感情レヴュー

中沢忠之、『文学+』を刊行する「凡庸の会」同人

良質なリアリズム――柴崎友香の私小説

リアリズムというものが、自分を取り巻く世界と向き合い、それを正確にとらえようとする志向性のことであるとすれば、このような志向性に対する不信感はいつの世にもあるものである。
こと日本では、リアリズムを継承したとされる私小説からして、実際はリアリズムの失念なり断念から始まっていることは、石川啄木(「時代閉塞の現状」1910)以来つとに指摘されてきた。そしてこの意味では、私小説を批判することによって登場したモダニズムも同様である。彼らは、世界は言葉によって写し取ることができるもの(リアリズム)ではなく、言葉によってはじめて世界は認識できるのであり、むしろ言葉が世界である、という認識に立ったのだった。この認識は、のちに日本でも流行する構造主義のいわゆる言語論的転回を準備したといっていい。
かくしてモダニズム周辺の作家たちは、世界と直接的に関わることを無邪気だとして積極的に敬遠し、新たに幾つかの、世界との関わり方・表現の仕方を編み出していった。とくに無頼派文学史的には遅れてきたモダニストでありプロレタリア運動にも乗り遅れた)と括られる作家の業績はその一大宝庫といってよく、彼らの基調とする「イロニー」や「デカダンス」をはじめ、坂口安吾の「ファルス」や太宰治の「道化」、織田作之助の「反逆」など多数ある(柄谷行人安吾に見出した「ユーモア」をこのリストにくわえてもいい)。これらはいずれも、世界に対して斜に構えるなり批判的に距離をとり、対象化しながらそれといかに関わりを持つかを(とりわけ「私」の自意識なり主体の観点から)問題化したものである。
時代をより現代に近づけてみた場合、まずヌーヴォー・ロマンの言語レベルの明確な方法意識があり、そしてとりわけ1960年代以降、構造主義的な認識を背景にして、世界認識は言葉なりメディアを媒介することが自明視され(「虚構の時代」)、いわゆるポストモダン文学(日本では高橋源一郎が嚆矢)がエッジをきかせた表現で際立つことになる。
続く80年代といえば、物語論的・民俗学的な説話形式によって小説を加工する時代だったと蓮實重彦(『小説から遠く離れて』1989)によって一括され、構造(規則の体系)だけで物語をこしらえる作家が純文学のトップランナーとなる時代として柄谷行人(『終焉をめぐって』1990)が分析した時代である。また、虚構に親和性の高いサブカルチャー的想像力に影響を受けた作家が台頭する時代として大塚英志(『サブカルチャー文学論』2004)によって位置付けられてもいる。
そしてこの大塚を受けた東浩紀(『ゲーム的リアリズムの誕生』2007)が、サブカルチャー的想像力と消費形態(キャラクターの二次創作に代表されるデータベース消費)に基づいた「ゲーム的リアリズム」(および「まんが・アニメ的リアリズム」)に、現代の表現の可能性を見出し、その一方で、純文学に伝統的なリアリズム様式を「自然主義的リアリズム」として相対的に可能性を省みられない(まあお役目御免的な)様式としたわけだが、これに対して純文学サイドは「自然主義的リアリズム」と一括されたことに憤ってみせたにはせよ、いまさらリアリズムを擁護することはなかった(『リアリズムの擁護』の小谷野敦以外)。かくしてリアリズムの可能性は潰えたかのようにみえる。
しかし、本当にそうだろうか。たとえば、無頼派の反リアリズム的な各種表現(およびコミュニケーション)様式が現代にも生き延び、現代に合わせてリサイクルされたりバージョンアップされているのだとすれば、リアリズムもまたそのように現代版があってしかるべきではないのか。
そこでこう考えてみよう。世界をより正確にとらえようとするリアリズムの作法・様式は、世界(認識・表現の対象)と「私」(認識・表現主体)の関係にあって世界の側に重点を置いていると考えられる。そこでは、「私」は、世界を最小限の表現・技巧にとどめて把握し、コミュニケーションをとるためにも「私」の立場をきょくりょく抑えることにつとめるだろう。この場合、「私」は世界に対して翻弄されることもやむなし、というか心地よしとする傾向がある。
他方、イロニーや道化といった反リアリズムの場合は、世界よりも「私」の側に重点があるといっていい。彼らは、世界に対する認識を疑い、あるいは断念し、加工することに専念する。コミュニケーションをとるときも、伝達の側面を軽視し、自分の役割・ポジション・キャラにこだわり、その場その場に効果的な演出を施そうとするだろう。彼らは「私」が傷つかないためにこそこのような表現/コミュニケーション作法を洗練させてきたという一面がある。その意味でこれは、「私」の消失さえやむなしとするリアリズムの作法とは逆に、世界に対して「私」の保護が目指されている(むろん見方を変えればリアリズムもリアリズムなりに「私」の確立・保護が目指された一様式だといえるのだが、いまはこの面は問わない)。
