感情レヴュー

中沢忠之、『文学+』を刊行する「凡庸の会」同人

トロメラ!

 <承前>
 第3部
   いないいないばあ

 今年晴れて入学式を迎えた男の子と女の子が一人ずつ市川の河口から発見されたのは、ケイタが幽霊騒動に巻き込まれていたのか一人騒いでいた時期の、梅雨もようやく明けて暑くなりはじめた頃、来季の就農に向けて着々と準備を進めるイチコが間近に成長する作物を見ながら胸躍らせている頃である。梅雨どきに毎日のように降られて増水した川が通常の深さを取り戻すと、河口を遊ぶ亀たちがちょうど日光浴をするのに都合がいい台座がいくつか顔を出す流域が、対岸を結ぶ橋のほぼ真下にあるのだが、このあたりに住む誰もが子供の頃から橋を横断する機会があれば決まって亀の機嫌をうかがうべくそうするように下を覗き見ると、その日台座に引っかかりのし上がっていたのは亀のつがいではなく、男の子と女の子だった。
 両方とも背を向けている様はまさに亀と同じ格好で、しかし二つだけ突然変異したように蒼白色の小さな塊は、露出した背面いっぱいに日の光を受けている。いつもは注目を浴びる亀たちもこのときばかりは背景にしりぞく。代わって前景にせり出す死体は、ここからだと男の子か女の子かわからないが、少し寄って見れば、ケイタたちの町寄りに配されているのが女の子、それより台座三つぶん向こう側に流れ着いたのが男の子。
 男の子も女の子もこの川の流域にある小学校に入学したばかりの、四月中の下校時に行方が知れなくなり、それぞれの家族から捜索願いが出されて間もなく、これといった手がかりもない状態で連日報道される日々が続いていたのだが、タカオやケイタ、イチコ、それに旧大口家の三姉妹が知らないはずはない。とりわけ二人のうちの一方は、エツの長男と同じ日同じ学校に入学した女の子で、事件が知らされてからというもの、新入生から上級生までが揃って集団登校する決まりがケイタの頃からすでにあった学校は一段と警戒を強め、即日から下校時もグループ単位で帰宅できるように組織、それがかなわない場合は親族の付き添い、もちろん集団登下校よりも親族の付き添いを可能な限り奨励し、長距離通学の者のためにはスクールバスを検討すると同時に、各通学路の要所に登下校を見守る監視役を保護者および親族関係者を中心に募りもし、さらには防犯ブザーを各自に貸与、ゆくゆくは無線式のICタグを身に付けさせて登下校情報を一括管理するという防犯体制も視野に入れた、一連の重武装でときの例外状況に挑んだ。
 これなら次に何かがあったとしても誰も文句は言えないんだろうなという感慨に耽るケイタは、このものものしさもいずれ日常の風景になるのだろうかと思い、禁じられた国道を横断し、河口に遊ぶ子供たちの今後について自分ならどうするだろうと考えながら、もっかスーパーの前を彼らが通り過ぎる通学路の見守りをしているところなのだが、いまいち気乗りしないケイタとしては、見守りというより監視といった方がいいような気もした。
 肩に掛けたたすきには、安全という二文字にくわえ、スーパーのロゴが白抜きされているのがわかる。子供たちはこれを見て安心するのだろうか、警戒し怯えるのだろうか。ケイタは思ったが、当初は興奮した気分に神妙な面持ちをそなえた子供たちには、確かに安心なり警戒を与えたのかもしれない安全印のたすきがけはやがて自己満足のコスプレとなり、見向きもされなくなれば逆に子供たちの方から憐れまれる対象とさえなることを、あと数日もすれば、彼も彼なりの子供時代を反芻しながら思い出すことになるだろう。横切る子供たちのなかに、小学校も今年いっぱいとなったイチコの息子が見え隠れしている。
 通学路としても利用されているこの通りは、ケイタの頃にはなかった商店街がスーパーを中心にいまは形成されていて、周辺の住民や子供がいる保護者家庭に後押しされるかたちで全長百メートルほどの商店街の区間だけでも監視カメラを取り付けようという動きが、この事件以降あるという話を青果マネジャーから聞いてもいた。商店街や町内会からの話を表向き真剣に聞いているとはいえ、スーパー的にはやる気ないけどね。でも地域住民の信頼を得るためには、できる限りのことは協力しなければならないから、各種行事や祭りが開かれるたびに要請される資金援助や駐車場開放にも協力を惜しまず、子供たちの体験学習やゴミの分別回収にも鋭意取り組んできたうちのスーパーとしては、今回もぜひ協力したいということで、こうしてケイタが下校時の監視役(時給なし)として狩り出されているあんがい笑える風景を、なるべく子供を送り迎えすることにしていたエツやイチコは見ることがあった。
 思えばエツもまた妹たちと一緒にあの橋の上から、満面日が射す台座に横たわる亀の群れをよく見た口であり、いまは夫のシンイチにも息子にも馴染みの風景となっている。河口の対岸にある神九の社長の家にお呼ばれに行くときには決まってこの橋を渡ったもので、そのたびに今日は何匹亀がいるか楽しみに橋の下を覗き見たことを覚えていた。中学校に入った頃からは一々足を止めてまで覗き見ることはしなくなったが、それでも歩きながら亀の機嫌をうかがってしまうという話を以前皆が集まったときにしたことがあるのだけれど、当時はまだこの町の住人だった三姉妹の母の口から、確かにエツとサキはそうだったが、ナオは亀よりも橋の横を走っている電車に夢中で、電車とはまだはっきり言えなかった頃は、がたがたぽー、がたがたぽーと言っては皆の足を止めてね、何本か通り過ぎるのを見るまで私たちずっと待たされたものだという新証言が披露されて、そうそう、自然の生き物なんかよりも化学式とかの方が好きな子だったからと姉がふざけて言ったのを、そんなの違うがあとどこまで本気なのかふくれてみせるナオに対し、その頃からナオちゃんは勉強熱心だったんだなといつもの正直さをあらわにして言ったシンイチの言葉に、その場にいた者は皆笑い、ナオも釣られて笑みをこぼしたことをエツはいまケイタに話している。
 亀のことは幼い頃からとうぜんケイタも知っていて、まさにエツやサキたちがしたようにいつも亀の機嫌をうかがっていたから、行方の知れなくなった男の子と女の子の死体が発見されたことを聞き知ったときは、場所が場所だけにまずは亀のことを思い、小学校の頃いつも通り抜けていた渡り廊下に、とつじょ広島と長崎で起こった原爆被害を克明に伝えるパネルが貼り付けられたせいで以来通り抜けるのが億劫になり、勢い走り抜けるのにも両サイドを振り返ることをしなくなったというようなことを思い出したのだった。投下の瞬間の閃光で焼き付いた物の影、止まった時計の針、丸焦げで炭になった人体、被爆者の変色した皮膚、爛れたケロイド、抜ける毛髪、凝視する目等々のパネル群は、めまぐるしく連続するスライドショウになってケイタに足止めを食らわせたものだが、あの展示はナオが四年のときのクラスが企画したものだとエツは言う。もとはといえば、全巻揃いぶみの『はだしのゲン』をクラスに持ち込んでいたナオの担任が指導した企画なのだが、意外と感化されやすいナオが一巻ずつ借りてきたそのマンガ本はもれなくエツも読破していると言うから、そういえば、ケイタも小学生の頃に読んでいることを思い出したその挿話の印象に残っている一々をエツに聞かせながら、確かに読んだことがあるということを彼女にも自分にも明らかにしていくうちに、腐乱した死体が群れをなして河川を流れていくシーンをジェスチャー付きで事細かに喋りまくっているという、たったいま安全印のたすきがけをした自分が置かれた状況には明らかに不適当なふるまいをしていることに、子供を連れた母の不安げな顔を見て気付くことになる。
 


 学校からの帰り道にスーパーに立ち寄ったエツは、すでに買い物を済ませている。買い物のときには必ず持参する、パラシュートと同じ素材で作られているから軽いのが売りだというエツの買い物専用バッグを、買ったものが入っているぶん重そうに持ったまま、まだ傷一つないランドセルを背負っている男の子は、同じ日同じ学校に入学し、いなくなって川に流されるまでは何度か顔を合わせたことがあるかもしれない女の子を、クラスが違うから知らないとエツたちには話していて、じっさい知らなかったのだが、女の子は彼を知っていた。



 入学したその日に仲良くなった男の子たち数人と、各々の友だちがどのように割り振られたのかを確認すべく一学年の四クラスまとめて廊下から見回ろうということになり、これももちろんヒエラルキー構築の一端を担う子供たちの儀式なのだが、気後れしながらも興奮の渦に巻き込まれる心地良さに素直にしたがって皆とはしゃいでいる彼を、このとき教室の側からとらえていた女の子は、真新しい「むらお」姓の名札を目ざとく確認すると、隣にいる幼馴染みに彼を気に入ったという単刀直入な告白をし、いなくなるまでに何度かその話をしたということを、聞き役だった彼女はのちにずいぶん経ってから彼に話をしてそれがまあ知り合うきっかけになったのだが、そのことを彼から聞いたケイタは、その幼馴染みの子はお前と知り合うきっかけを作りたかったんじゃないかと言い、惜しみなくビールを注いであげたグラスを、年長の者に対する一礼を兼ねた潔い飲みっぷりでいっきに飲み干してから、そんな子じゃないですよと、すでに白髪がかったケイタよりもやや高い目線からものを言うリョウイチにはすでに三つになる女の子がいる。「成人式で偶然会ったときのことだし、そのときにはもう彼女にも、僕にも相手がいましたから」。

