性作家ではなかったでしょうか。それは最近の男性批評家が性の問題を「動物」の比喩で記述しようとするところにも表れているように思われます。

恐らく私も、性の問題として語りうるものには、「動物」などより汎用性のありそうな比喩や形象で記述するような気がします。実際、私は今日紹介する村田沙耶香を論じる時に、性の問題を(「擬態」の比喩で)回避しました。

性の問題を扱う作家は少なくはないですが、村田が特筆すべきなのは、それを物語に展開する力を持っていることです。ほとんどの純文学作家は、性(マイノリティ)の問題を文体でどうにかしようとするのですが(むろんそれも大切な手続きです)、村田は物語のプロットやキャラクターにも自在に展開できる。

なおかつ、物語とはベクトルが異なる私小説的な読み(つまり他人事ではない)を可能にする文体とパラテクストの構築にも余念がない(私が論じたのはこのあたり)。
前任者は松浦理英子でしょう。『犬身』もおすすめしますが、今日は村田の真骨頂である『消滅世界』のブックカバーをお楽しみください。4月27日

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【4日】情景の発見

ブックカバーチャレンジ4日め。折り返し点にふさわしい作家、乗代雄介を紹介します。

僕は前回の芥川賞では彼の作品に最もひかれました。前回のみならず、最近だと山崎ナオコーラの『美しい距離』以来の大ヒット。いずれも受賞ならずでしたが、乗代は以来読み始め、『最高の任務』が偶然の出来ではなく、デビュー以来の練られた技術によるものだと知ることができました。

彼の魅力の1つはその描写にあります。そこで、まず、ここ最近文学では描写があまりかえりみられなかったということをおさえておきたい。軽視されがちだったわけです。個物を一々丹念に描写するよりも、固有名をばちっと与え、物語における役割を割り振った方が、速度が求められる情報処理としては十分ではないか?

乗代はそんな中で描写を作品の主題にしたのでした。「私はこの目に映る景色について書くことが好きだ」(『最高の任務』、講談社、131)。では、彼の作品は写実的なのかというと、全然そんなことはありません。

例えば、芥川賞にノミネートされた『最高の任務』は、親愛なる叔母との旅路を、叔母が亡くなった後に辿り直す大学生・景子が、その叔母との思い出を交えながら記述する日記(それは書くことが喪に服すことでもある)のパートと、景子の家族が、叔母の思いを引きずった景子を連れ出す旅路のパートが交互に入れ替わりながら物語を進めていく。

「車窓からの景色というのは、列車の動きと一緒に記憶されているのだろうか。後ろに流れていく風景としての町並みや田圃は、私がふとその場所に立たされたら、そこが車窓から叔母と眺めて指さしたあの場所だとすぐにわかって、手を振りたくなるような、そんな気持ちになるだろうか」(131)

景子(私)がとらえる景色は、叔母の視線に重ねられていることに注意してほしい。どちらのパートにせよ、彼女の描写は、このように叔母の視線・叔母の記憶をたどることによって成立している。

以前叔母と旅行をした閑居山を一人辿り直す道中の日記。作品前半の山場。叔母が入った金堀穴に、今度は景子がひとり入って出てくるシーン。

「外の弱々しい光が鳥肌をなだめるのを感じる。それにさえ眩みながら、二年前の叔母がしばらく目を閉じていたことを思い出す。それでも私が何か持っているのはわかったらしく、「何見つけたの?」と目をつむったまま訊いてきた」(122)

暗闇になじんだ目に刺す光に眩み、目を閉じてしまうのは誰か。それは二年前の叔母であり、二年後の私でもある。この景色は、二人ながら生きられている。描写主体と対象を分ける必要はなく、どちらも体験した景色でよいのだ。

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かつて柄谷行人は、近代文学における写実的な描写が成立した条件について論じた。『日本近代文学の起源』。写実的な風景描写を可能にするのは、むしろ外界に関心を持たない内的な個人にほかならない。恐ろしく簡略化すると、遠近法的なコードで外界を割り切ってしまう内的な個人である。

乗代はどうか。彼の作品の描写は、景子と叔母が示したように、有契的・有縁的な人間関係によって成立している。乗代がいう「実感を書く」(『図書新聞』3439号)という表現に従うなら、「風景の発見」ならぬ「情景の発見」は、コギト的な「私は見る」ではなく、「私たちの体験」によって立ち上がるのである。