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無頼派に代表されるアイロニカルな反リアリズムについては、その洗練させた現代版を、私は、佐藤友哉舞城王太郎において分析したことがある(http://d.hatena.ne.jp/sz9/20080830http://d.hatena.ne.jp/sz9/20080905)。それに対して、リアリズムの現代版の一端を、私は「48年組」の作家たちに見ている。「48年組」というのは、少女マンガ界における「24年組」からの連想で私が勝手に命名しているものだが、広くとると1970年代(昭和40年代後半)生まれで、例の80年代(「虚構の時代」)に青春時代を経験した作家、なかでもリアリズムの志向がある長嶋有とか柴崎友香を指している(http://www.goningumi.com/)。
確かに、1980年代以降、世界を言葉なり記号の集積として、あるいはそれらを載せるメディアとして積極的にとらえたアイロニカルな反リアリズムがあって、ポストモダンサブカル文脈でがぜん注目を集めたのは揺るぎのない事実である。しかしその一方で、純文学由来の(?)リアリズムは、世界に対する「私」をメディアと化して表現を洗練させる系譜があったのである。
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リアリズムといえば、技法的には、三人称視点による客観描写が第一に考えられよう。ただし、世界を正確にとらえるという志向性を考慮した場合、日本的リアリズムといわれてきた私小説も当然含まれる。
ちなみに文学史的常識だが、私小説に括られる作品は、作中に一人称が存在しない場合も多い。つまり、私小説にとって重要なのは、「私」が語っているか否かではなく、特定の人物に視点が限定されているか否かである。視点が限定された人物は、作中で「彼」だの「田中」と名指されていようが、それは一人称(「私」)に置き換えることが可能である。
いずれにせよ、このようにリアリズムとは、三人称(無限定=神の視点)から一人称(限定視点)に及ぶ比較的広い範囲において、世界を把握し記述する志向性のために世界と視点(「私」)をどのように関係させるか、世界の中で視点をどこに位置づけるかに応じてモードチェンジするものだ、と考えることができる。
このようにみると、世界をとらえるにあたって世界の何が重要なのかは、リアリズムの各モードごとに異なるはずだ。たとえば、三人称視点にありがちな、多数の人間関係が織り成す社会の全体をとらえるモードもあるし、限定視点が及ぶ範囲の狭い世間をとらえることが重要な(私小説的)モードもあるだろう。自分を取り巻く世界から送られてくる気分や感情、知覚・感覚のデータを記述するモードもあり(新感覚派志賀直哉など)、柴崎友香私小説はこのリアリズム・モードの現代版である。
ここで、無頼派的な「私」(の自意識)を主軸にした反リアリズムの作法についておさらいしておこう。くり返せば、この作法は、世界をとらえるために自己を抑えるリアリズムとは違い、自己を軸にして世界を再構成することを旨とする*1。イロニーやユーモア、道化などはまさにこのために考案された認識の作法であり表現技法であったと考えることができる*2
注意したいのは、これらは、ポストモダンの認識/コミュニケーションの作法として注目されている「データベース消費」と相性がいいということである。どういったふうに相性がいいかというと、つまり世界と「私」の間にデータベースを仲介させ、そのデータベースのリソースからそのつど世界を再構成するといった具合である。そう、世界と「私」の一致(リアリズム)を逃れるためにたえずデータベースを参照すること。文脈を読みながらそのつど時宜にかなったネタをピックアップし、コミュニケーションしたり世界と関わることが自意識過剰なイロニーの戦略の現代版なのである(太宰の「道化」はキャラの使い分けとも高い親和性があるだろう)。
そこでは、自分の意中にある伝えたいことがあって、それを表現するというリアリズムの回路など信じられていない。そもそも伝えたいことなどないし、それがそのまま伝わるなどと考えもしない。瞬間的に自分の繰り出したネタなり振りがいかに効果的か(いかに話題を作り出し継続させるか)が賭けられている。
この場合、「私」と世界は解離しており、それを前提としている以上、世界(の表現・構成)は「私」にとって外在化したデータベースを仲介させた方が都合がいいことはいうまでもない。2ちゃんねる的なネタ消費にせよ、ケータイ的な無内容で繋がることだけが目的化したコミュニケーションにせよ、オタク的なデータベース消費にせよ、このような「私」と世界のアイロニカルな解離的関係(をふまえた関わり方)を、各々の仕方で洗練させたものだといえる。ここで付言しておくと、これらの様式は、解離的世界を単に賞賛しているのではなく、そのような世界を否認せずそれなりに肯定した上でいかに関わるかを技法化したものだということは注意しておいていい。