 ケイタは頷いただけだったが、「じゃあリョウちゃんその頃からヨウコちゃんと付き合ってたんだね」と言ったサキは、ちょうどそれくらいの頃の自分はといえば、専門学校に通いながら付き合っていたタカヤとの間に出来た子供がもうお腹のなかにいて、ずいぶん親に迷惑をかけたことを思い出し、大学進学で選んだ東京に、就職してからも居着いている長男にもいい人がいるんだろうか、いるとしたらどんな人だろうという思いに耽る。すかさず彼女の表情を読み取ったシンイチが「サキちゃんイクのことが心配なんだよな」と言ったので、相変わらず自分のペースで焼酎を飲んでいるタカヤの表情を確認しながら、あの子ももう一人前だからというようなことを言おうとしたのだが、このときちょうど女の子を寝かせつけたヨウコが「リョウイチに限ってそんなことない」と冗談まじりの口調で言うから何事かと思いきや、それはどうやら向こう側にいるエツの影になって見えないケイタが「二十の頃からってことは、それじゃあヨウコちゃんが初めての女の子だったのか」とリョウイチにビールを注がれながら言っていたからで、その問いを自分の夫よりいち早く受けたヨウコの、本気とも冗談ともつかない言葉にただ笑ってケイタからのビールを受けるリョウイチを中心にどっとわいた笑いの渦にサキものまれ、久しぶりに東京から戻っていたナオもまた、誰かが出たり入ったりしてもけっきょくはいつもと変わらない笑いに安心してのまれている。
「ケーちゃん自分が初めて付き合ったのが二十のときだからって、男前のリョウちゃんを同じレベルに置いちゃいかんが」と言ったのは、ナオではなく、ナオが一年に一度は連れてくる一人娘で、エツの長女より二年下の、この春中三になる女の子の声は母そっくりなことをみずから知っているから、おどけたいようなときには口調まで真似てみせて皆の気を引くのを、誰に似たのかはともかく、東京から来るたびに一番面白がるケイタなのだが、ネタにされるのも決まってケイタで、だからこのときもただ笑っているだけでろくに注意もしない母の口真似をして「親の顔が見たいが」と言うケイタも負けてはいない。
 ナオはナオでその「親の顔」をわざわざ首を伸ばしてケイタに差し出し、差し出された方は親子そろって進歩がないとでもいいたげな顔をするから、相変わらず犬猿の仲だと、半ば冗談でもいっときは縁を結ばせようとしたことがあったことも忘れたかのようにエツが言うのも束の間、自分が最初に人と付き合ったのは二十よりももっと後だったという到底彼らしくもない、誰もが受け応えに困るような、あからさまに告白めいたことを誰にともなく言うケイタもそろそろ酔いが回ってきたのではないか、やはりこの頃は回りが早くなってきたなと思ったエツは「じゃあ河森さんが最初けえ」と言い、相手の返事もまともに聞かぬうちに、かつてバイト中に痛めた彼女の腰の具合はどうか、事故の後遺症はこの頃平気なのか、最近ご無沙汰だし、無理じゃなかったら一緒に来ればよかったのにと私の母を一々気遣ってくれて、ありがとう、近頃はだいぶんいいみたいと言うケイタの、若い頃と変わらない飲酒のペースは自然と緩くなる。
 ケイタにビールを注ぐまでの間隔が長くなったので、なんとなく空腹を覚えたリョウイチは薄く酢飯をのせた海苔を手にしてまずはチーズをのせようか、それともアボカドをのせるか、梅肉を延ばしのせるか、最初の選択で次から順にのせるものが変わってくるので慎重に目配せしながら、なんとなく空いた間をもてあそばせるのを嫌って「僕もそんなに早くなかったですよ」と口にする。このときタカオの体調をケイタから根掘り葉掘り聞いていたサキやナオたちは、リョウイチが少し巻き戻した話題についていけなくて一瞬間があいたところを、「中学はまだしも、高校の頃からけっこう気難しそうにしてたからね、周りのまあ男子は別としても女の子はあんがい近寄りがたかったもの」と繋いだのは、なんだかんだで中学からリョウイチと同級の縁があったヨウコだが、それを聞いた彼の父は、息子が小学生の頃に招かれた参観日の授業でわれ先に手を挙げ、間違えてあえなく撃沈、後方にいる自分の方を振り向くなりおどけ気味のすまなそうな顔をして周囲の笑いを誘っていたリョウイチの姿を思い出し、母は母で、そういえばリョウイチが最初に連れてきた女の子がヨウコで、それが最後だったことの意味を考える。
 といってもいくら考えたところでキリがないから、そういえば確かにリョウイチは昔から掴みずらいところがあったと適当に言ってみた母に、男の子はそんなものだというようなことを言った父の言葉もかなり適当なのだが、息子はこのときふいに思い出したことに急かされて、僕とケータ兄ちゃんはB型同盟だからと言ったのだった。
 ケイタも思い出し、エツやナオやサキに、そらみろB型同盟はあったんだ、あんなに幼かったのにこいつだってちゃんと覚えているじゃないかと言おうとしたのだが、確かに覚えていると言ったリョウイチの、当時の余りの幼さが思い出されるなり急に心細くなったので、これはぜひ九州にいるおばさんに連絡をしようと考えた自分はしかしどうかしていると思い直し、まずは言い出した本人に確認をとってみたところ、すでにチーズベースの生ハム入りかっぱ巻きと、アボカドベースのかいわれ入りマグロ巻きと、大葉を挟んだ梅肉ベースの納豆巻きを一通り平らげたリョウイチは満足げに手酌のビールをあおりながら、自分が覚えているのはそんなに小さい頃じゃなくて、もう少し後の、確かこの子が産まれたときにB型だということがわかったから、それじゃあ僕とケータ兄ちゃんも同じだし、九州のおばあちゃんと一緒に同盟が組めるという、まあそんなことだからおそらく今日のような酔った席での話になったのだと言う。「この子」とは、さっきからサキの横を団子状に占拠して別の話の流れを形成しているエツの長女でも、サキの長女や次女のことでもなく、ナオの長女をリョウイチが呼ぶときにしばしば使う愛称みたいなものだから誰のことかは当然すぐにわかったので、親子の年の差がある彼女の方を向いてなんだお前もB型かよという顔をしながら、「同盟への参加資格は厳しいからな」ともちろん冗談まじりに言うケイタは、だったら資格の基準は何なのかと聞いてくる女の子の問いに触れて思わず「あと十年な」とリョウイチに言ったタエおばさんの言葉が思い浮かび、そういえばリョウイチが同盟にくわわったと言うナオの子が生まれた頃は、あれからだいたい十年後くらいのことではないかと計算しようとして煩わしいからけっきょくやめることにした自分がなんだか可笑しく感じられもし、顔を緩ませたのだが、資格の基準はどうなったのか、どうせまともな答えを期待していなかった女の子の「B型は群れちゃいけないんだが」とおどけてみせる言葉があのときもナオから確かに言われたような気がして、そればかりが気になったせいで、リョウイチが話したB型同盟に関する記憶を検討する気にもなれず、そもそもそのときのことをまったく覚えていない自分を思い煩うこともなかった。「B型は群れちゃいけないんだが、なあ?」。
「確かに独りよがりとかよくタイプ分けされるけれど、B型はけっこう群れるというか、たまたま仲の良いグループの血液型を調べてみると、少なくとも僕の場合はかなりの割合でB型だったりする」。リョウイチは言い、小学校に入学したばかりのときに出来た仲間うちでも、のちにお互いの血液型を言い合うきっかけがあって、ことそのときは皆B型だったから、驚き喜ぶよりも誰もが気色悪がったものだという話をした。するとケイタがあの女の子のもBだったと言うから、いきなり何のことだか把握し切れないなりに身構えて次の言葉を待つリョウイチの態度を、予め見越していたようにケイタは話を進める。ほら、リョウイチと同じ学校に入ったあの女の子がな、川で見つかってから少し上流に行ったところで発見されたランドセルに血液だか体液が付いているのがわかって、それがけっきょくB型だったじゃないかと、話しているうちにそれはちょっと悪趣味じゃないかという視線をいくつか感じはじめたところ、ちょうど「ケーちゃんかなり酔っ払ってきたんじゃないけえ」と言う、ごく身近に起こったことだけにまるで自分のことのように痛々しい口ぶりで牽制する母の気持ちもわからないではないからそれなりに神妙な顔をしながらも、ケイタの口舌に乗ってそうでしたね、けれど彼女自身はBではなかったとリョウイチが言ったのは、報道を通してそのことを彼も知っていたからで、ケイタももちろんそうだったが、ただ彼が最初に知ったのは一連の報道からではなく、あれはスーパーの店頭でのこと、いつものように下校する子供たちの見守りと称した監視をしているときにちょうど通りかかったタダユキの話を通してなのだった。「ケイタさんもB型でしょう? 俺もなんですけどね」。