当然その描写の対象は、写実の雄・国木田独歩が遭遇したような自然の他者ではありえない。それは一瞬崇高なものとして現れるが、たちまち描写主体の鏡像(似姿)として囲い込まれるだろう。一方、乗代作品の描写対象は、家族的他者といったものだろう。実際彼の作品は、有契的・有縁的な人間関係、わけても家族が採用されてきた。家族とは部分が似るもの同士の集合であり、乗代の描写もまた、このファミリーリセンブランス(ウィトゲンシュタイン)的な集合によって成立している。

「例えば、我が家の書棚には佐々木マキの『やっぱりおおかみ』が、さしたる特別扱いもなく、時に応じてあらゆるところにささっていた。目の隠れたおおかみの子供はみんなが楽しそうなあらゆる場面で「け」と吐き散らし、他の言葉を一切もらさずうろつき回る。弟がひらがなの勉強を始めたばかりの頃、二つ上のおませな姉は「洋くんにも一人で読める字の絵本がある」とまずまずかわいいことを言ってそれを薦めた。最初こそ姉が読み聞かせてやったが、それまで「絵の絵本」しか読んだことがなかった我が弟は難なく「け」を覚え、たいそう喜んでそれだけを読み上げ、高らかな音を立てて次々ページをめくっていった。私と叔母はそれを見守っていたが、急にあるところで弟が振り返って私を指さし、叫ぶように「景ちゃんのけ!」だと教えた。/あれ以来ぜんぜん本なんか読まずにぴんぴん育った弟以上の解釈は、この目が黒いうちはちょっとできそうにない。あの日、得意げな弟が叔母に頭を撫でられてこの方、私にとっての景色は、どんなに筆舌を尽くそうとも「け」という聞えよがしの呪詛の言葉でふりだしに戻ってしまう。でも、それをさらに呪うわけではない。虫麻呂がこの世で人知れず発した「け」が一人きりの筑波山に向かわせたと考えることは、私の内面に今も血を行き渡らせ、それを書こうという気にさせてくれるのだから」(131-2)。

私が描写する「景色」は、おおかみの子供が吐き散らす「け」でもあり、弟が私に教えた「景ちゃんのけ」でもあり、虫麻呂が歌った万葉集長歌にある「よけく」でもある。それら(有契的な関係の痕跡をとどめた記号たち)が折り重なったものが景色として現れるのである。

確かに、こういった情景は、いまやどの作品にも探せば見出せるだろう。しかし、乗代はその描写の問題を方法として提示し、写実とは異なる描写の可能性を指し示している。

もちろん、乗代批判の常套句である「ブッキッシュ」なる語とともに、ヌーヴォー・ロマンの退屈な再演だとする意見もあるが、例えばビュトールの『時間割』(の日記)が写実的な描写を混濁させる点で「内的な個人」(むしろその徹底)にとどまっていたことを、蛇足ながら付け加えておいてもよいでしょう。

車窓からのカバー写真は朝岡英輔。温又柔や古川日出男とも仕事をしていますね。

さて、少し長かった私のブックカバーチャレンジも、ここでねじり、折り返します。4月28日

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【5日】チューニング

昨日柄谷行人を引用したのは理由があって、それは最近リアリズムを再検討しているからです。2000年代の文芸批評では、新しい文学ジャンル・ライトノベル(キャラクター小説)に着目し、従来のリアリズムの更新として「アニメまんが的リアリズム」(大塚英志)や「ゲーム的リアリズム」(東浩紀)が提示されました。

そのさいにはたいてい、純文学は「自然主義」や「写実主義」が割り当てられ、旧いリアリズムとされたんです。理論というものは図式化することなので理解できるわけですが、純文学をやってきてそれはやはり安易だろうという野暮な思いが半面つねにありました。実際、純文学でも写実主義が通用した時期なんてほとんどない。石川啄木明治43年にすでにそれを嘆いているわけです。

そもそも明治40年に確立されたとされる文学のスタイルを平成の純文学が堅持してきたと仮定して、それを乗り越えるスタイルがライトノベルにあったのなら、純文学にもじゃんじゃんそんな事例はあるんです。

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5日めからいっきに滑降していきたいブックカバーチャレンジ。

