感情レヴュー

中沢忠之、『文学+』を刊行する「凡庸の会」同人

青春小説論――佐藤友哉の自意識というモード

皆さんお久しぶりです。夏休みの宿題として、今月初め、中上健次論と青春小説論を自分に課しました。まにあいました。どちらも依頼原稿だったのですが、中上論は来月の「ユリイカ」中上特集に載る予定です。青春小説論の方は、残念ながら掲載媒体が発行できない状態になり、結果、ここに載せることにしました。青春小説をキーワードにして佐藤友哉を論じています。いままでの議論と色んなところで連関すると思いますので、お気に召されればどうぞ。最近の雨は凄いので、気を付けてください。
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佐藤友哉といえば青春小説。青春小説といえば佐藤友哉、とはさすがにいいすぎかもしれないけれど、佐藤友哉といえばやはり青春小説だろう。だから、たとえば高橋源一郎が、佐藤友哉に対して成熟(ラノベから純文学への)を勧めることは(「新潮」2007年7月号、佐藤友哉との対談)、暴言としか思えない。誰だってあの太宰治を成熟してほしかったなどと思いもしないだろうに?
ここで青春小説というのは、何より自意識のモードが物語の推進力になるジャンルのことである。その自意識をより具体的にいうと、まず第一に、自分を取り巻く社会に対する苛立ちなり齟齬感がある。しかもそれは、根拠のないものであればあるほど青春小説に相応しい。そして第二に、自分の力なり手段を持て余していること。これもまた、力なり手段を向ける目標が定まっていなければいないほどいい。これは、物語の作中人物(話者)のみの問題ではない。当の作家が小説というジャンルに対してどのように自分の能力なり方法を行使すべきなのか定まっていない、ということでもあるケースが多い。
以上の尺度からみてみると、青春小説を書いている作家は意外に多いことがわかる。中上健次の1970年代初期作品(「一番はじめの出来事」「灰色のコカコーラ」「十九歳の地図」など)はまさしくそうだろう。それに中上が初期に模倣した大江健三郎の、デビュー以来50年代の初期作品もまた自意識のモードを物語の推進力にしていたといえる。彼らの作品に登場する作中人物と作品の話法はそろって、理由のない苛立ちなり齟齬感に苛まれている。
内向の世代後藤明生古井由吉)も、自意識に着目したといえばいえるが、デビューが遅かった彼らはその(社会と自己の関係に発生する)苛立ちなり齟齬感を対象化し、冷静に分析する余裕があった。だから彼らはデビュー当初から、パロディーをしたり、語りのレベルでいかに物語を遅延させ、語る私を複数化するかという明確な方法意識にのっとっていたのである。これは、苛立ちなり齟齬感を受け入れた成熟の作法であろう。自分の能力なり手段を見定めているのである。
これに対して、大江−中上初期の青春小説における自意識には、安定した方法論・方法意識が不在である。彼らは根拠のない苛立ちを表明し、自分が何ものでもないことにこだわっている。たとえば大江の性的・政治的少年はまさにこれだし、中上の初期もまた同様。彼は、自分の身の周りの社会も、自分自身も「ニセ」でしかなく、何かを演じているという観念に駆られている。

母は強い声で言いながら僕の顔の涙を手でぬぐった。僕は子供なのだ。涙でまぶしくみえる台所の中に、僕の母と兄と姉と、嘘の父がいる。みんなそれぞれ黙りこんでしまった。兄と母が喧嘩をしようと、母と父が喧嘩をしようと、子供の僕にはまったく関係のないことだ。なにひとつわからない。次第に酔いがさめてきたらしくしきりに台所の水を飲んでいる兄をみながら、僕はみんなで劇をやっているような感じを抱いた。ほんとうの母とほんとうの父と、おおきくて強い兄と、賢い姉と、僕の五人でつくる、平凡な家庭があって、金曜日の夕食後、深刻だが間の抜けた劇を、演じている。いま僕らは仮面をかぶって、それら各々の役柄に合った服装をつけた名俳優たちなのだ。(「一番はじめの出来事」)。