きょうのできごと (河出文庫)

きょうのできごと (河出文庫)

実は、柴崎友香のリアリズムもこの世界と「私」の解離を前提としたものである。それを象徴するように、柴崎のほとんどの私小説(一人称限定視点)に登場する「私」は、様々な仕方で解離にさらされている人物が採用されることが多い。たとえば、酔っ払いの私(デビュー作『きょうのできごと』他ほとんどの作品!)、慢性的な睡眠不足の私(『次の町まで、きみはどんな歌をうたうの?』所収「エブリバディ・ラブズ・サンシャイン」など)、美しいものやきれいなものや可愛いものに見惚れて自分を明け渡してしまう私(『青空感傷ツアー』『主題歌』をはじめほとんどの作品!)、ワープする私(『ショートカット』など)等々。
その他にも、カメラやケータイ、フライヤーといったメディア/コミュニケーション・ツールが、人間関係なり世界との<繋がり>と<すれ違い>を演出する道具立てとして多くの作品に導入されていることにも注意したい。たとえば『その街の今は』(の「私」)は写真を通して今いる場所の過去――ここなのにここじゃない向こう、向こうなのにここと繋がりのある向こう――にさかのぼろうとする視線・欲望に支えられていた。
また、「私」はどの作品でもたいてい旅行や移動をしたり(大阪と東京を行き来する『ショートカット』『また会う日まで』など)、人の家に潜り込むことになるのだが(あるいは『フルタイムライフ』の新入社員体験)、そうして周囲の世界とのゆるやかな解離を体験し、世界からのごくごくささやかな送り物を受けとめながら浮遊する受容体/感光板のようなものとして存在しているのではないか。
このように時空の移動を好む柴崎にとって、時間軸の過去と現在の関係は、空間軸の出発地点と漂流・目的地の関係と構造的に同じだといえる。「私」が人を好きになることの始まりと終わりもそう。それらの諸関係は、「私」において分離しながら懐かしく繋がる関係にあり、しかし移動にしたがって元の時空に回帰することの断念が織り込まれ、それがまた別の何ものかとの関係をもたらすという、この一連の流れによって作品が作られている。柴崎の作品の全てが、明確な始まりと終わりを持たず、続きもの的に繋がっているように感じられるのはこのためである。
以上の諸々の演出は、柴崎が世界と「私」の解離を前提しているからである。ただしこれは、世界との別離のためではない。むしろ世界の波長に自分を合わせ、受容するためにこそなされている一連の擬態であり方法である*3。この意味において柴崎に見られる世界との解離は反リアリズムとは方向性が異なるだろう。柴崎の「私」も、アイロニカルな「私」と同様何かすすんでいいたいことがあるわけではないし、世界との断絶を前提している。しかし、そこからの世界との関わり方、表現の仕方が異なるのである。
以下、柴崎のリアリズムの方法について明らかにしていく。結論からいえば、彼女は、外界からの知覚・感覚のデータを、幾つかの方法論的・機能的なフレームに割り振って処理しながら一編の小説を編む。柴崎の作品の構成において注意したいのは、構成要素の各種フレーム、たとえば会話フレームと描写(視角−映像)フレーム、内言−想起フレームなどがセグメント化されており、それら別々の論理で動き、ゆるやかに繋がる複数のフレームで成り立っていること、その各種フレームのゆるやかな繋がりが「私」を構成していることである。逆にいえば、柴崎の「私」(小説)は、方法論的・機能的にセグメント化された各種フレームのゆるやかな繋がりにほかならない。
そもそも、柴崎独特の描写における、カメラ(映画)的な視覚効果の固有性はつとに指摘されていることであり、また、標準語の地の文と大阪弁を基調とした会話文は、機能的にセグメント化した文章の印象を強めるだろう。セグメント化した各種フレームの構成面をより明らかにするために、ここでたとえば「ポラロイド」(『ショートカット』所収)の印象的(というかほとんど奇跡的)なラストシーンを引用したい。

