感情レヴュー

中沢忠之、『文学+』を刊行する「凡庸の会」同人

純文学展望2020

 

 

1、昨年は『文藝』の韓国文学特集(「韓国・フェミニズム・日本」)を中心に、文芸誌が何かと話題になったが、今月発売予定の『文藝』SF特集も予約など堅調らしい。

ただし、円堂都司昭が分析している通り、文芸誌が新しい市場を開拓したとかいう話ではないだろう。純文学がサブカルチャーなど周辺領域を取り入れて活性化をはかるのは、これまでも周期的に試みられてきた。

2、文学の世界は確実に高齢化していて、それに歯止めがかかるわけではない。最近は、文芸誌をある程度気軽に購入できる40代以上が純文学的なものの消費者の中心となり、同じく高齢化しつつあるシニア御用達SNSTwitterで話題を共有・拡散したことの結果で、いくつかの偶然が重なった事象だと思う。

Twitter界隈では、ニューアカを想起させる「加速主義」も流行ったが、思想や教養をカッコよく消費することに憧れのある世代がSNSで発信者にもなりながらなんとなくムーブメントを作れている文脈にバチっとはまったのではないか。

3、文芸誌の中でも特に『文藝』が成功を見せている理由は、分かりやすいテーマを掲げ、書評誌に徹した点だろう。20年前の「J文学」のサブカル導入をはじめ、2000年代の『すばる』が試みたカルスタ的な海外文学・マイナー文学の紹介などは、それが機能し得たのかは問わずにおくとして、批評的なエッジをきかせたものだったが、リニューアル『文藝』にはそれ(現状への批判や危機意識)がない。

円堂は『文藝』の「フェミニズム」特集に批評性を読み取っているが、当時セクハラ問題で揺れた『早稲田文学』に対する批判意識などがあったかどうかは極めて怪しい。むしろそういった状況介入的な要素は意図的にキャンセルされている。誤解を恐れずにいえば、「フェミニズム」関連の話題(MeTooなど)がトレンドの上位にあり、『文藝』は文学側からその紹介に徹したのだろう(日本というより韓国の事情であることもポイント)。

4、むろんこう言うことで、文芸誌や文壇の努力や営為を軽んじたいのではない。彼らはやるべきことをやっている。むしろ、周知の通り、メジャー文芸誌は商業的にはまともに成立している媒体ではないので、そんな文芸誌を権威として立てて批判するほどばかげたこともないだろう。

5、いま40代以上の文学に関ってきた世代なら、2000年代といえば、文芸誌が、批評家たちからお手軽に批判されるサンドバッグ的な対象だったことを知っているはずだ。そこに純文学論争が起こり、文学フリマなどが誕生するなど良い面もあったが、文芸誌にとっては暗黒の時代だったように思う。作家も、高橋源一郎保坂和志などが、批評家不要論(小説のことは小説家にしかわからない)をぶちあげた。

次第に面倒くさい批評家枠がなくなり、その枠に書評家(もしくは書評家的な批評家)が収まることになるわけだが、そのおかげで、2010年代は文芸誌に対する批判が消え、芥川賞を中心とするメジャー文芸誌体制が純粋培養されることになり、現在に至るわけである。

昨年話題になった韓国文学特集も、批評家というより書評家寄りの翻訳家がコーディネートしたもので、おそらく20年前なら批評家連中が色々と難癖付けていたと思う笑。

6、若い作家たちは、現状の文学をけっこうイケてるんじゃないかと思っているかもしれないが、批評家などの外部を排除した文芸誌体制ではそう見えるだけで、実際は状況は20年前より深刻なはずである。最近は賞レースとしてすっかり定着した感のある芥川賞だって、20年前はめちゃくちゃ批判されていたことを知らない世代もいるのではないか。

7、個人的な考えだけど、変わってほしいなあ、というか変わった方がいいのにと思うのは、文芸誌ではなく、作家の方である。前世紀の文学史を見てみると、作家が文芸誌体制にいまほど依存していない事例をいくつも見ることができる。

文芸誌で書きながら地方の同人誌の同人も兼ねた作家もいたが、『文學界』の同人誌評が終了するのが2008年で、この頃から文芸誌の純粋培養化が突き進むことになる。その一方で、切り離された同人誌と批評家は文学フリマやネットを拠点とすることになる*1

8、いちおうの結論は、2010年代は文芸誌が純粋培養を推し進めてその完成形に至った10年ということでよいと思う。2020年代は、作家たちが、文芸誌とともに心中をはかるか、何かをたくらむかの二択ではないか。何かしらたくらんだところで、自爆同然だとはいえ。

9、批評に関していえば、批評集団「大失敗」の動きは色んな意味でずっと見逃せないでいる。今年あたりで空中分解するのではあるまいかと気になって仕方ないのだが笑、他にも『クライテリア』や『エクリヲ』『G-W-G』、それに東京学芸大の千田洋幸ゼミがOBの矢野利裕とともに継続刊行する『F』など、注目すべき動きが無数にあり、凡庸の会『文学+』もそんな動きのお力を借りつつオリンピックイヤーも何とかやっていきたい。

*1:実は作家も、純文学という垣根を外せば、同人誌や読者投稿サイト・SNSなどを活用して営業活動をしている創作家が無数にいるが、文芸誌体制の中ではその動きが見えにくい。