感情レヴュー

中沢忠之、『文学+』を刊行する「凡庸の会」同人

80年代文学史論 第4回――愛しの中森明菜

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少し前から、南明奈を知って(グラビアの彼女にはなんとも感じなかったのに、という否認の身振りに自己嫌悪しつつ、とにかくテレビ映えがいい)以来アイドル好きに回帰しつつある自分を感じて漠然とした危機感を感じている今日この頃なのだけれども、アッキーナ繋がりとかぜんぜん関係なく、なかでも中森明菜が痛ましくも愛らしくてしかたがない。
「スローモーション」「少女A」「北ウイング」「サザンウインド」「飾りじゃないのよ涙は」「SOLITUDE」「ミ・アモーレ」「DESIRE」などなどアイドル史にとどまらず音楽シーンに残した名曲は数あるが、彼女のキャリアの中でも象徴的な楽曲であり、また彼女自身の転機となった87年の「難破船」(これ以降、彼女はレコ大はじめ賞レースから離れる。85・6と明菜のレコ大受賞後、87年は近藤真彦の「愚か者」。これ以降90年代のレコ大はエイベックス時代)を、ここ数日で何百回聴いたことか(Youtubeで様々なバリエーションが視聴可)。ああ。
おもえば、彼女の前史として偉大な存在であった松田聖子は、いわゆる「ぶりっ子」を世に振りまき、アイドル属性を演出することになんのためらいもなく、堂々とした彼女の佇まいが、いまなお我々の記憶に刻まれて久しい。
日本での破竹の勢いにのりつつ全米デビューでジャパン・マーケットの矮小さをしらしめられることになったピンクレディーと、「普通の女の子になりたい」と言ってアイドルを卒業したキャンディーズ以降、アイドルから奪われたオーラを、「ぶりっ子」という身近な属性で演じることによりひとまず取り戻した松田聖子
男女雇用機会均等法」を代表する女性的生き方を実践しているとかママドルとか毀誉褒貶にさらされてきたが、聖子ちゃんはいまでも変わらずあの聖子ちゃんである。アイドルを演じることに疲れやテレを知らない。いま振り返れば、あれだけのスキャンダルにまみれ視聴者の視線に呆れられながら、それを利用しつつもアイドルとして一定の姿勢を崩さない彼女の存在は奇跡的といっていい。これは彼女の日常なのだった。
アイドル黄金期とされる80年代は、この松田聖子の登場で幕を開け、その後続(柏原芳恵石川秀美小泉今日子早見優堀ちえみ松本伊代斉藤由貴南野陽子酒井法子ら)によって培われたアイドルの文法を自覚的・自嘲的に演出した秋元康プロデュースのおニャン子クラブでいちおうの決着をつけるという見取り図が立てられるだろう。
いうまでもなくおニャン子は、松田聖子が一時的に回復したアイドル・オーラを徹底して使い込み、世俗化することで卓越化しえたのであり、そこから卒業した工藤静香、それに小泉今日子(「なんてったってアイドル」)は、あけっぴろげのバブルな視聴者の意向を先取りしつつ、恋愛やセックスのこと(アイドルらしからぬ「やんちゃ」)も話せるアイドルとして、世俗化するアイドルの茨の道を生き抜いたのであった(「東京ラブストーリー」)。この時期、井森美幸山瀬まみなど「バラドル」に転身したアイドルも注目を集める。オーラはついに消尽した。そして次代をになうモーニング娘。まで、アイドルの新たなあり方が模索され続けるのだが、そのことも、いまの我々にはすでに知られたことである。
我々の中森明菜はといえば、松田聖子としばしば比されるが(聖子派か明菜派か)、松田聖子のように堂々と我が物顔でアイドル・オーラをまとうことは、彼女にはためらわれた。
それがデビュー以来わずか数年で驚くほどの変貌を彼女に強いたのだし(デビュー時のキャッチフレーズは数年後には予想もつかない「ちょっとエッチな美新人娘」)、またあの明菜的というほかない、つねに泳ぐ視線と居心地の悪い、歌謡曲の女王となってもなお(いやそうなればなるほど)私がここにいてもいいのかしらといわんばかりの佇まいをわが身に召還するのである(彼女が歌い終わったら決まって口パク気味に「どうもありがとうございました」と囁き深々と一礼するシーンは当時を知る誰もが記憶にあるはずだ)。
むろんこれ込みで彼女の演技だという指摘もある。そしてそれはその通りなのだが、彼女の演技は底なしであり、目標・テーマが定まらない点で松田聖子と異なる。ぶっり子をしてみても、不良少女になってみても、大人っぽくしてみても、ウィッグを着けたりコスプレをして変身して歌ってみても、彼女のセルフ・プロデュースには落ちつくところがない(Wikipediaによれば、「デビューから、衣装・メイク・振り付けを自身で担当」)。
芸であるはずのその演技の過剰さがしばしば神経質な狂気を表情に浮かばせ、あるいはひょっとすると本気なのか、それともやはり演技なのかが、視聴者にも、恐らく自分にも分からないところで、中森明菜は歌い続けた*2。歌謡歌手とでもいう他ない、あの誰もが認める歌唱力も、松田聖子が注意深く避け、アイドルがこえてはならない一線だったはずだ。


そういえるくらいに中森明菜はアイドルという枠組みを超える巨像/虚像として成長したのであり、アイドルという枠組みもまたメディアの露出に応じてこの時期やむない世俗化の波に洗われ、多様化していた。
中森明菜小泉今日子に軽く嫉妬してみせるという微笑ましいラジオソースが残っているが(1982年)、