「まじで? ほんまに明日? おもろいやん、それ」
「うん。明日。ほんまやで」
「行く。行くに決まってるやん。行きたいとこには行ってみたらええもんな。行ってみなわからんねんから」
比嘉くんのその答えを聞いて、わたしはメキシコに行くことにして良かったと思った。
「そうやろ?」
「めっちゃうれしいわ。明日やんな。関空から?」
「今から決めるわ。さっき、エイビーロードとガイドブックも買うたし」
わたしは、笑いながら答えた。比嘉くんは、そうかあ、明日かあ、と繰り返しながら携帯電話をジーンズのポケットに突っ込んで、振り返って御堂筋の西側を見た。それから、またわたしの方を向いて聞いた。
「でも、なんで?」
わたしは、そこにある風景の全部を見た。御堂筋の何車線もある道路には銀杏の木漏れ日が差していた。まだ緑色の葉が、歩道にぱらぱらと落ちていた。自転車とバイクが隙間なく停められていた。大丸のショーウインドウにはクリスチャン・ディオールの新作のバッグが飾られていた。その上の壁から飛び出している四角い時計は、十二時を少しだけ過ぎていることを道行く人に知らせていた。大丸の南館側へ渡る信号は赤で人が待っていて、御堂筋を渡る信号は青が点滅していて三人ほどが慌てて走っていた。御堂筋の両側に並ぶ大きいけれどそんなに高くはないビルの上に、真夏の青い空が見えた。銀杏並木の隙間に、銀行の看板が見えた。ポラロイドカメラを出してきて写真に撮ろうかと思ったけれど、今ここにしかない景色を全部見ることができるのはカメラじゃなくてわたしだと思った。比嘉くんは、わたしを見ていた。
わたしは比嘉くんに言った。
「たぶん、そんなに遠くないから」

ここで描写(を担う「私」)は、会話をする「私」、内言−想起する「私」をゆるやかに離れて景色と関わりをもっていることがわかるだろう。このように柴崎の「私」は、場面に応じて機能的に分化させ、それを重ね合わせたり繋げたりしながら世界と関係しているのである。これはデビュー時からの柴崎友香のデフォルトとして備わっているといっていい*4
そう、柴崎の「私」は、世界に向き合い取り囲まれながら、このような方法で世界との解離をゆるやかに受け入れている。言い換えれば、柴崎的「私」の、世界との解離の様態は垂直的なものではなく、水平的なものである。つまり、つねにメタレベルへの更新が目指される自意識過剰な反リアリズム(とデータベース消費のカップリング)の「私」は、アイロニカルな表現によって「私」を相対化しつつも、結果的に(メタレベルへの)「私」の温存が目指されていた。少なくとも、反リアリズムはそのような「私」に都合のいい手法として、良かれ悪しかれ機能してきた。ここでは、「私」のたゆまぬ垂直運動が見られるだろう。これに対して柴崎の、自己への執着が見られない「私」は、水平軸に拡散するものであり、水平的な運動の中から浮かび上がるものである。より厳密にいえば、自分を取り巻く世界にしたがって、世界からの知覚・感覚のデータを受容しながら各種データを重ね合わせ、並べていく「私」と世界の関係が柴崎の表現から読み取れるのである。
風景の映像を印象的なカット・イメージとして、音響を印象的な擬音なり擬態語として、人間関係を大阪弁の印象的な会話のリレーとして、心の動きを印象的な想起のブロックとして展開し、それらを重ね合わせ繋げていくのが柴崎友香のリアリズムであり、それら印象的な各フレームの列なりから「私」はゆるやかに生起するだろう。
ここで他にも、私の印象に残った、複数フレームの非同期的列なりの例を挙げておきたい。『その街の今は』から。

