感情レヴュー

中沢忠之、『文学+』を刊行する「凡庸の会」同人

トロメラ!

 <承前>
 第2部
   昼下がり
 
 当スーパーニゴ来店イタダキマシテ誠ニアリガトウゴザイマス。まだ幼い女の子を河口ぎわのエツの家に預かってもらい、保育園を終えた長男を車で迎えに出た帰りの途中、ついでに買い物にたち寄ったスーパーのなかは、昼過ぎだからかまだ客の入りが少ない。当たり障りのないBGMが気だるく流れている静かな店内に耳を澄ませば、ゲンザイ青果売場ニテタイムセール実施チュー、キャベツ一個キュージューハチ円トタイヘンオ買得デス、ドウゾゴ利用クダサイと、ちょうどそのとき放送されたケイタの店内アナウンスは、ぐずりながら歩いていたというよりほとんど足を引き摺っていた息子を一転してやたらとはしゃがせる。
 すでに店内を一周し終わったところだった。最後に足を踏み入れたお菓子売り場の商品を頻りにせがむ子供に、家に同じものがあるからとか、もうお兄ちゃんでしょうとかいう理由を一々あげて断念させようとする母は、一向に諦める気配を見せずさらには大の字に寝っ転がったりして、この同じスーパーのなかで泣き喚きながら物乞いをしたケイタを思い描き、自分が見たはずのないこの光景はどこから仕入れたものかと訝りながらも、それをわが息子と重ね合わせているちょうどそのときに、イ行がうまく言えないこの特徴のある発声から察すれば、もうケイタというほかない店内アナウンスを聞くことになる。
 幼いながら耳ざとく聞き馴染みのあるものだと感じたらしいその声から敏捷にモードチェンジした子供の手に手を取られて青果売り場にまで再び戻ったサキは、そこでイチコに出会い、まずは子供から解放されるために、元気な男の子の歩調から自分のリズムを取り戻そうと試みる。
 しかし子供はタイムセールの周りを飛び回る飛び回る。すでにサキが手にしたカゴに入っているキャベツなのに、売り場からもう一玉重そうに取り出し、叱責する母の手から素早く逃れ、飛び回り、「ケーちゃんケーちゃん」と連呼しているからには、どうやら店内アナウンスの主の登場を待っているように見える。しかしどんなに待っていても、見渡す限りどの商品も充実している売り場へは、厨房からなかなか出てこないだろうと察したサキはしかたがないとすかさず判断、「お菓子が欲しいんでしょう、好きなの買って上げるからちゃんとあったところにキャベツ戻しておきなさい」と譲歩せざるをえない。それならばと、テレビでもこのところ目が離せないプリごろ太のスナック菓子にしようか、それともやっぱりムシキングのオマケにすべきか、前々から見当をつけていた獲物目当てに駆け出す子供の踵を見とどけるなり、先ほどから親子の風景を笑い見ながら話しかけるタイミングを計っていたイチコに、ようやく挨拶をすることになる。
「サキんところのボクは相変わらず元気いいね。うちのは幼い頃から静かでまあ楽といえば楽」。小学校時代はケイタと同級だったイチコには、すでに十二になる男の子がいる。十六の誕生月で一緒になり、その半年後に別れた男との間に出来た息子は、もう自分たちが国道を走っていた年頃にもなるのだと、しばしばこの若い母は感慨に耽ることがあった。当時はケイタよりも背が高く、どんな男の子より大人びていたイチコは、国道レースとなると、皆に追われる栄誉に浴するか、たとえそれがかなわないときでも、せいぜいケイタ一人を追いかけるポジションは降らない自分を自負していたものである。ケイタが引っ越した後でさえも、自転車レース仲間のユウジやレイジが六対四でケイタが勝ちだったと言えば、彼女はその逆だと言い張った。当事者が三年前に帰ってきてから、どちらだったかを聞いたことがあるが、あの追いかけっこに勝敗なんてあったっけというような表情の返答に、呆れたりしらけたりしたイチコは、それぞれの小遣いを賭けたりしたこともあるじゃないかと思いもしたけれど、いまさら百円の駆け引きにレースの始終がまとめられるのは過去の思い出が汚されるばかりか、いまの自分が百円の価値しかないようにも感じたので、相変わらずケイタは変わらないと言うことにとどめる。
 イチコも変わっていないとケイタは言ったが、誰よりも丈夫だとみずから思っていた彼女の体は、二十代を通じてそれまで考えもしなかった変容にみまわれることになった。まずは視力を落とした両目にはもれなくコンタクトが入る。しかしそのコンタクトを装着しながら好物のボイルした毛蟹を食べると、目がそれこそ蟹の出目みたいに腫れることが発覚した冬をきっかけとして、アレルギー症状が体の各部位に勃発、と同時に知覚感覚の動揺、冬になるたびに乾燥した肌や顔の表面に火傷したような擦り傷やら発疹やらを形成し、ざらつく紙に似た肌は痒みがひどいのだが、掻けば掻くほど深刻さをくわえてその勢力範囲を拡大する。なんとか冬を耐えたら耐えたで、今度は花粉が彼女を苦しめることになる。目や鼻は始終何かを分泌させ、自分には手に負えない生き物が内側から攻撃してくるような不快極まる感じがすると、もうストレスは溜まる一方でまともに眠れるわけがなく、朝から憂鬱な日々を送る。とうぜんコンタクトはためらわれるから、眼鏡をかける日が多くなるし、顔半分が隠れるマスクは必需品。この土地に戻ってきたケイタと久しぶりに会って酒を飲んだ時期は、おりよく花粉がおさまる頃だったので余裕もあったが、ロスパラの隣に建てられた家の自室から国道越しに見える風景が、稲が刈り取られて見通しをよくする秋の暮れあたりから、体は服で隠れるからまだしも、この顔を人にさらして歩くのが億劫になるイチコだった。



 一年じゅうどこかに地雷原をかかえている体だとはいえ、この頃はようやく乾燥肌も局地戦を展開する程度に収束する時節柄なので、通常の化粧をすれば目立たなくなる細面の顔に眼鏡を軽くかけたイチコは、学生の頃に同性からこそ一目置かれた自信を取り戻したかのように、同級のエツを通してこれまでも妹のように接してきたサキと時候の挨拶を交わし、とりわけ後輩のサキも子供を持つようになってからは、お互い分け隔てない母親として認め合う儀式をまたここでも開くとでもいうように、子供の養育やら産後の美容やら今後の身の振り方を、多くは年長のイチコから、二人目を産んだサキも負けてはいられぬとばかり話しているまっ最中のこと、ふとまだ戻らない男の子の方に意識が向かい、自分より頭一つぶん出た相手をサキは不意に見上げる姿勢をとる。眼鏡を通して見ると際立つ彼女の切れ長の目は、身長差のために見上げる側にとってはより鋭さを増しながらサキの手にした買い物カゴを覗き見ている。軽くたしなめるように「牛乳なんて日本人が飲むものじゃない」と言うイチコの意図するところがいまいち読めないサキに、待ってましたといわんばかり彼女は噛み砕いて解説をくわえはじめる。
