1930=1970=2010年代文学再編説
今年の地震の影響で文学が変わるのではないかという議論があるけれど、私はそうは思わない。先の戦争の際も、それを受けて戦争体験を素材にした作品は増えましたし、個別の作家に様々な形で影響を与えたでしょうが、既成の概念で論じられない文学表現が出てきたかというと、そんなことはなかった。
無論、地震・震災の影響から文学の変容を論じることもできるでしょうが、そのような手続きは私には関心がない。文学表現の変容と再編の動きは、そういった外的要因とは関係なく、より内在的なレベルで起こっているし、そのようなところから私は文学を考えたい。震災文学は重要だと思っていますが、それはこれとは別の問題です。
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かつて文学の再編が問われたのは、1930年代と1970年代です。当時は、文学の手法が袋小路に入ったという認識、それから隣接するジャンルに溶解されつつあるという認識がありました。すなわち、モダニズム以後の表現の可能性とジャンルの相対的視点(他ジャンルの取り込み)です。
1930年代は小林秀雄や高見順、坂口安吾らが、文学表現の危機意識と新しい視角をもって語りましたが、最も重要なのはやはり横光利一の「純粋小説論」(1935年)でしょう。簡単に要約すると、ジャンルの自律性を追及したモダニズムの徹底の結果衰弱した文学は、エンターテインメントも取り込まねばという話です。
1970年代は柄谷行人の『日本近代文学の起源』(1980年)など重要な作品はあるけれど、彼はあくまでも文学の内部にとどまろうとする点で、当時の小林秀雄に似ています(のちに文学を放棄することも含めて)。
横光の「純粋小説論」の直後に書いた小林の「私小説論」は、横光の社会学的な「通俗性」をしりぞけ、文学をあくまでも実存的な問題(「社会化した私」)に回収しようとしました。柄谷もまた、通俗的な物語に私小説的要素(固有性)を導入して実存的な問題に囲い込み、社会学的要因(同時代性など)を排除し、文学を自律した表現として限定しようとしました。
1970年代に、横光の「純粋小説論」的な役をになったのは中島梓の『文学の輪郭』(1978年)です。彼女の議論も、モダニズム以後の表現の可能性を背景に(彼女にとってのモダニズムはヌーヴォーロマンと安部公房でしたが)、社会学的視点から、文学の外部を召還しようという手続きがある(つかこうへいなど)。のちに物語作家になったのも横光と似ているところです。
いずれにせよ、文学の本流は結果的に、小林(あるいは川端とロマン主義)ではなく横光を本気で考えなかったし、柄谷(あるいは内向の世代)ではなく中島を本気で考えませんでした。
蓮實重彦の『小説から遠く離れて』(1989年)を読めば分かる通り、社会学と物語を否認することが文学にとって重要だったのです。村上春樹の扱いもこれにのっとったものでしょう。
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以上の見立てで行くと、40年周期ということで、恐るべきことに、我々が現在立脚している2010年代が1930−1970年代に当たるということになります。
逆に言えば、1920年代と60年代、ゼロ年代は文学の本流が負けに負けた時代です(それ以外も別に勝ってたわけではないが)。エンターテインメントと詩が魅力を放ち、表現の可能性を感じさせたし、それは現在進行形でもあるでしょう。
2000年に入ってからのゼロ年代は、ライトノベルとケータイ小説の台頭が文学を翻弄(活性化)しました。社会学と物語分析をデフォルトで実装している、東浩紀の『動物化するポストモダン』(2001年)と速水健朗の『ケータイ小説的。』(2008年)に、文学の内在批評がどれも太刀打ちできなかったことは、2010年代をスタートさせた今年の終りに、私は銘記しておきたい。