智佐はわたしの腕をもうしっかり摑んでいた。家が遠いえみちゃんは電車があるうちに帰りたいと言って、百田さんと二人で心斎橋方向へ歩いていった。帰りの挨拶にも、今日の合コンは最悪やったねと言うのを忘れなかった。自転車にまたがったままぺたぺたとぎこちなく歩く名前がわからないワニ模様の男の子の後について、智佐とわたしは、狭い上に自転車や看板でいっそう歩きにくい歩道の障害物をよけながら、鰻谷を東へ歩いた。やっと、夜の風に涼しさの気配が感じられる気がしたけれど、自分の願望かもしれなかった。見上げると建物が迫った道の両側には、鰻を象ったオブジェが載った街灯がずっと並んでいる。行政上はもうない地名を残しているその形に気がついたのは五年ぐらい前だったけれど、昔はここは鰻がいる谷だったんだろうか、とても平坦な場所なのに、と、その時も思ったことを思って、またすぐに忘れてしまう。
左方向へ湾曲した階段を地下に降りて重いドアを開けると、緩いリズムの管楽器の音が響いてきた。生演奏ではなくて、古いレコード独特の曇ったような柔らかい音が、少し割れるくらいの大音量で薄暗い空間を満たしていた。

この部分は、一見なんの変哲もない、描写/内言/描写と切り替わる表現の連鎖によって構成されているところであり、一人称視点「わたし」による(回想ではなく)現在時制として読まれるシーンである。それなのに、ここで「思ったことを思って、またすぐに忘れてしまう」という一連の内言−想起フレームは、不自然な印象を与えかねないギリギリのところで、周囲の描写フレーム(の現在時制)から切り離された時空に漂っていることがわかるだろうか。五年前に思ったことを「いま」思って、またすぐに「忘れてしまう」(と言う)のは誰なのか、いつどこでなのか。「忘れてしまう」と言えるのは、現在の判断ではなく、未来からの予期的判断を示してしまいはしないか。そう問い詰めるほどしかし不自然ではなく、かといって自然に読みすごすには少しぐらい立ち止まってみてもいい程度の非同期的な繋がりで、ここの描写と内言は並べられている。
これは小説の方法論にしたがっていえば、語る私(メタレベル)と語られる私(オブジェクトレベル)とのずれの演出ということになるだろう。むろん柴崎はここでこれを自覚的に試みている。というのも、このシーンでは、話者の「わたし」は酒に酔っており、のちの回想シーンでこのときのことをほとんど記憶していないことが明かされるからである。つまりこのときの泥酔した「わたし」は、酒に酔って気持ちよく「わたし」を分裂させているのである。まあ柴崎の「私」は酒が入っていなくても、デフォルトでこの分裂をゆるやかに生きているのであり、逆にいえば柴崎の「私」はつねに酒が入っている(!)のかもしれない。

主題歌

主題歌

このような柴崎の方法が、一人称視点を離れて、三人称視点を採用した場合のケース・スタディーが最近作の『主題歌』であった。興味深いのは、視点を変えてみても、むしろ柴崎の方法の一貫性が際立つばかりだという点である。複数の視点(キャラクター)を切り替えながら、つまり場面ごとに視点を他のキャラクターに移動させながら、視点を複数化してみても、各視点ごとに従来通りの世界と「私」の関係が生きられているのである。言い換えれば、柴崎の従来の私小説の「私」(視点)を、場面ごとに各(三人称)キャラクターに振り分けたにすぎない(そもそもデビュー作の『きょうのできごと』は、チャプターごとに、一人称視点・話者の役割を担うキャラクターを切り替えたものだった)。そこでは、世界との関わりで機能的に分化する「私」は、複数キャラクターの集合によって担われることになるだろう。たとえばこのような場面。

