感情レヴュー

中沢忠之、『文学+』を刊行する「凡庸の会」同人

「私」のデザイン(Ver.30年代)


私語りをなんのテレもなく平然とやってのける「近代的自我」などすでに信じられなくなったというのに、いまもってその私語りが盛んになされている――しかも、固有の「私」を解放してくれると期待されていたネットがその中心的役割を担っているだなんて!――現状を憂える言説にしばしば出会う。彼らによれば、最近の若手の作家がとくに、この無邪気な私語りに陥っているというのだが。
しかし、ベタな(周囲を省みない)私語りに対する批判は、小林秀雄(「私小説論」)とその衣鉢を継いだ中村光夫(「風俗小説論」)以来、久しくくり返されてきたことだし(いや、私小説を始めた田山花袋白樺派の頃から「バカラシ」いと揶揄されてきたはずだ)、さらにいえば、意識的に「私語り」を抑圧し、方法論・形式論的に(つまりフィクションとして)作品を組織したアヴァンギャルドだのモダニズムだのの傾向に、「私」の否定ではなくむしろ強固な「私」を読み取った――つまり、自由闊達に形式を操作する(メタレベルの)「私」を読み取った小林−中村の考えでいくと、私語りは私語り批判とセットでいつの時代も持ち越されるものなのだとさえ思いたくなる。そういえば、ここ十年くらいは「解離」する「私」が流行だとされるが、その「私」も鼻にツクという指摘があった。
いずれにせよ、私批判もけっきょく私の温存に貢献するほかないのだとすると、だったら私について考えることなど「バカラシ」いと開き直るのも得策だが、もう少し付き合ってみて、色々と「私」をデザインしてみることが懸命なのかもしれない。


無論、そのような試みは以前からなされてきた。貴重な遺産が私たちにはあるのだ。時は1930年代にさかのぼる。当時もまた、「近代的自我」に支えられた「私」の消失の危機なり不安が叫ばれ(「自意識の不安」とか「シェストフ的不安」とか)、それを如何に取り繕うかが各人によって考案されていた(「文芸復興」とか「伝統回帰」とか)。
なかでも文学の方法として注目されたのが、横光利一の「純粋小説論」(35年4月)における「第四人称」、および「偶然」という(量子論から導入した)概念であり、小林秀雄の「私小説論」(35年5月)における「社会化した私」だった。彼らは話者の問題を探求し、ジコチューの私語りとは別種の語り方を考案しようとしたのである。
そのさい横光の「第四人称」はほとんど理解されなかったが、小林がそれについて、横光が分かりやすい説明を拒んだからだというようなことを書いていて、それはむしろアンタだろというツッコミを入れたくなる気にもなるのだが、坂口安吾が横光のその超絶技法を受けて「五人称」でも「六人称」でもいけるとか言い始めたからにはもう取りつく島がない。
でも、横光の「第四人称」を一番理解して自分のものにできたのは(世に言われるように川端康成ではなく)安吾であった。実は、安吾がしばしばテクニカルに使う「必要」という概念は、「必要」の通常の意味に反してかなり非実用主義的なものなのだが、それは横光の「偶然」と重なる部分がある。
まあそれは余談として、安吾には、横光利一の「純粋小説論」を受けて書かれた「文章の一形式」(35年9月)というエッセイがある。そこには、横光の「四人称」を安吾的に解釈した「無形の説話者」についての説明がある。それは話者の、物語との位置取りを一元化せずに、なるべく「分裂的散乱的に配分」(『坂口安吾全集 1巻』559頁)することが目指される。話者による一元的な管理に不信感を抱いた作家たちがデザインする物語の有様。
横光は話者の一元的な管理の無理を鑑み、通俗文学の手法に倣って「偶然性」の導入を主張したが、安吾の言う「分裂的散乱的」配分とは、たとえば、事件と事件の間、挿話と挿話の間を、もっともらしい脈略を付けずに並列関係に置いたり、話者と作中(人物)の距離を自由に配分したり(話者がA人物に焦点化していると思ったら、いつの間にやらBに移行するなど)、文末詞を断定ではなく、「らしい」とか「ように見えた」とかいうように曖昧にし、話者の位置をぶらしたりすることである。それが「結果に於て組織的綜合的な総和を生みだ」(559頁)し、文章に「真実らしさ」を与えるのだと安吾は言う。
つまり、安吾は「近代的自我」発信のリアリティーとは別種のリアリズムを考案しているのだが、それは、作家が物語を予め統御するのではなく、読者に意味決定をあずけるような形で物語を組織する話者を設定することからもたらされるリアリズムだった*1
以上の通り、作家による物語統御の否定や、読者を取り込んだ形式論など、言っていること自体は横光の新感覚派時代、つまりモダニズム謳歌していた横光の形式文学論とあまり変わらないし、当時の川端も話者の設定にこだわったりしたものであるが、それからおよそ十年後、モダニズム後の横光が書いた「純粋小説論」あたりから改めてクローズアップされる話者・語り手の意味は検討に値する問題だろう(他に高見順の「描写のうしろに寝てゐられない」(36年5月)など)。
モダニズムのときと、この時期問題にされる話者はどう違うのか。とりあえず言えることは、モダニズム期の話者導入は、物語(と形式・話者との、自然かつ透明な紐帯)を如何に切断するかという問題意識が軸になっていたのに対して、モダニズム後の話者は、如何にすれば物語を効果的に伝えることができるか、という問いに答えるために要請されたものだ、ということである。
つまりモダニズムが目指したものは、語られる物語内容には形式的側面(言葉という素材、その編成の仕方・叙述法など)が存在するのだ、ということを明らかにすることであった。読者論的に言い換えれば、モダニズムにとっては、読者を如何に驚かせ、突き放すかが重要事であり、作者と読者の共感的紐帯関係、読者間の共感的紐帯関係をばらばらに離散させることが目指される(わたしの「私」とあなたの「私」は別物だ!)。既成の作品に比べて、如何に驚嘆すべき形式的仕掛けを披露できるかという勝負に駆動されたモダニズムの、そのつどメタレベルに邁進するこの試み(小林の言う「様々なる意匠」間のメタゲーム)はしかし、早晩飽和状態に達する(少なくともそのように見なされる)ことになった。それがモダニズム後になると見直され、読者の共感も視野に入れながら、形式と内容を再び接合させることに志向がシフトする。
その多くの趨勢は、再び形式的側面を内容に塗り込めて知らん顔する反動だったかもしれないが(小林が、私小説の全盛時代が「終わった」後に、「私小説論」で私小説批判をしなければならなかった理由)、横光や安吾は、その分裂――内容と形式、思考と行動、原因と結果、話者と読者…――を前提にしつつ、形式的側面の差配によって内容を如何に表現するか、と考えたのである。


