感情レヴュー

中沢忠之、『文学+』を刊行する「凡庸の会」同人

「ブラック企業」の語用をめぐる係争点

https://www.asahi.com/articles/ASN7X31M3N7QULFA03Q.html

https://twitter.com/shintak400/status/1288432971783917570

ブラック企業」の語用をめぐる対立。とてもクリティカルな係争点があるので、ポストしたいです。今野晴貴氏と河野真太郎氏、両方間違ってないと思います。実際に使われてきた言葉の歴史を無視できないという立場と、場合によっては批判的視点をもたないといけないという立場。

日本における黒人の表象については、1980年代後半に、偏見的なイラスト・画像が一斉批判された過去があります。カルピスのトレードマーク、だっこちゃん人形、サンボ&ハンナなどもこれを機になくなった。我々の世代なら誰しも読んでいる、複数の出版社から出ていた『ちびくろサンボ』の絵本もすべて廃棄・絶版になった。

この動きは、のちに一部の市民活動家による運動が中心になって行われたことが明らかになっている。また、差別批判を受けて「ことなかれ主義」で絶版にしたことに対する批判も生まれた。

90年前後は、リベラルのいまでいうPC的な差別批判が苛烈化した(「言葉狩り」と揶揄されもする)時代で、ポストバブルで保守化する勢力と論争になりはじめる分岐点でもある。この頃から不況を背景にPC疲れみたいなものを経験して、小林よしのりはじめとする保守勢力が伸長しだすことになる。

ブラック企業」については、結論としては変えるべきだと私は思います。実際に国際的な場所では翻訳に苦慮されているとあるように、日本の文脈にとどまらないほど影響力のある言葉になったということではないでしょうか。

言葉は一つの現実をすくいとり、その現実にマッチしていればいるほど大きく育つものですが、別の現実と摩擦を起こし、改変や訂正を余儀なくされることもある。「差別だからダメだ」と上から批判するつもりはなく、言葉と現実が作り出す潮目を注視することができればよいのですが。それでもなお「ブラック企業」という言葉が、ある現実のために必要なのだということであれば…