ただし、物語批判を明確に打ち出した形式(方法)優位の実験的な作品の作家の場合は、注意しておく必要がある。具体的には、昭和初期のモダニズム運動期に活躍した新感覚派の作家であり、80年代以降物語批判が注目される中で出てきた、いわゆるポストモダン小説の作家、とくに高橋源一郎阿部和重の初期である。
確かに、彼らに方法意識は明確にある。しかし、物語を語ることに批判的な彼らは、既成の物語や安定した自意識(語る私)のもとに語られる私小説を批判すべく作品ごとに方法を切り替えるのだが、そのいささか落ち着きのない方法意識を駆動するのは、青春小説的な自意識のモードにほかならない。だから彼らの先鋭的な方法意識は長続きしない。いずれ成熟し、それぞれの仕方で物語と妥協する方向に向かうだろう。大江−中上も同様であった。
まず大江。彼は1960年に入ると、二つの体験を軸にして、物語を語るための構造を見出すことになる。一つは、家族の一員として障害児をもうけたこと。思弁的にならざるをえないこの「個人的な体験」(64年)を緯糸とし、さらに大江はこの時期広島を訪ねて、原爆投下の医学的かつ政治的な後遺症を体験し(『ヒロシマ・ノート』65年)、その原爆に代表される歴史的かつ人類規模の災厄を経糸とした物語構造を自作に導入することになったのである(67年の『万延元年のフットボール』を頂点とする)。それはのちに、「中心と周縁」理論(山口昌男)を導入しながら、いくつかのヴァリエーションを産出することになる。そこでは、自意識の問題は物語の構造に還元され、中和されることになるだろう。
中上も同様。彼の70年代後半までは青春小説的自意識に貫かれた私小説であった。自己言及的な一人称話法に、家族劇がフラッシュバック的にくり返し挿入される私小説。それは80年代に入って、「路地」を発見することにより切断されることになる。「灰色のコカコーラ」で先鋭化した彼の家族劇とセットになった自意識の問題は、以降、被差別部落という歴史的かつ社会的な場所である「路地」を軸にした物語の構造に埋め込まれることになるのだ。
柄谷行人は、村上春樹の物語をピンボールのような構造(規則の体系)だけで成り立っている、という表現で批判したことがある(『終焉をめぐって』90年)。しかし80年代以降の中上の物語作りも、各種設定を構造に落とし込んでいく作業だったということは確認しておきたい。
ただし、物語の構造をベースにしたからとはいえ、長期間にわたって同じ設定なり世界観で物語を産出し続けることは、(文学作品としての、商品としての)耐性が落ちることはいうまでもない。だから大江は、周期ごとに(あるいは三部作という形で)設定・世界観をリニューアル・リサイクルすることを忘れない。他方、中上は、90年代に入っても「路地」(の設定・世界観)を使い続けた。その結果、のちの批評家からは、「平板化した」とか「ステレオタイプだ」とか、肯定的にせよ否定的にせよ指摘される後半戦だったわけだ。
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ところで、物語を構造として把握することは、不特定多数の消費者を相手にするジャンル小説、エンターテインメント系の文学においては当然である。そこには、いうまでもなく、自意識の問題が入る余地はない。
ライトノベルがユニークだったのは、エンターテインメント系文学――のみならず、それと隣接するサブカルチャー全般――から、物語の構造および各種設定を摂取しながら、自意識のモードを導入したことだった。ここで自意識のモードというのは、キャラクターとその萌え要素であり、各種の物語設定(美少女が空から降ってくるとか)である。それに、自意識過剰な「僕」語りを加えておこう。ライトノベルの中心的な消費ターゲットはオタクであるが、萌え要素をはじめとするオタクの消費性向は、屈折したセクシュアリティーと隠れた政治性(ナショナリズム嫌韓嫌中)を軸にした自意識のモード――平成の性的・政治的少年!――を起点にしていることはしばしば指摘されるところである。ライトノベルは、自意識の問題を中和させるために物語の構造を導入した大江−中上とは違い、物語構造のレベルと積極的に組み合わせ、自意識のモードによって(構造に組み込まれた)物語を推進させたのだった。ここでは物語構造の適用による成熟というルートはありえない。
そしてここでようやく佐藤友哉。彼がこの界隈で何よりユニークだったのは、ライトノベルにしては自意識のモードが過剰だったことだ。単なる「僕」語りとオタク系萌え要素というリサイクル可能な消費財に還元されるものではない自意識が働いているということである。この意味において、彼はデビュー当時から純文学系の自意識モードと接点を持つといえるのであり(佐藤には、中上を踏まえた『灰色のダイエットコカコーラ』という作品がある)、純文学側から多くの支持者を得、純文学系の文芸誌に活動の幅を広げたのは当然であった。というよりむしろ、このように純文学系の自意識モードを物語の推進力として持ちながら、ラノベ的・サブカル的な要素を満載していた点を、純文学側は評価したというべきだろう。自ジャンルの閉塞感を打開すべく。
むろん、佐藤友哉が純文学とエンターテインメントという二つのジャンル・ルールの間に自意識を投錨し、表現を組織したことには理由がある。彼は、大江−中上のような成熟型の自意識モードではなく、太宰治(日本浪曼派的無頼派)の自意識モードを継承しているからである。どういうことか。追って説明していこう。
まず指摘すべきは、太宰−佐藤の自意識は成熟を放棄しているということである。したがって彼らの青春は原則として終わらない。たとえば、太宰の自意識の特徴は、何らかの齟齬なり苛立ちの表出は自明の前提だということであった。つまり、大江−中上のように、たとえ虚構であれ、自意識の問題を中和するために必要とする枠組みを、前提からして必要としていない。
大江−中上の青春小説は、自分を取り巻く家族なり社会(共同体)の中で自分を位置づけるにあたって、この太宰に比べると疎外論的である。それは、大江−中上が果たした成熟後(構造導入後)から振り返っての印象ではない。太宰と比較してそういえるのである。つまり、大江−中上の反社会的な自意識は、社会との摩擦からダイレクトに表出されるが(それは成熟して構造に埋め込まれねばならない)、太宰の場合、対社会(非自己)との関係でたえずアイロニカルなポーズというパフォーマンスが介入するのである。その最も際立った例が「人間失格」の葉蔵が身に付けた「道化」である。