 イチコが言うには、何世代にもわたって牛乳を飲み慣れた西洋人にはその成分を体に吸収しやすいように分解し栄養に変換する酵素があるのだが、私たち日本人にはそれがない、というか乳児の頃には確かにあるんだけれど、歴史的に皇室以外は牛乳を飲む経験も習慣もなかった日本人の場合、成長するとその酵素を不要視してなくしてしまうんだと。それなのに、日本人は不足しているカルシウムを摂取せよということでとかく牛乳を飲むように戦後以来、もっというと文明開化の頃からその手の業界を中心に組織されてきたというか操作されて私たちその手のうちにあったわけで、彼らほとんど国賊ものでしょう? 栄養摂取の効率の悪さはおろか、むしろ日本人が飲めば消化不良を起こし、逆に体から必要なカルシウム分を奪ったり、肥満はもちろん重度の疾患をもたらしかねない始末なんだから、極端なことをいえば西洋人に体を売り渡しているわけよ、私たちの世代は子供の頃から浴びるほど飲まされてきたし、給食でも量り切れないほど飲んじゃったから、なんかもう取り返しがつかないという感じで、このことを知ったときはさすがに呆れるやら苛立つやら、おかげでこんなに背が伸びた自分の体のあれやこれやを疑ったわよいい加減。
 ここまでいっきにまくしたてたイチコは見た目戸惑っているサキが目に入り、少し言い過ぎただろうかと思い少し赤く火照らした顔を、サキは可愛らしいと思った。それにイチコが自信をもって話し込んでいる姿は、話の内容以前に、このあたり一帯に住んでいるサキと同じ年頃の女の子を有無をいわさず憧れさせる何かがあった。確かに、調子に乗って牛乳を飲みすぎたり、ヨーグルトダイエットをもくろんで五百グラムのプレーンヨーグルトを丸食いしたりした次の日には、お腹の調子が重く冴えないなとは感じていたことなので、イチコの言うことは自分なりに理解できたのだった。
 とはいえ、彼女が忠告するほどのことでもないという気がしたし、何より共感できないものがあると思ったサキは、栄養とか安全性を気にする以上に、私鉄を使って市街に出たときに飲んだスタバのラテは本当においしいと感じたことを思い出し、お腹をすかせたタカヤや息子が好んで食べるグラタンにシチュー、それから牛乳と一緒に食べるカステラ、プリンやフルーチェを牛乳から作って固まるのを楽しんでいるあの頃の自分と変わらない息子のはしゃぎ様を見ることがもうできなくなるのは切ないと思った。
 だから飲み慣れているといえば、自分の知る限り大口家からいまの佐藤家にいたるまでずっと牛乳なのだと言いたかったが、それは短大を出たイチコに比べれば学の浅い自分の近視眼的な考えなのかもしれないと思い直す。それに牛乳だとはいえ、それがなければ気が変になるとか死ぬほど好きというわけでもないのだから、牛乳の代わりになるものがあるなら、それはそれで構わないというようなことを、話の繋ぎになると思い言ってみた。
 ここぞとばかり「もちろん」に力が入るイチコは、日本には日本人に適したカルシウムの宝庫があると言い、その代表格として挙げたひじきやワカメ、昆布などの海藻は、カルシウムを吸収しやすくするミネラル分も多く含んでいるし、それに牛乳の量を一とすると、同量の海藻類の方がカルシウムが多く採れることになるという話を満足げに話して聞かせる。そういえば、魚にもカルシウム分が含まれているんでしょう? と口を挟んだサキに軽く頷いてみせた彼女は、勢いを得たのか、日本人は魚から良質な動物性のタンパク質さえ採っていれば、肥満を量産するばかりで一利もない食肉などそもそも不要なのだとまで言い放つことになる。もとより狩猟がベースになって畜産を生活に取り込むようになった西洋人に対して私たちは生粋の漁民であり農耕民族なのである。もちろん、海藻や魚介類は西洋人も健康を損なうことなく自由に食べることができるのだから、日本の食文化はとてもヘルシーなグローバルフードなのだとも。
 頷きながら聞いていたサキはしかし、海藻や魚介類では牛乳の代わりにグラタンやクリームシチューを作れないし、フルーチェも固まらないと控えめな不平を述べる。サキが言うところの意味を理解しはしたが、自分の勘違いには気付く気配がないイチコは即座に話題を切り換えるなり、豆乳でたいていのものは補えるはずだし、むしろこっちの乳の方が健康だと強調、何より日本人なら使い勝手も慣れていると言って笑うので、サキも笑ったが、以前皆と豆乳鍋を作ったときに余った豆乳でラテを自作してみたことを思い出し、見た目も味もなんとなく似ているのに、そのときは生臭くてとても飲めたものではなかったという思いのこもった感覚が舌から鼻へと抜けるようにいまさらながらに感じられるのだった。確かその頃にはもうお腹にあの子がいたはずだが、そんなことも関係があるのかないのか。そういえば、豆乳を生でいっきに五百ミリリットルぶん飲み干せるほど好きなナオが、自作ラテを炊事場に捨てるサキを見て豆乳に失礼だがと言ったことがいまようやくわかったような気もしたが、余ったものを冷蔵庫に眠らせて置いたままけっきょく捨てる羽目になるよりも、とにかく何かに試してみて結果まあ失敗(?)の自分の生き方の方がよっぽど救われるとも感じもしたけれど、これはイチコが言うような豆乳代替案とも違う処世術なのだということを、自分はうまく言葉にできそうにないから、あのとき何も言わず笑っていたエツなら噛み砕いて丁寧に教えてくれるだろうか。



