感情レヴュー

中沢忠之、『文学+』を刊行する「凡庸の会」同人

トロメラ!

 第1部
   ウェルカム・トゥ・幽霊町

 今年で二十九になるケイタが私の母の家に転がり込んできたのは、ようやく馴染んできた暖かい気候をときおり嘘のように残りものの冷気が襲う、いまからふた月三月ばかり前の春先にさかのぼる。私たちが生まれ育った町は、まぢかに小さな群島をのぞむ内海に流れる河口を行き止まりの南端とし、その河川をほぼ垂直にぶった切る国道を北端とするはざかい約一キロ四方にあって、町の規模にしては交通量が激しい国道を少し越えたところにあるスーパーマーケットの青果担当パートタイムを、母のタカオがはじめたのがもう五年前の四十三のときだから、ケイタとの付き合いはかれこれ二年になる。
 やはり国道を渡った向こう側にある飼料工場のさらにうんと行ったところに、私たちの町を含むこのあたり一帯の子供たちが通う学校棟があるのだが、国道手前のもやし工場あたりから飼料工場とスーパーの間には、まだ水が引かれていない水田がレンゲの花群に占拠されるのをじっと耐えている風景が広がっていて、その様はちょうどその頃進学進級したばかりの子供たちに格好の遊び場を分け与えているように見えるのだった。
 しかしその半面、まだ互いに慣れない仲間たちと新しいヒエラルキー構築を模索しながらくり返す登下校下にあって、われ先にとそこに飛び込んでは駆け回る彼らのなかにいったん身を投じてみると、思いのほか息苦しくて、追いたてられるように這い出ることがしばしばあったものだが、そんな頃のケイタにも、学校が禁じていた河川への侵入を犯しながら魚釣りや蟹取りに興じたりするのとは別種の楽しさが水田にはあると感じたし、やはり禁じられていた保護者同伴なしの放課後における国道越えに関しては、北から南下するぶんには勢い河口にまで踏み込まない限りさしたる咎めだてはなかったので、スーパーの裏手に家がある自分には別段気にならないことだとはいえ、国道以南に住んでいるユウジとレイジ、それに国道沿いでボーリング場とゲームセンターを併設した遊戯施設を展開する金田一族の一人娘イチコたちなんかと、各自自慢の変速式自転車で国道二五〇号線沿いを危なっかしくもガシガシ突き抜ける、ただそれだけのことに興奮し、うち興じたりする遊びとはまた違った楽しさというか、趣きが水田にはある。
 どたばたした進学進級で皆が皆手探り状態の自分たちを快く招き入れてくれて、自分が帰るのを待っている家にただいまを言いに戻る少し前の時間だけでも、そのなかで寝っ転がり、プロレスだか柔道だかわけのわからない技をかけあったり、それに飽きればレンゲの襞を掻き分けては、あるかなしかの蜜を吸い込んだりした水田での楽しさに似た何かがタカオさんの家にはあるのだと、私の母に向かってくり返し言うケイタの口癖は、とりたてて聞きたいわけでもない私の耳にももれなく入ってきて、いまや半ばしみついている。



 やがてレンゲの花がこぼれると、一面に水がはられる水田には間を置かずカブトエビが群れをなすのを見たり手に取ったりするのが、ちょうどいまぐらいの楽しみではないかとケイタは言いながらこの家に転がり込んでくると、私のために空けていた部屋に自前の荷物一式を詰め込んでいった。この時期のまだ不安定な気候がお腹にこたえたりもするのだが、梱包されたその荷物を引き上げるのを一々手伝うタカオは、いまさらカブトエビだなんてもうこのへんじゃあいないでしょうと呆れはするものの、懐かしさの方が打ち勝っていつものことながらケイタの無邪気さに思わず知らず気をゆるしている。レンゲも咲かなくなったね。



 梱包をほどいた荷物の奥に両手を差し入れ、大事な記憶を掘り起こすように自前のノートパソコンを取り出したケイタは、みずから荷物に埋もれたまま膝の上に筺体を乗せて起動ボタンを押し、ファンの唸る音、ガリガリ爪を立てるハードディスクの音、エントリーを許可するファンファーレをうち鳴らす画面を、自分の背後から間近に覗き込んでいるタカオにアッカンベーの舌を出したら、開けたままになっていたドアの向こうに、たったいま帰宅したらしいタダユキが廊下を横切る姿が見えた。ケイタがわずかに逸らした目線に導かれるタカオの目にはしかし、すでに息子の影はない。
 タダユキはタカオの長男で私の兄、この家の庭を抜けた奥にある離れに住んでいて、自室にしている離れと玄関を行き来するときにたまたま出会う機会を除けば、母とはあまり顔を合わさない。今年も暑くなるだろう夏を越せば、秋祭りがはじまる頃には二十七になる計算だから、二年上のケイタが小学校を卒業するまでの少なくとも四年間は同じ学校に通っていたはずなのだけれど、彼はタダユキを知らなかったうえに、当時はわが河森家さえ知る由もなかった。
 それでも、こうしてこの家に居着くことになる前からしばしば食事に誘われたり、みずから足繁く遊びにきたりしていたケイタとしては、何度か顔を合わせたこともあれば、たまにタカオが買い物だとかでその場を離れたとしても、ほんのついでとか埋め合わせとかいうようなこともなく、ただ普通に、とはいってもそれなりの気を遣いながらいかにも同世代がしそうな話をしたし、屈託のない笑いを交わせる二人だという思いがあった。それでケイタは立ち上がりかけたのだが、浮いた肩を押し戻してタカオはそれを制する姿勢をとる。壁紙にはレンゲの花群。五分待てば、群れをなして一斉に動き回るカブトエビスクリーンセーバーを確認し、これで一通りの準備が済んだ。