 そう言う彼ももちろん報道から聞き知ったということだったが、このときケイタはまだ知らなかったので、へえそうなんだとそれなりに関心をもって聞いたのだけれど、どちらかといえばタダユキがBだということの方が気になって、タカオもBだから、彼の父もBだとしたら、父B母Bの間に生まれたBの自分とまったく同じ生粋のBという組み合わせだと思い、彼の父の血液型もやっぱりBかと聞こうとしたのだが、立場上タカオの息子に亡父がBかBじゃないかを聞くのはB的にゆるしがたいというかなんとなく気が引けるし、それでもBかBじゃないかを聞きたい気持ちも捨て切れず、このへんの優柔不断なところが非Bに言わせればどうしようもなくBなんだろうと、彼の話を聞きながらケイタの頭のなかはBだらけになっていた。
 それでもタダユキはひたすら喋っていて、女の子のランドセルに付着したものがどうのこうのとか、四月中に行方が知れなくなったのに梅雨明けの川の流れに乗って河口近くまでたどり着いた女の子と、それに男の子の空白の二ヵ月半が意味するものは何かとか、二人とも死因は溺死ということらしく、確かに傷らしい刺し傷や切り傷はさほど見受けられないものの、いくつか生前に殴られたような跡があることからやはり事故ではなく事件だということは間違いないこととして、だからこそ見つかるまでの二ヵ月半の意味が際立ってきもするのだが、その間二人して道に迷ったというのはさすがに考えにくいとすると、どこかに監禁されていたのか、もしくはどちらかの親が自分の子を虐待したあげくの果てに別の子をカモフラージュのためにさらって監禁のすえ川流しとか、実は早いうちに殺していたんだけれど、すぐさまスーパーにあるような大き目の冷凍室に入れるとかして死体を腐敗から守る仕掛けがあったのだろうかとかいった話をし、他に可能性があるとすれば、どんなネタが考えられますかねという問いをB型のタダユキは投げたので、やはりB型のケイタはさすがに僕たちが疑われることはないと思うよと言って笑う。タダユキも釣られて笑い、二ヵ月半前といえばちょうどケイタさんがうちに越してきた頃ですけどと言うから、おいおい疑うなよ、同じB型じゃないかというような、いまあらためて考えたらずいぶん馬鹿げた話をタダユキとしたことを、ケイタはタカオに話している。
 タカオは笑い、自分の旦那はBだったと言ったが、ひとたび彼女からそれを聞いてしまうと、タダユキと話をした昼過ぎにはあれほどこだわった、BかBじゃないか、BとBの組み合わせであるのかないのかといったことはもうどうでもよくなってしまい、AとかBとかOとかいう血液型はしょせん記号の羅列だと思えてくる。壁紙には相変わらずレンゲの花群が咲いていて、マウスを動かさずにじっくり五分待ちさえすれば、うようよ群れをなして動き回るカブトエビスクリーンセーバーに切り換わる。しかしたいていは待ち切れずにいくつかのフォルダの上をクリックすることになるのだが、そのなかの一つには、かつて父から送られてきたメールもあって、その文面に羅列してある漢字の集合は、ところどころ文字化けしてはいるものの、いつぞやふいに読んでみる気になったケイタをさほど迷わすものではなく、当面父が住むことになったところのほか二、三の住所にすぎなかった。
「家族とか」という同じフォルダに入れてある、少し前に来たメールには、最近の中国は反日運動とか色々と負の面ばかり注目されているけれど、それはごく一部だし表面的なものにすぎない、むしろこちらにはハードもソフトも日本のものがとめどなく入ってきており、とりわけ上海などの都市部にはそれが顕著だというような内容が書かれてあって、そのうえ息子に対する親密な語調をくわえながら日本語を教える人が歓迎されているということ、確かケイタは大学で中国語を習っていたと記憶しているが、だったらそれなりに中国には関心があるのだろうし、そもそも中国語なんてまったくできなくても教える機会はけっこうあるようだということが書かれていた。いまや中国人に転身した旧日本人からの、日本人をいまだにしている憐れな者に向けての広報のつもりなのか、それとも日本でまともに職に就いていない息子に対する父なりのアドバイスなのか、さすがにいまさら国際人になれなどという啓蒙的な手ほどきを、日本の息子にであれ中国の息子にであれするような父親だとは思えなかったが、ただ母がいつぞや語学に関心を示したのは、父が中国女と関係していることを彼女が知った頃ではなかったかというどうでもいいことが気になりもし、大学のために上京していた前後のことだけになんとも言えないものの、そこには因果関係があるのかないのか、そういう一連の思いに急かされてというわけでは必ずしもなかったが、以前送られてきたメールのなかにある漢字の羅列を読み取る気になったケイタは、それが父の住所であることをようやく知ることになったのである。
 伴くんは、それが何かを本当は前々からわかっていたのだけれど、別の違った意味で受け入れることができるようになったのではないか、というような意味のことをこのとき言ったタカオの言葉に、そんなものかと思ったケイタだが、とにかくこれからは、お父さんと会おうと思えばいつでも会えるんだとも言った彼女が手癖のようにしばしばする、右耳がかつてあったところをさする仕草に、彼女がいま言った言葉をからめて何か意味を読み取ろうとするケイタは、これが左耳とか鼻とか右目なり左目とかだったらことさら何らかの意味を読み取ろうとするだろうかと思い、いつもなら周りの風景に溶け込んでいるものを、ふいに自分のものにしたいという衝動に駆られるときはどんなときだろうと考える。



 国道周りの田畑を縦横に区切る畦道のわきには、幅三、四〇センチから一メートルくらいの側溝がいくつも走っていて、深さもまちまちだったそれらのほとんどがいまはセメントでかたく成型され、上から金網を掛けられてしまったけれど、自分が子供の頃はしょっちゅうそこらへんの側溝に入ってな、こっちが少しでも気を緩ませれば土中や石の下に素早く逃れる蟹やザリガニ、蛙に亀などをユウジやレイジたちと競って取りあったもので、むろんタニシやミズスマシといったザコには見向きもしなかったが、ときには農家の目を掻いくぐり水田のなかに大物狙いで入り込むと、思った通りゲンゴロウの日光を受けててかる背中や、自分よりも大きな蛙を捕食しているタガメを見かけたり、背面に卵をびっしり背負ったコオイムシやトンボになる前のヤゴなんかに出会ったりした日にはもう大騒ぎで、このときばかりは皆と協力しながら目当てのものを慎重に追い込んだこと、けっきょく逃げられもしたし、夢中になりすぎて農作業中のおじさんおばさんに追い立てられBダッシュで溝のなかにまで逃げ込んだこと、そうやってさらに溝伝いに歩いていると、ときには道路の下をくり抜いたトンネル状の真っ暗な開口部にまで潜り込むことになるので、蜘蛛の巣だらけになってまで屈んだ体勢を維持した足やら腰やらがしだいに痛くなってくるから、日の当たる外に出ていきおい腰を上げたら上げたでそこにもまあシオカラトンボや色とりどりのカゲロウ、大なり小なりの各種蝶々が飛び回っており、夢中になって歩き回っているうちに足元の畦道に生えた雑草から飛び上がるバッタの数々、草むらの奥の方に潜んでいるのはおそらくカマキリやテントウムシがその正体なのだから、それらを一網打尽に捕獲してしまうと、休む間もなく次に起こす行動に移る体勢を整え、しばしば日除けにしたり人の目を誤魔化したりするためにも都合がいい、ところどころに植えられた松やイチジクの木から木、電柱から電柱へと移動するカミキリムシや種類ごとに異なった声を上げる蝉たちの不意を撃ち、日が暮れるまで追いかけたもので、それこそどこを向いても獲物にはこと欠かなかったこと、そればかりか、捕まえたものはその場で互いに異種格闘の戦いをさせ、車が走る道路に撒いたりスーパーの屋上から落としたり投げたり、火薬でもって爆破の刑にもしたし、おしっこをふりかけ、糸にぶら下げて弱らせたり千切ったりしたものだが、それでもなんとか生き残ったものは、だからといって元いた場所に返すわけでもなく、カゴや水槽やバケツに入れて誰の目にも死角になりそうなイチコんちの裏庭とかお宮さんの裏手に放置したまま、たまに思い出すたびに行ってはみるものの、誰か他の子供たちのグループによって荒らされていない限り、残っていてもけっきょくは干乾びているか、濁った水のなかで異臭を放っているかして皆お陀仏の有様、それでも意外に生き延びているのがザリガニの半年という記録だったことなどを一々ケイタに聞かされたタカオは、途中お腹を痛いほど抱えて笑い、これからはイチコちゃんが大変だと第二第三のケイタ出現を危ぶむ冗談を言ってみては、ケイタなりの残酷な描写も楽しく聞いたのだが、ただあの畦道から「雑草」と「松の木」程度しか見出せない風景を貧相というか、やはり男の子的な想像力の限界なのかと残念に思い、あそこらへん一帯の草花を押し花にでもしてとどめようとしたら、ぶ厚いファイルがあっても足りないくらいになるなんてことはケイタが子供の頃にもあった風景だと記憶を手繰ってみたのだけれど、人の思い出話に水を差すのは馬鹿らしいことだとも思うので何も言わずに済ますことにしたタカオだった。
 むしろそんなことよりも、ケイタの話を聞いていてひとしきり思い当たったことがあり、それはどこの男の子も似たようなことをするんだなということで、とりわけ同世代だけにうちのタダユキと同じようなことをしているという話を可笑しがりながらタカオはケイタに話して聞かせた。すると彼は意外そうな顔をしながらもけっこううれしそうで、何度かニアミスしていたかもしれないと言う。
 タカオに対してケイタがなんとなくそう言ったことは、二人のニアミスどころか奇妙に重なり合った男の子を彼女に思い描かせることになったのだが、ケイタとタダユキのモンタージュでありながら二人に似ても似つかないという、一歩間違えれば可笑しくて吹き出してしまいそうなその男の子の顔は、これまで生きてきた自分の負い目なり罪悪感の塊となって勢いよく押し寄せてくるものだから、もういい加減たまらなくなって投げ返すと、そこにはまだ幼い頃の息子がいて、何人かの友だちとカゴや水槽をいっぱいに並べている彼が、父が山にまで取りに行ったカブトムシやクワガタムシと一緒にこのへんで取れた虫たちを友人知人にいくらかで売りつけているのを目の当たりにし、子供にあるまじき振る舞いに腹が立つわ、息子の喜ぶ顔見たさに山にまで行った親のしたことが惨めに思えるわで、そのときはもう水をはったお風呂に頭から沈めるなり、真っ暗な押入れに閉じ込めるなりして怒鳴りに怒鳴ったことがふいに思い出されて、しかしそれはすでにいい思い出になっているから、うちのタダユキは伴くんたちのことを見ていて、いろいろと真似たことがあったのかもしれないと冗談めかして言ってみると、ケイタもケイタなりに冗談っぽく、しかし話の内容自体はうそ偽りないものだという思いで、確かに自分もそうだったように誰かを真似るまでもなく、虫なり何なり気になるものがあればそれに釣られて体が動き出すものだと言ったのだが、このときケイタの耳は自分でも思わず知らず離れに通じる廊下に向けられている。
 ケイタの方から暇さえあれば当然のようにやってくれと求めてくるものだから、手があき次第やってあげる耳の掃除が、いまこうして覗き見ても十分にゆきとどいているのがわかるその右耳には、彼が田畑を駆け回っていた頃に患ったという中耳炎の跡が残されているらしく、クリストファー・リーのドラキュラ風にいい耳してるじゃんとか言ったりしながら耳掻きを入れるたびにいまだに痛むとむずかるので、膝枕から頭を降ろすふりをすると、素直にじっと耐えようとするケイタに「わりと茶目っ気があるのね」と言った台詞を、彼は思いのほか喜んだことがある。自分がお茶目だと言われたことを気に入ったのか、五十もま近いおばさんがお茶目だと言ったことが気に入ったのかを確かめる暇など与えない勢いで話しだしたケイタは、自分が中耳炎だと聞かされたときは何故か「中」を「虫」と勘違いしたまま虫に何かされたのだと思ったこと、それ以来「中」や「虫」や「忠」といった字を見るたびにその音と字面の連想から、蝙蝠だか虫のようなものに血やら体液やらを吸い取られているように感じることがあること、夜眠れなくなると疳の虫が騒いでいるのだと言われて本当に虫が体のなかにいるんだと長い間誰にも聞けずに信じていたことなどを話したのだった。



