感情レヴュー

中沢忠之、『文学+』を刊行する「凡庸の会」同人

現代批評の一分(3)――テクストと!

殺人事件の謎に萌えるのか、名探偵のキャラに萌えるのか。いや、ていうか、多分これはそんな複雑な問題じゃなくて、ミステリーは単に『面白いから』、生まれて、はやって、今もなお生きているんだと、僕はそう思いたいものです。『不気味で素朴な囲われた世界』「後書」西尾維新

僕たちはこの時代に諏訪哲史川上未映子といった作家が登場したことに驚いているわけだけれど、そういう時代にぼくたちが小説を読めることにもっと驚いていいと思う。
もうすでに彼ら抜きの文学史など考えられないような気がするのだが、たとえば芥川賞の選考があんな(http://d.hatena.ne.jp/sz9/20070223)だった時代からはまだ一年もたっていないのだ。
もちろん、最近期される文学の変革の(遅すぎる?)予兆として芥川賞のここ数ヶ月にわたる変化があるのかもしれないが、芥川賞の選考委員に、いささか脱保守革新寄り(?)の異動があったことの単なる結果とも言えないこともない。しかし、文学の力はそんな人事の問題に回収されるものではない。そう、僕は文学に対してはこの上なくロマンチストなのである。
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諏訪哲史川上未映子の文章について、詩でも散文でも哲学的エッセーでもあり、またどれでもないような、たえずカテゴライズから逃れていくものだと、まるで自註しているかのごとく指摘している*1
そしてそのほんのかたわらに、芥川賞受賞作の『乳と卵』は従来の川上作品に比べてじゃっかんリーダブルな、読者サービス的なものになっている、ような、いないようなとごく控えめに、申し訳程度に記すのだけれど*2、実はこのことはもっと声高く言ってもいいはずなのだ。『乳と卵』のみならず川上作品の代表作数編は、ただしくエンターテイメントでもあるのであり、事実そのようにも読まれている。
「ポンパ」の諏訪哲史もそうなのだけれど、彼らの小説は詩の一節のようにも読め、むろん小説として読める。それにくわえ、本来は敵対関係にあると思われがちだった、メタ視点(ジャンルの自己言及)を召還してしまいがちな哲学的考察(およびそれをふまえた形式的実験)が物語のエンターテイメントと両立している、という驚くべき達成が彼らにはあるのである。
芥川賞が人事で保守から革新に転じたとばかりは言い切れないのだ。むしろ受賞者が保守的カードを持ち合わせていて、評者にそれを掴ませた(不穏な別のカードを滑り込ませながら)、と言うべきである。しかしそれは妥協のためのスペア・カードなどではない。彼らの達成は、革新カードを保守カードと同時に切れる、という点にある。
物語に奉仕しない哲学的考察なり文体・叙述上の形式的な試行錯誤のフレームが、物語のエンターテイメントのフレームと共存し、あわよくば相乗効果をもたらす、というところに彼らの狙いはある。それゆえに、彼らの読者レヴューは、「難しい」と「面白い」とにしばしば真っ二つに割れるし、肯定否定いずれにせよ、文体・叙述上の形式的側面への注目と、物語のテーマ分析とに割れるのである。
二人の文章のレヴューを書いてみた僕の経験上言えることは、形式的アプローチから挑んでみても、テーマ分析で切り込んでみても、読んだ感想にぜんぜんなっていないと気付かされることである。彼らの文章の批評のしづらさは、彼らの文章がそれ自体で高度な批評だからではなく、むしろこの重層的な構造にあるといえる*3。彼らは詩と散文、エンターテイメントと前衛的身振りのモードチェンジをするまでもなく、同時にこなすのである。
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ふり返れば、文学史の80年代に颯爽と現われた高橋源一郎は、あからさまな哲学的・言語学的考察をくわえて、大胆に物語を切断したのだった。
戦後文学史を遡れば、とりあえず「内向の世代」を端緒としうるが、高橋のみならず、私語りなり物語を遅滞させる試みは継続的になされてきたといっていい。語るべきことはないという宣言からはじまった村上春樹の初期アフォリズム三部作ももちろんそうだった。
春樹の物語回帰と高橋の沈黙という重要なトピックを内在させた90年代に入っても、基本的にその傾向(物語批判)はとだえることなく、多和田葉子笙野頼子奥泉光阿部和重らによって担われてきたのである。彼らの中で形式上の試行錯誤と物語のエンターテイメントを両立させようとガチで企んでいた人は果たしていただろうか*4
そう。島田雅彦は、いち早く物語に回帰した村上春樹を嫉妬し続けたし、奥泉のミステリーへのジャンル横断は職人芸的に洗練されたものだったが、彼は器用に書き分けたのにすぎない。90年代の阿部もまたメタフィクションの追及と物語への欲望を行き来し、その間に引き裂かれ続けた。金井美恵子ですら、エンターテイメント性のあるものとアンリーダブルな形式的実験を書き分けうることに、類まれな資質を見出されたはずである*5
あるいはまた、「批評空間」に連載された多和田の『聖女伝説』がコアな人気を集め、笙野の私小説的な『タイムスリップ・コンビナート』よりも、『レストレス・ドリーム』の、常人では絶望的に読めない「夢の記法」が好まれる、という時代だった。