「あー、白かったあ」
「しかもニット」
いつ子の言葉を継いで言ったのは小田ちゃんで、実加はいつ子の着ている象牙色のニットとお皿で光っているトマトの赤と油のオレンジ色を見比べた。
「絶対大丈夫と思っても、あとで見たら散ってるねんな」
がんばるわ、と力無くいつ子が言うと同時に、小田ちゃんと実加の前にウニのクリームソースのパスタが置かれた。実加は長い髪を手首につけていたゴムでまとめ、いただきます、と言った。一年ほど前にできたイタリアンレストランは雑誌にもよく紹介されていて、いつも混んでいる。雑居ビルの二階のそんなに広くない空間には、昼休みの会社員たちと店員の声が響いて、数えるよりももっと人がいるように感じられた。店は会社のすぐ裏手にあるけれど、千円のランチをしょっちゅう食べられないので、三人が来るのは月に一回と決めている。今日は先週から予定していて、三人とも時間が来たらすぐに出られるように算段していた。

三人の女の子キャラクターが入れ替わる会話のフレームに続き、描写および内言のフレームは、当初は「実加」を軸にしながらも、この三人のうちの誰ともいえない「私」の視点からのものである。おりにふれこの三人の間で(あるいは別のキャラクターも交え)視点は切り替わるが、キャラクターのどれにも還元できない視点が機能的に分化・セグメント化する「私」(たち)として現出しているといっていい。あるいはまたこのような場面。

八階の窓際に立っていた愛は、歩道を真っ直ぐに歩いてくる実加の姿を見つけた。音も聞こえない遠くに見える小さい実加は、体に見合わない大きなバッグを肩にかけ直し、会社のほうを見上げたが、愛が窓際にいる姿はそこからは見えないので、眩しそうに前髪を分けただけでまた前を向いた。愛は窓から離れ、出勤してきた瀬川課長におはようございますと言った。

もとより「私」が分化しているのならば、つまり分化して一つの「私」を形作っているのならば、そこから分岐して「私」が複数化してもいいではないか。一つの「私」が分化して担っていたものを、複数の「私」(視点)が担ってもいいではないか。『主題歌』の論理はこれである。だから『主題歌』における複数視点は、単なる三人称客観描写(複数の視点・キャラクターはあくまでも相互に別々)のようにはならず、個別の視点同士がゆるやかに繋がりをもつように切り替わるだろう。
とはいえ、このシーンの視点の切り替えは、たとえば初期の星野智幸がしばしば使ったような視点移動を思わせるが、柴崎には実験性や思弁的効果の意図はない。あくまでも機能的に分化した描写の一シーンであり、世界に関わる「私」の自然体の域を出ないように配慮されている。そしてさらにこんな場面。

敬一はまた少しだけ目を開け、斜め向かいで、若い夫婦らしいカップルの男のほうが大きな袋を提げたおばあちゃんに席を譲ったのを確認した。そろそろと瞼が下りてくるのを感じながら、もう一度眠ろうかどうか迷っていた。
「すみません、今何時ですか?」
「十二時半ですよ」
「ありがとう」
おばあちゃんが時間を聞き、隣に座っている若い奥さんのほうが答えた。彼女はよく見るとわかる程度にお腹が大きかった。電車が走っている高架は高さがあるので、そのうしろの窓の向こうにはマンションと戸建てと緑とが適度に混ざり合った住宅地の光景が、随分と遠くまで見渡せた。いい天気やな、と、席を譲ったその男もその妻も敬一も、そして同じ車両に乗り合わせた人の多くが、朝からも思ったことをまた思った。(『主題歌』所収「六十の半分」)