 姉妹のなかでも断然弱い立場で放任されがちな一番下っ端だから、家族間のサバイバルを生き抜くためには身に付けなければならなかった自己分身の術をここでも発動、思考回路は別次元に飛ばしながら目の焦点はしっかり相手に合わせているサキの買い物カゴのなかに、新たな獲物を物色していたイチコは豆腐一丁を見出し、相手の反応を見る限りいまいち肩すかしだったらしい豆乳代替案の名誉挽回を試みる。もういい加減、子供たちならじゃあ次何して遊ぼうかという提案が誰からともなく出てくる頃なのだが、二人はもう子供ではないし、サキの息子はまだ出てきそうもない。
「豆乳もそうだけれど、原料の大豆は国産のものに限る」。買い物カゴに入っている、豆腐をパックしたトレーに目を向けながら言うイチコに、どういうことかと聞き返したいのは山々なのに、さっきからひたすら食べ物の話ばかり出てくるので、まだ昼食を済ませていないサキは、お腹がすくと機嫌が悪くなるナオとは違ってなにもかもが切なくなる自分を、ここではなんとか別次元に切り離し、年下扱いもせずに話をしてくれる相手に向けて、先ほどからの変わらない焦点をじっと合わせていると、あとは何か他の特別なことをするまでもなく、その大きな目が示す無邪気さだけで誰にも悪い気はさせないし、むしろ気を良くし力付けられさえしたイチコはさっそく続きを話しだすことになる。
 イチコが話してくれた遺伝子組み換え作物の話題はサキもそれとなく気にはなっていたことで、大豆やじゃがいも、とうもろこしに菜種、綿などの一部がその種のものだということも聞き知っていた。それでも無理に選り分けようというほどの気遣いはないから、外食のときなどには知らずに大豆の加工食品を口にしているだろうこともさして気になることはないのだけれど、豆腐とか、それに納豆を買うときなんかはつい遺伝子組み換えか否かの表記を確認してしまう自分に思い当たり、ということは、やはりそれなりに気にはなっているということなのかもしれない――。みずからの体験談を交えながら心もとなげにサキが口にする話に、一々頷いてみせるイチコは、産地表示はもちろんのこと、使用した農薬や肥料もトレーサブルな体制を確立すべきだと言い、しかし農薬散布に批判的なだけでは不十分だと自論をさらに話して聞かせる。



 とかく昨今は農薬を撒けば忌避される御時世だから、農薬効果がある遺伝子をあらかじめ各種作物に埋め込んでしまえば、誰も文句などあるまいというのが企業側の論理なの。殺虫効果がある遺伝子だとか、限定的な除草剤使用を考慮に入れた遺伝子だとか、要するに種子そのものが農薬だったらわざわざ農薬を撒く必要なんてないんだから、いわば遺伝子組み換えこそ脱農薬の理想的な方法だというわけ。
 そういう誰もが頷けるようなロジックを使って普及活動にいそしんでいる彼らなんだけれど、その実、組み換えの技術とデータの所有権を法的にちゃっかり自分たちのものにしていて、農産物を種子の段階から管理、支配する魂胆が見え見えでしょう? 農産物の遺伝子情報なんてもともと売り買いの対象にならなかったようなところにまで市場の論理を持ち込んでいるんだから。もちろんそんなことはオクビにも出さないわけで、とにかく作付けから栽培、収穫にいたるまで従来のものに比べればそれほど手間をかけずに済むし、コストもかからないから低価格で良質な製品を量産することが可能、だから所得の低い人々にもうれしい話だと彼らは表向き主張するけれど、けっきょく市場支配にしか目がないわけなのよ。
 まあ誰が得をしたとか馬鹿を見たとかなんてしょせん私には興味ないことだけれど、ことはそんな単純なものじゃないから厄介で、たとえば、様々な種が棲み分けることで成り立っている固有の生態系が、グローバルな企業銘柄の品種一色で塗り固められることにでもなれば、それがたとえ一部であれ生態系の包括的な動揺を誘う因子になりかねないわけだし、それに何より危惧すべきなのは、かなり気持ちの悪い話、人工的に埋め込まれた遺伝子が、従来なかったタンパク質を形成し、私たちの体にとりついて未知の影響を及ぼしかねないってこと。たとえば癌の発現可能性が高まるかもしれないし、環境ホルモンというのが一時期話題になったけれど、遺伝子組み換えもそれと同じように内分泌系を無闇に撹乱するというようなことは十分考えられることで、結果的に様々なアレルギーの症状をもたらし、ストレスのあまり子供たちをキレやすくするなんていう、最近話題の症状の遠因になっているかもしれない。
 だから、各製品の原料が遺伝子組み換えでないのかあるのかを表記することは企業側の重要な責務だし、個々人がそれを気にかけることももっともなことなのだけれど、その「遺伝子組み換えでない」表記も、イチコによれば怪しいものなのだ。というのも、日本に多くの大豆ほか遺伝子組み換え作物を輸出しようともくろんでいるアメリカでは、組み換え技術の特許を得てその種子を売りさばく企業と契約を交わす農家が増えており、その結果、従来通りの農作物を栽培している農地にまで遺伝子組み換え作物の種子や花粉が飛び散ったり、流通過程で紛れ込んだりといったケースが少なからず報告されているのである。だから、こと輸入の大豆を原料とする豆腐などは疑わなければならないし、すでに日本にも、当該企業が遺伝子操作した種子の無償供与を積極的に行ったり、農地を解放して作付けを教えるなどして、組み換え作物の導入に足踏みしていた農家を扇動する一連の作戦が実を結びつつあり、各地域農家が独自に作付けを試行、栽培する例が現れているということは、飛散、混入、ハイブリッド化の由々しい事態は着々進行していると見なすべきだろう。
 じっさい、収穫から流通にいたる各種方面での混入は、どんなにチェック体制が整っても避けられないのではないかと思われるほど絶望的な状況なのだが、たとえば搾油するために輸入した菜種が港から運搬中にやむなくこぼれ落ち、非組み換えの菜種と混じって、それらとなんら変わらぬ姿かたちで生育するケースがすでにあり、馬鹿馬鹿しくて笑うほかないのだけれど、組み換え技術の御当地アメリカでは、自分の農地に花粉経由で勝手に飛んできた組み換え作物が勝手に成長するという事態に見まわれ、とうぜん管理責任のある企業を非難する権利のある農家が逆に特許侵害で訴えられるばかりか、もれなく敗訴というようなケースさえ起きているといった次第で、もう笑うに笑えないでしょう?