何でもいいから、笑はせてをればいいのだ、さうすると、人間たちは、自分が、彼等の所謂「生活」の外にゐても、あまりそれを気にしないのではないかしら、とにかく、彼等人間たちの目障りになつてはいけない、自分は無だ、風だ、空だ、といふやうな思ひばかりが募り、自分はお道化に依つて家族を笑はせ、また、家族よりも、もつと不可解でおそろしい下男や下女にまで、必死のお道化のサーヴイスをしたのです。(「人間失格」)

対外的にはポーズをとりながら、齟齬なり苛立ちなり言い訳を内向させつつ自分を囲い込むこと。むろん、「人間失格」がラノベ文脈で再読されたことを踏まえ、自意識を保護するための葉蔵的「道化」を平成的に肥大させたものを、「僕」語りのための「ATフィールド」とかオタク的物語設定としての「セカイ系」とか、いえばいえよう。しかし、そのような消費財でしかない自意識モードでは、太宰−佐藤は理解できない。
たとえば葉蔵は、たえず先行的に自他の境界を設定しながら、その文脈――家族、学校、地域共同体…――に合わせた「道化」を算出・演出してみせる。途中で失敗し、相手から「ワザ。ワザ」と見破られかけても、むしろそれは織り込み済みであり、そのつど境界を再設定して「道化」は継続されるだろう。佐藤友哉の境界設定もこれと同じである。太宰−佐藤は、自意識を発動させるために自他の境界を設定するのである。いわば自意識を再生産するための自意識モード。
佐藤はこれを、太宰以上に方法として活用しているといっていい。佐藤の自意識は、大江−中上のような人格に帰するべきものではないし、ライトノベルのように消費財に還元されるものでもなく、方法として確立している。ここには、成熟などない。作家の若かりし初期の時代を飾るような青春小説ではない。とはいえ、消費のレベルにも容易に還元できない。あえていうなら、それ自体で方法論的に自立した青春小説である。
かくして彼がエンターテインメントと純文学の間で注目すべき境界を引き直しえたのは、彼の作品に自意識過剰な「僕」が表出されているからだけではない。彼の作品の自意識モードゆえである。言い換えれば、彼の作品のそのようなポジショニング・境界設定それ自体が、彼特有のポーズとしての自意識モードにしたがった結果である。いわば、境界設定をしつつ自意識を算出する佐藤特有の自意識モードにとっては、エンターテインメントと純文学の間こそ投錨するのに相応しいポイントだったといっていい。
佐藤が最初に注目されたのが、ジャンル小説であるミステリのルールを破綻させた「ポスト本格」の文脈においてであったことに注意しよう。そして、ミステリ作家(?)としての佐藤が取り組んでいる鏡家サーガのシリーズ(『フリッカー式 鏡公彦にうってつけの殺人』2001-現在に至る)は、先行的に想定される解決の(読者の)期待値を作品ごとにたえず裏切る形で更新されている。ミステリ作家なら読者の期待を新作ごとに裏切るのは当然だが、それはあくまでもジャンル小説のルールの範囲内に限られる。佐藤の場合、ジャンルの枠組みなりルールも境界設定の要素の一つであり、彼はくり返し恥じらいながら、怯えながら、震えながら、申し訳なさそうに境界設定をこなすのである。つまり、みずからルールを設定しつつ崩すプロセス(「道化」と「ワザ。ワザ」)が鏡家サーガであり*1、最新作(「青酸クリームソーダ」、「ファウストVol7」2008)はすでにミステリとはいえなくなっている。このへんは、佐藤と同期の舞城王太郎とも共有する文脈だろうが、彼らにとってミステリは、いまや狙い撃ちすべき境界としてあるのではなく、境界設定のためのリソースの一つにすぎない。純文学ももちろんその一つであろう。