 まだ当時は私たち一家との対面を果たさないまま、中学進学と同時にスーパー裏手の家から引越しすることになったケイタは、のちに大学を東京に選んだ。越した先は、遊び慣れた国道をいくら走っても到底とどかないところにあり、関東域から外れるとはいえ、大学といえば東京に出るのが相場と決まった一地方だったからだ。
 引越しの理由は、例の真向かいにあるスーパーの青果マネジャーを担当していた父の配属替えによる転勤ということになるが、もともと父も母も越した先の近くに実家があることもあって、そろそろ年老いはじめた隠居の面倒を見るのにも好都合と二人納得したところまでは、一切相談されなかった息子にとっても当たり障りなく過ぎた日々なのだけれど、それから数年後、ケイタの大学在学中に母よりうんと若くて美人の中国女と親しくなった父のケイスケは、不況やら人員刷新やらでちょうど中途退社を募っていたスーパーを退社、手にした退職金のけっこうな割合を妻に分けると、中国女と二人して親族一同が待ちかまえる彼女の故郷、上海へと旅立っていった。
 行く前に父の求めからメルアドを交換、ケイタからはけっきょく何も送らずじまいだったところ、一年ほど経ったある日ケイスケから、確かシャオなんとかと呼んでいた新しい息子を大事そうに抱える例の中国女と写った三人のおそらくベストショットと、まだ表情をうまく作れずに視線を遊ばせる息子を大写ししたショットの計二枚、貼り付けられたメールがケイタ宛てに送信されてきた。文面には、日本に残した元妻子のことには一切触れず、読もうと思えば読めないこともない漢字の羅列とともに、これは確かに日本語で第二の人生がどうのこうのというようなことが記されているだけで、父親としての身勝手さを留保すれば、まあわからないではないと思えたケイタの年はすでに二十をとっくに越え、このとき父は五十を目前に控える年頃だった。



 あの中国女とはいくつくらい齢が離れていたのかは知らされていないケイタだったが、父とは五年下の母が、今年四十八のタカオよりほんの一年しか年長でしかないということを彼が最初に意識したのは、彼女の寝顔を見たときである。
 ここが生まれた土地だとはいえ、久しぶりに単身で居着いてからまだ日も浅くお金がないケイタに、息子のおさがりだけれど気にならなければと言ってしばしば着るものを与えたり、コンビニ弁当や外食で済ませるのが気の毒だからと、バイトの帰り際におりにふれ食事に誘うタカオが、その何度目かの招待のときだったか、野菜を切ったりくるんだりする作業中と変わらないテンションでまあよく喋った後、テレビをぼんやり眺めながらきれぎれに続く彼女の話にも頷いたりして、いつもならこのへんでそろそろ帰りますと立ち上がりかけたときに目に入った彼女の寝顔は、ケイタにこれはまぎれもなく女であるという指示と、それでもやはりこれはあなたの母と同じくらいのおばさんにほかならないという指示を同時に与えたのだった。
 それまでは彼女のことを普通のおばさんというか、もちろんそのなかでもとりわけ気心の知れたおばさんという感じで接していたし、むしろそういうことをいちいち気にもとめないケイタだった。だからその枠を越え出た対象としてタカオをとらえて初めて自分の母のことが思い浮かび、戸惑い怯みもしたわけで、当然マザコンでもなければ、もともと年上に、それもかなりの熟女になんらかの関心が向かう性質でもなく、まして口にするのも馬鹿馬鹿しいのだが近親相姦とかそういった趣味のかけらもないというのが、ケイタの思うところではあるけれど、それも最初の数日頭を駆けめぐったあれやこれやで、いまさらその手の考えに踊らされるようなことはない。
 何より母のフミとの仲は良い方だと思っている。それは父との一件で強固なものになったというものではなく、幼い頃から自然と身に付いていたもので、反抗期に概ね平均的な青少年として死ねだの近寄るなだのという罵声を理由もなくぶつけた以外は、たとえば盆暮れの長期休暇で帰省するようなときは決まって一緒に買い物から料理まで付き合い、食事の後もだらだらと話をし、テレビに向かって文句を言い合い、どちらかが眠くなるまで二人にしてはやや広い居間を共有したものだった。いまでも帰ればそうするケイタだが、母がこちらに来るというケースはないだろうことを彼は知っている。たまには来ればと誘えば、仕事が忙しいと言う母はもともとこの土地の者ではないし、このへんの風景をすすんで話したことがない彼女にとってはむしろ、当時から必ずしも居心地がいいとは言えない町だったのかもしれない。
 ここから引っ越してからは一度も住み家を変えていない母の楽しみはもっぱら語学で、定番の英語や独仏語を周期的に齧り回すのがいまや日課となっており、松井やイチローが大リーグで活躍しているという話題が世間をにぎわすたびにとりわけ英語に力が入っていたようだし、中田がセリエAに行けば、最近NHKのイタリア語会話を聞いているという話をし、日韓共催のワールドカップがあって話題の渦中にあるベッカムがレアルに招聘された頃には、スペイン語の話をケイタに熱心にしたものだが、べつに選手個人が好きだというわけではなく、ただ語学に打ち込むとっかかりが彼らだったのだというようなことを母は言った。どれもものになったためしはないが、ただ韓国語は、仕事中に乗せた日本語を解さない韓国人とのやり取りが楽しくて、韓流がどうのこうのと世間を騒がせるずいぶん前から齧りはじめて以来、こうしていまでも継続しているのはそのお客さんのおかげだ、あのときほどタクシーに乗っていてよかったと思うことはないと少し大袈裟に話しているように見える母は、息子が大学在学中の第二外国語だった中国語(普通話)には見向きもしない。だからというわけでは必ずしもないけれど、ケイタは母に自分から父のことを話すことをこれまでしなかったし、例の写真付きメールが送られてきたときも黙っていたので、長い間それはハードディスクのなかに放置されていたままだったのである。