 そう言った言葉とは裏腹に、イチコの口元には笑い皺が出来ている。それというのも、こぼれ落ちる種や飛び回る花粉の話から、思わず、エツや自分の子供たちがはしゃぐ様を思い描いて緩んだサキの顔に釣られたからなのだが、自分が笑っているとは思いもよらないサキには、イチコが不意に笑みをこぼした理由はわからない。イチコはイチコで、相手の顔の裏側に思い描かれている無邪気な光景を見ることはできないし、そこにケイタたちと群れをなしてイチコが自転車をこいでいる場面も混じっていることを知ることはできない。
 事情を知らずに笑い交わす二人。とはいえ、わけもなくひたすら笑っているだけでそれなりに満足できる二人でもあるのだが、ただイチコは、サキが笑ったのは自分の話のどこが可笑しかったからなのかを知りたいと思い、サキは、笑う余裕を見せながら先頭を切るイチコを追いかけるのはケイタで、レースの勝敗を賭けている二人の姉の言い争いのあげく泣き出してしまうナオの姿を気の毒に思った。サキには興味がない遺伝子とか化学式を熱心に勉強してけっきょく国立の理系に進んだナオは、地方とはいえ三姉妹の初陣にはふさわしい短大生活を満喫したエツや、いまは子育てに追われる身だがもとは手に職を付けたい理由から専門学校に入ったサキに比べたら、二人束になっても到底かなわない学力を元手に、確か化学関連の企業に研究職を得たということをこの妹は聞き知っていたのだけれど、イチコの話を聞いているうちに、ナオを非難し泣かせているのは姉のエツではなく、イチコなのではないかという気がしてくる。
 どこからどこまで遺伝子組み換えであるのかないのか。どこに、その線引きを求めるのか。牛乳が使われているレシピのどこまで豆乳の代替がゆるされるべきなのか。サキは、ケイタが国道から河口ぎわを乗り越えるように豆乳から牛乳のテリトリーを犯し、結果、豆乳に失礼だがと口にされて、その言葉には非難がましい口調などまったくなかったというのに、思わず泣き出してしまったのは、そうだこの私ではなかったか。サキは思い出したが、しかし皆が集まったあのときにはナオ一人いなかったような気もして、だとすると、ナオの発言があのときのものであるのかないのか、「失礼だが」発言そのものが別の誰かによって口にされたものだったか、語尾の「だが」だけが耳に残る他は何もわからなくなる。泣いているサキを見て笑うエツの笑いは言い争いの勝者のものではなく、まだ幼い長男を胸に寄せながらもう泣くことはないというような顔をしている。それは自分の息子に向けられたものでも、サキに向けられたものでもあり、サキのお腹のなかの子供にも向けられたものでもある。



 男の子が私の母に連れられてようやく現れる。一組の親子と言われても、誰の目にもそれほど違和感がないように見えるかもしれないこの風景を、実の母はどう見ただろうか? ちょうどイチコがほうれん草を手にしながら、安全と思われている有機栽培も無害だと思って肥料を与えすぎたりすると、過剰に蓄積された栄養分がかえって土や体に危害をくわえかねないという話をしはじめたとき、作業着姿のタカオの前を早歩きする息子が母の目に飛び込んでくることになる。少し話しすぎかなとは途中思ったものの、イチコとの話はほんの十分にも満たない程度のものだったし、それに何より、お菓子売り場の通路から、オマケ付きの欲しいものを選んだりもてあそんだりしている長男の出たり引っ込んだりする姿をおりにふれ確認することができたので、つい安心していたのだが、二人をまずは客として、それから知り合いとして挨拶を終えたタカオによると、彼はケイタ目当てで厨房のなかにまで入り込んできたのだった。
 さっそくサキは子供の手を掴んで親子以外立ち入り禁止のテリトリーを作り出し、「お兄ちゃんも」と言ってから、次にタカオのことを同等に「お姉ちゃん」と言うべきか、それでもやはり「おばちゃん」と言うべきか一瞬ためらった自分に気が抜けて、けっきょく「河森さんも忙しいんだよ」と言うにとどめたのだが、タカオはいまの台詞をどのように読み取っただろうか。ちょっとした合間に何通りかの呼称が組み換えられたことに気付いただろうか。
 まだ二十代の若い母が叱り気味に言い聞かせる息子に、助け舟を出すというわけではなかったけれど、このときタカオは、このスーパーに父と母に連れられてくるエツとナオとサキのやることといえば、二階建て店舗の全面を使った鬼ごっこなりかくれんぼだったという話を笑いながら口にした。といってももちろんのこと、まだ幼い頃のサキがいなかったり、思春期に入ったエツが抜けたりしたこともあることはあるのだが、ときには偶然出くわした学校の友だちもくわわって勢い三人以上に膨れ上がりもしたのであり、それはサキも覚えている。フロアの平面を駆け抜ける鬼役の女の子、一足早く別階に移動しようとする女の子、鬼に追いつめられてやむなくというより嬉々としてエスカレーターを逆向きに上り下りする女の子、屋上階にある駐車場にまで接続された階段を行き来する鬼に捕まらぬようにエレベーターを激しく上下させる女の子、誰も使っていないレジボックスの奥に入って鬼を撒き、厨房に抜けるスイング扉脇に隠れる女の子。イチコもたびたびその女の子のなかの一人だったということをみずから可笑しそうに告白し、三人のいまにも鬼ごっこか何かをはじめそうな気配が、母にやり込められていた男の子を絶望と無念の境地から回復、再び興奮させている。
 ただし三人の母に比べたらあまりにも視野が狭い彼は、いまのところ彼女たちの相手にはならない。だからといって、まだまともに歩けない妹や、これから生まれてくるかもしれない弟妹たちが自分の相手になるまで待つことも到底できないので、さっそくエツの長男や近在の友だちと次回にでも出くわす機会がありしだいこのスーパーを舞台に、買い物客たちが歩く導線とはまったく違った線を引き、面を開くだろう。そのとき買い物に気を取られている彼らは、運がよければ鬼に出会うのだが、けっきょくは尻込みをするか、一切見なかったことにしてあるかないかの噂話に終始する。