本日紹介するブックカバーは山崎ナオコーラ『文豪お墓まいり記』。

ゴールデンウィーク初日となる今日は、3密を避けるべく、芥川龍之介が眠る慈眼寺の墓参を決行。

慈眼寺のお墓は染井霊園に細い間道を挟んで隣接しており、巣鴨駅の裏手は緑豊かな墓地となっています。有名な染井霊園には二葉亭四迷高村光太郎も眠っていました。

お墓って町の境界にあることが多い。染井霊園は東京(江戸)の一つの界を示しているんでしょう。すぐ近くには豊島市場があり、旧中山道仲宿(縁切り榎)があります。

東京はお墓が見える町なんですよね。著名な文豪たちが眠る雑司ヶ谷や谷中もそうだけれど、北は巣鴨‐上野ラインをJR線沿いに歩いてみれば、はたまた、湾岸は高架の京急線に乗ってみれば、延々とお寺とお墓が連なって見えます。僕が生まれた播磨の町にも、町のキワには墓地があって、その墓地は日常の一部になじんでいるんだけれど、子供ながらそこを越えてはいけないという空気を感じたものでした。

とはいえ、自分と縁のないお墓はやはり居心地がよくはないですね。お墓を守っているみたいな塀上の白い猫ににらまれて、芥川のお墓を確認する前に退散しました。

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山崎ナオコーラの作品は墓参記ですが、最近気になっている文学ジャンルは、ルポを含めた何らかの探訪記や観戦記なんです。他者のルールに合わせて文学のルールをチューニングしていくことが求められるジャンルですね。

最近は、出れば楽しみにしているのがノヴェリスト高橋弘希の観戦記。彼の、小説作品とは一風違った観戦記のアイロニカルな文体は、異種格闘技の一戦をまじえるがゆえに編み出されるものでしょう。文学ならではのパフォーマンス。https://bunshun.jp/articles/-/10851

山崎ナオコーラの小説も、デビュー作『人のセックスを笑うな』(2004)以来、崇高な理念などないというところから始められます。限られた、与えられた手駒や役割からどんな一手が可能なのか? これは昨日見た乗代の、ファミリーリセンブランス的な描写とも通じるものだと思っています。

本文中の、各作家の特徴をつかんだイラストは、山崎本人によるもの。4月29日

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【6日】政治的人間

ここで三島由紀夫を取り上げるということは、私も年を取ったのだと思う。若気がドライブとなって新奇なものに惹かれるアヴァンギャルドな心性がなくなり、これまで関わってきた事物を俯瞰してみたくなる。

今日紹介する「豊饒の海」4部作の時代背景は明治末から著作刊行時の昭和45年前後にかけてで、まさに日本の近代を駆け抜けるのだが、そこには一貫して登場するキャラクターがいる。凡庸なる男、本多繁邦。理性を頑なに死守する彼が、学生時代に友人である松枝清顕(大正的なアナーキズム?)の激しい情動に揺さぶられ(『春の雪』)、判事時代に出会ったテロリスト・勲の純粋な行動に遠い憧れを抱き(『奔馬』)、インドのベナレス体験を機にそれら情動や行動、理性的なものも含めて一切合切相対化する視点をも持ち始める(『暁の寺』1部)のが齢47歳で、今の私と重なる。むろん私は本多ほどの余裕を持ちあわせていない。

今年は、三島由紀夫の死後50年で、東大全共闘との討論のドキュメンタリーを皮切りに、いくつかのイベントがあって盛り上がりもしただろうが、コロナの影響であえなく消沈したようである。ところで、批評家が三島を評価するさいに、全肯定する論者も全否定する論者も、疑ってかかった方がよいだろう。両義的にならざるをえないところがあるのである。

三島は、すべてがフィクションであるという美学的な諦念と、それでもなおその外に出たいという、それ自体美学的でもある倫理的な行動原則を併せ持っていた。思うにこれは近代の病といってよいかもしれない。

今回三島を紹介する理由は、政治的人間の代表者として言及したいからだが、最近の文学は、三島的な「悪さ」をなくしているのではないかという思いがあるからである。戦後民主主義は多様性の称揚が政治の主題となった。それが政治的良心である。しかし、三島は、その多様性を前提しつつ、天皇を掲げて行動する倫理原則を掲げた。それが東大全共闘との対立にも顕著に表れている。

この三島の両犠牲に近い作家として坂口安吾を想定してみたい。彼もまた、アナーキズム的な多様性を肯定しつつ(すべては「カラクリ」だとする)、「必要」という概念を提示することで冷笑的なアイロニーを牽制した。