 何か考えがあってのことか、もとより何も考えてなどいなかったのか、ことによればもう五年以上も前に送られてきたそのメールと貼付された写真を、交互にフォルダから画面上に映し出して、ケイタはタカオに見せたのだが、彼女は彼を知っていると言う。「そう、何度か見たことある」。
 確かにここは小さな町だし、町に住んでいれば誰もが最低週二、三日のペースで利用するだろうスーパーの店員だった父のことなのだからそれほど驚かなかったし、いまさら父のことにこだわる年頃でも立場でもなかったので、その程度の関心に後押しされて口に出た「どこ?」という問いは、タカオに投げかけられたものというよりも口元にとどまり、どちらかといえば画面上の父に向けられたものなのだとタカオには感じられたのかもしれない。
 そういうタカオにとも自分にともつかない疑念に駆られている自分に気付いたケイタは、だからといって父の行方に思いを馳せるわけでもやはりなくて、ただタカオが見た父のそばには、幼い頃のケイタがいはしなかったかと、いまの自分と重なる記憶はないものかと、彼女の脳裏をその皺の襞にいたるまでまさぐりたいと思った。
 被写体の輪郭をなぞるポインタの軌道は、ケイタが握るマウスに隔てられながら繋がっていて、その距離はいま置かれた父と自分との距離だとも、タカオの記憶に残る当時の自分との距離だとも思いながら、被写体への攻撃のつもりなのか何かの合図なのか、カチカチ鳴らすマウスのクリックに促されるように、右のこめかみあたりに出来た疼きを押さえながら「スーパーには子供たちを連れてよく行った」とタカオは言った。
「ちょうどうちのタダユキとか伴くんたちが生まれた頃にスーパーが出来たでしょう、それまではあのへんずっと野っ原で何もなかった」。即座にうなずけたケイタもとうぜん両親からそんなようなことを伝え聞いていたし、東京から出戻って間もない頃は違和感のあった、スーパーという一般的な呼称を最寄りのあの店に限って用いるような、この町のいつからか定着していた慣習にもいまはずいぶんと慣れ親しんでいる。「スーパーの開店メンバーとして呼ばれたのがうちの父だからね」。
「当時はお酒の匂いを撒き散らしながら品出ししているような、いまなら考えられない店員なんかがけっこういたもので」と笑いだすタカオは、父を見たとしたら可能性があるのはやはり店内なのだろうという憶測をたてる。このときケイタは、「伴くんのお父さんがその酔っ払いじゃなかったことを祈るけれど」と言うタカオの話をよそに、スーパーには店内から厨房まで毎日のように遊びに通った時期があるし、母の買い物にもよく付き合ったものだと、それを裏付ける光景を思い描いていたが、先程からのいかにも愉快そうな口調をとどめながら「幽霊を見たのよ」と言ったタカオの言葉に思わず引き戻されたというか、これまでにない断定した口ぶりと、にわかには信じがたい話の内容とのギャップにまずは驚き、笑うほかなかった。
「幽霊?」「そう幽霊」「幽霊かあ」「幽霊なの」「幽霊と言われても」「見たのよ幽霊を」「どこに?」「スーパーに」「いるの?」「いるんじゃなくていたの、スーパーに」「幽霊が?」「そう幽霊が」「いた?」「いた」「じゃあタカオさんもそこにいたんだ?」と聞いたときにはもうケイタは笑い崩れていて、答え甲斐のない問いの行き場を与えないタカオも半ば呆れながら、お腹を抱えて笑っているのは、それはそれで二人合点したということなのだろう。
 