安吾が「無形の説話者」を披露した「文章の一形式」は、横光の「純粋小説論」と問題を共有している、ということはすでに述べたが、小林秀雄の「私小説論」も(プロレタリア文学をふくむ)モダニズム以降の表現の可能性(モダニズムが壊してしまったものの復興?)を問うたという点で同じ問題意識のなかにある(くり返せば、小林は、日本のモダニズムを、既成の「自然主義私小説」の延長上にしか見ようとしないのだが)。
上記三作品とも35年のものだが、これらが問題にした、モダニズム以降の表現の可能性を先駆的に話題にしたテキストとして谷崎の「現代口語文の一欠点について」(29年10月)を挙げることができる。
谷崎はそこで、時枝的な国語論を展開するのだが*2、主述の対応関係によって一文を構成する西洋の表現様式に対して、日本の古典的な表現様式を対置し、後者に現代の可能性を見出している。たとえば日本の古典的な様式は一文のなかに必ずしも主語を必要とせず、したがって、述部だけで様々な作中人物の関係性を表現してしまえるし、話者の、作中との関係、読者との関係も簡略かつ自在に表現することができる、と谷崎は言う。テニヲハ(谷崎はこれを「捨て字」という)や敬語といった述部を構成する要素さえあれば、主語(とその行為対象)が文章上になくても、身分や性別や性格などをあらわすことができ、結果的にいかなる複雑な人間関係も表現することができる。それは、話者が作中との関係、読者との関係において(主述の対応に煩わされることなく)比較的多様・自在な距離をとることができる、ということである。「源氏物語」がその好例だろう。
しかし日本の文章表現は、リアリズムの表現様式を西洋から摂取して以降、主述の一対一対応関係によって拘束され、必ず主語・主格を明確にしなければならないという煩わしい要請によって文章が硬く、冗長なものになってしまっている、と谷崎は嘆いてみせる。「日本語にしても今日の翻訳体を改めて、その本来の伝統的な語法を復活しさへしたら、ずゐぶん細かい心の動きや物の動きを表現することが、――或は気分に拠ってでも感じさせることが、――出来るのである」(『谷崎潤一郎全集 20巻』208頁)。このような言及は、「饒舌録」(27年2-12月)あたりから変節しはじめる――その成就というか爆発的表現が「陰影礼賛」(33年)なわけだが――谷崎の「古典回帰」「日本回帰」としてとらえられがちだが、真意はそこにはない。
「説明の出来得べくもないことを、何とか彼とか有らん限りの言葉を費やして云ひ尽さうとして、そのくせ核心を掴むことは出来ずに、愚かしい努力をしてゐる」(207頁)西洋の言語に対して、「日本語の表現の美しさは、十のものを七つしか云はないところ、言葉が陰影に富んでゐるところ、半分だけ物を云つて後は想像に任せようとするところ」(207頁)にある、と主張する谷崎は、話者が自己完結的に統御せずに、読者の参与をも予め織り込んだ表現様式を考案しているのである。谷崎は、ただ郷愁だの回顧といった観点から無意味に古典を参照しているのではない。むしろ日本の古典美を、経済的かつ実用的な側面から説明し、文学のみならず日本語の「口語体」一般の見直しを主張している。
ただし谷崎の、経済的合理性から美的側面をとらえる観点は、単調なモダニストの美観に見られるような「合理性にこそ美が宿る」とか、無機質なものに美を見出す「機械美」とかいったものではない。安吾も同様だが、谷崎にとって表現上の美とは、小林の言う「社会化した私」(「私小説論」)を表現するために考案された様式・文体において見出されるものであり(「私小説論」で小林は、「自然主義私小説」に対抗しえた、つまり「社会化した私」を正しく引き受けた、日本のなかでは数少ない真正モダニストとして谷崎を評価している)、それ以外の冗長さは無駄である、という意味での経済的合理性に関わるものであろう。
安吾もまた文法のレベルを問題にし、主格なしに句を作れない西洋の言語との対比から日本語の可能性、ひいては「無形の説話者」の有様を論じている段があるが、多くの点で谷崎の問題意識とつながる部分があると考えられる*3