 他方、噂話から鬼の存在を知った子供たちは、自分たちのなかから鬼役をそのつど割り当てて、それから逃れるにはどこに隠れたら楽しいか、じっとあたりを見回している。どこを駆け抜けたら楽しいか。何を利用したら追い付き、追い越し、追われたり隠れる立場に転じるか。どうしたら親を撒けるかというのもあるし、逆に自分に関心を持ってくれるにはどうすべきかとか、自分だけの兄が出来ないならせめて妹が出来るにはどうするかとか、好きな人が振り向いてくれるにはどうするか、もちろん嫌いな人にはどうにかしてでも寄ってきてほしくはないものだけれど、UFOや幽霊に出会うためなら何をすべきかとか、思えばイチコにもサキにもむろんタカオにも、振り向けばおまじないというか、何層にも重なるおまなじないが世界のようなときがあった。それは泣けばたいていの欲求が満たされた時代の名残で、そのうち効き目が現れなくなってくると、少しずつ誰も何も信じようとしなくなり、ただまことしやかに噂話をすることで満足するようになるときが、この男の子にもきっと来る。
 そのときはもうおまじないがかなうというようなことは起こらないけれども、サキはタカヤと出会い、二人の間に子供が出来たことを自分には出来すぎた幸運だと思えたし、ケイタとの出会いをわりと冷静に対処することができたタカオは、それでも後どのくらい彼は自分の近くにいるだろうとたびたび考えることがあった。サキの息子は生まれもってのアトピーだったが、いまさらながらアレルギー症状にみまわれたイチコは、二人のように男など見向きもしないで、日ごろネット経由で仕入れた情報をもとに体質改善につとめるのみならず、環境ホルモンや農薬汚染がどれほど見直されたとはいえいまだ疑わしく、とても安全とはいえない肥料に依存しがちなスーパーの商品からできる限りみずからの手で独立することを画策している今日この頃だったのである。



「私このへん一帯の、といってもほんの一部なんだけれども田畑を買い上げることになったのよ」。イチコが言うから、たったいま話に参加したばかりの河森さんにはわからないんじゃないの? 話を聞いていた私としてもけっこう急な展開で驚きなんだけど的な表情をサキはそれとなくイチコに差し向ける。しかし、間を置かずに「とうとう買っちゃうのね」と言ったタカオの反応からすると、どうやら彼女にはイチコの話を理解する下地があるばかりか、自分よりもむしろ事情に精通しているらしいことにここで気付くことになるサキの、逐一表情が変化する一連の様を見るともなく見ていて、ケイタが言う通り正直な子なんだなと思いながら、いまはおそらくこの話題に関する自分とイチコの関係が掴めないのだろうと察したタカオは、「伴くんから色々話は聞いていた」と言い、迂闊にも彼の名前を出したらなんとかなると考えた自分の判断は間違っていなかっただろうか? さっきから男の子の無邪気な視線を、ケイタが自分の傷跡をもてあそぶときのもののように感じて疼く右耳がかつてあったところを、指圧で一々確認しながらその迷いを無理にでも振り切って、「それにほら、肥料や農薬にこだわった地産のものを置いてほしいというお客様からのたっての要望はいつもうかがっていましたから」とイチコの方を向いてからかってみせるその表情は、いささか困った客に対して店員が見せる呆れ気味の顔に、それでも馴染みの者にしか向けない親しさが滲み出ているのがわかる。「だから近いうちに農家にでもなるんだろうというような気がしていたの」。そう言うタカオに、イチコの方も客としてというよりも、この近在に新規就農する住民として迎えられた者がするような受け応えをしたが、このとき厨房の方を遠慮がちに振り返ったサキはいまここにケイタがいるような気がして、それは多分、タカオの言葉がそっくりそのままケイタのものだったか、ケイタとの会話のなかで口にされたものだったからではないかと思い当たり、タカオの作業着からのものである天日で乾いた洗剤の匂いを、ケイタは好きなのだろうと思った。
 タカオの口ぶりからも察せられる通り、確かに店の品揃えに対するあれやこれやの要望はたかだかパートやアルバイト店員に言ってもしかたがないことだし、だからといっていっそのこと、店の片隅に用意された「お客様の声」用紙に記入してみたものが運良く店長の手に渡ったとしても、その人物が多少なり真面目な性格なら朝礼やミーティングの機会にでも話のネタくらいにはするのだろうけれど、けっきょく神経質な客から無理な要求がまた投げられたのかという反応以上のものを期待することなど馬鹿げている。イチコがそれを知らないはずないことはタカオもわかっていたから、お客様の意見は何でも報告するように指示している店のガイドラインを建て前以上のものとして真に受けることなく、店長や青果マネジャーにそのつど彼女の意見を伝えたことはなかったし、イチコに何かアドバイスをしたこともない。
 イチコの方でも、時候の挨拶程度に今日のほうれん草の色は緑が濃すぎて逆に不自然だとか、防腐剤をスプレーしていない国産のレモンはないのかとか、この時期にかぼちゃが食べられるなんて日本人の体には適さないとかいう話題を、ちょうど品出しのために店内に出てきたタカオとの会話におり交ぜたりしたけれど、言った先から受け流される応対の一々に不快な感じを受けたことはなかったし、ことタカオの場合はそれがかえって心地よくさえあったから、成果のない要望であり意見だと知りながら声をかけ、話をすることで何かがかなえられているような気にもなれたのである。ケイタはそれがタカオさんだと言った。イチコはそれを単なるマザコンだと思ったが、タカオから感じ取れるものは自分の偽らざる感想なので正直に頷いた。それでもイチコは暇さえあればスーパーに対する要望なり意見を「お客様の声」箱に入れてもいて、そればかりか商品の一々をためつすがめつしてその鮮度や成分表示を事細かに確認したり、ものの陰に隠れでもするようにそれをする女の子の姿を、タカオはしばしば目にすることがある。
 その「お客様の声」用紙に記入するときに見せるような少し意地を張った顔に笑みを滲ませる彼女は、「だからこれからは、河森さんとは敵同士になるのよ」と言い、タカオがいつもと変わらない応対をしてくれていることを確認したうえで、スーパーが提供してくれない以上は、自力で作るのに越したことはないから、どうせなら農地を買い取ることにしたという話をする。有機系のものや肥料にこだわった作物が欲しければ、確かにいまならネット通販という手もあるけれど、値が高く付くことはまあしかたがないことだとしても、やはり鮮度が気になるでしょう? 逆に長持ちするものだったりしたら、へたに喜んじゃうよりむしろ不自然というか、『複合汚染』の有吉女史みたいに何が入っているか疑わしく感じるべきだと思うし、何より自分が生まれ育った土地のものを体に還元することにかなうものはない。