冗談の発言でありながら、いま思えば、中森明菜が、アイドルを「なんてったって」ということで逆説的に「なんちゃって」といえた小泉今日子に嫉妬していたと想像してみることもできなくはない。
中森明菜にとっては、アイドルとは字義通り「なんてったって」と形容するほかないものだった。しかし「なんてったって」と堂々といえるほどアイドル・オーラを信じきれる傲慢さをもたず、またもたしてくれない時代でもあったのだ。
たとえば、「たかが恋なんて」(「難破船」)だとか「私は泣いたことがない」(「飾りじゃないのよ涙は」)と歌いながら、その実「恋」や「涙」の掛け替えのなさに思い焦がれるというタイプの逆説を駆使する中森明菜*3も、小泉今日子と同様に、アイドルというものが「たかが」で「飾り」で「なんちゃって」でしかないことを、あるいは知っていた。しかし、小泉今日子がアイドルを相対化し自嘲的なネタにする方向で逆説を披露したような潔さを、彼女はもてなかったのだ。中森明菜の逆説は、自嘲せざるをえないものをそれでもなお愛しく思いたい執念に突き動かされたものである。
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松田聖子が自身の恋愛沙汰や日常生活も含めてアイドル・芸能界的なコードにのせてメディアに露出することに躊躇がないように見えるのは、彼女にとっては日常がアイドル生活だからであった。彼女にとっては、日常にもアイドル・オーラが被覆してある。それが勘違いだったとしても、それを押し切って今ある彼女の存在は奇跡である。むろんそれは彼女の勘違いとはいえず、視聴者(ある世代の)にとっても、少なくとも松田聖子にはアイドルを見ていたいのである。
他方、それと同じように、あっけらかんとアイドルらしからぬ「やんちゃ」ぶりを語ってみせる小泉今日子は、日常=アイドルだからではなく、アイドルとは、オーラなきいま、メディア上のイメージ戦略においてたえず存在意義を更新しなければならないものだから、そうするのである。アイドルにはアイドルであるべきオーラなどない。おニャン子を見よ。ならば、これ以降は、アイドルを遊べばいい。それが使い尽くされるまで。とんねるずとお笑いをやるのもいいし(ダウンタウンの「HEY!HEY!HEY!」などでの明菜のからみを見ると、彼女は、小泉今日子の乗りのよさと比べて非常に「扱いづら」く見える)、本を出し、CMや映画に出るのもいい。そしてアイドルは「いなくなった」。
もちろん、小泉今日子と同世代の中森明菜にとってもすでにアイドルとは半ば冗談のような、不定形のものであった。必須項目の能力や技術がないという意味でこれほど虚像というにふさわしいジャンルはないといえる。
しかし彼女はアイドルを最終的には信じたのだった。あるいは中森明菜というアイドルを。中森明菜の佇まいの痛ましさと愛らしさはここにある。
僕が最初に買ったレコードはおニャン子の数枚と少年隊(デビュー曲か「デカメロン伝説」)であり、同じ感覚で小泉今日子のキャリアはつねに追っていた。だからというわけでもないけれど、中森明菜はだめで、89年の自殺未遂を前後して失調していく彼女と、逆に勢いを増す小泉今日子を比べて、なんとなく納得いっていた。中森明菜から小泉今日子へ、という誰もが納得できる流れ。「ベストテンの女王」といわれる彼女だが、80年代後半の「ベストテン」は、当時中高生の僕にとって急速にダサいものになりつつあった。
しかしいま思うのは、二人はアイドルとしてほぼ同時にデビューを果たし、松田聖子というそれなりに完結した存在を前に、ほぼ同時期にアイドルに限界を見出し、アイドルについてそれほど変わらないイメージと考えをもっていただろうということだ(二人とも同学年、しかも高校は同窓であり、「スター誕生!」をくぐり抜け82年にレコードデビューし、ブレイクまでに間隔がある)。
ただし、二人のジャンルとの距離のとり方は正反対だった。中森明菜は、そんなアイドルというものを、アイドルとしての中森明菜をそれでもなお担わざるをえなかったのであり、それを僕は学生として格好悪く思えた。事務所の方針にも抗う小泉今日子の、アイドルに対する潔い相対化の身振りと比べて。彼女の隣には、ときにチェッカーズがいて、とんねるずがいて、永瀬正敏がいて、吉本ばなながいて、格好よく、すかして見えたのだった。
しかし、アイドルへの謙虚さと傲慢さにはさまれて痛ましく見える中森明菜の佇まいには、いま改めて目にくるものがある。アイドルがいまなお我々の前に存在するのは、小泉今日子のメディア上のイメージ戦略の功績は大きいが、中森明菜にいだかせたあの執念があってこそだと信じたい。

*1:80年代論ですが、というか論というほどでもないのだけれど、もちろん文学史論というのは嘘です。ところで、このエッセイは、「まこりんのわがままなご意見」http://wagamamakorin.client.jp/index.htmlと、Wikipediaから多くの情報と発想を得ています。

*2:ボーダー気質というほかない、過剰な明るさとどん底の暗さの、あのぎこちない揺れ動きが、ある視聴者には魅力的に見え、ある視聴者には嫌悪の対象となった。

*3:まこりん氏の指摘。http://wagamamakorin.client.jp/nanpasen.html