いまから見れば誤った時代だったと言いたいのではない。文学が物語の欲望とどう接したかという問いから見えてくる、一つの文学史上の足跡である。そして諏訪哲史川上未映子は、「散文」と散文の意味伝達性から逸脱する「詩的要素」の二つの形式的モード(の組み合わせ)から、物語の欲望に挑み、果敢に組織している作家なのである。
それは、むろん、最近の保坂和志高橋源一郎両氏が自分の小説論に対して「小説のようだ」と定義する類のものとは違う。エッセーが小説のようなものに、哲学的考察が心象的なエッセーのようなものになるのはいつの時代の作品にも見受けられることで、こと日本の場合は、そのような事態は「美しい日本」(川端)の情緒として肯定されたり、「あいまいな日本」(大江)の封建遺制だとして批判されたりしてきたのであった。
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いずれにせよ、ここで注意すべきは、諏訪氏と川上氏の場合は、「散文」に対する「詩的要素」――前者はメタフィクションなりアサッテ語の効果的な用法、後者は物語のテーマの「身体」に連動する文体のブロークンな叙述――が、意味伝達の脱構築なり物語批判に資するというポジションにある(これは『レストレス・ドリーム』の「夢の記法」のように80-90年代に支配的だった発想法だろう)のではなく、それを享受する読者が作品に感情なり生理のレベルで繋がるために機能している、ということだろう。簡単に言うと、この「詩的要素」は読者に対して冷や水を浴びせるものではなく、誘引性があるのである*6
他方、80-90年代は、物語批判によって感性なり生理的側面を押し殺し、アンリーダブルであることを知的に確認するメタレベルにおいて、作家と読者の理性的な共犯関係がしばしば目指された。当時はこれこそ「テクストの快楽」(ロラン・バルト)だと喧伝されたものだが、結果的には、おうおうにしてそれを裏切るものであった*7。おそらく「テクストの快楽」にただしく準じているのは諏訪氏たちの作品であり、それを享受する読者こそ痛感していることだろう。
したがって、ここで前言を言い直さねばならない。彼らの作品は、形式的試行錯誤と物語のエンターテイメント性を両立したものだと述べたが、これでは不十分なのだ。
より正確に言おう。前述した通り、彼らの(「詩的要素」を軸にした)形式操作は物語のエンターテイメント性と背反しあうメタレベルに位置付けられるものではなく、誘引性のある「詩的要素」として導入されているわけで、だから、その点で無矛盾な両項をあわせ持つことで「テクストの快楽」を読者に享受させる作品がここに現われたのであり、そのこと――エンターテイメントとしてのテクスト!――に僕たちはいま驚いているのである。
しかもその両項は、誘引性のある形式操作を媒介に読者と物語を繋ぐ、という関係にある。形式が物語内容を媒介するのは当たり前なのだが、読書行為にしたがって読者の感情・生理にダイレクトに訴えかける誘引性が目指されている形式操作ゆえに、そこを起点にして組織される物語は、現前する物語空間を追体験するようなリアリズム(近代小説の雛形)を保証しないし、むろん、リアリズムの現前性を批判するメタレベルから相対化されること(物語記号論、小さな物語)もない。それは、近代小説的な、奥行きのある風景と自己同一性を保証する内面を表わさないし、メタレベルからの記号論的な形式操作によるサイボーグ化した空虚な内面(構成主義的な身体)と郊外化・テーマパーク化した風景からも遠く離れる(古川論http://d.hatena.ne.jp/sz9/20080223参照)。
誘引性のある形式操作と物語の関係はこうだ。つまり、作家なり作品ごとの法則・手法にしたがった形式上の様々な仕掛けや特異点(ブロークンな口語体、アサッテ語など)、物語の構造上のフラグ(古川の地図・地名など)等々を頼りにしながら読んでいくことの快楽なり享楽が、物語の消費、そして生産を下支えし、強度を引き上げるという構造になっているのである*8
だから、『現代小説のレッスン』の石川忠司氏が、小説のエンターテイメントを考察するために、描写・会話・哲学的思弁的考察・内言(のほどよい形式的配分)に限定し、エクリチュールなど他の要素を切り落としたことは、決定的に視野が狭かったと、いまこそ強く言わねばならない。
思えば彼は、絓秀実と渡部直己(『それでも作家になりたい人のためのブックガイド』)の近代小説を規範とする啓蒙主義に抗する形で出てきたはずだが、彼のリベラルなエンターテイメント主義もそれ相応に規範的だったのである。そう思わせるほどに、たとえば『りすん』の無茶振りは危険な代物だったはずなのだ。
ただし、諏訪氏と川上氏によって明らかにしたケースはいま文学において起こっていることの、ほんの一部にすぎない。たとえば、横田創の最近の作品(「ちいさいビル」(「すばる」2007年7月号)とか)を読むと、思わず涙腺がゆるんでしまうことは注記しておいていい。断片的な挿話を切り貼りしてトリッキーな叙述で沸かせた『(世界記録)』(2000年)『裸のカフェ』(2002年)と続く彼の一連の作品は、文学史上感情をゆさぶるものとしては登録されていなかったはずなのである。
それなのに、たとえば彼の小品「ちいさいビル」では、ラストに思いっきり泣きのフラグを立てる。しかしそれは、凡庸なお涙頂戴物語の涙腺うるうるフラグではなく、物語の冒頭から、横田氏特有の、断片化した挿話が大きな物語に展開せぬまま切り結んでいく伏線があってこそ立ち上がるフラグなのだ。そこでこう問いたくなる。おそらく偽の問いを。文学は変わったのか?

