感情レヴュー

中沢忠之、『文学+』を刊行する「凡庸の会」同人

極北の一ケース

これほどまでに安っぽい背景の中で、これほどまでにいい加減な人物設定で制作された、この種のジャンルを我々はいまだかつて見たことがないはずだ。それにしても何故また我々は、性懲りもなく見てしまうのか。『キイナ 不可能犯罪捜査官』(http://www.ntv.co.jp/kiina/index.html)を見ることは、しかしそんな反語をもてあそぶ口を挫く体験でもある。

議論するために、まずはジャンル内の位置付けを確認しておく。本作は、『ケイゾク』(1999)‐『TRICK』(2000)で一画期が引かれる、オカルト設定を取り込んだ刑事・探偵ものテレビドラマの系譜に列なるものである*1
オカルト設定を取り込んだ刑事・探偵ものとは、説明がつかない超常現象が事件解決に不可分に関っているという設定を主要なプロットにした、刑事・探偵もののサブジャンルであると定義することがひとまずできるだろう。
この種のジャンルの主人公はなんらかの特技なり特徴をもっているものだが、キイナ(菅野美穂)の特徴は、特別に秀でた知識なり教養がないところである。謎解き能力もとくに優れているわけではない(周囲の助けが必要なほど脆弱性を晒している)。
むしろオカルト設定を取り込んだ刑事・探偵ものは、しばしば、謎解き自体には見るべきところはないジャンルである。そこでは、あらかじめ謎は推察できる範囲に限られているのだ(犯人の見当がつく)。しかしオカルトの超常現象がそれ(推察可能な謎)を、視界を遮る霧のように覆っているので、まずはそのオカルトの側面を取り除かなければならない。それが主要なプロットとなるのである。つまり、この種の刑事・探偵ものはある意味倒叙トリックなのであり*2、あらかじめ推察可能な謎(事件)とオカルト的な現象をいかに手際よく(合理的に)結び付けるかが見せ所であり、その能力を持つ者が主人公ということになる。
その結び付けのために、ある場合は奇術という特殊技能を必要としたし(『TRICK』)、ある場合は物理学の教養を必要とした(『ガリレオ』2007)のだった。
キイナにはしかしそのような、時間をかけて習得されうる専門的な教養や技能がないのだが、人並みはずれた情報処理能力(速読など)と記憶力がある。ここがポイントだ。それによって彼女は、オカルトから現代科学まであらゆるデータ(物理学や奇術もそのうちの要素)を超高速で収集し、諸々のデータを一つ一つ連絡させながら、オカルト的な現象を解釈可能なものに開き、事件に結び付けるだろう。
諸々のデータを連絡させるといっても、キイナの特徴は、相互に無関係なジャンルから得たデータを、なんの躊躇いもなく連絡させて一つの謎解きストーリーを編むところである。ここでは超常現象のデータでさえも、過去に事例としてたった一度でもありさえすれば(新聞に掲載されていたとか)、科学の客観的なデータと並んで等しく謎解きの手掛かりに採用されるのである*3。データとして検証可能であれば、オカルトも物理学も序列の差はなく同等の権利を持つというわけだ。
かつてならオカルト的設定は心理学的な要素(サイコ)との親和性が高かったはずだ(たとえば『ケイゾク』、『QUIZ』2000、『TRICK』)。しかしそれはいまや科学的に証明可能なものになり(『TRICK』から『ガリレオ』への物理学者の転移)、事件解決を宙吊りにするような謎は、徹底して外在化されるにいたる。『キイナ』もまたこの推移に列なるものである。ただし『キイナ』にはこれまで見られなかった特異性がある。
つまり本作の特異性とは、不可能犯罪をいかに手際よく解くか(非合理性の解消)ではないし、オカルト現象をいかに解釈可能なものにデコードするかといったところ(非合理を否定せず、非合理にもある解釈格子を入れれば合理的になる、という合理性の弁証法)にもない。非合理なオカルト・データと科学のデータをそのまま結び付けて――非合理性も合理性も同レベルで取捨選択して――謎を解くところにキイナの特異性はあり、そのような特異性を求める現代社会とメディアの環境がそこからは垣間見える。
そう、キイナは、不可能犯罪のエキスパートなのではなく、ネットの女神なのであり、データベースの海に投錨する優秀な検索マシーンのメタファーなのだ。
ネットの世界は、現実世界とは別の論理であらゆる情報を均質化するのであり、したがってそのアナーキーな無秩序状態を改めて序列化する技術の革新がネット(あるいはネット上の各種サービス)の普及を支えてきたことは、いまや常識である。
とはいえ、キイナはまた、このジャンルの主人公にしては驚くほどの脆弱性を曝け出しているということも、注記しておく必要がある*4。人並みはずれた情報処理能力と記憶力はあるが、得られた各種データをいかに謎解きのストーリーに連関させていくかは、しばしば周囲の同僚たち――沢村一樹平岡裕太塚地武雅――の支援と調整を必要とし、単独でこなすことはまずない。
限られたデータの中から謎を解くためにいかにデータを取捨選択し、連関させるかといった、理性と直感をベースにした能力こそが、これまでこのジャンルの主人公に求められた属性だったはずなのだが、キイナはこのような能力に関しては人並みのレベルであり、したがって周囲の彼女の評価も(成果に反して)きわめて低いものだし、彼女自身もまたむしろそれをよしとしている。
彼女にとっての謎とは、許された者のみが達しうるような奥深くに潜んでいる何ものかではなく、欠如したもの同士が補いながら断片を組み合わせていくことで輪郭付けられていくような、表層――データの地層――にたゆたっているものだからだ。
人類史の中でたった一度しか起こったことがないようなオカルトの事例にも、誰が何といおうと信頼を寄せ、謎解きに貢献するデータとして資格を与えるキイナの特異な資質は、彼女にとって謎がどのようなものなのかを示唆してくれる。
そしてこのキイナの特異性は、本作が制作されたそもそもの条件とも深く関わるだろう。『キイナ 不可能犯罪捜査官』は、同じテレビ局の情報番組『特命リサーチ200X』や『ザ!世界仰天ニュース』とのコラボレーションなのであり、そこで取り上げられた超常現象を素材にして本作は制作されているのである(http://www.ntv.co.jp/kiina/spinoff.html)。
つまり本作は『ケイゾク』以降のジャンルの可能性を、そのジャンルの真相を追求することによってではなく、主要プロットの一つであるオカルトという設定繋がりで、別のジャンルと連関させることで模索したのだといえる。当然失敗作だという批判を甘んじて受ける覚悟もあるはずだ。
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匿名的な郊外のロケといい、安っぽいセットといい、書き割りのように薄っぺらいシーンで成り立っているこの作品の映像。そしてシリアス路線なのかコメディ路線なのか設定上曖昧にしたために、シーンとシーンの繋ぎ目、キャラクター間の絡みに、緩やかなずれがもたらされている設定上の効果。これらには、予算がかけられないとかいったレベルとは別に、それなりの理由があるのである。

*1:詳しくはhttp://d.hatena.ne.jp/sz9/20081019

*2:そもそもテレビドラマにおける刑事・探偵ものの場合、主要人物の犯人は有名な俳優がキャスティングされるので(被疑者には有名な俳優をキャスティングしない「火曜サスペンス劇場」などは省く)、倒叙トリックの方が都合がいい。その利点を思う存分発揮したのが『古畑任三郎』である。

*3:ガリレオ』第三話の主要な話題であるポルターガイスト現象は、『キイナ』第二話でも採用されるが、事件解決の一部にすぎない。

*4:この点で、特殊能力が前面に出る『SP』(2007−8)とは真逆。