感情レヴュー

中沢忠之、『文学+』を刊行する「凡庸の会」同人

同人誌と作家性

1同人誌について
「文学界」の「同人雑誌評」が今月号で、50年以上にわたる歴史を終えた(http://book.asahi.com/news/TKY200811110159.html*1。まずは、長い間お疲れ様でしたといいたい。いままで注目することはなかったけれど、最近気になっていたのが同人誌・同人作品の動向だっただけに残念である。創作系ミニコミ同人活動と批評(メタ言説)のリンク付けという問題は、そろそろ考えてみてもいいはずなのだ。
文壇界隈では同人活動の「高年齢化」ということが指摘されもするが、少なくとも僕の周辺では若い世代の同人活動が活発に現われている。それは最近の文学フリマミニコミ即売会が証明しているし、ネット上での活動も散見される。文学の講義を受講している学生が即売会用の出版物を持ってきてくれたりもする。そして彼らにとってはライトノベルも純文学も関係ない。その間には形式的にも内容的にも差はない。それぞれ使えるリソースの一つでしかないということだ。
ニコニコ動画」が新たな活動の場として注目されている理由は、視聴者と製作者(作品)のリンク付けと、それに関するメタ言説(ブログ等での批評・レヴュー)とのリンク付けが、ネットの特性を活かして合理的に機能している点が上げられるだろう。
いうまでもなく、これまで僕が文芸誌掲載の文学作品しか批評していないのは単なる怠慢でしかない。とはいえ、文芸誌(というチェック機関)を介さずに、一個人が大量の同人を含む作品を読むのは非合理であり、かなりの困難を強いられることも事実だ。
だから批評は文芸誌に依存せざるをえない。批評的言説によって「旧態然だ」と散々叩かれている文芸誌がいまなお必要とされているのは、それが毎月定期的に創作を発表してくれる媒体だからである。だから文芸誌は自分たちのための批評家を育てることをしなくなった。批評やレヴューといったメタ言説は、いまやネットをはじめとする他媒体で十分にまかなわれているから、文芸誌は創作(とネタになりやすい批評)をメタ言説のネタとして定期的に放出する役割に徹していればいいというわけだ(新聞各紙と他媒体論壇の棲み分け関係)。「文学界」が「同人雑誌評」の意義を終えたと見なすのもその役割に徹しているからであり、同人活動の「活気低下」や「高齢化」とは一切関係ない。むしろ同人活動は、彼らの視野に入っていない別の次元で継続されている。
しかしこういう批判をぐだぐだ並べることは、文芸誌と批評の不毛な関係を温存させるだけだろう。批評は権威を討つ普遍的な正義ではない。批評が、名も知られていない同人作家を扱わず、文芸誌上の話題の作家を取り上げるのは、そこに優劣の関係があるからというよりも、共通の話題になりやすい後者の方が普遍性に達する欲望を、より合理的に満足させてくれるからにすぎない。同人誌の創作を紹介し批評の対象にすることは、文学に普遍性が保障されなくなった今、単純に非合理な作業なのである。
この非合理な事態は打開されうるだろうか。それが可能なのは啓蒙(アカデミズム)でもなければ、権威(文芸誌お抱えの大物レヴュアー)でもないというのがゼロ年代の結論だということは確かである。だとすると、残るは、個々人の趣味が赴くままに従えばいいということであり、それを保証するためには、読み手の趣味に見合う作品が合理的に、ストレスなくセレクトできる環境が整備されることが、とりあえず望ましいといえるだろう。それこそ、製作サイドと受容サイド、およびそのメタ言説(批評)が合理的かつ効果的にリンクされうる環境の前提なのである。
そしてそれはいまやほぼネット環境が解決してくれてはいる。ケータイ小説の流行をもたらしたのもこのネット環境の活用にあった。だから、今後「同人雑誌評」が構想されるとすれば、同人情報(メタ言説を含む)をネット上で集約・蓄積するハブ的な役割が求められるだろう。
僕たちが最近困っていることは、数ある同人作品から読みたいものを探し出すことの非合理さだけではなく、読みたいものがあるのにその情報(と作品そのもの)が手に入りにくいという合理性以前の段階にもあるとはいえるのだ。