イチコが再び自論を展開しだしたので、これはちょっとどうしたものだろうか、少し前から極度に切なくなりはじめていたサキは、なんとなくキリのよさそうなところで「そういえば、お仕事平気なんですか」とタカオに持ちかけてみたが、二人の若い母の会話にくわわっているこのときをけっこう楽しんでいるような口ぶりで、ちょうど昼食の休憩に入ったところだったのだと、サキにしてみればすげない返答が返ってくる。もうなるようになれ。
 思えばこういうときは、誰よりもナオがサキの異変を敏感にキャッチしたものである。皆が買い物をしている最中にお腹がすいたと言う勇気がなくて、空腹であることに何故か負い目を感じる妹だったが、姉と二人してお腹がすいたときには、たちまち機嫌が悪くなるナオが買い物の輪から逸脱して癇癪を起こし、マクドナルドのポテトが食べたいと強情を言い張り、こうなると何を言っても聞かないことを誰もが知っていたから、近くに目当てのものがなくても、その代わりになるものを妹と分け合って食べた姉のことを思い出したサキは、一人で切なくなっているときは決まってナオが察知し、思い切り唾を飲み込んでなるようになれと念じるんだと教えてくれたことを、こうしていまもくり返している。しかし、当時はよく飲み込めなかったなるようになれという一連の言葉の列なりも、人の妻となり母となったいまはよく理解しているサキにはもう、おまじないの効果は現れない。残すところは男の子がむずかりだすのを期待するほかないが、このときばかりは、意外に自分よりも冷静に見える息子を母親の権限で利用することもできそうにない。



 ケイタとも同級のユウジのことは知っているでしょう? 奴のおじいちゃんおばあちゃんから売ってもらえることになったんだけれど、彼らもいい年だからとっくに隠居していて、けれども手放すのもなんだからと長いこと人に貸していた土地がちょうど今季いっぱいで契約切れになるということで、まあその借りてた人も若くないからこれを機に品種を整理したいし、主軸である稲作も縮小したいしとかユウジの隠居に相談していたところを、次の借り手も見つかりそうにないから、へたに農地を遊ばせておくよりもいっそのこと売り払ってしまった方が無難という話になったの。もちろん、以前から、ユウジには農地が欲しいというようなことをおりにふれ話していたし、契約切れとかなんとかこの話が奴の口から出てきたときにはなんとかして買うか、少なくとも借りられるような口利きをしてくれるように頼んだりしていたのだから、単に転がり込んできた話じゃなくて、一連の努力がようやく報われたというわけ。
 ひたすら頷き通しの二人を前に、念願の農地を手に入れるまでの経緯を事細かに語るイチコの話を止めたのは、このとき「ケーちゃんケーちゃん」と声を上げた男の子の手柄で、お菓子を褒美にもう一つと思ったサキは、浮かれる間もなくつま先からつんのめって、思わずお腹を空いた手で守るようにかばう体勢になったのだが、そのままの勢いで下腹部から足元を覗き見ると、なかなか出てこない長女を難産のすえ産んだ後に、東京のナオから初めての女の子だからと花柄プリントのベビー服ひと揃え送られてきたプチバトーの宅配便の奥にこっそり包まれていたのが泣きたくなるほどうれしかったワンピースの裾にしがみついている長男に、やむなく二三歩引きずられているのだった。すかさず叫んだ「だめよ」という声も聞かず、さらに進もうとする男の子を母は押しとどめる。その向かう先は、少し前にタカオに連れられて息子が出てきた厨房の方向なのだが、そこにはしかし、男の子が呼んだ主も誰も見当たらない。
 ただスイング扉がかすかに揺れているのを、ケイタの仕業だと思ったタカオによれば、昼過ぎまでの四時間を毎日アルバイトのために割いている彼が今日の分担を終えて、最後の店内確認のためにスイング扉から顔を出したところ、私たちがまだ店にいることに気付くと、急いで引っ込み、ちょうど真向かいだったイチコは熱心に話をしていたからギリギリセーフで自分に気付かなかったと察知したこのときのケイタの頭にはもう悪さでもしてやろうという考えしかないから、今度は低い体勢から子供にだけわかるような合図か何かを扉の隙間からちらちら送ってでもいたんでしょうということだったが、いちおう確認をとってみた男の子はただ頷くばかりで、いまはもう母が二つ、タカオが一つ買ってあげたムシキングの様々な甲虫をプリントしたオマケカードにしか興味がないようなので相手にならず、それならば逆に見つけられた方はどうだったかというと、スイング扉の後方にさも見つけてくださいといわんばかりにちゃっかり隠れていたのを見つけ出されて、その後イチコの勧めもあって皆でお呼ばれに行った彼女の家で昼食をとりながらまあだいたいその通りだと、タカオの想像力を駆使した状況説明を半ば保証するケイタだった。
 いわれてみれば確かに、いかにもこの男がしそうな行動だと、それを聞いた誰もがタカオに感心したし、ケイタはケイタで、知らぬ間に長いこと見張られていたのかもしれないという淡い疑念に駆られて思わず振り返ったのだが、いまさら遅いし、そこにはとうぜん誰もいないから、何かを見逃したような気になった自分は、いったい何を見つけようとしていたのか、それともやはり見つけられるのをただ待っていただけだったか、自分のことだというのに、いざどちらかはっきりさせようとするとあやふやなままタカオの説明を聞き終えるほかなかった。だから、百パーセント「その通りだ」とは言い切れない余地がケイタのなかに蟠っていて、それが彼の言動に、かくれんぼで鬼に見つけられた敗者の無念さを演出する触媒になったのだろう。このとき「じゃあ、観念したのね」と言ったのはイチコで、彼女はタカオに唆されるがままに、厨房の裏手側にある従業員用出入口からケイタを急襲するという手柄を上げたのだが、いまはその勢いで凱旋した家の主人の気前よさから敗者にビールを振る舞っている。「まあだいたいその通りだけれど」とケイタは言ったが、それでもすぐに気を取り直したように、「実はうちのお母さんが二人のおばちゃんに襲われているという、まあ男同士にしかわからないサインをこっそりこの子から受け取ったから、なあ?」と言って、食べるか遊ぶかどちらかにしなさいと母に叱られている男の子の頭を掻き毟りながら言った「だから僕が緊急警報を発したのだ」という、およそイチコにとっては敗者の言い訳でしかない発言を、たったいまスーパーに戻ったタカオならどう感じただろうかと思うサキはサキで、スイング扉脇のケイタを思い描き、わが息子はのちにこのときのことをどう記憶にとどめることになるのだろうかという考えに及んで、少し酔いたい気分になったのだが、やはり子供がいるし、車があるからと断ったのだけれど、まあそんなこと言わずに、百パーセントオーガニックの麦芽とホップで出来たものなんだからと言って頻りにイチコが勧めるビールをケイタはすでに二缶ほど飲み干している。