「敬一」視点が眠りにともなって分化し、複数(「その男もその妻も」)に譲渡したあげく「多くが、朝からも思ったことをまた思った」といっきに拡散・重層化する一場面。一見不自然だが、ここには、たとえば岡田利規がしばしば使う過剰な視点/視点の逸脱・複数化のような実験性なり思弁性はない。
そう、柴崎には実験性とかいったメタレベルへ「私」を繰り上げるような「私」へのこだわりはもとより(見せ)ない。世界と関われば自ずともたらされる「私」の分化を、作為の見えないところで方法化しているのであり、そのような「私」の関わりを、小説と関われば必然的にもたらされる「私」の機能分化において書き留めること。これが柴崎友香のリアリズムなのである。
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最後はちょっとしたネタ振りで締めたいと思う。柴崎友香の盟友・長嶋有は、柴崎の作品について控えめながらこういっている。9・11以降の物騒な世の中においては、社会的・政治的なテーマを声高に響かせた言説なんかより、柴崎のごく些細な日常を自分サイズでとらえ続けた作品の方がよっぽど有効である、と(文庫本『青空感傷ツアー』の解説)。それが本当かどうかは問わない。長嶋の発言が迷いと気恥ずかしさとともにあるということだけは銘記しておきたい。
ところで、「48年組」という枠組みから見た場合(お笑い界では「47年」という世代の括りがあるが)*5、いわゆるロストジェネレーションの先駆でありながら(大学在学中に平成不況に突入)、バブルの空気も感覚的に知っていて、その両義性ゆえか、現状でも決して高い社会的ポジションにあるわけではないその「不遇な」環境を当事者性をもって声高く批判すること(決断主義)も躊躇われるし、かといって社会との関係から引きこもるほどの「勇気」もないし、というかそこそこコミュニケーションもできなくはないという、そんな微妙なところでじれったくてもなんとなく生きている人々の姿を、長嶋や柴崎のリアリズムはしばしば巧みに表現化する。ここで実はかく言う僕も昭和47年生まれで、とか書くのがいささか躊躇われるのも、といっておいて結局こうして書いてしまっているというような、こういうところも世代論的な意味があるのかないのかというとそんなことは全然なくてこれはまあ恐らく僕の優柔不断でいやらしい、そうあの無頼派的自意識過剰な「私」の劣化バージョンなのでした! 
以上。
以下は、ネットで読める参考資料(柴崎友香長嶋有福永信との鼎談)。
http://www.log-osaka.jp/people/vol.67/ppl_vol67.html
http://www.log-osaka.jp/people/vol.78/ppl_vol78.html