 どうしても眠れない夜といえば、いたずらに動悸が激しくなってもうどうにかなるんじゃないかという思いに急かされた男の子が決まって深夜のテレビを点けようとするのだが、闇のなか、ほの白く光る画面に体全体が包み込まれたように見える子供の頑なな後姿に、無理やり眠りを中断された彼の親はそれに付き合うほかなく、チャンネルの端から端まで一つずつ確かめながら、これもやっていないでしょう、これもやっていないでしょうと一々画面上の砂嵐を見せては諦め切れずに泣きだす子供に納得させようとして何度も同じことをくり返し、画面が発する光以外何かが出てくるわけでもないまっ暗な部屋のなかで、意味もなくザーザー鳴り続ける音の嵐にやはり納得できないというか、ただひたすら眠りに就くことができないでいる男の子を気遣って家から連れ出した彼の母は、手を引く子供と家の周りをゆっくりと数え切れないくらい歩き回りながら、暗くて見えない水田や側溝からうるさいほど聞こえてくるがまがえるの鳴き声に包まれているのも悪くないと思いなし、その間隙からいく種類もの虫の声を聞き取るたび、あれが何々虫、これが何々虫と言い聞かせては立ち止まり、目を凝らしても見えない虫を思い歩いているうちに、やがて疳の虫もおさまったのだろう男の子は、朝寝床から目覚める自分に気付くことになる。
 登校のためか遊びに行くためにか、それからあらためて家を出ることになる男の子にとって不思議なのは、あたりが明るくなった代わりに、昨夜あれほど耳にした蛙や虫の声がすっかりなくなっていることで、真夏から秋にかけてだったら無数の蝉たちがその埋め合わせをすることにもなるのだけれど、とにかくそれらとは違う、昨夜確かに鳴いていた鳴き声の正体を求めて、近くの草むらに石を投げるなり足を踏み入れるなりしてみると、即座に姿を現す蛙やバッタたちはしかし、捕まえてどんなに残酷なことをしても、死に際の声さえ上げることなく静かにその運命を受け入れているように見えるのだった。
 しかしそんなこともしょせん日が差す日中の束の間のことにすぎず、あたりが月明かりさえない吸血鬼日和の夜に支配されるのにしたがって、まるで「中」や「虫」や「忠」といった色々な形の虫たちが昼間の逆襲だとでもいうようにあたりかまわず一斉にチューチューと鳴きまくる音になっていきおい襲いかかってくる事態に何も手が付けられぬまま、それがさらに体のなかの虫たちと共鳴したときがおそらく疳の虫が騒いでいるということなのだろうと考えるにいたった頃は、疳の虫が虫などではないことにようやく気が付くかまだ気付かないかというような年頃で、けっきょく虚構の虫だと知ってしまってからは、むしろ体には様々な菌やウイルスや、ときには寄生虫がパラサイトしていて、けっこううまく共生するケースもあるということを知識として知るようになり、果ては遺伝子操作だとか、細胞内のミトコンドリアにいずれ人間は襲撃されるとかいうSFホラーをあくまでも虚構の世界のものだと知りながら楽しめるような余裕も見せるようになった彼らは、中耳炎の「中」の字が「虫」や「忠」であってはならないし、砂嵐や虫の音に聞こえるようなことがあってもならない世界を生きる住人になっている。
「中」と「虫」の区別が付かないことに恥じる素振りも見せず、禁止された国道を越え、河口の侵入をためらうことなくくり返し、手のひらに好きな人の名前を書けば、その人が振り向いてくれるというおまじないも日常の風景として信じることができた子供たちは、この世界の住人として生きるようになった人々にとっては、疳の虫がそうだったように虚構の存在だったのかもしれないと思えてくる。
 しかし、私の母のもう虫の声さえ聞き取れない右耳の傷を深くとどめることになった、国道上のこの町はじまって以来だという死亡事故は、まさしくその子供たちが遊びに夢中のあまり水田から勢いよく国道に飛び出したのをきっかけとし、それをよけようとしてハンドルを切りすぎた飲酒運転の車とほぼ正面衝突、横転、炎上した結果もたらされたものであり、そのとき飛び出した子供と、乗車していた親の子供が通学していた学校には以来幽霊がさ迷うようになって、さ迷ううちに気に入ってしまった子供や反感を抱くようになった子供にとり憑き、共生する夢を見させることさえあるという書き込みが例のコミュニティサイトに「キャサリン・ウルフ・ザ・ファースト・タイム」名義で投稿されもしたのだが、一読して国道事故ネタと学校の怪談ネタの併せ技だと察せられるその書き込みを見たケイタは、河口で見つかった二人の子供に関する時事ネタの影響も感じとったり、『エルム街の悪夢』シリーズの要素を取り入れている点が新しく感じられたりしたのだけれど、けっきょく他の書き込みと同じように何らかの応答をするにはいたらなかった。



