感情レヴュー

中沢忠之、『文学+』を刊行する「凡庸の会」同人

第33回三島由紀夫賞雑感

誤解を恐れずに言えば、文学が哲学などの営為と決定的に異なるのは、読者がいることである。いくら手法を研ぎ澄ませ、思弁的になっても、読者が付いてこなければ意味がない。読者層をどのレベルに想定するのかはその次の話だ。

平成文学は、女性・非男性作家の進出が目立ったが、他にライトノベルケータイ小説など中間小説的なジャンルの生成が際立った。見方を変えれば、読者が細分化し―それが可視化され―た時代である。

9月17日は、第33回三島由紀夫賞の選考がある。対象作品は純文学から選ばれる。純文学は市場の影響を直接受けないジャンルなので、各文芸誌が設けた新人賞と文学賞が作品評価の1つの指針となる。文学賞は文壇ギルド(大宅壮一)の徒弟制度的な側面を持つが、世間に向けて「これがよい作品です」というアナウンス効果の側面も持つ。

そういう意味では、文学賞は、インフレにならない程度に色々あった方が楽しいとは思う。短篇小説を対象とした川端康成賞は、1974年から続いていたが、財政上の問題などから昨年休止が発表された。有志が集まり、クラウドファンディングの活用を含めどういった形態であれ存続できなくはないと思うのだが。川端は修士論文でお世話になっているので、私がやりたいくらいである。

三島由紀夫が没後50年なので、三島賞はもっと盛り上がってよいはずだが、そうでもないらしい。三島賞(新潮社)は1988年開始でそう古くもない文学賞だが、芥川賞文藝春秋)・野間文芸新人賞講談社)とあわせてメジャー文芸誌による「三賞」の一角を占める。

三島賞が注目を集め始めたのは、2000年に島田雅彦福田和也(当時39歳と40歳)を選考委員に招き入れ、平均年齢をいっきに下げる体制を敷いた時である。その島田+福田を加えた新体制の初年に星野智幸が受賞、翌年には青山真治中原昌也がW受賞、02年に舞城王太郎が受賞した頃は、保守本流芥川賞に対抗する三島賞の存在感が際立っていた*1

ただし、芥川賞が、小川洋子川上弘美を選考委員に加えた07年あたりから急激に若返りを進めた(というよりも80年代以降にデビューした作家が順当に選考委員に組み込まれた)こともあり、芥川賞ばかり注目されるようになった半面、三島賞の独自性はなくなった。

そんななかで、今回の三島賞には注目している。河崎秋子の存在である。彼女はこれまでエンターテインメント文学の文脈で評価されてきた。またメジャー文芸誌の出自ではなく、地元の北海道でキャリアを重ねてきた作家(元羊飼い)だ。いわば純文学=文芸誌体制とは別の生態系にいるわけである。

今回ノミネートされた5作品はほぼ横並びでどれも面白く読んだが(ただ『かか』は分量が少ないぶん印象が薄いのは否めない)、私の感想は、河崎秋子『土に贖う』と千葉雅也『デッドライン』が若干抜けているように感じた。

5作品の主題をタグ付けすると、『土に贖う』が「#北海道」「#労働文学」、『デッドライン』が「#ジェンダー」「#院生」、宇佐見りん『かか』が「#家族」「#精神疾患」、崔実「pray human」が「#性暴力」「#精神疾患」、高山羽根子首里の馬』が「#沖縄」「#歴史の記録」となる。

どの作品も主題が明確。なおかつ『土に贖う』以外は、物語よりも手法優先型である。言い換えれば、『土に贖う』以外の4作品は、手法優先型だが、いずれも主題が見えやすい。これらは、主題と手法の「だらしない結びつき」―主題を利用した手法の「ごまかし」―があるだろうか? 矢野利裕に聞いてみたいところである。

『土に贖う』は、2016年から4年間かけて発表された短篇7作を、「北海道」「労働文学」を一貫する主題としてまとめたオムニバス作品である。時代背景は明治から現代(とくに昭和)までの日本の近代であり、北海道を舞台に、それぞれの時代をそれぞれの農民・労働者たち―札幌の蚕業、茨散沼のミンク業、石狩のハッカ栽培、放浪する海鳥狩り、札幌近郊の蹄鉄業、野幌のレンガ工場と陶芸―が営む生を物語る。彼らの生は時の経済や政治(戦争)によって翻弄される。

