感情レヴュー

中沢忠之、『文学+』を刊行する「凡庸の会」同人

お前はモナーか、のまネコか?(3)

 いわゆる「のまネコ問題」は、当該企業が商標権申請の取り下げを告知したようです。あわせて、(C)表記も商品に付けずに今後は販売することになるとのこと。
 途中、2ちゃんねる管理人のひろゆき氏による、浜崎あゆみのロゴだかトレードマークに似せた「のまタコ」商標申請と当該企業への公開質問状なんかもありましたけど、これなんかは「違法アート」の精神(合法的ではあるが、その合法性が如何に歪んでいるかということを、自らその法制度と遊ぶことを通して明らかにするような試み)に通じていて、貴重な試みだなあと感心しながら事の成り行きを観察していました。
 あと、モナーならぬのまネコならぬ(a∀eメ)みたいなイメージをちゃっかり開発してしまう匿名氏がこのネットの世界にいるということも、なんだかわけもなくうれしくなる要因だったりします。むろん、批判されている企業にとってはとても心痛いことだと理解しますが、とりわけ資本や権利上では適わない相手に対し表現で茶化したり批判する精神は大切で、しかもそのイメージ上の結実のさせ方が見事なものが、市場とは別の次元でごろごろ転がっている様を見るのは楽しいものです。
 そんななか今回の件でaraig:netさんがロジックを駆使しながらとても面白い視点を提示してくれています(http://blog.goo.ne.jp/araignet/e/3ced6fafd6799a41eba98c841bed34a7*1。ネット上の多様な動きを評価し、それら脱マーケット的な動きとマーケットとのコミュニケーションの齟齬自体をコミュニケーションの一形態とみなして積極的に捉えていこうとするもの。したがってネット上の(法的に)灰色な動きを、真っ白に洗浄してマーケットの商品に囲い込む今回のエイベックスの行為は「灰色を白と言う暴力」ゆえ評価できないと。

今回、商標登録問題で当初は歓迎ムードだった(「灰色」だったのが、「白」と言われたのだから気分の悪いことではなかったのだろう)2ちゃんねらが、avexとの臨戦体制に入ったことはむしろ良かったんじゃないかと思う。コンテンツホルダー側とネット側とが、ギスギスとした関係にある中で成立する「灰色」の領域という別の調和の仕方だってあるのだ。

 以上、araig:netさんのそれ自体で面白い論理展開の細部を抑圧するような暴力的な要約で申し訳ないんだけど、私も同じ立ち位置に立っていると共感できるものです。ただ9/21日の私の見解にもある通り、弱冠角度を異にしています。

 私としては、企業とか資本の側にある立場も、そのグレーゾーンに足を突っ込むことが出来るようなシステムのデザイン構築にも興味があります。単に権利や資本でグレーゾーンを根絶やしにする方向ではなく(そんなことしても、グレーゾーンはどこにでも生成し寄生するものですが)。
 この場合は、やはり、資本や権利によってグレーな表現を市場に取り込むような、いわゆる「灰色を白と言う暴力」もOKじゃないかと。何かを作るためには、灰色が白から盗むこともあれば、白が灰色から盗むこともあります。ただ、白と灰色は同じロジックで動いているわけじゃないし、灰色のなかにも、また白のなかにも(例えば同じ作品の権利一つとっても発行元の企業と直接の作り手とでは権利の行使の仕方、その考え方が異なるし、後者はしばしば前者に隷属的にならざるをえない…)様々なロジックがあるので、例えば白のロジックを灰色に直接適用することは避けねばならないと考えるわけです。だから直接適用せずに、如何に白から灰色へ通路を開くかというデザインを考えるべく試行錯誤してもいいんじゃないかと。
 けっきょく私が見る視角はと言えば、法的権利や資本の視点からしか判断しない立場と、そこからあぶれた多様な(平板な?)動き――そのなかで突発的に出てくる、ひろゆき氏やわた氏など英雄的な突然変異――という図式に、ギスギスしたグレーの関係を見るだけじゃなく、もう少し積極的なグレーゾーンを照準するというイメージです(無断利用を許容する企業は知財権侵害幇助で私たちの仲間じゃんなんていってみたり…)。
 かなり漠然としてますが、例えばコードをオープンにしてアマチュアから企業まで(その動機は様々あれ)参入しているリナックスなんかは典型的な例だろうし、アートの世界なんかでは、オタクの二次製作物的なコンテンツを現代美術のマーケットに接続したり、企業の協賛を呼びかけつつ新人アーティストが登場し出品する機会を提供する村上隆のやってることも興味深い例だと思う(もちろん村上隆の行為はアニメ好きやフィギュア好きから賛否両論あるわけで、それはそれで白と灰色を繋ぐ一つのデザインの試みとして評価するべきだと思う)。また他にも、ケンブリュー・マクロードの『表現の自由VS知的財産権』の「デジタルの未来」のチャプターに色んな面白い試みが例示されてたりします。
 むろん、白から灰色へのアソシエーションだけじゃなく、灰色の動きが連帯して白になることもあるでしょう。いまや個人でも多少無理をすればプロ顔負けのグレードを持つコンテンツを作ることが可能なのは、いままでなら到底無理だと考えられてきたアニメや音楽業界にも言える時代なのですし(流通もネット経由で安価かつ容易に)。
 とりわけ、メジャーな企業に大部分を占められている市場や、新興市場への参入といったケースにおいて、以上のような白黒灰入り混じった連携の有様が模索される可能性が高いんだと思います。このとき当然、白であったり白と関わる以上は儲けたっていいし、儲けるべきでしょう。
 逆に、白がグレーゾーンに良い顔みせようとしても、大半の灰色の現状が変わるわけでもないし、白の薄気味悪さにそっぽを向き、さらなるグレーゾーンに逃走するだろうこともむべなるかなと思います。(注記=ネット上で、他の人や企業の表現を無断で転載したり引用する私のブログもやはり一介のグレーゾーンなわけですが)

*1:最近サイトを移行されたようです→http://d.hatena.ne.jp/araignet/