 それにイチコもいける口だから付き合うので、昼間からちょっと飲みすぎじゃないかなあ、我慢している私も欲しくなるんだけど的な表情を、子供に手を焼くことで二人からはぐらかそうとしているサキに気兼ねでもしたのか、三缶目の残りが入ったグラスを一息で空にしてから、胃に入ったビールを馴染ませるようにお腹をさするケイタは、誰かに弁解するような口調から切り出して「それでもさあ、この裏庭にあんないっかどの菜園があったなんて知らなかったよね。以前から無農薬だかの農家の手伝いに行ったりして下積み修業をしていたとかいう話は聞いていたけれど、ついに農地を手に入れる目処も立ったというし、やっぱりイチコは農家になるんじゃないかと睨んでいた通りになった」と何気なく言い切ってしまうと、もう一缶、と誰に言うでもなく手にしたビールのプルトップをけっきょく引き上げることになる。
 これで四缶目になるビールから目を逸らしたサキの目には、東向きの壁に大きく切り開かれたテラスから見える裏庭が映っている。ここもまた金田一族の私有地の一部なのだが、遊戯施設の裏手に余った土地を使ってかれこれもう五年目になる菜園を、昼食に連れてきた一同にまずは見せて、誰も知らなかったという皆を驚かせたイチコは、最初は確かに遊び半分だったものの、いまは本格的に無農薬、できれば有機肥料さえ使わない栽培を視野に入れて日々土に手を入れているという話をした。テラスの外は小規模ながら、確かにイチコの意気込みを裏付ける景色がある。定番のトマトやきゅうり、茄子にピーマン、それにビタミン補給に欠かせないからと言って時期になれば毎日でも食べるにがうりや茶豆、さやいんげん、個人的に好物のすいかといった夏から秋にかけてこれから勢いよく成長し色とりどりの実を付けようとしている各種野菜たちが、自前の家庭菜園というのが馬鹿馬鹿しいほど整然と区画された土地に作付けされている光景が、誰の目にも明らかな通りサキにも見えるが、彼女に促されて目を向けたケイタには、すでにじゅうぶん熟れた色とりどりの野菜を捥ぎ取ったり、引き抜いたりしている子供たちの姿が見え隠れしている。一見自然に見えた彼らの仕草が強引だと思えたのは、手の感触が覚えているからだということに彼は気付いていない。
 べつに、きゅうりやトマトが食べたいから取っているわけではない。大人たちを困らせたいとか、日々の拘束の捌け口を求めているから取っているわけでもない。人に見られたいからというのともちょっと違うし、独特の色や感触に魅了されたというわけでもない。けっきょく何も考えずにそうしているという結論に落ち着きかけるが、それを嘲笑うように彼らは周囲の雑草など見向きもせずに、狙いを定めてひたすら野菜を取ることに余念がなかった。そのうちの一人の男の子か女の子かに、このとき見られたと思ったケイタは思わず目を逸らしたが、逃げたのは彼らである。
 


 なにぼけっとしてるの、と半ば呆れて注意をするイチコに、早く逃げようと促されているような気がしたケイタは、『エスケープ・フロム・L.A.』のカート・ラッセルだったか『ゴースト・オブ・マーズ』のアイス・キューブだったかが、群れるリビングデッド(デッドリビング?)から逃げまくるもラストにいたってなお決着が付かず、さあこれからもっと困難な道を戦い抜くぞ同志、準備はいいかと銃を手にアメリカン・スピリットを銜えながら微笑みかけるシーンを思い出し、そうだ逃げることはそのつど戦うことではなかったか、思えばこの裏庭が空き地だった頃、親からむやみに入るなと言われていたゲームセンターからボーリング場を、ばれないようにすり抜けて最後に辿り着いたここが、ユウジやレイジたちとゴムボール野球をしたり、束の間拝借したボーリングの球で蛙やバッタを押し潰したりしてよく遊んだ場所だったというイチコの思い出話を、いまは誰もいないテラスを見ながら聞くともなく聞いていた。
 イチコから打ったケイタの特大ホームランはこの家の屋根にしばしばボールを引っかけ、一向に落ちてこないボールの行方を軒下で推測しながらユウジとレイジは不平を並べたものだが、あのボールたちはまだこの屋根の上に引っかかっているのだろうか。イチコはそれには答えず、自分がケイタから打ったボールはなんの後腐れもなく屋根を越えていったと言い、ユウジとレイジが不平を並べたのは、ボールが飛んでいった向かいの家にまでこっそり取りに行くのがばれたら恐いし、面倒だったからだと言う。するとケイタは、ボールがなくなったら各自自転車に乗り込んで国道を走る遊びに自然と移行したんだし、それで一番だった者以外が身銭をはたいて新しいゴムボールを買いに行ったんだから、やっぱりボールは屋根の上に引っかかっているんだという泣き言のような口調で話をしはじめたので、聞いているサキは思わず笑い、つい先ほど学校から戻ってきたイチコの息子が温め直した母特製の野菜カレーを食べながらまたやってるよという顔を二人に向けたが、そらみろ、国道のレースは勝負がかかっていたんじゃないかというイチコのつっこみに、そんなこといまさらいうまでもなく当たり前だという顔をして見せるケイタは、だからボールは屋根の上にあるんだよと、まるでいまでもそれがあるかのように天井を見ながら言い張るので、イチコの返答もそれに釣られてもうそんなものとっくに落ちていると言うことになる。