 ケイタがタカオと見ているコミュニティサイト「市川二五〇」は、彼自身が火を着け、いまや一人歩きしている幽霊をテーマにした話題の流れにくわえ、いくつかのテーマが現れては途絶えもするいうなれば町の寄り合い所なり飲み屋の様相を呈していたが、このところ二人の子供が死んで見つかったことに関する話題がもう一つの主要な流れを形成するようになっており、その男の子と女の子は、江戸川乱歩のコミュニティサイトの一員でもある参加者によって名付けられた吉ちゃんと秀ちゃんという愛称でも親しまれていて、しばしば学校の怪談ネタとも合流しながら、ユウジとレイジの言葉にしたがえば、新たな生命を吹き込まれているということだったが、自分たちも「市川二五〇」に参加しているという彼らはしかし、ケイタにハンドルネームを教えたりはしなかった。最近は三人でつるみがちなところを見ると、明らかにドロンジョ役というか中核を担っているイチコには教えているんだろうと思ったのだけれど、自分も知らないと答えた彼女はというと、やはり「市川二五〇」に参加していて、この町の近辺にあるファストフード店やスーパーで売られている生鮮だの食品だのを一々チェックした記録を、イチコなりの批判をおりまぜながらたびたび投稿していたのだが、そこでの彼女は、批判をする以上それに責任を負わねば意味などないし、効果も見込めないのだとして、このあたりの者ならたいていは知っている実名で登録をしていた。
 それゆえ彼女名義のコメントは欠かさず見ることにしていたケイタは、このときも「またうちのマネジャーがぼやいていたよ」と、いままでにも何度か彼女に言ったことがある愚痴をあらためて口にすることになる。それは学校帰りの息子を連れて買い物にきたエツと話しこんでいるときのことで、スーパーに買い物と称する偵察をしにきたイチコが声をかけてきたから、ほとんど時候の挨拶のつもりでケイタはそう口にしたのだった。
 じっさいその筋にとっては悪名高い彼女によるウェブ上のコメントは、これまで批判の憂き目を食らったことがある各店舗に常時追跡されていて、それもイチコにしてみればのぞむところなのだが、だからといってむやみに誹謗中傷したり、ひとりよがりの言いたい放題といった類いのコメントをするようなことはなく、あくまでも提案とか要望といったフォーマットによって文体が構成されていたし、律儀に証拠もあったりしてむしろ説得的でさえあったので店舗側はけっきょく黙認するほかなかった。
 逆にイチコの方が、私生活をさらされたり、あることないこと誹謗中傷をしばしば受けることがあって、ケイタたちも苦虫を噛む思いでそれらを見たことがある。それでも、息子の件で根も葉もないことを書かれる以外は無視を決め込んでいたことが功を奏したのか、そのうち誰も何も言わなくなったし、何より学生時代からの同性を中心としたイチコのファンクラブが睨みをきかせていたことと、そもそも彼女のチェック機能に一定の評価をする傾向が出てきたことなどが相乗効果になって、自然と話題が広まることになったイチコの農業への新規参入にも一部から期待が高まったりと予想外の反響に気を良くしていたイチコは、これまでの活動にくわえ、自前のウェブサイトを使っての食材提供や啓蒙活動にも考えが及ぶほどの余裕があった。だから、ケイタから毎度のように仕向けられる、店長や青果マネジャーの愚痴だのぼやきだのを受けたところでことさら気にするまでもなく、むしろあなた方より町の信頼を受けているのはこの私だという思いに照れつつも促されるように「にらとピーマンの産地表示ミスと、消費期限切れのもやしがあったのを指摘したまでだし、証拠もちゃんとある」と答え、このときふいに思い浮かんだ「ネオ東京村」というケイタの冷やかしを頭から追い払うように携帯電話を取り出すと、そこには確かに、撮影された日より一日前の消費期限が記されているもやしの写真と、包装袋に記された産地名とプライスカード上の産地名が異なる、にらとピーマンの売り場を写した写真がケイタの目の前に交互して映し出されたのだった。
 それを見たケイタは、もちろん彼女の言いたいことがわからないではなかったし、むしろ彼なりに応援している気でもいたのだが、ちょうど指摘されたその日のにらともやしを品出ししたのが、前夜遅くまで酒を飲んでいた自分だったことを思い出すなり、今回のケースはさすがに揚げ足取りにすぎるのではないかと腹が立ち、とはいえそれを顔に出すのはしゃくだからあくまでも第三者的な口ぶりで、「イチコの言う通りだけれど、にらとピーマンなんかは仕入れの産地がしょっちゅう変わるから、なるべく注意を払っていてもプライスカードの産地名とずれるようなことがどうしても出てしまうし、ことうちのスーパーは採算ギリギリでやっていることもあって正社員が全体の一割ちょっと、残りのアルバイトだって一人でも風邪とかで急な休みをとったらその日の売り場はがたがたになるほど手薄にしているのだから、少しは目をつぶってほしい」と言った。
 ケイタの機嫌が悪いのに少し戸惑い意外に思ったイチコは、このとき「なんだか店長さんの話を聞いているみたいだが」とエツが言うのをそういえばそうだという思いで聞き、「たかがアルバイトのくせに変よね」と相槌を打とうとしたら、可笑しそうに笑っている彼女の視線は真向かいにいるケイタよりも後方の息子にそそがれているのがわかる。
 ちょうどそのときスーパーの店頭に設置してあるムシキングのゲーム機に母からおねだりした百円を投入、新しく出てきたカードとすでに持ちあわせていたカードを見比べ、気に入ったムシカードとわざカード数枚のバーコードをスキャンして自分仕様の甲虫をカスタマイズするなりバトルに没頭していた長男が下校中の友だち数人に声をかけられているところを、これからどうするのかと眺めていたエツの目には、子供たち皆でカードを見せ合い、誰が一番強いか競うべくトーナメント戦をあみだで仕込んでいる光景が映し出されている。これなら少しの間放っておいても大丈夫だと思ったエツは、もっか頭を突き合わせている子供たちが不要のカードを交換するのにたびたび大人の目を盗んでお金を行き来させるのを知らないし、基本的にグーチョキパーのじゃんけんで勝敗が決まるバトルは親の目には単純なように見えるけれど、虫ごとに様々なスペックが割り振られていて、グー(ダゲキわざ)が必殺技の虫、チョキ(ハサミわざ)が必殺技の虫、パー(ナゲわざ)が必殺技の虫というように性格の異なる虫が様々な技と組み合わさって異種格闘することになるから、じゃんけんなんかと比べ物にならないくらい複雑な駆け引きが繰り広げられることになるのだが、けっきょく二人しか戦えないゲーム機から束の間あぶれた子供たちも独自にルールを簡略化するなり、虫が生息する国別対抗戦とかチーム編成で戦わせるとか勝手に別の要素をくわえるなりして手持ちのカードだけで遊んでいる彼ら特有の試行錯誤をやはりエツは知る由もない。だから、子供がゲームから覚えたらしい「スキャン」とか「カスタマイズ」とかいった言葉を聞くにつけてもうお手上げで、ケイタがいち早く買ったファミコンスーパーマリオくらいしかまともにやったことがないファミコン世代の限界だと痛切に感じないわけにいかないから、ここは子供たちを勝手に遊ばせておいて、といってもケイタの安全印のたすきがそれなりに効果を発しているときだけにいつもより注意を向けながら、聞くでもなく聞いていたケイタの話を可笑しく思い、思わず口に出た言葉が「なんだか店長さんの話を聞いているみたいだが」だったのである。
 それを聞いたケイタは確かにそうだと思い、タカオと食事をしながら飲むたびに話題になるのがまさしくアルバイトが少なすぎるということで、朝からのバイトを後もう二人、少なくとも一人は増やしてくれないと、せっかく有給を与えられても使う暇がないというか、法的に問題だから使えと言われても皆に迷惑がかかると思うとけっきょく使わずに済ましてしまうし、何より毎朝開店前から人手が不足しているわけだから、商品全部をまともにチェックできていない状況で見切り発車しているということは、店的にも客の信頼を失いかねないしかなりまずいだろうとかなんとか店の愚痴を言うのが日々バイトを終えた二人の酒の肴になっていることを思うと、自分でも明らかに店長のものだとわかる台詞を口にしているじゃないかと指摘され、なるほどと感心さえする自分はどうしたものか? という顔をエツに向けて見せる。
 当然イチコにも見えるそのどっちつかずの顔は、エツが言ったように店長の手先のものか、それとも店側の圧力に屈した者のそれなのか、一々読み取ることが面倒なイチコはケイタに「敵か味方か」を聞くことになる。そんなこと言われても、虫の世界でさえ簡単には割り切れないものなのにと思うケイタにしてみれば、どちらも正直な気持ちから出たもので、とうぜん責められるいわれはないし、バイトごときに期待するのもどうかと思う。むしろ店にクレームを言う客の方がどうかしているという思いがあって、たとえば、家にいても話し相手がいなさそうなおじいちゃんおばあちゃんとか、おそらく職場や家庭で溜めた日頃の鬱憤を晴らしに来てるんじゃないかっていうくらいうるさい連中がそうなんだけれど、彼らは店内にマネジャーとアルバイトがそろって品出ししているときでも決まって立場の低いバイトの方に寄って来るもので、イチコはそんな卑怯な真似はしないと思うけれど、そういう客に限ってこちらが逆ギレしたくなるほど暴力的な反面、まともに言いたいことがあるわけではなく、マネジャーか店長に話を持ちかけましょうという段になると、急に愛想のいい話し方に切り換わったり、そそくさと売り場から逃げだすように、隙を見せるといなくなったりするという話をケイタはしてみせた。
 情けないやら呆れるやら、私はそんなことをしないと言ったイチコは、店側だってお客様の意見を頂戴しますという顔をしながら真面目に聞こうとなどしていないし、むしろ小馬鹿にしているでしょうと逆に吹っかける。「人員削減とかでサービスが不徹底になるほど儲けがないんなら、どうせチェーン店なんだし無理せず店を畳んじゃえばいいのに」。イチコはケイタを見たが、そんなこと言われても、虫の世界でさえそう簡単には割り切れないものなのに、と今度は口に出して言ってみたケイタの言葉に促されて息子の方を再度うかがうことになるエツの目には、各々カードを手にした子供たちが何々ビームとかパンチとか言いながら店頭を駆け回っている光景が飛び込んできて、あの頃このスーパーでナオやサキたちと鬼ごっこやかくれんぼをしていた私たちを父と母はどう見ていたのだろうか、親の忠告もろくに聞かずにむしろ彼らの目から逃れようとした自分だったけれども、こうして息子たちを見ていると、すべてが無理なく見通せるようなこの状況を、いったい私たちはなんの気負いをして掻い潜り駆け回っていたのかと不思議に思い、たびたび鬼ごっこの輪にくわわったことがあるイチコは当時の記憶を正確に手繰れるだろうか、彼女と国道を走っていたケイタなら息子の気持ちがわかるだろうか、どっちみち聞いても仕方がないことだとわかってもいるエツは、ケイタと長男を交互に見渡せる位置から、自分の息子がこんなに大きくなるとは信じられないと思うのだが、現にこんなにもなったあの頃のケイタがそこにいて、スーパーがなくなったらこのへんの住民が困るじゃないかとか人のことを気遣っている彼の言葉が相変わらずイ行がうまく言えていないところが妙に笑える。
 しかし母がたまに懐かしがるとき以外は気にもならないイ行の発音などこのときのケイタには問題になるはずもなく、むしろイチコの急所をついに見出した気分でいる彼は、「イチコがこだわる手間ひまかけた地場の食材とかいうのは、けっきょく、農地がほしいと思えば親が買ってくれるような選ばれた人たちしか買えないじゃないか」と言うことになるのだが、その口調は、昔失くしたゴムボールがいつも見慣れた雨樋だか側溝だかに挟まっているのをふいに見つけたときのものにちがいない。
 しかしそんなものは当然見えないし、見ようとも思わないエツにしてみれば、とにかくケイタの発言がイチコに対して言いすぎじゃないかと気にかかったので、それとなく注意しようとしたのだけれど、あともう百円をせびりに来た息子にタイミングをそがれ、そもそも与えるつもりのなかった百円まで与えてしまう羽目に陥り、男の子がちゃっかりこのタイミングを狙っていたなどとは思いもよらず、自分が犯した失態の反省ばかりに気をとられながらゲーム機の方に走って戻る息子の背中を見とどけていたのだが、あの百円がなければ友だちと遊べなかったのかもしれないと思うとなんとなく気が楽にもなり、そうこうしているうちに「だったら」と切り出したイチコの言葉にもう手遅れかと思ったものの、続けて彼女が口にする「文句を言わずに河森さんとバイトしてればいいじゃない」と言った言葉は「河森さん」が余計だとはいえ、思いのほか落ち着いているものだからなんだか気抜けがして、イチコはケイタのことをどう思っているのだろうかという小学校のとき以来の疑問をこのときもまた思いめぐらしてみるのだった。
 イチコにしてみれば、目の前の男など何でもないのだとでもいうように、「けっきょく何もしないで不平をこぼしているだけなんだから話にならない」と、ケイタに会えば一度は必ず言う台詞をここでも口にする。そこがケイタのいいところだとエツなんかは思うのだが、イチコはイチコでそうはいかないのだという思いがあるから「私だったら、バイトだけを掻き集めて休日確保なり待遇向上を求めてストライキでも何でもやってやるわよ」と見得を切り、「どうせ親のスネを齧っている学生か、子育ても一段落着いて暇を持て余している主婦ばかりなんでしょう」と言い切ったイチコには、それはまさしくあなたのことじゃないかと指摘したいのも山々なエツだったが、ここは自分がでしゃばる幕ではないと思って彼女が言いたいだけ言うのを聞いていると、「バイトが生計の中核をなしている人もいるって言いたいんでしょうけれど、アルバイトなんて探すまでもなく腐るほどあるんだから、とにかく何かやってみればいいのよ」と言うことになる。
 といってもその口調は話の内容がきついわりに棘のあるものではなく、だからケイタも反抗的な言葉にしては意外と冷静に「やっても何も変わりはしないし、かりにやってみて何らかの成果を得たとしても、それ以降店長やマネジャーたちとぎくしゃくした関係を続けるようならやだな」と言った。それをどちらの立場に立つでもなく聞いていたエツは、これでケイタも気が済んだだろうと思ったところ、さらに彼は往生際の悪い口を開き「まあ小心者だから」などとわざわざつけくわえて、いま話した内容は本気じゃありませんからとでも言いたいのか、そうやって無理にでも余裕を見せ、本気のイチコに勝ったことにしておきたいのか、議論のうえでは劣勢だった自分に少しでも同情してほしいのか、どうとでも取れるように語尾を濁らせる算段を、イチコが気に障ると知りながらもついつい駆使してしまうケイタのことを、もろB型だがねと言ったナオの指摘をケイタは思い出す。
 血液型でなら性格を悪いように裁断されるのもけっこう嫌いじゃない性質だから、ナオの指摘を思い出すなり調子づいた彼は、目の前のイチコに息子の血液型を聞くことになるのだが、これもまたナオの分析によればB的戦略の一つだという急な話題の転調に、毎度のことだとはいえ、いぶかりながらも彼女は、自分と同じAだと言う。「そっか母子そろってAなんだ。エッちゃんところはエッちゃんがAで、あの子がBだったよね?」と言って、母の返答を聞くより先に振り返ったケイタは、ゲーム機を祭壇か何かみたいに取り囲んで各々の遊びに打ち込んでいる子供たちのなかから見出したエツの長男に向かって「血液型、Bだったよな」と話しかけるのだが、その声はやたら叫び気味だったこともあってかイ行ゆえうまく言えない「B」が目立って際立つことになる。しかし本人はそんなことお構いなしで、子供たち皆が一斉に振り向くなか恥ずかしげに男の子が頷くのを確認すると、十分満足したような口ぶりで「あともう一人くらいBがほしいよなー」とか男の身勝手さ全開の物言いをするから、このときはまだナオが数年後にBの子を産むことを知らないエツは「ケーちゃんが産めばいいがね」と言い、言った矢先に思い当たったタカオとのことをケイタはこれからどうするのだろうかと思っていたところ、「河森さんとじゃあ不妊治療に頼っても難しいでしょう」と言うイチコの口調は、もうすぐ三十に手がとどく女として他人事とはいえないことだからか、嫌味だとか冗談とはとらえなかったケイタは、「不妊治療も技術的に日々進歩していることだし、サイボーグ化でもウィルスででも何でもいいからどうにかして男も産める体にならないものだろうか」と言ったのだが、それを聞いてSFか何かの見すぎだと思ったエツは、産む気がないと言っているナオなら喜びそうな話だと適当にその場を繋いだ。
 けっきょく、この後イチコが話の見切りを付けるように言った台詞の通り「B型とかいう以前の問題」なんだろうと思ったケイタだったが、このまま終わるのもなんとなく釈然としないと思い、いずれ血液型も産み分けられるようになるはずだとかなんとか、近いうちに男も子供が産める時代になることを確信したような口ぶりをいまだ引きずっている言い様に、エツもイチコも呆れ返って彼が言うのに任せているちょうどそのとき、息子が母の足元にからみついてきて、相変わらずゲームにいそしんでいる仲間の方に目を向けながら「みんなB型だった」と声高に宣言することになる。
 それを聞いたエツとイチコが驚いたり笑ったりするのに釣られはしたけれど、思わず自分のレプリカントが何匹も群れをなしてわらわらと体内に入り込んでくる感触に襲われたケイタは、それから数年のち、ついぞ自分がお腹を痛めることはなかったB型の子供をナオが無事もうけたことを聞き知って、このときはまだB型とか知るまでもなく、とにかくナオに子供が生まれたという一事がわがことのようにうれしかったことを昨日のように覚えているのだが、のちにエツが、ケーちゃんの望み通りB型ゾンビが一人増えたとナオが言っていたと笑いながら報告したことはすっかり忘れてしまっていたし、そう言ったエツもナオも忘れてしまっていて、しかしそれは確かに口にされたことがあり、耳にした一人の男を喜ばせたことがある言葉なのだった。
 毎日のようにインターネットをしていれば必ずといっていいくらい入り込んでしまう、どうやら数年前から更新が途絶えたホームページや、コメントのやり取りがまったく噛み合わぬまますれ違い続ける掲示板やらを眺めていると、そんなふうに行き場もなく浮遊している言葉の数々の吹き溜まりなり掃き溜めのような世界が広がっていて、それは閉店後、再び営業がはじまる前の闇に溶け込んだ飲食店やスーパーなんかを非常口の誘導灯だけを頼りに歩いていたりするときにしばしば感じられるものなのだが、もちろん、ケイタがちょうど働いている朝昼の客が入ったスーパーにも、目を凝らすなり耳やお腹に意識を集めるなりしてみれば、きっと立ち会える世界なのである。