*1:リアリズムと反リアリズムの双方からサンプルを示しておく。まずはリアリズムから。「光で、目が覚めた。右側から白い光が射していて、中沢が窓を開けて少し身を乗り出すのが黒い影で見えた。白くて強い光だったから、一瞬、朝になったのかと思ってしまった。たぶん、京都南インター・チェンジの入口で、窓の外では、金属の四角い箱の縁に光が反射していた。中沢はその箱の中ほどから小さな紙を取り出し、少しも見ないままそれをズボンのポケットに入れた。わたしは座席に深くもたれたまま、その作業を眺めていた。いつ眠ったのか覚えてないけど、ずっと頭を垂れて寝ていたみたいで、首の左側にシートベルトが食い込んで、ちょっと痛かった。触ってみると耳の下から斜めに跡がついていた。その跡を撫でながら、小学校のときから知っている人が、こうしてお父さんがするような車の運転や高速道路の乗り降りをなんのためらいもなくしているのを見るのは、妙な感じがするもんやな、と思った。/窓を閉めてから、中沢はわたしが起きているのに気がついた。料金所を出ると、やっぱり周りは夜だった。/「なんや、けいと、起きてたんか」/「うん。今起きた。珍しいな、高速乗るなんて」/中沢は、ルームミラーで後ろの座席をちらっと確認した。(後略)」(『きょうのできごと』)。次に、反リアリズムのサンプル。「男はブレザーなのに女はセーラー服ってのは変な組み合わせだな、もしかして今壇上で眠気を誘う音波を長々と発しているヅラ校長がセーラー服マニアなのか、とか考えているあいだにテンプレートでダルダルな入学式がつつがなく終了し、俺は配属された一年五組の教室へ嫌でも一年間は面を突き合せねばならないクラスメイトたちとぞろぞろ入った。/担任の岡部なる若い青年教師は教壇に上がるや鏡の前で小一時間練習したような明朗快活な笑顔を俺たちに向け、自分が体育教師であること、ハンドボール部の顧問をしていること、大学時代にハンドボール部で活躍しリーグ戦ではそこそこいいところまで勝ちあがったこと、現在この高校のハンドボール部は部員数が少ないので入部即レギュラーは保証されたも同然であること、ハンドボール以上に面白い球技はこの世に存在しないであろうことをひとしきり喋り終えるともう話すことがなくなったらしく、/「みんなに自己紹介してもらおう」/と言い出した。/まあありがちな展開だし、心積もりもしてあったから驚くことでもない。/出席番号順に男女交互で並んでいる左端から一人一人立ち上がり、氏名、出身中学プラスα(趣味とか好きな食べ物とか)をあるいはぼそぼそと、あるいは調子よく、あるいはダダ滑りするギャグを交えて教室の温度を下げながら、だんだんと俺の番が近づいてきた。緊張の一瞬である。解るだろ?/頭でひねっていた最低限のセリフを何とか噛まずに言い終え、やるべきことをやったという解放感に包まれながら俺は着席した。替わりに後ろの奴が立ち上がり――ああ、俺は生涯このことを忘れないだろうな――後々語り草となる言葉をのたまった。/「東中学出身、涼宮ハルヒ」(後略)」、「ハルヒは自慢げに微笑みながら朝比奈みくるさんなる上級生の背後に回り、後ろからいきなり抱きついた。/「あひゃああ!」/叫ぶ朝比奈さん。お構いなしにハルヒはセーラー服の上から獲物の胸をわしづかみ。/「どひぇええ!」/「ちっこいくせに、ほら、あたしより胸でかいのよ。ロリ顔で巨乳、これも萌えの重要要素の一つなのよ!」/知らん。(後略)」(『涼宮ハルヒの憂鬱谷川流)。世界に対する両者の違いは明らかである。描写に限ってみると、谷川の場合は、「俺」の自意識を軸にして世界を圧縮・加工してネタ的に再構成し、また萌え要素のデータベース(「テンプレート」)でキャラを造型していることがわかる。さかのぼれば無頼派の自意識を軸にした作法も、このように世界と「私」の一致をたえず否認することに力が注がれていた。これは庄司薫以降のブロークンな饒舌体にも指摘できる世界認識であり、表現方法であろう。他方、柴崎は、世界から送られてくる知覚・感覚のデータ、世界との関わりで出来する印象的な知覚・感覚のデータを各ブロック単位として文章を組織する。「光が射し」、「目が覚め」、続く中沢の動きによってもたらされる「黒い影」の視認(…)等々の描写ブロックの列なりがあり、そこにおりにふれ内面描写(内言)−想起のブロックがからんでくる、といった具合。ところで柴崎は、人と人の別れ、別離の悲しさをしばしば書き留めている。たとえ仲良しでなくても、ほんの一時であれ関わった人との別れは、どんなものでも悲しい、という。それはもうその人との関わりは永遠に訪れないという思いから来る悲しさであり、柴崎はかほどに一回性を大切にする。感情や知覚・感覚の各種ブロックのゆるやかな列なりもまた一つ一つが一回性を生きられたものであり、柴崎の文章を覆っているのは、この列なり/関わりから来る喜びと一回性の悲しみの思いにほかならない。

*2:イロニーについて説明しておくと、たとえば世間一般にAと思われていることをあえてB(-A)と表現してみたり、Aを効果的に伝えるためにB(-A)と表現してみたりすることである。たとえば「あなたは馬鹿だ」(A)と伝えるために、笑いながら「頭いいな!」(-A)と表現してみること。

*3:ただし柴崎の「私」には、世界の全体を知り表現する意志はない。あくまでも彼女の世界は自分の知覚・感覚が及ぶ範囲に限られる。全体化の意志は、むしろイロニーの側に隠れた形であるといえよう。

*4:「「なにそれ?」/わたしの視線を追った良太郎は、すぐに答えた。/「通帳」/「なんでそんなにあんの?」/「ああ、ネットオークション用にいろいろ分けてんねん」/「あかんって、そんなとこ入れてたら」/大きな紙袋を両手に提げたおばちゃん二人が南から歩いてきて、しゃべりながらわたしたちのほうをちらっと見た。反対側から、ピザ屋の配達のバイクが走り抜けていった。/「だって、ひったくりとか……、っていうか、職務質問されるで」/言いながら、笑いがこみ上げてきてちゃんとしゃべれなかった。」(『その街の今は』)。このように、大阪弁の会話フレームと、それとは一見無関係に動く対象なり背景をとらえる描写のフレームが並列していくシーンは、柴崎にはしばしば出てくる。

*5:[2008年10月17日注記]柴崎友香を世代論的な括りで便宜的に説明しましたが、彼女のリアリズムは世代論のような説明に拘束されるものではなく、現代文学の一つの技法として確立されたものです。誤解のないように注記しておきます。