 当時のスーパーには、確かに幽霊騒ぎがあった。ケイタは覚えていなかったが、国道以南のこの町を含めて近在の人々の間では一時もちきりの話題となっている。それを知るきっかけになったのは、彼にとっていまでは欠かせない情報源の一つに数えられるウェブ上のサイト閲覧を通してであり、なかでも一つのサイトがケイタの注意を引いた。
 河口から国道二五〇号線一帯をローカルテーマにしたコミュニティサイトがウェブ上にあるということは、イチコたちからそれとなく聞き知っていたことだけれど、テーマが身近すぎるゆえにさして関心が沸かなかったのをこの際あらためて検索エンジンから調べ上げたケイタは、「市川二五〇」というこのサイトを一ローカルコミュニティにくわえた大規模コミュニティサービスへのエントリー資格をみずから取得、「カブトエビ」のハンドルネームを駆使し、「市川二五〇」参加者への聞き取り調査をした結果、確かに幽霊がいた、というか、いるのを見た人たちがいたということを知ったのだった。とりあえずタカオの証言は冗談ではなかったのであり、彼女みずからそれを目撃していたということになる。
 それはもやし工場の脇道を入ったところにある神社、通称お宮さん、の祟りだという説が最初に持ち上がると、話題の後続は際限がなかった。たとえば洗濯工場のプレス機に体ごと飲み込まれ、裁断、圧縮、引き伸ばしにされたあげくミンチにされて出てきた店員の行き場のない魂だとか、河口を国道側に出たすぐのところにある蓮池のそばに糞壺があるでしょう、当時あそこに溺れ死んだまま長いこと気付かれずにいた変死体の怨霊だとか、いまは町の西端に設けられている墓地は昔はスーパーが建っていたところにあって、移設時に掘り起こし切れなかった町の先祖が漂っているんだとか、奴らそんな不特定多数のものじゃなく、何度も幼い影が目撃されていたという話だから、当時スーパーの屋上駐車場から転落死した子供の霊にちがいないとか、頻繁に国道上を撥ねられる犬猫の何かじゃないかとか、ケイタが振ったスーパー幽霊ネタは、以前スーパーに幽霊出没の噂があったよねといくぶん強気の語気を含んで投げた問いかけだったせいか、心配したわりには参加者のかなり多くの関心と記憶をもれなく喚起し、確か子供は転落死したのではなくスーパー脇の溝に落下、溺れ死んだのだという説が現れたり、ミンチにされて見つかったのはこの町を屯する犬猫であって、それがお宮さんの祟りじゃなかったかというような、変種の説なり併せ技も現れたりして活気を呈することになる。
 そういえば、お宮さんの祟りや因縁は当時からしばしば話題になったのを耳にしたことがあるし、洗濯工場というと町の東側を抜ける急な坂道にさしかかるところに確かにあるけれども、この話はずいぶん前に見たB級ホラー映画に似ているあたりが疑わしく、ただし引き上げられる糞壺の変死体は人だかりを掻き分けて覗いた覚えがあった。それに墓地の話も聞いたことがあるし、撥ねられた犬や猫の無理に折れ曲がった手足や飛び散った内臓は、自転車をこぎながら駆け抜けた二五〇号線の光景とともに鮮明に思い描くことができたケイタだったが、どうやら自分の頭は話題の核心であるべき幽霊より幽霊ネタの方に反応するらしいことに呆れ、しかし省みたウェブ上の参加者たちもけっきょく似たり寄ったりで、あれはガセだのネタだの、スーパー側の呼び込みネタだというのもあれば、スーパー開店反対派の演出だというのもあり、「問題は幽霊より酔っ払い店員」発言あたりはまだましな方だと思えるほど次から次へと書き込まれる様はまさに幽霊の融通無碍な感じさながらで、変質者、ホームレス、ひきこもり、フリーター、ニート、宇宙人説、それに電磁波の影響を唱える「科学集団」、リビングデッド対レザーフェイス、はたまた自己申告する者が出てきたり、そもそもそんなこと聞いたことがないとかいう否定派逸脱派無関心派祭り派を巻き込みながら、しだいに沈静化をむかえ、ちょうど一段落着いたところだった。
 カブトエビとは懐かしいな、カブトエビさん、という明らかに自分宛てのタイトルが付いた投稿コメントがケイタの目を引く。そんな昔のことよりかさ、現在進行形の幽霊の話をしようよ、神出鬼没、目下ロストパラダイスイン東京に出没中の幽霊の話、と本文にはあって、ハンドルネームは洗濯工場の話題を振った「マングラー」だった。他にマングラー名義では、差別された在日の恨みがどうのこうのというけっきょく後に続かなかった話題の提供があり、リビングデッドよりもレザーフェイス寄りの発言が記されたコメントがいくつか散見される。オカルト系はホラーとしてゆるしがたいが、『エクソシスト3』だけは認めるとも。怪物くんさん、これは『羊たちの沈黙』など目じゃないですよ。
 適当に映画のタイトルを寄せ集めて出来たようなロストパラダイスイン東京は、ケイタにガセネタか否かを考える余地を与えることはない。それは国道沿いのわりあい広いスペースを陣取った、金田一族が経営する遊戯施設の店名だったからだ。国道を走れば必ず見える、ウェルカム・トゥ・ロストパラダイスイン東京。
 その真向かいにはホルモン屋、信号がある四つ角を挟んでレイジの家のサッポロラーメン店。下校する子供たちの流れからケイタはスーパー裏手で早くも離脱することになるが、学校の登下校時のみに許された国道の横断は、レンゲ草からカブトエビ、稲の成長を見とどけながら子供たちの足を束の間休め、ラーメン店を切り盛りするレイジのおばさんからセルフサービスの冷えた水を何杯も分けてもらったあの頃のことを思い出させる。ヘドロの異臭を漂わせるもやし工場まで、あともう少しだ。

   ゴーストバスターズ

「ケーちゃんなに言うてるがあ、イチコんところに幽霊が出るなんて聞いたことない、ねえサキちゃん」。エツに求められた頷きを返すサキ。
 地元の電力系の会社に勤務する夫と、この春小学校に入ったばかりの息子をちょうど送り出したエツを訪ねたケイタだったが、そこにはケイタと同級のエツより五年下の妹サキが、長男を保育園に送り出した帰りなのだろう、今年の正月元日にそれはめでたいと言われながら運送業の夫ともうけたばかりの女の子一人を連れて先に上がりこんでいたところらしく、ロストパラダイスイン東京に出没するという幽霊の件を聞き出すには都合がよかった。
 あともう一人いればパーフェクトなんだけれど、とこのときケイタが思ったのには理由があって、この二人の姉妹の間にはもう一人女の子がいるからなのだが、ナオというエツより二年下、サキより三年上の彼女はいま東京の方で研究職に就いている。
 思えば、その頃はまだ東京にいたケイタのもとに、とつぜんそちらに行くとナオから連絡が入ったときは正直驚いたものだが、ほどなく本当に上京してきた彼女とはそれ以来、一方的にどちらから連絡するともなく、しばしば会って食事をし、飲みながら話をした。まるで自分のことのようにナオの口から、エツとサキが子供たちをぞくぞくともうける話をおりにふれ聞くことができたケイタは、自分が小学生だった頃を思い出し、学校から家まで帰宅するときにたびたび歩き足りない気持ちに駆られると、国道を越えたさらにむこう、河口近くの蓮池に囲まれている水道会社の二階に建て増しされた社宅まで帰るエツとナオとサキと一緒に、ただしサキとは一年間だけだったけれど、男一人僕が守るという顔をして帰った通学路が懐かしくなり、エツやサキの子供たちはどこにあのレンゲやカブトエビを見出すのだろうと思った。
 まだ生まれて月日が浅い女の子は腹這いになって母のそばに寄り添い、ケイタの顔をもの珍しそうに見つめるその顔は、母のサキにも、伯母に当たるナオにも似ているように見える。姉妹のわりにはナオとサキはあんがい似ていないのにとか思いながら、小さな女の子とじっと睨めっこをするような格好になり、こうなればもう通学路の気分から一向に抜け出せなくなるケイタに、エツはすでに小学校に通う子供がいる馴れた手つきでお茶を入れ、茶菓子を出す。あの頃一緒に家まで帰ったついでにお呼ばれになった三姉妹の家の母、ケイタにとっては大口のタエおばさんが出すお茶と同じお茶の香り、茶菓子も同じで、すでにケイタの好物となっているボンタンアメに、かるかんといこもちの一口で頬張れるくらいに切ったのをいまはエツが出してくれるのだ。口の中に入れたらすぐに溶けてしまう薄いオブラートに包まれた、おばさんの頃と変わらないアメの味を味わって、お茶で喉越しを洗いケイタは、まずは自然にナオの話から切り出した。三年ほど前にこの地へ戻ってきてからのケイタは、いまではエツとサキからナオの話を聞くようになっている。
 彼女たちによると、ナオは最近、フリーターだとかいう男の子と付き合っているらしく、その彼は大学の非常勤講師(時給五千五百円)をしながらスーパーのアルバイト(時給八百五十円)をやっていて、スーパーだけはケーちゃんと同じだね(笑)とか、どっちも似たようなものだと思うけど、そんなことより東京にいた頃のケーちゃんはナオのことをどう思っていたのか、いまはどうなのかとか、いつものことながらケイタがその問いを軽くいなせば、潔く忘れたようにフリーターの彼は鶏肉が好物で嫌いなナオちゃんが気の毒だとか、ディズニーランドを馬鹿にする口でだから誘っても一緒に行ってくれないとか、まるで自分のことのように話すエツとサキの身振りを交えた話し様が、東京の頃に会っていたナオと何度も重なってしまうのはどういうわけか? A型のサキと、自分はO的なAだと主張するエツと、ABのナオとはどれもこれも違うのに、幼い頃から仲違いしたり助け合ったりしてきた三人を束にして、彼女らに対抗すべくタエおばさんと二人B型同盟を結成し、言い争った酒宴の席を思い出す。