 タダユキは廊下を歩いている。依頼さえあれば個人の家から事務所や小売り店舗はもちろんのこと、はては医療施設や墓場まで請け負う派遣清掃業のアルバイトをしている私の兄は、たまに遊びにきた私をかまう暇も惜しんで自室のパソコン端末からインターネットに接続し、情報系のサイトや掲示板からネタを掻き集め、地域系とかSF・ホラー系とか農業・食品系とかいったテーマごとにいったん振り分けたフォルダから適宜使えそうなネタを取り出しては、もっかブログの一角に連載している地元を架空の舞台にした小説を書き溜めている。むろん小説とはいっても、名もない素人のブログに載るものなど誰も読まないことくらいタダユキは知っているし、ウェブサイトや掲示板からの情報収集といっても、必要があってなされるネタ集めはほんの一部で、たいていの時間はエログロ、アダルト系サイトを渡り歩いているし、みずからカスタマイズした「お気に入り」フォルダのほとんども実際はその手のもので占められていた。
 日々エログロサイトとブログの更新との往復を律儀に欠かさないタダユキは、今日も派遣先の掃除をこなし、自室にこもってネット上の生活に入ろうとしている。廊下を抜ける前に母の話し声が聞こえたがそのままスルー、中庭といっても一部屋ぶんの屋根と床が抜けただけのような中庭を渡り切ったところにある離れにたどり着く。
 自室として利用するのに十分な六畳間に、一口コンロ付きの炊事場とトイレ、それに、後から据え付けられたぶん中庭が手狭になったとはいえ給湯式シャワーも完備しているので、ここは離れといっても、誰の干渉も受けずに生活することができる最低限の設備が整っている。だからこの離れを自由に使わせてくれと、そう言って息子が母を驚かせたのが、いまから三年前のことだった。
 わざわざ東京の大学を卒業したというのに、就職も就活すらろくにせず、母からの連絡があってもまあ大丈夫と言って自分でも何が大丈夫なのかわからないながら仕送りだけは受け入れつつ数ヶ月をやり過ごしたあげく、痩せ気味とはいえ身長一七〇センチに四〇キロ台後半は辛うじて維持していた体重も、どういうわけか、いきなり両足が動かなくなったその日に運ばれた先の医者から飲むように勧められて飲んだ利尿剤によっていっきに三〇キロ台に激減、一人暮らしがほぼ絶望的になった時点で覚悟を決めた母に無理やり連れ戻されたタダユキはこのとき高速道路を彼女が運転する車のなかでとめどなく眠り続け、おそらく数年ぶりに連続三時間以上の睡眠をとったのだった。
 それからというもの、近在の友人知人と会うこともしないで家に一日中入り浸ってはネットに明け暮れているか、国道から市川の沿道、それにスーパーの周辺を、ひたすら本を読みながら歩き回ってなんとなく母が仕事を終えるのを待っていたというか、母の帰宅を自分の一日が終わったという目安にするほど時間をもてあましていたものだが、いまから三年前、母が家ごと借り受けた頃から使われずに放置されていた離れの手入れをしている息子をつかまえて聞き出した「誰の干渉も受けずに」云々という言葉に驚いた母は、それと同時期に仕事をはじめた彼を見て今度こそもう大丈夫なんだろうと信じられて、職にも就かずにぶらついていた息子に何もまともなことを言ったりしたりしてあげられなかった二年間というものも結果的によかったのかと思い、少し寂しくさえなった自分を恥じ入り戸惑ったものだけれど、それからしばらくしてこの家にはケイタが訪れるようになったのである。