彼らは「私」の不安にさらされて「私」を色々な意匠でデザインした。読者の、自分とは別ものの「私」を取り込むことも辞さずに。他方、最近の私語り批判を見るにつけ、ラノベやブログの私語り、総表現社会に対する完膚のない否定的なまなざしには、少々うんざりすることがある。
かつて安吾は、信長の鉄砲の使用法を評価したことがあるが、その理由は、点火してから発射されるまで時間がかかるゆえに実践では使えないとされていた鉄砲を、信長が、三人四人の縦列形式でもって連射式に「改変」してしまったからだった。ここではじめて鉄砲は人間を介して動き出す。その時代画期性を思う存分発揮する。つまり信長は、鉄砲一丁につき一人というインディヴィジュアルな発想を転回し、戦闘員を三人四人まとめてはじめて一人分、一人前の仕事ができる、というように「人間」像を根底から覆したのである。火薬詰め、待機、発射、後方退避(…)と縦列を組みながら連射する一連の活動を、「人間」として、一人の「私」として発想すること。
これにより、インディヴィジュアルな「私」しか思い描けない武将たちは軒並み敗れることになったのだ。熟練した者のみが扱える騎馬や弓矢よりも、誰もが扱える鉄砲の威力を引き出した信長と、その徹底した自由かつ民主的な武器の本質――誰もが手にし得、誰に当たるか分からない――に恐れをなして手に取る気になれなかった武将たちの違いはここにある*4
また、二刀流の武蔵のことも、同じ発想で安吾は評価していて、花田清輝安吾の武蔵について、二刀のうち一刀を相手に投げつけて、手放してしまったのがいけないと批判したが、そのような批判はインディヴィジュアルな「私」を前提したものにすぎず、安吾の武蔵はあくまでも、相手との総体のなかで動きなり現象をとらえようとしていたのである。これこそ「無形の説話者」の本領発揮だろう。
ラノベやブログの私語り、「ロングテール」の総表現社会を批判することはたやすい。あるいはまた、無数の私語りを評価する言動に対して、それはポピュリズムだと言って批判することもたやすい。しかし、自分もその総表現社会の一員であることを確認したうえで、それを総体としてとらえようとした前任者・「私」のデザイナーがいることも爽快な事実であり、貴重な遺産である。

*1:安吾が提唱した「無形の説話者」なるものは、一見革新的なように見えて、そのじつ非常にオーソドックスな語りの様態だということは、もっと注意されていい。丁寧に理論化するまでもなく、いつの時代も、物語の話者なんて融通無碍で、そもそもかなりいい加減なものなのだ。たとえば、安吾のことが書かれているわけではないが、保坂和志『小説の自由』05年6月所収「私の解体」参照。

*2:谷崎の文法理解の真偽はここでは問わない。

*3:周知の通り、大正モダニズムの影響を受けた経歴から脱した谷崎は、この日本語論をものの見事に作品に取り入れ、「卍」「春琴抄」「蘆刈」などを書いた。横光はあの後「旅愁」を書き、モダニズム時代の形式的実験を忘れたかのような物語本位の流れにくみし(あまつさえ横光はかつて「アンチ日本語」をかかげていたはずなのに、ナショナリストになる)、安吾は、「無形の説話者」の実践として書かれた「吹雪物語」を失敗作として葬り、その後は当面、単一の話者によって統御された説話小説を書くことになる。というのが、いわゆる文学史の定型だけれど、とりあえずこれを鵜呑みにすると、優れた作家であれ、言うこと(理論)とやること(小説実践)との分裂はやむなしなんだなあと、つくづく思うのだった。

*4:ウェブ進化論』の梅田望夫氏が、少数の「恐竜の首」よりも不特定多数の「ロングテール」にネットの可能性を見出したオプティミストたちが軸になって(知の)世界が再編される、という見取り図を描くのも、安吾が鉄砲の不特定多数性に着目した信長を評価するのと重なるところがある。これはアナーキーとも革命家的ともネオリベ的とも資本家的とも言える発想であり、政治的にどのような効果があるのか――「帝国」の発想か「マルチチュード」の発想か――はほとんど決定できない。