 あの酒宴はケイタがちょうどこの土地に戻ってきて間もなくのことで、いまはすでに大口家が引き払った水道会社の社宅のうちの一部屋に、エツの紹介もあって間借りがかない、少し落ち着いた頃だった。タエ率いる大口家はこの社宅の次に、お宮さんの近くにある一軒家に移り住んでいたのだが、それもけっきょく、一年ほど前に九州の実家に戻ったタエが譲り渡したために、いまはタカヤと一緒になって佐藤姓になったサキの一家のものになっている。そのお宮さん近くの家を舞台に、ケイタが再びこの地に居着きはじめた三年ほど前の初夏、一週間ほど休暇を取って東京から帰ってきたナオを囲んで母のタエ、エツ一家、サキ一家全員が集まったところ、ケイタもお呼ばれになったわけだ。
 酒宴は、三姉妹がまだ十代だった頃に死んだ父の、ケイタも知っている頃の遺影に、エツの夫シンイチが大口家の実家から取り寄せた芋焼酎を振る舞うところからはじまり、ようやく市場に出回りだしたと言ってこれもまた実家から送ってもらったキビナゴの、油でさっと揚げたもの、たっぷりのにらとおからが入った味噌汁に入れたもの、ケイタも見よう見まねで捌いたもの、それに手を黒く汚しながら薄皮を剥いだつわぶきの、牛肉と甘辛く炒めたものなどを、久しぶりだと言いながら食べるナオの話し様は、小学校に上がる前にはすでに離れた父と母の故郷の訛りを、片言ながら知らぬ間に母から盗み取った調子にのせて、すし飯をのせた手巻き海苔を左手に、次はどんなネタをのせようかと口ずさむたびに細めるその目は母のものでも、父のものでもある。
 自分より一年上の妻との結婚式で振る舞われた酒を全部飲み干したというシンイチと、最近酒が入ると記憶をなくしがちだと言い訳をしながらもケイタの飲酒ペースはひときわ速く、ようやく立ちはじめたばかりの息子をあやし寝かしつけたタカヤとサキも今夜は泊まるからと、ぼちぼち彼らの注いでは飲む輪にくわわりはじめる。エッちゃんもやろうよと言ってはみたが、歩けば帰れる河口ぎわに家があるエツは、それでも長男が明日早いからとケイタの誘いも断って一人炭酸水を飲んでいる他は、いつになく興奮気味のエツの長男のちょっかいをいなしながら一通り片付けを済ませたナオとタエをも交え、片付けながらざっと拵えた小皿のものを口にしたり、各々の飲み方で焼酎やビールを飲んだりして、思い思いの話の断片が行き交う時刻だった。
 群島出身のシンイチが、このへんの河口ではハゼやサヨリ、いくら大きくてもボラ程度の魚しか釣れないと一々こぼすから、あんな内海の島よりも九州の実家の方がよっぽど大きいのが取れるがよと、母に同意を求めるナオはまるで九州の人だと思い笑うケイタはケイタで力説して言うには、ハゼであれ一日百匹も釣ればバケツに入り切らなくなるものなのだと、いまはすっかり竿を持たなくなったのに、ハゼを釣れば母に揚げてもらうなりよく食べた子供の頃の体験を交えながら話し、眠った子供を気遣うために奥の台所で一人タバコに火を付けているタカヤに同意を求めたのは、彼の実家は河口のちょうど対岸にあって子供の頃にはきっと同じ魚を釣り、蟹を取っていたはずだと決め付けているからなのだろうと自嘲気味に語尾を濁らせるケイタだったが、同意を求められたタカヤは笑みを含んだいつもの調子でただ頷いているらしいのがタバコの火の動きでわかる。
 ケイタより二年下の彼とは、サキの夫だと紹介されてからまだ時間が経っていないので自分なりに様子見をしていたところなのだけれど、タバコの火の明滅するその奥を見ながら、標準的な背格好の自分や細身のエツに似合いのシンイチに比べたら、この地域の商店に荷物を運んで回る彼のがっしりして小柄な妻の何倍もあるんじゃないかという体のわりに言葉数が少ないから、タカさんは掴みづらいなと一言ぼやいたら、掴みづらいのはケーちゃんだがと声をそろえてエツとナオから即座に返された。年の差ゆえ昔からケイタには、姉たちのようにいまいち明け透けになれないサキからすれば、タカさんはわかりやすいし、仲間内ではむしろリーダー格なんだとも。
 それならばということで、彼女たちにとっては掴みづらいB型を掻き集めてみせるということになり、まずはエツの息子がBだと差し出されたが、あえなく戦力外通告で、わけもわからず悔しがる男の子の騒ぎ様を「あと十年な」と適当にいなしながら、自分もB型だがと自己申告するタエおばさんとの共闘がここで演じられたのだとケイタは思い出す。それならばしかし、何故掴みづらいのがB型になり、B型で同盟が結ばれたのかは思い出せる気配がない。
 エツとサキはB型同盟の存在すら否定的というか忘れていたのだけれど、ケーちゃんが掴みづらいのはその通りだとエツが言い、サキはサキでさあどうだかという顔をしながら姉の口舌に合わせている。相変わらずだと思ったが、それにしてもエツが言う「その通り」が、あのとき確かに自分たちはケイタに「掴みづらい」と言ったことがあるということなのか、そもそもケイタの性格は掴みづらいということなのかわからないので聞こうとしたのだけれど、その程度の違いが意味するところなどどこにもないと思いもし、そういえば、かつて父のことを、この人はB型だから駄目なんだと母がこぼすたびに、あなたも同じ血液型じゃないかと可笑しくなったことがいまさらながら思い出され、そんな母には見せないでいる父の写真を目にするなり彼を見たことがあると言ったタカオの言葉に促された「どこ?」という問いがあらためて浮かんだりしているうちに、ふとナオがここにいないことに気付くと、シンイチのシャツを出窓から干しているエツと、生まれて一年にも満たない女の子を見守りながら年長の客にお茶のお代わりを注ぐサキが重なって見えた自分が馬鹿らしくなり、開きかけた口を閉じる。掴みづらいのはB型ではないし、ケイタの性格なのでもなく、ケイタそのものなのだとすれば? しかしそんな忠告にも聞く耳を持たない彼は、飲み干すたびに注がれるものを飲みながら、さっきからやむことなく繰り広げられている話に夢中のようだ。