  後ろの正面だあれ

 だいたいの話は以前タダユキ本人が自嘲気味に話してくれたのをすでに聞き知っていたのだが、あらためてタカオから以上のような話を聞いたケイタは、かつては同じ虫を追いかけた二人なのに、タダユキの気持ちが皆目理解できなかったし、とりわけ夫のいない母にかけた負担を思うと呆れ返るほかなく、タカオが言った通りあんがい似たような風景を見ていたのかもしれない同世代の二人は、血液型も同じだというのにいったいどこらへんから、何が原因で相容れないものを見るようになったのか、それほど気にとめていたわけではなかったことだけれど、ナオと電話で話をしているときになんとなく聞いてみるケイタだった。
 少し考えているような沈黙の後ゆっくり話しだしたナオは、ケイタの話を聞いている限り、タダユキがした話とタカオがした話とケイタがした話がごちゃごちゃちゃんぽんになっていてよくわからないのだけれどと留保しながら、ケイタとタダユキがそれほど違った道を歩いているとは思えないと言い、「ケーちゃんがそう思いたがるのは自分を標準だと思っているからで、そもそも二人が違っているのは当たり前だが」という結論をくだす。
「それとも同世代の息子の取り扱いに苦心でもしてるのけえ?」(笑)。そうつけくわえたのは、さすがに少し毒があったかなと思ったナオだったが、どうやらケイタも苦虫をまぜながら笑ってはいるようなので安心したついでに、「エッちゃんのボクんとこの小学校大変だったらしいね」と言って話題を変え、「ケーちゃんも昔変な人に連れ去られそうになったの覚えてるう?」と語尾を上げたからそれは問いかけなのだろう。といっても今回の一件は半ば誘拐だとみなされてはいるものの、まだ人に連れ去られたのか否かがはっきり決まったわけではないし、そもそもあのときの自分だって連れ去られそうになったというのは明らかに誤解なのだから、「あれは変な兄ちゃんにいきなり追っかけられただけじゃんよ、ナオだって見てただろ」と言ったケイタの目には、一目見た限りでは自分が生まれた頃から変わったところなどさしてないように見えるあの側溝に囲まれた田畑が広がっていて、まあたいした広さがあるわけではないけれど、それでも一面数え切れないほどの熟れた実を抱え込んだ各種野菜や無数の穂が垂れかかる稲の規則正しい集合が、種類ごとに異なる葉肉の色を基調とした微妙な濃淡で視界を染め抜いている夏日和のわりに何故かあたりはとても寒いし、乾燥し切った肌には汗が流れるはずもなく、まして息を吐き出すたびに口元の空気を白く濁すので、まるで真夏のシーンを冬場に撮影せざるをえなかった映画に出演している気にでもなったケイタは、なるべく白い息を目立たせないよう呼吸を止めてみたりするのだけれど、いい加減耐えられなくなって思い切り吐き出したとたん、せっかく捕まえようとしてほぼ手中に収めつつあった大柄のシオカラトンボが羽根をばたつかせたまま逃げ去ってしまった。
 そこに幼い頃のナオが現れる。というより彼女が視界に入る位置までケイタがわざわざ振り返ったのだが、それというのも水田三枚ぶんくらい向こうの道路わきにいて、腰を屈めたケイタには上半身がキン消しみたいに顔を出した程度にしか見えないナオが「大変ケーちゃん逃げるがー」と必死になって叫んでいるからで、急に逃げろと言われてもなあとユウジとレイジに声をかけようとしたら、彼らはもう溝を伝ってどこかに移動した後らしく、いつも肝心なときにはぐらかしたりいなくなったりする二人の頼りなさに気が抜けかけたところ、後方から畦道に生えた雑草を足早に踏みつけながらこちらに迫ってくる音が聞こえる。
 いつの間にか夕暮れに支配されかけた空には、黒い蝙蝠のものだろう翼影が小さな羽虫を追いかけるための低空飛行をはじめていた。ナオに促されて受話器ごしに話しながら当時を思い出しているケイタはこの蝙蝠の位置からも現場の一々をとらえることが可能で、このとき畦道に突っ立っていまにも後方を振り向こうとしている男の子にとってあの蝙蝠がおよそ二十年後の自分だとは思いもよるまいが、誰よりも自由に羽ばたける暗がりの闇に放った超音波の反射具合から察するに、男の子まであと五メートルまで、草を撥ねる音を立てながら近付きつつある音の正体をなんとか一目見ようと振り向いた彼の目に映し出されたのは、暗くなりかけたあたりの空気を抑えて目立つオフホワイトの紙袋を頭に被ったおそらく男が走ってくる姿で、どうやら目の部分だけをくり抜いているらしい紙袋のこすれる音が聞こえるくらい距離が縮まったとこらへんでようやく男の子は猛ダッシュする姿勢に入ったと思ったら、逆にそのままへたり込んでしまったんだと、一々確認をとりながら受話器ごしにいま話している声が聞こえる。
 このとき紙袋がこすれる音や男のものだろう荒い息づかいよりも一段と際立って聞こえてくるのは、自分のものとは思えないほど激しく暴れる心臓の鼓動で、それは遠くから観察することしかできない蝙蝠にも自分の胸のうちのように響いてくるものだったから、遠くからのナオの促しにも感度マックスで反応し、獲物を追いかけることも忘れてゆっくりと飛行しながら一連の現場の光景を彼は描出することになる。しかし、当事者のケイタが余裕の俯瞰でもするようにけっこう細部にわたって話して聞かせる現場の一々を丸ごと鵜呑みにすることはないナオは、おそらく蝙蝠の闇の目を信じてはいない。
 それでもケイタがその当時の記憶を手繰り寄せようとすれば、それは決まって自分の目線より高い位置からとらえられた光景なのであり、そこからは、埴輪のように固まった表情が意外に可愛く見える男の子が地べたにへばりついているところを、不幸中の幸いというべきか、チェーンソーも何も武器らしいものを持っていない両腕で抱えるなり高い高いをするように何度も持ち上げたり下げたりをくり返す袋男がその場をゆっくり回転している様が思い出されるのだ。そのくせ一向に鳴り止まない鼓動を体感しながら吐き気を催すほど目まぐるしくほぼ水平に三百六十度回転する水田の光景が、上から俯瞰する光景に重なって見えもするのだから、やっぱり蝙蝠にはなり切れないのだろうケイタは、このあと袋男から解放されると声を上げて泣きじゃくることにもなるわけで、けっきょくのところ、子供ながら憧れていた半人半虫のバットマンにもスパイダーマンにも程遠い結末をむかえるほかないのだった。
 しかしすでに蝙蝠になることを断念したケイタの子供っぽい言い訳によれば、思わず自分が泣き出したのは、彼に逃げるよう促したときから泣き声になっていたナオに釣られたからで、それから彼女は泣きながらも国道を突っ切って近くにあるロストパラダイスイン東京の裏庭までイチコを呼びに行き、手元に転がっているプラスチック製のバットと骨が折れ曲がった傘を持つなり駆け出した二年上の頼れる女の子の後を追い、側溝のどこからともなく途中からくわわったユウジとレイジにとにかく遅れをとるまいと全力で走るのだけれど、自分の案内を聞くこともなく走り抜ける彼女たちの遠退く後姿にひたすら置いて行かれたことに思わず泣き出してしまったのか、気が付けばすでにあたりを支配している暗がりに急に心細くなったから泣いているのか、そんなことよりもやはり、目前に近付きつつある男の子がようやっと解放されているらしいのを視認できた安堵のあまりに涙腺がゆるんだ結果なのだろうか、走るのをやめると、まるで自分の身に降りかかった災難だったかのように色々な涙を泣いているナオに慰めの言葉をかけてやることなど到底できないケイタもいつの間にか泣いていて、目の前を走り抜けて行ったイチコたちに遅れてやってきたナオに見せる顔がないというか、とにかくこの場にとどまっていてはいけないような気がするやいなや、いまさっきイチコが抜けた畦道とは違う方向に勢い走り出したから、取り残されそうになった女の子にとっては、泣くよりも先ずは一人になることを避けねばならず、いまのところはケイタよりも頼りになりそうなイチコにはしかし例の男を追跡するべくみずから課した任務があるだろうので、ケイタの後を追うことになり、誰もいなくなったこの場は暗転。
 暗がりを走るイチコ、その後からユウジとレイジ。なかでも抜きん出て速いイチコは獲物を挟み撃ちするために一人先回りする。こんなことになったのも、泣きじゃくる必死のナオに促された勢いでわけもわからず走り出した結果なのだが、とにかく危ないらしいケイタのところにまでなんなくたどり着きはしたものの、その頃にはもう彼はナオの言う「変な人」から解放された後だといち早く認めることができたイチコは、ひたすら振り回すバットとこうもり傘がむなしく宙を切りまくるばかりで、振り回せば振り回すほどやり場もなく鬱積する自分の仲間なり居場所を翻弄した者への復讐心だかなんだか、とにかく何かが侵されたことに対して例の疳の虫がむやみに発動するものだから、逃した獲物を追いかけるべく、まだこちらに気付いていない男の背後がちらついて見える畦道をいっきに駆け抜ける過程にある。
 それで途中ひとり先回りすることにしたイチコは、まずは隣の畦道へすみやかに移動し、かろうじて自分が隠れるくらいの背丈がある作物の一群から、いくつかの木々が植わったコーナーまでの直線を、ちょうど男を追い抜く距離だとみなすと、両手のバットとこうもりを振り回しながらいっきに走り抜けたのだが、そこには思いのほか誰もいなくて、腹立ちまぎれに手にしたものを投げ出した向こう側の、畦道を抜けた国道の方にユウジとレイジが駆け上がる後姿を一瞬とらえたと思ったら、いつの間にかあたりを満たしていた蛙や虫の鳴き声を黙らすようながががががと滑る音が何かにぶつかる鈍い音を立てたかと思う間もなく田畑に転がり込んできたのは一台の車で、この後しばらくしてから燃え上がるのを待たずにすぐさま反転、そそくさと逃げ出した女の子からは、直線距離にしてすでに二百メートル離れたところを、蛙や虫の鳴き声に包まれながら男の子は歩いている。
 ほとんど見えなくなった太陽の位置を暗示するうっすら赤らむ稜線が、何故いま歩いている東側の方向にあるのか、それともこっちが西側だったかいぶかしく思いながら、次第に冷えつつある暗がりを歩いていてもなかなか収まらない胸の鼓動の通りに闇をゆるがせる彼のエス・オー・エスを聞き届けたのは蝙蝠などではなくナオであり、それを素早く受け取ったイチコがいなければとうにケイタは連れ去られていたにちがいないのだと、彼の背中が遠退くたびに追い付いては強く思ったナオはしかし、このとき自分の後方で当のイチコが何者かに追われるように逃げ去るわが身を泣いているのを知らないし、あれからどうなったのかさえ思い及ばないものだから、彼女にとっていつまでもイチコに追いかけられているのは当然ケイタなのであり、かつてエツと言い争いをしたのも、何よりこのときのことが頭にあったからかもしれないという話をケイタに話して聞かせる。
 もちろんいまさら子供時代の諍いなど、自分にはどうでもいいことなのだと思っているナオなのだけれど、ケイタ連れ去り未遂事件の話を二人が思い思いの角度から話し合っているときのこと、けっこう真面目な口調でケイタが夢の話をしはじめて、おそらくこの事件が起こった頃から周期的に見るようになった蝙蝠の夢がここ最近あらためて夜の枕を襲うことがあるという、べつに相談というほどでもないとはいえ聞き流せるほど軽くもない話題を振られたのに触発された結果、ケイタが追う側か追われる側かを姉と言い争ったときの話を彼にすることになったのである。
 ケイタの見る夢は、肝心の蝙蝠が複数化することもあれば単数になることもあり、見たこともない疳の虫が出てきたかと思うと、最近では二匹の子亀なんかも登場して時事ネタにも対応したりといくつかのバージョンがあるとはいうものの、基本的には「最初は蝙蝠に追われているんだけれど、いつの間にか蝙蝠が自分になっている」というものだとケイタが言うから、つい先日妹のサキから電話報告を受けていた、例の追うとか追われるとか姉二人の「大戦争」の話を、最終的にはその調停役を買って出た自分の手柄をクライマックスとしてケイタに話したという一連のエツの家での出来事を、まるでそこに自分もいたかのように思い出し、っていうかエツと言い争ったときは自分こそ当事者だったことに思い当たった勢いで「最終的には蝙蝠になって追う立場に転じ、ハッピーエンドというわけえ?」と、あくまでもケイタは追われる立場にいることを譲らない強情な口ぶりを露わにしながらケイタに聞くナオだった。声の主のさも不服そうな表情が浮かぶ。
 思えば、あの日エツの家では、いないはずのナオがいるような気がして、それでもやはりいないことをなんとなく不思議に思ったものだけれど、いまはエツやサキがいないことに不思議な感じがして、ナオが不服そうなのもそういうことじゃないかと思いながら、ケイタはナオの話を聞いていた。