彼の作品に、多重人格や人格障害がキャラとして採用されているとしても、また、話法を作品ごとに私小説やマルチプロットに切り替えたとしても、あるいは、萌え要素やサーガの枠組みや新規な物語設定を採用しても、それらはあまねく方法としての自意識のリソースなのである。
これまでの佐藤評価は、太宰型の過剰な自意識という面と、サブカル・オタクネタのリミックスなりサンプリングという面の二方向から正しくなされてきたわけだが、この二つの側面が佐藤においてどのように連関し、どのような成果をもたらしてきたのかを考えると、文学史においてユニークな作家だと改めていわねばならないだろう。
ただ、佐藤の純文学内部の作品(『子供たち怒る怒る怒る』05『1000の小説とバックベアード』07『灰色のダイエットコカコーラ』07『世界の終わりの終わり』07)が評価が分かれるのには理由がある。純文学には、ジャンル小説のようなルールなり消費の期待値が明確になく、境界設定しづらいことだ。だから彼の純文学作品は、メタフィクションやパロディー、韻文の導入といった比較的安易な方法で外部(との境界)を際立たせようとする。この場合、純文学がベタに好きな人には評価されるが(高橋源一郎村上春樹の再来!)、佐藤特有の方法としての自意識を、デビュー作品から触知している人には評価されない。
いずれにせよ、純文学とエンターテインメントの境界は、佐藤をはじめとする「ポスト本格」の作家を中心にして翻弄され、今後当面は、有効活用できる環境ではなくなった。佐藤の今後も困難なものであるかもしれないが、彼の方法としての自意識モードは、文学史に強く記されるべきである。
最後に、誤解のないように付け加えておかねばならない。佐藤友哉の方法としての自意識は、いま流行りの消費財を手際よく切り貼りして商品にするマーケッターのものではない。そんなセンスよくないところが、太宰−佐藤のいやらしくも愛らしいところではなかったか。佐藤のセンスは「ワザ。ワザ」とダメ出しされるスレスレのところで「道化」を組織するところである。言い換えれば、彼の方法としての自意識は、「道化」(ポーズ)の痕跡のみをとどめるものではない。「道化」の傍らにはたえず、それを呼び込む動因の「ワザ。ワザ」の指摘が(明示的に、あるいは余白に)書き込まれる、書き込んでしまう、そこのところが佐藤の佐藤たるゆえんなのだ。佐藤友哉の作品群は方法としての自意識の運動体なのである。かくして太宰−佐藤は様々なリソースに向けて、境界設定のために自意識のモードを投錨し続けるもののことをいう。

*1:以下は「青酸クリームソーダ」からの引用。ネタバレ有りなので注意。「結局は、稜子姉さんの云う通りだったよ。本格ミステリに出てくる名探偵みたいなことしないで、プロファイリングを普通にやったらすぐ解決する程度の問題だったんだ。僕たちは先入観を持ちすぎた。どこかにトリックがふくまれてるとか、強烈なオチが待ってるとか、大どんでん返しがあるとか、そんなことばかり考えていたせいで、一般的な展開を寒いなんて思っていたせいで、家庭環境なんていう、あまりに簡単な真相にたどりつけなかった。[中略]つまり、僕の方が寒かったってわけさ。」