文学史的には、農民・労働者にフォーカスしたプロレタリア文学はエンターテインメント文学と親和性が高い。疎外論は物語の定型と馴染みやすいし、読者もまた物語を求めている。木村友祐の作品がエンタメ的と指摘されるのは必然的なところがある。

『土に贖う』もまた物語を積極採用している。エンターテインメントの作家による作品らしく、手法よりも物語が前景化する。ただし、河崎秋子が特異なのは、物語を手法として活用しているところにほかならない。むろん物語も手法の1つである。河崎は、単に労働者たちを物語の定型に落とし込んだのではなく、物語の定型を生きざるをえない労働者たちを描いたのだ。「ああ、こういうものかと状況を存外冷静に受け止めている自分がいた。為されるべきことが為されているのだ。皆が認めていることだ。そう思うと体が弛んで、男の汗ばんだ体の重みを受け入れていた」(89-90)。「戦争が始まると、上の兄から順々に兵隊に取られ、家族は食い扶持が減るからとむしろ喜んで送り出した」(202)。私たちの生は、散文的なものだが、物語の定型を生きさせられる側面があることもまた事実だ。彼らの生を描くために物語が手法として必要だったのである。

『土に贖う』は、5作品の中でいわゆる手法から最も遠いように見える。しかしそこには、手法―物語を採用するという手法―に対する冷徹な自己言及が裏書きされている。

純文学は、市場で売れるよりも文芸誌に掲載されることが重要視される。だから、エンターテインメント文学の物語よりも手法―文体や叙述ともいわれる―に存在意義を見出しがちである。物語と手法。物語はグローバル化しやすいが、何かを抑圧することによって成立する。手法は抑圧を批判するが、その洗練はしかしガラパゴス化しやすい。

ところで、円堂都司昭が、高橋源一郎の発言を引いて、平成文学は「主題が東京から地方へ移った」と解説している。

https://realsound.jp/book/2020/09/post-615756.html
IT革命、ケータイ小説ライトノベル……“ゼロ年代”に文学はどう変化した? 文学批評の衰萎と女性作家の台頭

ただし、主題は多様化したとはいえ、実態は東京1極集中、というのが平成文学以降のポストコロニアルな現状ではあろう。東京に住んで長い私が地方文学の件について雄弁に語る資格はない。同人誌の通販に関わってみて実感したのは、地方からの購入者が絶望的に少ないことである(東京近県で7割程度を占め、東京・神奈川・千葉・埼玉・大阪・兵庫・愛知以外は1割程度ではないか)。

北海道は高等教育機関が比較的多いので、購入していただいた方は地方の中でも多い方である。昨年12月に『現代北海道文学論―来るべき『惑星思考』に向けて』が刊行されている。そこには河崎論があり、また河崎自身の評論もある。14年刊行の『北の想像力―《北海道文学》と《北海道SF》をめぐる思索の旅』もふくめ、編著者の岡和田晃の仕事は貴重である。

これからは東京の体力もなくなっていくので、現状を批判しても意味がない。私にできることは何もないが、お世話になった姫路市長野市の高校に『文学+』を自腹で寄贈させていただくことくらいならできます。すでに1校寄贈させてもらいましたが、興味のある教員・司書の方は、注文フォームの「創刊号(定価1,200円)もお買い求めの方は、こちらに部数をご記入ください」欄にその旨を記載して送ってください。
注文フォーム↓
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSew_Ha0bYKc6LU6pfDn_WiyYHw8ayxGhAoc-KjfmO4Rn0sSBg/viewform

*1:ちなみに、2000年前後といえば、文芸誌における文芸批評に地殻変動があった時代でもある。福田は1997年から『新潮』新人賞の選考委員だったが、その新人賞に99年から評論部門(07年まで)が追加される。03年から04年に島田の「無限カノン3部作」をめぐって島田と福田の(自作自演的な?)論争が『新潮』誌上で展開されもした。伝統的に批評に熱心ではなかった『新潮』が福田のもとで批評に寄り添った時代がゼロ年代の前半である。一方、『群像』は、99年に新人賞の選考委員を柄谷行人が降り、翌年から加藤典洋がその座を占めることになる。福田に限っていえば、03年の『en₋taxi』創刊あたりから文芸誌周辺で何かを仕掛けることに飽きたのではないか。