即売会(文学フリマなど)には都合があってなかなか参加できないという機会の制限も問題だが、個人的には、読み手・書き手として信頼している人がここのところ同人誌・同人作品をブログのレヴューで取り扱うなどしていて、読みたくなるのに、それらはしかし文芸誌のように図書館でバックナンバーを検索したって出てくるものではない。それが困る。ネット上で個人的に同人誌を売買するのもストレスがかかるものである。最近いくつかの欲しい同人誌にアプローチをかけてみたが、連絡が取れないケースもあった。
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2作家性について
とはいえ、読書行為(物語消費)が《作家性》に依拠して成立する純文学の場合、あらゆる同人情報を均質に集約するシステム設計は、他ジャンルに比してうまく機能しないだろうことは十分想定できる。そのような試みを快く思わない、純文学志向の同人グループ・作家・読者が相当数いることは間違いないのだ*2
オタク系のネット/ブログ論壇や「ニコニコ動画」をみているとわかるが、彼らは自分たちの消費性向を支える素材・要素(各種設定など)を育む「コモンズ」的な場を何より大切にするのであり、そこから突出する作家性(あるいはメタ言説)を嫌悪する傾向がある。むろんいまやマンガやアニメ(ライトノベルを含む)にも作家性が際立った創作者は多くいるし、賞賛されてもいる。しかし、オタク度の高いジャンルの基本的な消費のされ方は、二次創作に対して寛容な慣習に基づき、つねに、自分たちの消費性向を支える素材・要素を育む場の形成――そこでは創作者と消費者は同等の資格を持つプレイヤーと見なされる――に引き戻す圧力を持っている。
それに対して文学(とくに純文学)は、作家性に依拠した消費のされ方が主流である。もちろん、かつてバルトら構造主義者が示した通り作家はすでに死んでいる。しかし、文学の普遍性が消失した現状においては、作家性が消費を促す重要な要因になっていることは注意したい。ただしその作家性とは、オリジナルな創作の源泉といったものではない。そのような作家性こそが、バルトらによって死の宣告を受けたのである。
現代は、個々の作家が自らメディア/インターフェースになって独自の文脈を作りこみ育むことが求められており、その文脈形成が現代の作家性にほかならない。読者はその作家特有の規則にしたがって育まれた文脈に参与しながら、物語を消費するだろう。
文体の限界が指摘されもする今日この頃だが(プロットとキャラだけで物語を牽引できる時代にいまさら文体はねえだろ!)、しかしむしろ、今日ほど文体が多様化している時期はかつてなかったというべきだ*3。それに、物語に比して語り手の比重が増している昨今の物語運営事情も、作家性に依拠した結果だといえる。これらの動向を、文学の終わりとか純文学の衰退と見るべきではない。
そしてまた、この作家性はキャラ立ちとか空気読みといったアイデンティティーの次元とも異なるものであることは注意したい。彼らは、ある一定の文脈の中での立ち位置に熟慮しているのではない。読者と共有する文脈をまるごと、作家固有の規則・素材・要素を埋め込んで形成し育んでいるのである。
たとえば、金原ひとみ綿矢りさを比較したとき、綿矢りさがうまく機能していないのは、この文脈形成に失敗しているからであり、技術の優劣とは関係がない*4。むろん、作家は技術を研ぎ澄ますことだけを考えていればいいという考え方も健在であり、それは文芸誌が発表の機会を与えてくれる限り存続するだろう。
文学作品は、いまや読者と文脈を共有するインスタレーションのようなものであり、これからはインスタレーション(あるいはパフォーマンス・アート)の一部になるかもしれない。このような事態に最も敏感な一人は古川日出男だろう。そう、古川的インスタレーション。そして僕たちの前には、他にも舞城的インスタレーションがあり、川上的インスタレーションがあり、金原的インスタレーションがある等々。
その一方で文芸誌は、読者と固有の文脈を育む作家性を支援する一つの媒体に収まるだろう*5。文学の普遍性を代表する文芸誌のもとでは、いまでも、私小説や実験的な作品、エンターテインメント要素を「果敢に」取り込んだ作品などが書かれているが、それらは従来通りの文学という文脈の中でのキャラ立ちに勤しんでいるものが多く見受けられる。
しかしいまや純文学においては、文学の普遍性は、個々の作家の作家性によって引き継がれつつある。それは読者と共有する文脈を育むことで形成されるものである。
おそらく最近の同人誌勢力は、文芸誌を最終地点に置いてはいない*6。作家性を際立たせる作家との関係で同人誌の動向がどうあるのか、いま見逃せない。