「へえタカオさんもそこで働いていたことがあるんだ」。私の母が、かつて大口のエツとナオとサキが寝起きをくり返し、母の家に転がり込むまでのケイタもまた一時生活を営んでいた社宅の一階にある神九水道の従業員だったという話は、終わりそうもない酒宴にエツだかナオがこの夜なん度目かの話の火種をくべたところから、わずかに飛び火した結果もたらされたものである。
 最初は、ケーちゃんもお父さんに似てきたね、オリジナルはもっと男前だったけど(笑)、っていうか親父はまだ過去形じゃないし(笑)という話になり、けれどケーちゃんもそんなに悪くないと、ちょうど次女がトイレに行った隙にお酒を注いでやりながら、ナオちゃんのことどう思うけえというような話になる。肝心のケイタが答えないから、再びケイタが父に似てきたという話に転じると、それが最近お父さんのところで働きはじめたという話になり、といっても正社員がアルバイトになって帰ってきました(笑)という話になるなどして、適当に笑い頷きながらも、どこか居心地の悪さを感じるケイタは、話題を変えるべく、確かにこのときタカオのことをこんなふうに説明したと思うんだが、つまり仕事の指示を受ける必要から話しかけるたびに、何かを聞き取ろうと左耳を傾ける、右耳が欠けたおばさんがバイト先にいるという話を振ると、三姉妹の母からそれはきっと河森さんだろうという返答があり、トイレついでにラフな格好に着替えたナオが戻ってきたところでしばらくその話題に火が付いた。



 お互い神九の同僚だったから公私交えた交流も自然と芽生えたもので、こと神九では、私たちが九州からこの土地に居着く前から働いていたということもあり、卓上の事務から現場の采配まで一々気持ちよく教えてくれたのが河森夫妻だったのだと、自分の子供たちに覚えているかと問うているような顔をしながらタエは話をする。まだ幼かった長男のタダユキを連れてたまに一階の事務所に来たので、彼より二年上のエツも同級のナオも一緒に遊んだり買い物に行ったりした記憶はあるのだが、その当時は習い事が忙しいとかで親しくなる前に来なくなったし、もっぱら現場専門を自負して歩き回っていた夫が死んで、タカオみずからも神九をやめると、たまに町内やスーパーで会う他は、馴染みの付き合いもそれ切りになった。詳しい話は知らないけれど、彼女の夫が死んだのは国道を運転中のことで、運悪く飲酒運転の車と衝突、水田に横転した結果だという話をタエから聞いたケイタは、そのときの事故は乗車中の家族も巻き込んで、タカオも重い傷を負ったという事情を知ったのだが、当時はそんなものかと彼女の古傷に思い入れをすることもなかった。



 何か理不尽な方向からくわえられた力によって抉り取られたような傷跡をとどめる右耳、というかそれがかつてあったとこらへんから顎にかけてひきつったような火傷の跡が走るタカオには、さらに右脇腹の一部と、おそらく腹部をかばったのだろう右腕の多くの部位が、そこにあるべきではないひきつりや爛れで占められているという、このとき酔った勢いから口にされ聞いた話の光景は、ケイタ自身のちにまぢかに目にし、触れることになった。