 ナオとの電話にはままあることだが、少し考えているらしいケイタの沈黙はすでに三分にも及んでいる。その闇を占めているのは確かに蝙蝠であり、いつもより獲物の虫が多いのか、あの日の暮れどきもひときわ目立って群れていた彼らは、その数え切れないほどの数ぶんはあるんだろう様々な角度から現場の一々をとらえ続け、ついには横転、炎上することになる血染めの車体にも群がり、大きな一枚の紙袋か何かみたいに包み込んでしまうと、誰にも目撃されないうちにいったん離散するなりタイムワープの流れに乗ってケイタの記憶にとりついたり剥がれたりをくり返すのだった。そのたびに蝙蝠はケイタに向かって鳴き声を上げるのだが、その声をどんなに追いかけてみても、けっきょく解読することもままならずに逃れ去る鳴き声を見送ることになる自分はいつの間にか蝙蝠になっていて、そのときの境遇がハッピーエンドだとはとても思えなかったから、追う立場になったってハッピーというわけではないとナオに言った。とはいえ悪夢というほどでもないのだけれど。
 ちょうどこのときナオは蝙蝠になったケイタを思い描いている。しかしそれはうまくいかない。胴体が蝙蝠で顔だけがケイタ、逆に胴体だけがケイタ、体の各パーツが蝙蝠のケイタ、暇さえあれば口元に手をかざしたり、人の目を直視せずに右四十五度下方に目をやりながら話したりとそれなりにケイタらしい身振り手振りをする蝙蝠のケイタ、バットマンのコスプレをしてみたものの、どうひいき目に見たってパーマンのケイタ、ホラーは苦手とはいえロメロ以前のクラシックモンスター関連のタイトルならケイタの勧めでたまに見るナオにいわせれば、ベラ・ルゴシのドラキュラになりたいのにクリストファー・リーはおろかノスフェラトゥの吸血鬼になり果てたケイタ、確かに蝙蝠だが雰囲気なり佇まいがケイタ、もちろんイ行がうまく言えない蝙蝠はケイタだし、B型の生き血しか吸いたがらない蝙蝠もやっぱりケイタで、残るは心だけがケイタの蝙蝠とか。
 色々頭の中で組み換えているうちに、映画の筋書き通りひとたびドラキュラに襲われたケイタがしだいに身も心も奪われていく過程をたどるほかないあれやこれやの場面を思い描くのだけれど、けっきょくどれもこれもうまくいかない着せ替え遊びの責任は、しかし当の自分にあるとはどうしても思えず、ケイタにこそあるのだとでもいうように「ホラーばっかり見てるから悪いんだが」と言ったナオの言葉はあの内海に流れる河口一帯の町へと、相談もろくすっぽしないで帰って行ったケイタのところまで引かれている電話線の闇をふるわせ、それをとらえた蝙蝠たちが鳴く鳴き声となってケイタの耳にとどくことになる。
 しかしそれはよく聞き取れなかったから、あらためてなんて言ったのか聞いてみたのだけれど、間を置かずに「たいしたことでない」と言ったナオの言葉の意味するところは、自分の言ったことなんてたいしたことではないということなのか、それとも単にケイタの夢がたいしたことではないのか、さして迷うほどのことではなく、前者が正解なら後者も正解だし、後者が正解なら前者も正解なのだと思ったケイタは、何かたいしたことを話そうと思ってあれやこれや考えても何も浮かばないから、たいしたことなんてしょせん相手の意表を突けばそれらしく聞こえるものなのだといつものように思い込み、それで最初に考え付いたのは、ひょっとするとサキに三人目が出来るかもしれないという、前の子が生まれてからまだ半年しか経過していないことを思えばなかなか信じられない話で、とはいえこの年の末にめでたい話サキの口からケイタの適当な予感が裏付けられ、こんなことならあのときナオに明言していくらかでも賭けておけばよかったと悔しがらせることになるのだが、けっきょくこのときはさすがに自分でも馬鹿らしく思って言わずに済ましてしまい、再び変な兄ちゃんに追いかけられたことを思い出すなり、あの日に国道で自動車事故があったの知ってるか、と言ったケイタの急な問いに面食らいはしたものの、またBの悪い癖だと戒めておいて「Aのエッちゃんやサキに嫌われるが」と忠告したナオなのだが、ケイタが何を言おうとしているのかまではわからない。
 それは当然だ。まだ彼女は、誰からも話を聞いていなかったのだし、そもそもあの日あの国道から最も遠くにいたのだから。確かにそこからだと、何も見えはしない。蝙蝠にでもならない限り(笑)。しかし車のなかからなら、それはよく見えた。本当に? むしろ見えすぎるくらい見えすぎて、あやふやなところがあるような気もするのだけれど。そうかなあ。そりゃそうよ、あのときは事の最初から、まともに見る機会を与えてくれなかったのだもの。確かにそうだった、



 がががががってかなり重そうなタイヤが路面をこする音がすると思ったら、対向車線を走るトラックがこちらに滑り込んでくるのが見えたというか、ヘッドライトがとにかく眩しくて目を伏せたとたんもう体じゅうが内から外から引っ張られているみたいでな、気が付いたらベッドの上にいたとかそんなのん気な話じゃ全然ないし、後から聞いた話、かなり飲んでたうえに居眠りもしていたらしいトラックが速度制限を超過した勢いを保ったまま、しかもスリップで横向きかよみたいな車体ごとぶつかって来られたものだから、か弱い鼠がいきなり飛び込んできた大猫に噛み付かれるようなものだとか言いたいところだけれど、じつはうちの親父も飲んでいて、まあこっちにも隙があったところの衝突とくれば、ぶつかった音にはさぞイチコちゃんも驚いたことだろうに(笑)、こっちの車は車でただ横転したというより宙を飛んでいるような感じで、映画なら間違いなくここはスローモーションになってトラックドライバーと偶然視線を交わしちゃったりするところなんだろうけれど、実際はそんななま易しいものじゃなくて早送りの再生状態みたいなひっくり返り方をしたかと思えば、対向車線側の水田に落下、ものの見事にめり込みはしたものの、どうやら水をはった泥土がクッションになってくれたんだか、死ぬほどの衝撃もなんとか死に至らしめるほどのことにもならずに済んだみたいで、とはいっても体じゅう痛いし、水浸しの泥だらけだし、けっこう血も流れているみたいだから寒気がするわ、ぶるぶる震えはとまらないわでこれはだめだ、もうだめだ、ぜったいだめだとか自分の意思というよりどこか別の方から聞こえてくる恨めしい言葉は、やっぱり自分の胸のうちのものなのだと観念しつつも、それでもなんとか脱出しようと手をかけたとこらへんで何やら呻いているのが後部座席に座っている母だということに気付くと、自分は助手席から後方に投げ出されたのだろうと、このときは思う余力もない状態でとにかく母を外に担ぎ出し、それから再び後ろの座席を覗き込むなり大事な獲物を捕まえるときにしか見せない慎重な視線を向けながら、たったいままで母の右ガードによってじっと丸まっていた私を、タダユキはゆっくりとしたスローモーションで運び出すのだった。
 <続く>