今日現在を最高値で通過して行こうよ 明日まで電池を残す考えなんてないの 昨日の誤解で歪んだ焦点は 新しく合わせて 切り取ってよ、一瞬の光を 写真機は要らないわ 五感を持ってお出で 私は今しか知らない 貴方の今に閃きたい これが最期だって光って居たい『閃光少女』東京事変石津悠松永かなみ

*1:「もしも言葉が液体であったなら」(「群像」2008年3月号)

*2:川上未映子自身も、前作『イン歯―』からより読みやすくしたという意図はないということを述べている。「哲学とわたくし」(「文学界」2008年3月号、永井均との対談)

*3:たとえば川上氏の、河内弁ベースの口語体を絶対評価することは、他のブロークンな口語体を駆使する作家(町田康など)との差異が不分明になってしまい、凡庸な感想になってしまいがちゆえ慎重に避けるべきだが、彼女の大きな魅力の口語体に触れない批評はやはり不十分だ。

*4:批評家側にもそのような視角からの援護射撃はなかったはずだ。彼らの作品を擁護した批評家のアプローチは基本的にテクスト論、テマティスム、構造分析、エクリチュール云々といった、より形式的な側面にこそもっぱら焦点を当てたものだった。

*5:「九五年の金井美恵子の『恋愛太平記』、これはエンターテインメントとしても、とても良くできたものですが、金井美恵子という作家は、その後に『柔らかい土をふんで、』という非常に読みにくいものがある。『恋愛太平記』と『柔らかい土をふんで、』の分裂みたいなものを彼女は自覚的に引き受けて書いている。『恋愛太平記』は、寝ころがりながら心地よく読めるのに、『柔らかい土をふんで、』はどうやっても読めない。その分裂みたいなものが九〇年代を象徴しているんじゃないか」(「文学界」1999年12月号「90年代日本文学決算報告書」絓秀実+清水良典+千葉一幹山田潤治による座談会中の絓氏の発言)。当該発言のみならず、この座談会は90年代文壇の一端が的確にうかがえる。まず、評者によって、大きな物語が散逸し、各々の作家にしたがって記号論・身体論ベースで編集・組織された無数の小さな物語が陣取る文壇マップが描かれる。そのうえで90年代以降は、文学を無条件に他のジャンル・カテゴリーから保護することができないことを確認し、今後はミクロ・ポリティカルな視点がなければ読めたものではないだろうという指摘がありながら、エクリチュール云々とかアンリーダブルなものに対する絶対的信頼が根強くある。このあたりは、以前、ジジェクデリダ脱構築)の限界として問題化したようなことだろう。

*6:このような事態を、各々タイプが違う彼らがどういう法則で作品ごとに結晶化しているかは、以前に書いた通りだ。『アサッテの人』評http://d.hatena.ne.jp/sz9/20070612http://d.hatena.ne.jp/sz9/20070925、『りすん』評http://d.hatena.ne.jp/sz9/20080215http://d.hatena.ne.jp/sz9/20080217、『乳と卵』評http://d.hatena.ne.jp/sz9/20080125

*7:むろんさかのぼって検証すれば、成功した例もあるだろう。ちなみに、日本近代文学のアカデミズムでは、ここ数年、「テクストの快楽」の功罪という形でテクスト分析の自己批判がしばしばなされている。

*8:80-90年代的な物語消費に比して言えば、記号操作の結果もたらされる意味の戯れを楽しむのではなく、それこそ記号操作それ自体の効果を楽しんでいるフェーズにいまや雄弁な形で入ったのだと言える。