 一緒に夕食をとった後にでも、疲れたタカオが居眠りしているところにそっと近付き、加齢ゆえに弛緩しかけた皮膚と脂肪がつくる緩やかな皺の曲線が傷跡を縦横に走る様を目にすると、今度は体ごと覆い被さって無造作に指を入れ、なぞったりまさぐったりしてみるのだが、何も思い浮かばなければ、どれが皺でどれが傷のものなのかわからないうちに目が覚め、皺傷をもてあそんでいたことにではなく、起こされたことに不快がり、不平を言うタカオが好きで、そのくせ彼女は、朝遅くまで寝ているケイタを起こしにくる段になると、前夜ケイタが皺や傷に触れたことの不平を台詞に乗せて、息子と齢が変わらない彼を起こすのだ。
 そんなこんなでタカオの体をはじめて見たときは、おばさんから前もって聞き知っていたから驚くことはなかったし、そもそも見ないうちから想像をたくましくすると何かとんでもない方向にイメージが走り出してしまうものだけれど、じっさいに目にしてみるとたいしたものではなかった。



 タカオとの付き合いは、ナオに電話を通して少し相談した以外は、エツやサキにさえ話さずにいたケイタなのだが、すでにタカオの家に居着いている以上早晩知られることになるので、この際だからと話してみると、もう何ヶ月も前に押しかけたくせに、いまさら知らないはずないがとエツに言われ、エツのなんでもお見通しの笑いをサキも笑い、この土地における彼女たちのアンテナの鋭さと広範さに舌を巻くよりもただ悠長な自分の不甲斐なさに呆れたケイタは、不意を撃たれたせいからタカオの傷を見たことを思わず口走り、そういう話は河森さんに失礼だとたしなめるエツの穏やかに叱責する言葉もまたもっともすぎてわれながらどうかと思い、もういい加減口を閉じようとしかけたときに、「なんだか幽霊みたいね」と、むずかる女の子を抱き寄せながら言ったサキの言葉に、一時わけがわからず呆気にとられたケイタだったが、そういえばここには幽霊話を話し聞きにきたのだったと、サキのおかげでケイタはエツの家を訪れた直接の理由に気付くことになる。
 しかし自分が幽霊みたいだと言われるのは心外というか意外なので、何故僕が幽霊なのかと問うてみたら、今度はサキが呆気にとられる番だったが、ことの次第を察したらしく笑いながらサキは、自分より五年上のケイタに対し、いまあやしている女の子にする顔の面影を残したままスライドさせて安心しろとでも、お見通しだとでもいうのか、私が言った幽霊はケーちゃんのことじゃないと、そう言ったかと思うと、語尾に付け足した「よね」はすでに女の子の顔に向けられたものであり、親子二人して笑っている。
 朝の洗濯物を一通り干し切ったところらしく、ケイタと同じ型のダイナブックを卓上に置いてメールのチェックをしているエツは、画面に目を遣りながらケーちゃんだって幽霊みたいなものだと言い、そのことと関係がある話なのか、小説を書きたいというのもわかるけれど、ほどほどにしてもう少し地に足をつけてみたらどうかと色々な意味に取れるような説教を口にしているのだが、マウスを握る手はそれとは無関係に動いていて、検索サイトに繋がれた画面上は幽霊のイメージ検索に没頭している。釣られて画面を見るケイタに、「ケーちゃんは夢を追いかけているんだよね」と、今度こそ当人の方を見て言い切るサキは「ビューティフルドリーマーだがね」と一つ上の姉の口調を真似ておどけてみせた。それを言うならナイトメアの方だとケイタは思ったが、そう口にする前に、「追う立場も考えものだけれど」とエツがサキを受けて話しだし、「むしろ何かに追われているみたいだって、あの頃国道をずっと走ってたケーちゃんのことをナオが頻りに言っていた」と、やはりここにはいない妹の言葉を伝える。
 追うとか追われるとか彼女たちに色々言われているうちに、ケイタはあの行き着く先のない道路を突っ走り、何ものかに追われ続けたすえ、落ちる夕日にむかえられてエンディングにいたる『激突!』のストーカーまがいのカーチェイスを思い出し、そのカメラが低い位置から映し出す不気味なタイヤの回転と同じように回転するチェーンソーを両手にひたすら追いかけたあげく、朝日をむかえてタイムリミットにいたる『悪魔のいけにえ』を思い出したのだが、のちにホラーを共同制作することになる二人の監督が同じ頃作ったこの二本の映画はといえば、見終わった後の疲労感はもう想像を絶するものだというのに、ほんの半日だか一日に満たない出来事を追いかけただけのものなのだということにいまさらながら思い当たり、呆れてしばらくものが言えなかったところ、とうぜん姉妹にとっては不可解きわまりないこの沈黙をフォローしたのはサキの台詞で、それはエツの話を受けての「ケーちゃんがイチコちゃんたちと自転車を乗り回していたときのことでしょう?」というものだった。
 サキの口ぶりは、黙っているケイタに痺れを切らして発せられた場繋ぎのものというよりも、単純にエツの話題に関心があることを感じさせたので、姉妹の固い結び付きをあらためて確認するようにエツは一つ頷いてから、「サキも覚えてるけえ、ケーちゃんがこの町を離れてだいぶん経ってからのことなのだけれど」とここで一息入れると、母に抱かれたまま眠たそうにしている女の子に向かい話しかけでもするように、ケイタの方を顎で軽く示しながら「この人がしでかした悪さをいちいちリストアップしていたのよナオと一緒に」となんら悪びれもせず言う姉に、「そのときのことは私もいたし、覚えている」と妹は言う。