*1:[全文掲載]半世紀以上にわたり、全国の同人誌に掲載された小説を取り上げてきた「文学界」(文芸春秋)の名物欄「同人雑誌評」が、7日発売の12月号で打ち切りとなった。同人の高齢化が進み、寄せられる同人誌が激減したためという。文芸誌の中で同人誌を定期的に紹介していたのは「文学界」が唯一で、かつては多くの作家が輩出した同人誌の役割が岐路に立たされている。/「文学界」の「同人雑誌評」は1951年に始まり、無名の新人や地方の作家の作品を紹介してきた。55年には「太陽の季節」に先駆けて石原慎太郎氏が「一橋文芸」に発表した「灰色の教室」を〈今月第一の力作〉と激賞。60年には柴田翔氏が同人誌「象」に発表した「ロクタル管の話」を高く評価するなど新進作家を発掘してきた。/執筆は4人の評論家が交代でつとめ、年2回、同人雑誌優秀作を選んで「文学界」に転載した。近年では98年に玄月氏が「舞台役者の孤独」で優秀作に選ばれて注目され、2000年に「蔭(かげ)の棲(す)みか」で芥川賞を受賞している。/かつては、作家志望者は同人誌で修練するのが本道とされた。丹羽文雄が主宰した同人誌「文学者」からは河野多恵子瀬戸内寂聴吉村昭の各氏らが輩出。保高徳蔵主宰の「文芸首都」からは北杜夫佐藤愛子、なだいなだ、田辺聖子中上健次津島佑子の各氏らが巣立った。/60年代には、同人誌から芥川賞が相次ぎ生まれた。63年度の後藤紀一氏「少年の橋」は「山形文学」、田辺聖子氏「感傷旅行(センチメンタル・ジャーニイ)」は「航路」、64年度の柴田翔氏「されど、われらが日々」は「象」、65年度の高井有一氏「北の河」は「犀」が初出だ。だが、67年に大城立裕氏が「新沖縄文学」に発表した「カクテル・パーティー」を最後に、同人誌から芥川賞は出ていない。/一方、76年に村上龍氏が「限りなく透明に近いブルー」で、79年に村上春樹氏が「風の歌を聴け」で群像新人文学賞を受けて人気作家となり、作家志望者の多くは文芸誌の新人賞に応募するようになった。/現在、「文学界」のリストにある同人誌の数は320。最盛期には月に200誌以上が寄せられていたが、現在は50誌ほどに減っていた。同人の高齢化も進み、亡くなった同人への追悼文が巻頭に置かれるものも少なくないという。/「文学界」の船山幹雄編集長は「同人誌の作風が固定化し、新人賞応募作と比べて活気が薄い。『同人雑誌評』は歴史的役割を終えた」と苦渋の決断を語る。/評者を28年間つとめた文芸評論家・大河内昭爾氏は「同人の方からは、『文学界』で取り上げられるのが張り合いだったので終了は残念、という手紙をもらった。かつての同人には身銭を切ってでもやる熱意があったが、若い世代にはその心意気が継承されておらず、さびしいが仕方ない」と話す。/一方で、季刊「三田文学」(発売元・慶応義塾大学出版会)が「文学界」から引き継ぐかたちで「同人雑誌評」を来年から掲載するという。月刊の商業文芸誌から季刊の大学刊行文芸誌へと舞台が移るが、「同人雑誌評」はかろうじて継続されることになった。/「三田文学」の加藤宗哉編集長は「同人誌の文化を大切にしたい。かつては鍛錬の場として実力ある作家を育てたし、昔ほどではないにせよ今も地方に良質の作品が残っていると思う」と語る。今後は、両編集部の合意により、「三田文学」が優秀作を選び、それを「文学界」が掲載することになる。(小山内伸)

*2:そもそも、純文学の読者層のネット人口が少ないというインフラ上の問題もあるだろうが。

*3:1980から90年代は、メタフィクションエクリチュールといった概念によって、文体が裏打ちする作家性が否定された時代だった。バルトの死の宣告が言葉通り受け入れられていた時代である。

*4:むしろ綿矢は、彼女は否定するだろうが、文壇のキャラ立ち、表現の細部に神経を遣いすぎて作家性が出し切れていないような気がしてならない。『インストール』『夢を与える』と『蹴りたい背中』「しょうがの味は熱い」を書き分ける技術をもっているというのに。綿矢ファンなので、いちおう公言しておく。

*5:今日の作家を、国家を内側から食い破るグローバルな企業体としてイメージしてもよい。あるいはアソシエーション?

*6:70年代後半の、村上春樹村上龍の「群像」新人賞受賞以後、地方の同人各誌と文芸誌の紐帯関係は崩壊し、個人が同人誌的媒介をスキップして、文芸誌に挑戦するルートが常態になった。しかしネット環境の整備が、再び同人誌の層を再認識させつつある。