 ここでサキの携帯電話が小刻みに振動する。話を中断されたケイタとイチコにとっては雑音でしかないプリごろ太の着メロに、雀躍りする二人の男の子を制止して、姉のエツからのものであることを確認したサキは席を外そうとするが、べつにかまわないと身振りで示すイチコに甘えて座ったまま電話を受ける。なあ同志、何よ、イチコはよく戦っていると思うよ、そういうケイタは逃げてばかりいるじゃない、そうでもないけど、そうでもある? かもねえ、なんて相変わらずまた煮え切らないなあおい同志(笑)、何がさ、何がっていっそユウジやレイジと一緒に私の農作業を手伝いでもすればいいのよ、そんなこと言うイチコも相変わらず何も変わらない、なーんてことはありえないの、そうかなあ、そりゃそうよ、それでも子供の頃からこのへん一帯を買い取って自分の村にすると言っていたのは、私だと言いたいんでしょう、その名もネオ東京村、とか言ったのはケイタあなたが勝手に名付けたんじゃない、ロストの後はネオだってね、そんなことはどうでもいいの、とはいうけど何事も名付けからとか言うじゃない、ってごちゃごちゃ理由を付けてけっきょく外からことの成り行きを眺めているだけなのよケイタは、そうでもないけど、そうでもあるの、ありありなのよもう思い出にばっかり浸ってないで、いつまでも子供じゃないんだから、はっきりしなさいこのマザコン野郎、タカオさんの齢じゃあもう子供を産むの難しいんだから、あんた子供欲しかったんじゃなかったの? それは彼女のせいじゃないって、何がよ、そもそも働かざる者産むべからずなんだから、んなこと言ってほんとうはあんたのインポだか無精子症をひた隠しにしてるだけじゃないの、なにをお、こいつう、とかやってる場合じゃないがあ、あの子が泣き出しちゃったってエッちゃんが言ってるよおほらと手にした携帯の受話を、いまにもグーとパーでやり合う寸前の二人に差し向けるサキとは違う声が、確かに携帯からは聞こえてきて、いい大人が子供のいる前でなにしてるがよ、こっちまで聞こえてくるものだから、サキちゃんから預かってるこの子まで泣きだしよったよと言うので、向こうが「この子まで」ということはこちらにももれなく被害を及ぼしているのだろうかと確認してみたら、思った通り驚いた目を見開いて涙を溜めているサキの長男を、イチコの息子がみずから年長だからとぎこちなくもあやしつけるのを、ありがとうね後はもう大丈夫と言って、すでに切られた携帯を置きながらまあそういうことだからと二人に見せたサキの表情が、それでも母の険しいものではなかったのは、それがイチコの息子に向けられたおばさんのものでも、電話の向こうにいるエツに向けられた妹のものでもあったからだということを、叱られている二人は気付いているだろうか? でもなあ同志、少なくともインポはないからさ、じゃあなんとか戦えはするというわけだ。
 
   幽霊、再び三度

 スーパーに幽霊出没という書き込みを批判的に、というか時制を現在形に組み換えつつ継承したマングラー名義の、ロストパラダイスイン東京に幽霊が出没するという書き込みをもって、伴ケイタは動きだしたのだった。彼が外出している間におそらくその書き込みに応接したものだろう、それは国道を横切ろうとして無惨にも轢死の洗礼を受けまくった動物たちの呪いにちがいない、ほらあすこの息子の顔、親に菜食ばかり強いられているから緑色っぽく見えるっていうのも、けっきょくはその呪いがからんでいるんじゃないかというハンドルネーム「フォーティーン」からの書き込みがあって、それいま作っている連載の次回分に使えそうな話だなという書き込みにはなんの反応もなかったのだが、あのゲーセン久しぶりに行ったらいつの間にかネットカフェになっていたという書き込みがある。あ、俺いまそこから書き込んでるわ、じゃあ関係者? ただの客だけど、ゲーセンはかなり古い話だよね、ネットカフェの前はカラオケだったし、その前は秒殺で流行った卓球でしょう、それより前というと、確かレンタルビデオか簡易貸スタジオのどちらかが前後しているはずだし、さらにビリヤードの時代があって、ゲーセンはその前くらいじゃないかな、俺はまだその頃生まれていなかったので人から聞いた話だけれどという書き込みには若干修正が入り、貸スタジオはおそらくバンドブームの煽りであの二階に増設されたんで、それからレンタルビデオに鞍替えしたのだけれど、とにかく貸スタジオからレンタルビデオという一連の順序はちょうどその当時昭和天皇崩御しての自粛ムードのなかだったからよく覚えているという書き込みがある。そういややったな卓球、あそこの卓球世代ってかなりレアものだよ、ダーツってのもなかった? さすがにそれはない、そうかなあ、そりゃそうよ、いやビリヤードしながら遊べたって、俺の頃はビリヤードに飽きたら隣にあったスペースハリアーで撃ちまくってたという記憶はある、それを言うならストⅡだろ? 違うってその前のビリヤードブームの頃だったはず、そういえばカラオケの前だったか、UFOキャッチャーやプリクラが流行った頃にもゲーセン復活したんじゃなかったっけ? というかカラオケとシェアしていた時期がかなりあったじゃない、確かにカラオケだかゲーセンだかの頃の使い回しがいまもかなりあるよな、じゃあここでオンラインゲームやってるといきなり電源落ちるのもけっきょく設備が古いってこと? それは強力な電磁波の影響を受けている現象によるもので、だからそのあたりには近寄らない方が無難ですよ、営業妨害だろそれ、やっぱ関係者? ってかあんたこそ妙なものに影響受けてるんじゃないの? というようなまあそれなりに連続した列なりとしてたどれなくもない書き込みが、十日ほどにわたって進展するのとは別にいくつか枝分かれした話題の流れもあり、たとえばハンドルネーム「花の子リンち」いわく、あの国道はループ状に両端が繋がっていて、低速の二十五キロか二百五十キロの高速で一定して直線を走り切ると、ちょうど旧街道だった頃の時代との間にワープホールが出来るんだけど、お城の天守閣を象った巨大レプリカにボーリングのピンを埋め込んだネオン塔をおっ立てているあのボーリング場が実はループの結び目になっていて、だからあのへんは昔から、いろんな動物たちがむやみやたらと現れたり吸い込まれたりしたし、勢い誰かが巻き込まれたりなんかした日には、町に関わる思い出や予言めいたものが錯綜したり、単純な直線道路なのに事故が起きたりするものなのだという書き込みをするとすぐさま、あの国道の事故は決まって衝突か追突で、一方がぐちゃぐちゃに跡形もなくなるほどなのに、もう一方は傷一つないんだというクリスティーン名義の書き込みがくわわるが、それと同じくらいのタイミングで掲示された「オシャレさん」の書き込みは、登下校中もしくは自転車に乗りながら挑発する馬鹿な子供たちの飛び出しが車に無理なハンドルを切らせ、あげく横転、炎上とあって一つの流れを形成するかに見えた矢先、こないだ登校中の児童の塊に車で突っ込んだ馬鹿はあんたらじゃないかという書き込みに続いて、子供の一つや二つ気にするな、おいおいその手の連続児童誘拐殺人事件が起こったばかりなんだからヤバい発言で俺らを巻き込むなよ、まあそういきるな、ちょっと話が幽霊からずれているんじゃないか、というようなやり取りがあるなどしたために停滞を余儀なくされ、意外に人気の動物祟りネタや、一大勢力になりつつある学校の怪談ネタ、まだ継続しているスーパー幽霊ネタなどの流れのなかに拡散、合流し、組み換えられることになる。
 <続く>