最近読んだ石川義正の『政治的動物』は、その「動物」をめぐる記述よりも断然「建築」をめぐる記述が面白かったが、1つ腑に落ちない点があった。それは、安吾の「穴吊し」を異様滑稽なファルスとし、「死の荘厳」を抑制する「力学的崇高」の限界点に置くからだ。そしてその極限として三島の自死が置かれる。むろん『天人五衰』を書いた三島自身その異様滑稽さは承知の上でだろう。

しかし、安吾歴史小説「イノチガケ」(1940)を読むと、キリシタンの拷問史を記述するところで、穴吊しについて「穴の中で泣きわめいて死んだ」とする日本の公的な記録と、「穴に吊るされるや天人が天降って額の汗をぬぐった」という市井に流布した伝説が並置されているのが分かる。穴吊しで「死の荘厳」を抑制したかったのは国史の記述である。安吾探偵は両者の記録を天秤にかけた結果、国家の記述を「多分本当だろう」とするが、国家の記述の「穴」も示していることに注意したい(正史と異史を合わせ鏡にして正史の「穴」から歴史を記述し直すのは歴史探偵・安吾の必殺技)。「死の荘厳」のイデオロギーに批判的な安吾は、しかし、その批判によって冷笑的にふるまう立場も牽制している。

結局、石川は「力学的崇高」よりも「数学的崇高」の方が重要とするが、どちらも重要では何故ダメなんだろうか?

柄谷がNAMを創設した時は、たまたま近くにいたのだが、正直格好悪いなあと思っていた。彼の試みは2年ほどで失調するが、それ以降文学の世界ではアソシエーションという発想が潰えてしまったかに見える。今世紀に入って、柄谷がNAMを始めたり、文学フリマが始まったり、たぶんアソシエーションの発想でいこうとなったはずだが。

私は、三島の自死も、柄谷行人天皇への接近も、異様滑稽とは思わない。もちろん異様滑稽なのだが笑、「数学的崇高」にも打ちのめされながら、彼らがその行動に至った思考のプロセスを見ると、それを冷笑するだけで済まそうとは思えない。

三島のブックカバーはおなじみ新潮文庫のオレンジカラー。ブックカバーチャレンジに招待してくださった青木純一さんの『三島由紀夫 小説家の問題』もどうぞ。4月30日

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【7日】ブックカバーに収まらない言葉たち

ちゃぶ台をひっくり返すようで恐縮だが、私は、根本的なところ、政治や座の営業なんてどうでもいいと思っている。

文学というものは、言葉さえあれば、どの媒体にも宿りうる奇妙なジャンルだといってよい。言葉だけなのだから、自由度が無限にあるようで、逆に厳しい制約のあるジャンルでもある。

言葉はしかし一枚岩なのではない。私たちとの間に有契的な関係を切り結んでいる。それは音韻のレベルから単語の意味、語用、文のまとまりまで、あるいはまた描写や内言、会話など、はたまたストーリーとキャラクターとナレーションといったジャンルの規則もある。詩と散文、また純文学とジャンル小説といったジャンル間ではその規則の濃度が異なってくる。

文学史の中では、この様々な規則の境界線や濃淡を読み取り、ジャンルの更新とともに現れる作品がある。今日紹介するni_kaのAR詩も、その貴重な試みによって成立した作品群である。私は、記憶が間違っていなければ、東北の震災の少し前にAR詩を知り、その詩でもアートでもない表現に興奮したことを覚えている。

文学は、ケータイ小説をはじめ現在の小説投稿サイトの作品もあわせれば、宇宙的に広大な領野を持つジャンルであり、純文学はその小さな銀河にすぎない。

ni_kaのAR詩はそもそも町中でケータイを掲げることで成立する作品だったし、そのAR詩の前身であるモニタ詩は、ブログの閉鎖とともに見られなくなってしまった。それらは、ブックカバーに収まらない、はかない言葉たちであるが、広大な宇宙の中でたまたま私はその言葉たちを発見し、作品を読む快楽を教えてもらったように思う。

最後に、最近ni_kaが小説投稿サイトで連載していた、詩か散文か散文詩かわからない作品(『文学+』2号のni_ka論文と通底する内容もあります)を紹介しておきます。5月1日

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