感情レヴュー

中沢忠之、『文学+』を刊行する「凡庸の会」同人

「深呼吸の必要」が過呼吸にならないために

深呼吸の必要 [DVD]

深呼吸の必要 [DVD]

 篠原哲雄さんの『深呼吸の必要』。景色よし役者よしテーマよしの三拍子揃った映画作品。それなのに感動できなかった理由を自分なりに考えてみる。タイトルは「優しさの犠牲」といったところ。
 わが敬愛する監督、青山真治さんのいくつかの作品以来かなあ? これほど口数の無駄に多い映画は久しぶり。というか、画面に収まる沖縄の風景にたじろぐ他ない台詞の数々。といっても、自然の力にはしょせん映画も歯が立たないといいたいわけじゃなくて。たぶんもっと単純な話。
 この作品は、沖縄の風景(と音楽)を通して劇中の人間関係を描写する手続きをとっていて、だから例えば、ひとりの女性(久遠さやかさん)がキビ畑を見入るその視線を追うカメラの映像だけで、彼女がいまなにを思い、周囲の人々とこれからどんな関係を紡ごうとしているのか、十分にわかってしまうものなのです。それは必ずしも、べたに分かりやすいストーリーだからというのではなく(かなり予測可能なストーリーではあるのですが…)、じゅうぶん説得的な映像が確保された作品だと思うわけです。

 それなのにこの作り手は、キビ畑を前にしたこの女性――東京のほうから出戻ってきた沖縄出身者――に「懐かしいなあ」等々と饒舌に語らせてしまう。映像だけでじゅうぶん伝わってるのに、この作り手はよっぽど自分の映画に自信が持てないのかなとおもわず勘繰ってしまった。 
 あるいはまた、なかなか自分を出せずに自傷をくり返す女の子(長澤まさみさん)が、物語の後半で皆に心を開いていく過程の見せ方も同様。それまで隠し通してきたリストカットの痕を誰もが見えるように裾をたくし上げるシーンも説明的な不自然さゆえかえって痛々しく(女の子の痛々しさはこの映画の痛々しさ…)、すっかり前向きになった彼女がその前向きになった自分の心象を饒舌に語りだす場面に直面すれば、カメラが撮る風景に同調する女の子の映像から十分伝わってるというのに、どうしたものだろうとしばし途方にくれてしまったのです。

 けっきょく、ここで饒舌だという理由は、台詞が相対的に多いというのではなくて(むしろこの作品は台詞をきょくりょく抑えた方)、映像に対して言葉が説明的にダメを押すというもので。バラエティ番組でよく見かける後追いテロップのような(?)。青山真治さんの場合は、映像がしばしば抽象的すぎるゆえ、その場面場面(もしくは物語の大枠)のテーマとなるような言い回しを、劇中人物に唐突に語らせてしまったりする印象があって、このときこの劇中人物は物語を一括的に見下ろすナレーターのように感じられたりするのだけれども、ぎゃくに篠原さんのこの作品の場合は、映像だけできわめてイメージを喚起しやすいものになっているところへ、さらに追い討ちをかけてくる言葉たちという印象があります。青山さんの俺って出来がいいだろってつい口を滑らせてしまう優等生的なナレーターに対して、とにかく皆が楽しめるように手配する親切なナレーターというのかな。

 ラストの山場となるシーンを見つつ感じたことでもあるのですが、皆が力をあわせて刈り上げたキビ畑はもうそれだけで圧倒的で、先ずは遠望から大写しした後、達成感いっぱいの一人一人に寄るカメラはそれだけで存分に彼らの圧倒的な仕事量を表現していて感動的なのだけれど、それからさらにこの膨大な空間を彼らにいっきに駆け抜けさせるというのだから、期待しないはずのないところ。それなのにやはりこの映画は、ここで彼らが突っ走る間をスローモーションで展開することによって、一人一人の35日間に、それを見る私たちの思いを馳せらせ共感しやすいよう手配してくれてとても親切です。けれどここはいっきに駆け抜ける速度でもって圧倒的な沖縄の風景とそれに果敢に勝負した彼らの偉業を見たかったなあ。真剣勝負で走り抜けるときも深呼吸が出来るほど世の中甘くないじゃないですか。

 そもそもこの作品のストーリーは、都会でそれぞれ傷付いた過去を心に閉じ込めた若者たちが沖縄での35日間かけたキビ狩りの共同作業を通して、心の傷をさらけ出しつつ自ら受け入れていく過程を描いたものでした。試行錯誤しながらも彼らの心のマッサージが可能なのは、彼らの労働力を当てにするキビ畑所有者のおじいとおばあの存在あってこそであり、何事にも動じずに彼らの試行錯誤を温かく見守りながらのんびり生を享受している二人が象徴する沖縄の存在あってこそなのだと思います。沖縄とはだから疲れた人々がときおり「深呼吸」をしにくる場所、ちょっと悪意をもっていえば、息抜きをしにくる場所なのでしょう。JALの沖縄キャンペーンとタイアップした映画ならではのトピックだと思うけれど、これを見ながら当の「沖縄」が深呼吸できるところって――「深呼吸の必要」があるとすれば…――どこなんだろうなあと考えていました。
 若者代表唯一の沖縄出身者の女性にとってすでに沖縄は、非沖縄出身者と同じように懐かしみ心が揺さぶられる対象でしかないのだけれど、おじいとおばあには心の傷はなかった、というか(傷がないということは)もとより心が描かれてはいなかったのですが。