 ということは、二人の姉が後々話し合っているケイタのことは確かに記憶にあるサキだけれど、ケイタが実際に国道を走っている光景はすでに覚えていないのか、そもそも見たことがないのだろうと思ったケイタを、一目見て同じことを考えているにちがいないと思ったエツは、例のなんでもお見通しの笑みを返しながら、何も知らない妹にあらためて吹き込むべくケイタの悪さのなかから選りすぐりのを一つずつ鑑定でもするように、町じゅうの咲いた花をむしゃむしゃ毟ったり、カブトエビが何百匹も入ったバケツをぐちゃぐちゃに掻き混ぜたり、捕まえたアマガエルの群れをまきびしとか言って車が走る国道にばら撒いたり(後略)したことを、ケイタにしてみればどこからばれたものか、というよりそんなことまでしたのかわれながら情けないというか疑問に思うことまで話し切ってしまうと、あらためて国道の話に戻り、「それで国道の話のときに、ナオがケーちゃん追われてるみたいだったと言うから」とここで少し間を置くエツに、間髪を入れず「これは是非ブラックリストからはずさなければならないと?」と言うケイタの冗談は報われることなく、「私はてっきり誰かを追いかけていると思っていたというか、ナオの話を聞きながらむしろ追いかけていたんじゃなかったかと、記憶をこう掻き分けてみたりしたんだけど」、一向に埒が明かないから、ケイタは追いかけていた方ではないかというようなことをナオに言ったのだとエツは言う。「それでどうなったの?」と問うケイタには、サキが一言、「エッちゃんとナオねえの、もう大戦争よ」。
 そこから先は話す気がないエツとは逆に、勢いがついたサキは「二人してあることないこと色々言い争っていたようだけれど、とつぜんエッちゃんがホラーの見すぎだって怒鳴るから、ナオねえホラーとか恐いの苦手なのに」と言い、どちらかといえばナオ寄りの発言だったからかこのとき遠慮がちにエツの方に向けた目にはしかし嫌味なところはなく、むしろ記憶を共有する者だけが交わせる相槌だと感じたエツは、あの頃はどうかしていた的な笑いを妹に向ける。
 さっきからむずかりだしていた女の子が、ここにきてくしゃみを続けざまに放って母の気を引こうとするので、サキはしっかりと抱き寄せながら「そうすると今度はナオねえが、追っかけてる方が気持ちが悪い、幽霊か何かにとり憑かれているみたいだとか言うの。だからエッちゃんの方がホラーだって」といっきに話し、娘に相槌を求める。しかし毎日が求めることに精一杯で、求められることに不慣れな幼い女の子ゆえ、少し無理に顔を引き寄せて再度「ねえ」と語りかけてから、あらためて二人の顔を見比べる顔が笑いをこぼしたみたいに見えたので虫でも飛んでいるのかと思ったのだが、そうではなく、むしろサキの目は、いま目の前にいるケイタよりも二人の姉があれこれ話していた頃の彼を思い描こうとしていて、あの頃のケイタの顔といえばはっきり思い出せるほどの記憶がない自分なのに、姉二人がおりにふれ口にする彼の話が積み重なり、まるでケイタと長く時をともにしてきたように感じる自分のこの記憶にまつわる何ものかにぞっとし、いまもまたこうして二人がここにいない人について延々と話していることの方がよっぽど幽霊じみているじゃないかと、言い争いをじっと聞いていたサキは二人に話し、その結果、一時休戦を結ばせることに成功した手柄を、二人というか娘を入れて三人に話して聞かせる。すると「ケーちゃんはどこにいたって幽霊だが」とエツが言うから、ケイタは「幽霊かあ」と呟き、あのときタカオは僕の幽霊を見たのだろうか、それともみずから幽霊になって彼女を襲ったのだろうかと思った。
「さっきケーちゃんの話を聞いていて、幽霊みたいと言ったのも、ケーちゃんが河森さんの体のことで言ったでしょう、そもそも見ないうちから想像をたくましくすると、とんでもない方向にイメージが走り出してしまうものだとか」とここで話を巻き戻したサキは、かつて二人の姉の言い争いのときに感じた何ものかが、ケイタがタカオの体について思いめぐらせたことによって思い出され、思わず「なんだか幽霊みたい」と口にしたのだと、ことの成り行きをケイタに説明し、「だからケーちゃんは幽霊なんかじゃないよ」と、少し大袈裟なもの言いにわれながら出過ぎた真似かと思い直し、苦笑したサキに、ケイタは「ようやく安心したよ」と答えてみせた。
 そもそもあの二五〇号線追走劇は追ったり追われたりの、しょせん子供の追いかけっこにすぎないものなのだから、ナオが見たり覚えたりしている場面はケイタが追われているところだったのかもしれないのだとすれば、エツが見たり覚えたりしている場面は同じ男の子がひたすら追いかけているところだったのかもしれない。
 そんなことを二人に話して聞かせたケイタは、だからいまさら、イチコのところのロストパラダイスイン東京に幽霊が出るという噂があるとかないとか、エツとサキに聞き出すことはためらわれた。ましてマングラーだの、カトリーナだの怪物くんだのノンマルトの使者だの、要するに自分の発言に責任を負うつもりのさらさらないハンドルネームたちに、寄って集って口にされた告げ口でしかない幽霊話に急かされてここまで来た自分は、ナオの言う通り何かに追われているようであり、それに何より直接イチコに聞き出せばいいものを、それを回避したうえ、ろくな目的もなく噂話の種を撒きにきた自分はエツの言う通り、ひたすら何かを追っているようでもあるのだ。
 そこでしばらく沈黙があり、ケイタが子供の頃からときおり見せる茫然自失と半笑いを混ぜ合わせたような表情をその顔から読み取ったエツは、「どうしたの」とケイタに聞く。話そうか話すまいか、考えの追いかけっこをしていたケイタは、この際どちらでもよくなって勢い口を開いている。「ロスパラに幽霊出没の噂、知ってる?」
 そう聞かれるやいなやこれまでの話とは無関係に、さっそくケイタがもたらした新情報の値踏みをしはじめる彼女たちを見ていると、もとよりあの幽霊とこの幽霊は別々なのであり、うようよ無数にいるものを、神か仏か一つにまとめあげようと虚しい努力をくり返すエクソシストはどう足掻いても敗れ去る運命にあるわけで、けっきょくあることないこと考えすぎなのは自分だったのだということを思い知らされる。「ケーちゃんなに言うてるがあ、イチコんところに幽霊が出るなんて聞いたことない、ねえサキちゃん」。エツに求められた頷きを返すサキは、ただ気になることがあると女の子を見ながら言った。
 <続く>